「出発便のご案内をいたします。
東京行き、7時30分発、153便は、ただいま皆様を機内へとご案内中でございます。
東京行き、7時30分発、153便をご利用のお客様は、保安検査場をお通りになり、8番搭乗口よりご搭乗ください」
ガラス窓の向こうには、出発予定の飛行機に、搭乗橋か接続され、続々と人が乗り込んでいく。
それらを横目に、待合室の椅子で、長い足を組んで座る男がいた。
キャップを目深く被い、サングラスをかけた黒髪の男だった。男は、真向かいに座ろうとしたスーツの女に尋ねる。
「あれ?」
丁度、真向かいの席に座ろうとしたのは、この秋より補助監督として勤めるようになったである。
男の視線の先を確認してから、は頷く。
「ふーん」
ぼそり、と男が低く呟く。「弱そ」
「そりゃ、アナタから見ればね・・・」
「いや、そうじゃなくて」
呆れた視線を向けるに、男が否定をしかけた時、
がつけていたインカムから声がする。「こちら虎杖」
「呪詛師を見つけた!
接触する」
「「あ」」
慌てたのはである。
「待っ」
サングラスをかけた男は、特別、目が良い。その男が何かを言おうとしていたのに、理由を聞けていない。
しかし、が制止をかけるよりも早く、虎杖は見つけた目標に向かって駆け出していた。人の溢れる通路を素早くすり抜けていく。
突然、猛スピードで駆けてくる虎杖に、相手も気づいた。
中肉中背の、一見サラリーマン風の男だ。男は、ぎょっとした表情を浮かべるとらアタッシュケースを両手で抱え、周囲の人間を押し退け反対方向へと逆走し始める。
搭乗口に乗り込もうとする人で溢れかえっている。そんな中、器用に人を避けながら進む虎杖は、人混みの中とは思えない程、動きが早い。身体能力が抜群に高いだけある。だが、先に人混みから抜け出したのは、入口付近にいた呪詛師だった。
呪詛師は、エスカレーターに乗ろうとしていた旅行者のキャリーバッグを蹴飛ばすと、数段飛ばしで駆け降りていく。
下の階にたどり着けば、続いて閉まりかけていたエレベーターに、今度は妊婦を押し退けて駆け込む。慌てたのは、下の階を張っていた野薔薇だ。
「待てゴラァ!」
舌を巻いて叫ぶなり、舌打ちを一つする。エスカレーターから転がり落ちたキャリーバッグが、呪詛師に押された妊婦にぶつかりそうになっていた。
虎杖達は、アタッシュケースが海外にわたるのを、何としても阻止しなければならない。
だが、妊婦さんを見捨てることもできない。倒れ駆けた妊婦を咄嗟に支えると、勢いをもって落ちてくるキャリーバッグを、野薔薇は片手に持つ金槌で殴った。華奢な女とは言え、呪力を纏えば威力は倍以上だ。
キャリーバッグはべこりと凹み、
妊婦に当たることなく吹き飛ばされた。離れたところから、キャリーバッグの持ち主の悲鳴が上がるが、妊婦さんに怪我を負わせるより断然に良い。
そこへ、ようやく人混みを抜けた虎杖がエスカレーターの手摺を蹴り、ショートカットで降りてくる。
「頼んだ、虎杖!」
「応!」
妊婦を支える野薔薇がそう言うと、虎杖は曲芸師も真っ青な動きで、続いて同じように下へと、エスカレーターの手摺を伝い、駆け降りていく。
呪詛師がエレベーターで1階へとついた頃には、虎杖も降り立っていた。
慌てたのは呪詛師である。
咄嗟に近くにいた老人を掴むなり、叫ぶ。
「近づくな!」
虎杖の動きが止まる。呪詛師は懐からナイフを取り出す。ナイフは呪具だった。呪具が纏う負の呪力から、掠り傷一つでも、老人には危ない。眉を潜めた虎杖に、呪詛師は言う。
「近づくなよ。近づいたら、この爺さんの命はないと、」
ひゅう、と突風がふく。
呪詛師の台詞は続かなかった。吹き抜けの天井の五階から、人が降りてきたのだ。呪詛師の背後に降り立つ一寸で、思い切り胴へと三節棍を叩き込む。
