春 夏 秋 冬

宿儺との闘いは、熾烈を極めた。いくら疎開後の都心といえども、戦闘により建物はおろか大地も削られ、一部の地形は変わり果てた景色となっている。
死滅回遊も終結し、大人達は今後の復興に大わらわだ。しかし、呪霊が消えたわけではない。
渋谷事変後、呪霊は東京のみに発生されるもの、と世間に公表された。一般市民にも認知されたことから、人間の負の感情から生まれる呪霊は、自然と東京に集中するようになっていた。一か所に集中するという事は、それだけ呪霊の目撃情報や、被害が増えるということだ。

家入や乙骨の、他者の傷を癒す反転術式があるにしても、呪力がすぐに回復するわけではない。特に今回は、術師達が各々の限界を超え、呪力を酷使した戦いだ。数週間を経て、ようやく癒え始めた、虎杖達学生の呪術師達も、問答無用に祓除に駆り出されることになる。
虎杖達が、落ち着いて雑談を交えられるようになったのは、それから更に数週間後。深い爪痕を残した、新宿決戦から一月が経とうとしていた。

最近、補助監督の新田姉こと、新田明から聞いた、と前置きを据えて、釘崎がその話題を出した。

「五条先生を見た?」

釘崎からの話に、虎杖、伏黒もさすがに驚きに目を見張った。話題を出した釘崎ですら、釈然としない表情を浮かべている。
伏黒が眉を顰める。

「でも、五条先生は・・・」

一月前の新宿決戦。地形が変わるほどの熾烈な戦いの、最もたる原因の一つ。
散々暴れ、現代最強として、宿儺の力を大きく削ぎ、そして命を落とした。
虎杖達の誰が欠けても、上手くはいかなったとはいえ、前提として、人類の勝利は五条悟なくして生まれなかっただろう。
虎杖がハッとした表情を浮かべる。

「もしかして、幽霊・・・・?」

口に手を当てる虎杖に、ハハ、まさか、なんて笑い飛ばすことは、二人ともできなかった。むしろ顎に指を添えて、深く考え始める。
あり得なくはない・・・?
虎杖達学生達だけではなく、周囲の常識にも似た認識でも、なんでもありなのが、五条悟という人物だ。


三人は額を突き合わせて、悩んだ。
死んだはずの恩師。生き返ってもあり得なくもない男、五条悟。むしろあの世で拒否されそう。互いで視線だけを交わし、思考すること3秒。
顔を上げた三人は、すっきりした表情を浮かべていた。

「確かめるっきゃ、ないっしょ」
「しゃーないわね。ったく」

肩に手を置いて、ぐるりと腕を回す虎杖に、釘崎も異論はないようだ。普段は面倒な事は避けがちな伏黒も、何も言わないことから賛成なのだろう。
こうして虎杖、伏黒、釘崎の三人は、早速、件の見かけた噂された場所へと向かった。

五条を見かけたとされる場所は、東京呪術高専の1階、別棟への渡り廊下だ。高専生徒の学び小屋と、渡り廊下で結んだ別棟には、職員室と呪術師の待機場が設置されている。もし噂が本当であるなら、いても可笑しくはない場所である。
渡り廊下は、虎杖達の居る中庭から、5分もかからない位置にある。今まで多忙を極め、中々高専に寄り付くことも出来なかったとはいえ、三人とも、さすがに噂を聞いた当日に、見つけられるとは思っていなかった。
渡り廊下まで向かう途中、任務の合間に、交代で見に行くか。異論はなし。順番はそうする?―――そんな今後の対策まで話している内である。三人は2階角の、東向きの階段近くまで辿り着く。
別棟と繋がる渡り廊下は1階にあるが、一度2階まで昇って、東の階段から、再度1階へと降りる必要がある。丁度、渡り廊下が見渡せる窓があって、なんとなしに視線を向ける。すぐに虎杖が気づいた。

「あれって」
「・・・さん?」

渡り廊下を歩く人物は、三人とも見知った人物である。彼女の傍らには、誰かがいた。丁度、柱で顔が見えなかったが、三人は既視感を覚える。
黒い衣服に、長い手足。ポケットに両手を突っ込み、一見手足の長さから細身に見えて、しっかりとした上背。
その様は、あまりにも在りし日に見た姿と似過ぎていた。