黒髪に短髪の少女、真希だ。
真希の打撃に、呪詛師は泡をふいて転がり倒れた。
三節棍を一振して、肩へ担いだ真希が尋ねる。
「おい、じーさん大丈夫か」
「佐知子さんかぁ」
「佐知子さんじゃねぇよ」
ほけほけと言う老人に、真希は呆れた視線を向けた。老人は尚も言う。
「髪切ったのかぁ、佐知子さん」
「だから、ちげぇって」
真希は肩を竦めた。
丁度、野薔薇も降りてきたところで、三人は伸びた呪詛師を囲んだ。
その様子を吹き抜けの三階から静観していた、キャップの男が小さく呟いた。
「最近の若い子は逞しいね」
遅れてが、三人の元へたどり着いた頃には三人はアタッシュケースの中身を確認していた。
三人共、苦い表情を浮かべている。
虎杖がアタッシュケースの中身、木箱から取り出した一本の指を、苦い表情で眺めている。札は貼ってあるものの、呪力を全く感じられない。
「偽物だ、これ」
「可笑しいでしょ。
なんで、こっちの動きがバレてるわけ?」
眉を潜めた野薔薇に、真希が口を開く。
「だが、これで確定だ。
上層部の生き残りと、呪詛師が手を組んだ」
数週間前に捕まえた呪詛師が、ある言葉を口走った。
尋問に耐えかねたのか、それとも意趣返しのつもりだったのか。恐らく両方だろう。どちらにしても、呪詛師の言葉は、聞き捨てならないものだった。
日本呪霊化再計画
半年前の惨状の爪痕は、まだ色濃く残っている。虎杖達が抗戦したお陰で、何とか宿儺を倒したーーーかのように思われた。
半年前の死滅回遊のどさくさに応じて、五条が葬った上層部は、全てではなく雲隠れした連中もいた。
ほんの一握りであり、放っていても問題ない程度だが、その生き残りが、現代に生き残った過去の泳者ーー呪詛師と手を組んだらしい。
半信半疑だとはいえ、高専で封印されているはずの、最後の宿儺の指が海外に渡ろうとしているという。
海外に渡って仕舞えば、追跡は難を極める。捕らえた呪詛師から得た人相書を元に、急ぎ、虎杖達はそれを阻止すべく、空港を張っていたのだった。
呪詛師を見つけ出すことはできたが、空港にはレプリカが用意されていた。本物はまだ、日本にあるのだろう。
とはいえ、呪詛師を1名捕縛したのだ。
レプリカを掴まされたが、任務完了に高専へと戻る前に、彼らは街に寄っていくらしい。補助監督であるが途中まで送り届けると、早々に街へと消えた。
は三人がいなくなったのを見届けると車を走らせ、数十分。
コインパーキングに車を止めると、一軒の喫茶店へと向かった。
空調が効いて心地よい。人は疎らで、窓際の席に、空港にいたキャップの男が座っていた。男はに気づいて片手をあげる。
席に着くなり早速、は男の見立て通り偽物であったことを告げる。
男は頼んだ追加の紅茶にドバドバと角砂糖を放り込んでいた。いつものことだが、見ているこちらも胸焼けしそうな光景だった。
ティースプーンでかき混ぜがら、男は言う。
「ーーーゴキブリのごとく、しぶといからね」
仮にも飲食しているときに言う単語ではないが、そこはノンデリ男。
口にしようとしていたコーヒーを前に、笑顔が固まるを気にせず続ける。「これでも一掃したつもりだったんだけどね」
「なかなか尻尾が出ない」
北へ東へ、全国津々浦々。
高専へ情報が入ったのは数週間前だが、男と共に巡っているは半年前から危ぶんでいた件だ。
だが、の胡乱気な視線が男へと向けられる。
「めっちゃ楽しんでません?」
「そんなことないヨー!」
にっこり笑って否定する男は、行く先々で、ここぞとばかりに観光、飲食と満喫しまっくいるのを、は身をもって知っている。何故なら付き合わされるのは彼女だからだ。ごほん、と態とらしく咳を一つすると男は口を開く。
「さてと、
ここ数ヶ月で皆の動きもよくなってきたし。
そろそろ、こっちも動きますか」
本当はと海外にも行きたかったんだけどねー
おい、本音。ポロリと零れた男の言葉に、は内心突っ込む。言葉にしたところでゴーイングマイウェイの男には微塵も響かないので、口には出さないが。
「でも、場所が分からないんじゃ、どうしようもないのでは・・・」
「犯人は元の場所に戻るって言うじゃん」
キリリとした表情で言う男に、何言ってんだ?といわんばかりの視線を向ける。男はからからと笑う。
「冗談はさておき。
封印されてても、矢鱈と動かせない。
ある程度、呪霊が呼び寄せられるからね。
1ヶ所だけ、地に馴染むところがあるだろ」
***
日が沈み始めた黄昏時、年の頃15才ぐらいの少年が二人、校舎の外れを歩いていた。
一人は着崩したワイシャツ、もう一人はトレーナーを着ているが、紺色のズボンは同じで、同じ学校の生徒なのだろう。学生である彼等が、校舎の外れにいても可笑しくはないが、彼等は急いでるようだった。
「早くしねーと、時間になっちまう」
ポケットに手をいれて、空いた手で頭をかきながら足早に先頭進む少年に、慌ててもう一人の少年が追いかける。
「本当に、あんのかな?」
「しらね」
少年は肩を竦めた。
「噂通りなら、ウチの学校、不自然に一ヶ所だけ新築の廊下あんだろ?一夜で壊れたらしくてさ。
アソコに、出たんだと」
「それ、UMAとか陰謀とか、って説もあるじゃん」
「何の陰謀だよ」
「CIA?」
「海外ドラマの見すぎだろ。お前、本当影響受けやすいよな」
鼻で嗤う少年に、もう一人の少年は初めから信じていないのか、特に表情を変えることはなかった。事実、少年のここ最近の暇潰しは、海外ドラマ一択だ。こんな時、CIAがいたら… などと、何度思ったことか。彼も思考がドラマ一辺倒になっているのは、自覚していた。
足元の雑草は、しばらく放置されていたのか、刈られた様子もなく、生い茂っている。雑草をかき分けて突き進む少年は、意気込む。
「ぜってーあるって。つかないと、俺らが困る。
何も用意してないから、ビビったと思われるじゃん」
放課後、教室に数人で集まろうーー
各々が怖いと思うものを持ち寄って、所謂、肝試しをすることになっていた。各々用意するのは、物でも話でいい。だが二人はまだ何も用意できておらず、これから調達する予定だった。
足早に歩いていたから、身体が暖まってきた。鼻息荒く、少年は腕まくりをする。
「折角だから、飛びきりビビらせよーぜ」
程なくして、ようやく拓けたところに出た。中心には白い箱のようなものが建ててある。百葉箱だ。
百葉箱の前で足を止めると、躊躇うことなく少年は両扉に手を掛けた。
後を追う少年は半信半疑だったが、扉に手を掛けた少年の背後から顔除かせて驚嘆する。「うわ、あった」
百葉箱の中心には、細長い小さな木箱が置いてあった。蓋には御札のようなものが貼られ、いかにもな見た目である。
「おもしれー」
そう言って、少年は小箱に手を掛けた。
***
虎杖達が宮城県に着いたのは、日が沈んだ頃だった。
そのまま目的地の学校へと向かい、着いたのは夜も更けた頃で、虎杖達が着いた頃には既に様子が可笑しかった。
学校を中心に、禍々しい気配が充満しているのである。これは確実にーー呪霊がいる。
学校等は噂を溜めやすいといっても、充満している禍々しさは数年前、虎杖が経験したものと同じだ。
帳をおろし、到着早々に中心地へと駆け出す。
「さんの予想的中!」
木を隠すなら、森の中。馴染んでいる土地に安置されているのではないかー。現補助監督のの指摘で、やってきた虎杖の母校。濃い呪霊の気配が充満していて、既に何者かにより封印が解かれた可能性が高い。
閉鎖されている玄関門を一足で飛び越えた虎杖に伏黒が続く。
「魔除けになるんじゃなかったか!」
「んなわけねぇーじゃん!