ぴったりとの横を歩く姿は、連れ添うというよりは、高専で見かけた彼女に、一方的に彼が付き纏う、なんて実情だったが。 だが、虎杖達が知り合った当初から、既に彼女自身のスルースキルが高かった。補助監督の伊地知が、揶揄なくしょっちゅう胃を荒らし、時に泣くほど扱いづらい男を、関心するほど華麗に捌く姿に、何度も驚嘆したものだ。それに、彼女自身も拒絶することなく、なんだかんだと受け入れている。仲の良い二人の姿は、よく高専見かけられていた。

渋谷事変が起きる直前まで、ほんの数か月前には見られていた景色。三人が胸中で、まさか、と疑念を抱いた直後だ。柱から覗いた見知った顔に、誰ともなく息を飲む。
陽光に照らされる、白銀の髪。黒の目隠しに、へらりとした笑みを浮かべた、軽薄な男は―――紛れもなく。
次の瞬間、三人は揃って驚いて、廊下を駆け出していた。階段を駆け下り、すぐさま1階に降りると、渡り廊下へ出る。
しかし、渡り廊下を渡り切ったのか、そこに見知った姿は既にない。
すぐに廊下の先にある、別棟の扉へと、勢いよく手をかけた。自然と、声が張り上がる。

「「「五条先生!!」」」

呪術師は、最終的にフィジカルがものを言う。術式以外にも、常に弛まず肉体も鍛える彼らだったが、たった数秒にも経たない動作に、珍しく息が上がっていた。

三人の勢いに目を瞬かせて、扉の先に立つ人物が振り返る。―――1人だった。

「いない・・・?」
さん、今のって・・・」

まだ驚きが抜けきらないのか、唖然とする虎杖に続いて、釘崎が緊張した面持ちで尋ねる。
は、三人の様子に合点がいったようだ。三人を安心させるように、ふわりと笑みを浮かべる。

「うん。悟君は、死なないよ」

次いで眉を下げ、申し訳なさそうな表情で言う。

「黙ってて、ごめんね」

他人の空似なんてことはない。遠目だが、呪力は勿論、廊下にわずかに残っていた残穢でさえ、本人のものだ。
釘崎の肩の力が抜けていく。一番疑り深い伏黒も、戸惑いは残るものの、微かに安堵の表情を浮かべていた。なんだかんだと、学生らしく生意気なことは口にするものの、恩師の生存に喜ぶ彼らに、は口を開こうとしてすぐにポケットに入れたスマホが振動した。
廊下に響き渡った着信音に、全員の視線がそこへと向かう。は、はっとした表情を浮かべて、スマホを片手に頭を下げた。

「ごめん、これから任務なの。あとでね」

そう言うや否や、着信に出てる。「はい、五条です」補助監督からの電話だったのだろう。何処に車を回しているか確認して、急ぎ足で廊下を去っていく。

ほんの数分にも満たないが、各上の呪霊を相手にしたような緊張感だった。が見えなくなって、どっと力が抜ける心地がする。
伏黒が改めて、口を開いた。

「・・・どう見ても、五条先生だった」

釘崎が肺の中の息を吐きだすような、深々としたため息を吐いた。

「生きてたんなら、一言ぐらい言いなさいっての。あんの目隠し」

毎朝時間をかけて整えている、艶のある髪を乱雑に掻き毟る。だが彼女も、憎まれ口を叩きつつも、どこか嬉しそうな色が声音に滲んでいた。
そこへ三人の中で一番根が明るく、一番興奮しそうな奴が、押し黙ったままであることに気づく。

「・・・どうした?」

眉を顰めて振り返った伏黒に、
一人、口元を引き結んで押し黙るのは―――虎杖だった。




死滅回遊後、呪霊の発生は、都心に集中している。今回の任務も、都内の祓除であったため、 が任務を終え、報告のため高専へと戻って来れたのは、それから3時間後であった。
送迎してくれた補助監督に礼を言い、駐車場で別れる。裏門を潜ってすぐの事だ。