数百年生きた呪いだかんな、あれ!」
元凶を叩いたとは言え、早々に残穢がなくなるはずもない。悪用されるわけにも行かず、虎杖は高専へ預けたーーはずだった。
虎杖も、どこに安置してるかまでは知らずにいたとはいえ、しぶとく残った上層部の生き残りと、呪詛師が狙っているとは思いもしなかったのだ。
呪詛師が封印を解いたのであれば、良い。コテンパンに倒してしまえばいいからだ。だが、もし、数年前のように関係ない者が封印を解いてしまっていたら、最悪だーー果たして、その予感は的中してしまう。
虎杖が経験した、数年前と似たような状況で、校舎へと入ったところで悲鳴が上がったのだ。
悲鳴の元へと向かうと、廊下を覆ってしまう程の巨体な呪霊と、今まさに取り込まれていく男子学生がいた。
呪霊には既に3名取り込まれていて、即座に伏黒が玉犬を呼び出し、呪霊へと向かわせる。だが、呪霊の表面が固く、牙は僅かに削るだけで、学生を助け出せなかった。
一方で釘崎の投げた呪力の篭った釘で、呪霊の動きが止まり、その隙に取り込まれようとしていた学生を虎杖が救出する。
「大丈夫か!」
助け出された学生は恐慌状態に陥っているようだった。吃りながら答える。
「あ、お、おれ達、き、肝試しで」
こんな夜遅くに校舎にいるのだ。言わずもがなで、虎杖は落ち着かせるように肩をたたく。
「おっけー!大丈夫!
俺達に任せといて!」
釘崎と伏黒が交代で仕掛けるが、呪霊は固く、深い傷を負えられずにいた。
虎杖も応戦しようと構えた時、突然呪霊が雄叫びをあげる。鼓膜を揺らすような金切り声に、咄嗟に両耳を押さえた。
呪霊は窓ガラスを、複数の手足のようなもので割ると、そのまま壁を伝って上へと向かう。
「あ、逃げた!」
「掴まれ!」
即座に追いかけようとした虎杖の首根っこを玉犬で掴み、野薔薇を乗せて、追随する。伏黒自身は鵺を呼び出し、足を掴んで屋上へと向かった。
「待って、誰かいる!」
屋上には件の呪霊と、一人の男がいた。
「めんどくせー事になりそう」
野薔薇が思わず顔を歪める。
呪霊は傍らの男を攻撃する素振りもなく、むしろ付き従うようにしている。
更に男は恐怖の色を浮かべることなく、歓喜の声をあげた。
「やっとだ。この時を待っていた!
俺は呪霊は操れないが、人は操れる!」
「術式開示か・・・」
舌打ちを伏黒が溢すと、男ーー呪詛師が勝ち誇ったように笑う。
「ふふ!手も足も出ないだろう!」
人を取り込んだ呪霊ーーいや、わざと取り込ませて、人から呪霊を操る。
それが呪詛師の狙いだった。
宿儺の指を取り込んだ呪霊は、ただでさえ厄介で、特級に値するだろう。
呪霊の無数の手足が、虎杖達を襲う。虎杖達はその手足を捌くのに手一杯だった。取り込まれた人達を救おうにも、呪霊の表面は玉犬の牙ですら僅かに傷を負えられない。
呪霊の手足を捌きながら、虎杖は考える。
先に呪詛師を叩きたいが、呪霊の手足が邪魔で向かうことすらできない。
取り込まれた人を助け出す前に呪霊を叩いてしまえば、取り込まれている人にどんな影響を及ぼしてしまうか分からない。
ーーこんな時、五条先生なら
「虎杖、どうする!?」
同じように思考を巡らす伏黒からの問いに、虎杖は答える。方法は全くわからない。それでもーー
「助けて、祓う!」
「はいよー」
その時、もう二度と聞こえないはずの声が、割り入った。
一瞬、動きすら止めそうになった虎杖達は、捌く手足は止めず、勢いよく首を回す。
振り向いた屋上の先、貯水槽にその男は立っていた。
闇夜に紛れる黒い上下の衣服に、黒のアイマスク。白銀の髪は風に揺らいですらりとした長い手足。片手をあげて軽い調子で、男は言う。
「や!皆の五条悟先生だよー!」
死んだはずの担任が、そこにはいた。
あまりにもいつもの調子で、それがつい返されたのは、根に持っていたからかもしれない。
「「・・・・・・オッパッピーは?」」
野薔薇と伏黒の問いに、五条は信じられないとばかりに答えた。
「えぇー・・・
だってあれ、反応今一つだったじゃん」
あれはナイでしょ(笑)とばかりの返答に、思わず米神に血管が浮きそうになる野薔薇、伏黒。えぇーそんな・・・と、真に受けて実施して、周りをどん引かせた虎杖は一人ショックを受けた。
「ま、皆大好きなGTGだからね。
咽び泣いて吐いちゃうほど嬉しいでしょ」
フフン!とばかりにいけしゃあしゃあと宣う五条に、そうだった、こういう奴/人/先生だった・・・と虎杖達は、感動の再会のはずが、悲しいかな、ウンザリした心地になるのだった。
***
懐かしい友と会った空港で、五条は友人達と談笑していた。なかなかどうして、善を積んだつもりもなかった五条の手は、多くの人間を時に葬り、時に取り零してきた。地獄に落ちても、さもありなんと思っていたが、これがあの世ならば、穏やかなものだ。
けれど、ふと気づく。何度も、視線が手のひらと向かっている。
無意識なもので、五条はようやくその行為に気づいた。
「・・・なんか、違和感あるんだよな」
強いていうなら、パーツが足りない。しっくりこない、心の像の中心がぽっかりと空いたような空虚感が襲う。
何よりも大切で、何よりも大事で。壊れないよう離れないよう、真絹で包んだ割に、その癖身体の中心で根を張り、僅かでも離れていかない。
ーーーそれを呪いと、自身は言った気がする。
自分が呪いにかかっている?後悔もないというのに。
何よりも真っ白で、真っ黒でもある。色は驚く程時に様変わりし、
純粋で、己をすべて塗り替える苛辣さでもって、そこにある。
ーーーその名を。
滅菌ガウンを纏った黒髪に、右目の泣き黒子が特徴的な垂れ目の女医ーー家入に尋ねられる。
「形見はそれでいいのか?骨も残せないぞ」
は掌の中身を握り締めて、静かに頷いた。
あとを続く者達のために。少しでも力になるなら、解剖は必須だ。中でも彼は、数百年ぶりの無下限術式と六眼の抱き合わせの逸材だ。それがためになるなら、やるべきだろう。例え、一般的な論理感では、非人道的であろうとも。目頭に力をいれて、横たわるその人の手を最後に握った。
右手には、結婚指輪を。
左手には、彼の手を握る。
涙が落ちないようこらえた声で、最後の声をかける。
「悟さん、愛してます」
人はきっと、声から忘れる。
愛した人の声を、五条はその時確かに聞いた。届いた声に、五条は笑う。
「なるほど、なるほど」
しげしげと、眺める。気づけば、なかったはずの薬指には、銀色の指輪が光っていた。
「試練、ってやつかな」
気づけば五条は学生の姿から、上下黒の衣服を纏った、大人の姿になっていた。
慣れたように、ポケットに手を突っ込んで振り替えれば、記憶に新しい袈裟姿の胡散臭い長髪の男に、金髪を綺麗に七三に分けて、シャツとスラックスをしっかりと着込んだ男がいた。ーーー揃いも揃って。
一人の後輩だけ、学生姿のままだったのは、その姿が彼の最期だからだろう。
これが最期の最期ーーーいや、最期ではなかったのだろう。
白でもない、黒でもない。
「自爆の逆。ここならできんだろ」
五条はひとりごちると、片手をあげた。
「ってな訳で、戻るわ」
「そんなところだと思いました」
軽い調子の五条に、七三の男、七海が呆れたように溜め息を吐いた。「さすが武士」
「あの世でも呪術ですか
どれだけ強くなる気ですか?」
袈裟の男、夏油がやれやれ、と肩を竦める。
「君の居場所は、先にあるんだろ」
「なら、仕方ないっスね!」
続くのは、学生姿の灰原だ。
灰原はにんまりと笑みを浮かべると、すぐに駆け出す。助走もつけて、唐突に五条の背を叩いた。
無下限をといていた五条は驚き、さすがに身体を揺らした。続いて七海が、日頃の鬱憤を晴らすべくかの如く、五条の背を思い切りたたく。連続したそれに、五条の体幹がよくても、身体が傾く。
最後に、にっこりと笑った夏油が五条の背を叩いた。とうとう、耐えきれず前につんのめった五条の背に声がかかった。
「「「行ってこい/行ってきて下さい」」」
背後からの声に、五条は振り返らない。
片手をあげて彼等に答えると、五条悟は、前へと足を進めた。
***
「やべ、寝過ごした?」と素っ裸で呑気に起きた五条に、は腰が抜けるほど驚いたし、家入は家入で、既に一度似たような経験をしていたので、そんなことだろうと思った。と、慣れた様子だった。曰く、規格外の宿儺の器とはいえ、学生が死から蘇ったのだ。同じく、いやそれ以上に規格外のこの男が生き返らんでも驚かん、らしい。
五条は死滅回遊の折に、腐った思考を持つ上層部を一掃したが、しぶとく雲隠れした者もいる。隠れてる膿を出しきるまで、これまで暗躍していたのだ。
最強が死んだとなれば、さすがの奴らも油断してノコノコ出てくるはず、と睨んだが、これが、まぁ出てくるわ出てくるわ。
ついでに、今までとれなかった分の長期休暇として、五条が死んだと思い、目を真っ赤に腫らした可愛い可愛い嫁と一緒にバカンスに、が五条の本音だったが、蛆が思いの外多く、海外まで行けなかったのが悔やまれる。
ようやく残り僅か、というところで、あとは教え子達に任せて、今度こそ嫁と海外バカンス行けばいいのでは?と開き直りもとい、更なる高みへの指導として、五条は半年経て、姿を表したのである。勿論、前者が本音である。
五条のことだ。そのうちひょっこり現れるのでは?と、五条の死体を見ていても、生徒達は不思議と実感がわかないでいた。悲しんでいたのは元一般人のだけで、ある意味生徒達の感は正しかった訳だが、その辺りが一般的な感覚との境界線なのかもしれない。
と比べ、生徒達のうっすい反応も何のその。五条は腕を組んで回想する。
「宿儺との戦いは楽しかったけどさ。
いやぁ、さすがに教え子相手に、ガチの領域展開は出来ないっしょ。
恵死ぬわ!」
わはは!と軽く笑う五条に、そりゃそーでしょーよ、と後遺症もなく頭が重いだけ済んだ伏黒は胡乱げな目を向ける。知ってはいたが、やはりこの男、軽い。
「ご、五条悟ー!??
ば、ばかな、死んだはずでは・・・?!」
「この通り、ピンピンしてるよ」
白目を剥かんばかりに驚愕の声をあげた呪詛師に、五条はVサインを向ける。
さて、と、生徒達の置かれた状況に、五条は感慨深く言う。
「懐かしいねー。僕の出番かな」
「あんた、殺す気ですか」
「いんや!」
眉を潜めた伏黒に、五条はにっと笑った。
「新技だよ」
「まじで!?」
食いついたのは虎杖だ。目を輝かせんばかりに、わくわくした様子を見せる虎杖に、五条は人差し指で指して答える。
「まじの、大真面目」
「これ以上規格外になってどうすんのよ」
「ま、見てなって」
五条は軽く腕を伸ばして、筋肉を解すと、貯水槽から降りる。冷や汗を出して警戒する呪詛師を前に、指先を呪霊へと向けた。
虎杖、伏黒、釘崎の背を、凄まじい悪寒が走る。
莫大な呪力が、五条の指先に集縮される。それは赫でも、蒼でもない。
目を焼くほどの白い光。
「梦式(むしき)ーー『 晧 』(しろ)」
虎杖達が退避するよりも早く、それは放たれた。
帳の中が、一瞬で真昼のような明るさが包まれる。これ、退避出来てない俺ら、死んだのでは?そう思ったのは虎杖だけではない。光が止んだ後、虎杖は恐る恐る自分の身体で欠けてる部分はないか確認して、強ばっていた全身の力を抜く。
「び、ビックリした!巻き沿い食らったのかと思ったー!」
「どうよ、晧(しろ)」
「どうって・・・」
したり顔の五条の指摘に、虎杖は衝撃の事実に気付く。
「身体がめっちゃ軽い!」
続いて釘崎が、目を見開いた。
「肩こりがなくなってる・・・!」
ハッと頬に手を当ててみれば、まるで温泉は入りたてのツルツル卵肌である。
「肌の調子も良い!?」
「・・・・・・・・・」
そういえば、頭痛がなくなっている。と伏黒も無言で驚く。同時に、白い光が止むと、呪霊は跡形もなく祓滅され、取り込まれていた人達が倒れている。取り込まれていた人は、顔色も良く、呪いに当てられた気配もない。
「よいしょ」敗北を察知して逃げようとしていた呪詛師は、早々に音もなく現れた五条の拳で、気絶させられた。
流れるような動きで呪詛師を捕縛し、足蹴にした五条が説明した。
「フッフッフ。これが晧(しろ)の効果!
要するに、超プラスってこと!」
呪力が負の力のであれば、その真逆である。なるほど、分からん。と無言になる生徒達に、教師に向いてない感覚派五条は続ける。
「因みに、新技は合計7つあります!」
「え!?うそ!??」
「嘘でっす!」
「「「・・・・・」」」
悪びれもなくさらっと告げる五条に、さすがの虎杖も何も言えなくなった。
胡乱げな目を向ける生徒達を気にせず、五条はからからと笑った。
「ま、他にもいくつかあるのはホント。
また見せる機会があるだろーから、こうご期待!」
規格外は、どこまで規格外になるつもなのか。
乙骨が自分が代わりに怪物になる、と言っていたが、この人に追い付ける日は来そうにもないッス。と虎杖は心の中で、ひとつ上の先輩に告げた。
しかし。純粋たる疑問が、生徒達を代表して虎杖の口からでた。
「でも、せんせーどうやって生き返ったん?」
「え、聞きたい?」
おっと、これは聞かない方がよかったのかもしれない。水を得た魚よろしく、アイマスクをしているのに、五条の目が意気揚々と輝いている気がした。食い付きが早い。
「聞こえたんだよ、からのラブコー」
「やーめーてー!!」
その時、遮るように声が割って入る。屋上のドアを開け放つと同時に叫んだのは、虎杖達の補助監督として同行していた、だ。様子を見に来てみれば、これである。一体何を生徒に聞かせるつもりか。ええい、聞かせてなるものか!五条は気を抜くとすぐにところ構わず惚気ようとするので、としては羞恥心が堪えきれない。
「ちゃんの愛の」
「ヤーメーテー!!!?」
懲りずに続けようとする五条に足早に駆け寄り、その形のよい唇を両手で抑える。
ようやく止まったかと思えば、そこは五条。抑える掌をべろりと舐めてきたのだ。
これにはも声なき悲鳴を上げて後退るが、五条の長い腕が伸びる方が速かった。
「うれしーなー。人前でから甘えてくれるなんて」
長い腕に捕らえられ、はなす術もない。揉みくちゃにされるしかなく、顔中だけでなく頭にも、何度も口づけの嵐が降ってくるのである。
が必死に抵抗しているが、五条の腕はびくともしない。
いつも通りだ、と、般若を背負い五条に今にも飛び掛かりそうな伏黒を留めながら、虎杖は思う。
大丈夫だよ、乙骨先輩。
例え、誰も追い付けなくとも、あの人がいれば、最強は1人ではないのだ。
北へ