さん」

裏庭の校舎へと繋がる階段で、虎杖が待ち構えていた。 を目に留めるや否や、座っていた階段から立ち上がる。
先ほどの続きだろうか?彼の日頃の軽薄な行いから、冷たい目で見られがちだが、なんだかんだ言って、五条は生徒に慕われている。
だが、を待っていたのは、虎杖一人であった。それも視線を頻りに泳がし、どこか所在なさげな印象だ。 いつも溌剌とした虎杖の、普段にはない様子に怪訝に思うの前で、虎杖は深く息を吐く。
一つ頷くと、覚悟を決めたようにへと、何かを差し出した。

「これ、五条先生から」

差し出されたのは、一通の白い封筒だった。
虎杖は立て続けに、口早に言う。

「俺、中身は見てないから、安心して」
「手紙?用事があるなら、あとで言ってくれればいいのに・・・」

眉を顰める。今時分、スマホもあるのに、態々珍しい。随分と殊更で、悟くんらしくない。 確かに、悪戯で落書きしたメモを後輩相手に渡すことも偶にあるが、こうした形式角張ったものは、あまり好かない性質のはずだ。
不振がって、中々受け取ろうとしないに、声がかかる。

、受け取ってやれ」

校舎から出てきた、家入だ。
そこで、は顔を上げる。虎杖が、息を飲む気配がした。

「あ、ほら、噂をすれば、悟くん。悟くんに直接、聞いてみるね「!!」」

の背後、裏門からやってきたのは五条だ。
その場から立ち去ろうとするの両肩を、家入が掴む。珍しく声を荒げた家入に、は目を丸めた。
普段クールな彼女らしくなく、感情が表に出ている。
家入は一度きつく目を瞑ると、を見つめた。
の反応を、一つも見逃さないようとする、慎重な眼差しだった。

「確かに、この五条は体温もあるし、勝手に動く。誰が見ても五条だし、意思を持っているようにみえる。
・・・私だって、五条の死体を直接診てなければ、思い込まされていた」

死滅回遊が終わってから、はずっと、心臓が静まり返っている心地がした。
鼓動は嫌に静かで、何の機敏に触れないような静謐さで、体の芯から熱を奪っていく。何処か俯瞰した意識で、物事を見ていたのに。
家入の力強い瞳と、言葉が。華奢な両手で、両肩に込められた力に、の心臓が、一際強く、どくり、と波打った。
家入は眦を強くして、続ける。

「こいつは、喋らない」

家入の視線は、の後ろで佇む五条に向いていた。を首を振る。

「違うよ、それは宿儺との闘いの後遺症で・・・」

激しい戦いだった。五条は何度も自ら脳を破壊し、焼け切れた術式を強制的に反転術式で治すという、荒業をしてのけていた。以前と違う、後遺症が出ても、何ら可笑しくはなかった。
でも、筆談は出来る。だから、問題ないといい募ろうとするを、家入が遮る。

。これは君の術式。
五条の幻影だ」

心臓が、鼓動する。俯瞰していた意識が、戻されていく。
の指先は、無意識に震えていた。

「何、言ってるの?違う、違うよ・・・」
「・・・、」

まだ、の背後に佇む五条は、消えていない。
家入の言う通り、の術式は、幻術だった。だが、元は対象者1名に幻を見せる、といった簡単なものだ。戦闘にも不向きで、対象者も1名のみのため、補助としても向いていない。故に、彼女は万年四級術師であった。それがたった一つの出来事が、彼女を変えた。
死滅回遊後、彼女の負の感情が暴走した。
対象者1名のみであったはずが、不特定多数に、あまりにも精密で、「その人物が存在している」と認識すら歪めてしまう程の幻術を発動させたのだ。ただ一つの事柄を、認めたくないという彼女の思いが、皮肉にも、彼女の術式を飛躍的にあげさせたのだ。

だが、限度があった。虎杖は、宿儺の器として、他人の魂を長期間収納していた実体験から、無意識に魂を認知できる特質を持っている。
真人戦で大いに活躍した魂の知覚は、触れられる程度であったが、今では魂の有無について、直感で違和感を抱けるまでになっていた。だから、彼は気づくことが出来たのだ。

いくらの術式の精度が上がったとしても、頻繁に及ぶ術式の発動は、彼女に負担がかかって当然である。
死体を直接診ていたにも関わらず、虎杖に指摘されるまで家入の認識すら歪み、思い込まされてしまっていた。
だから、ここまで彼女の様子に、気づくことが出来なかった。何が、親友だ。
狼狽るの体は、術式の影響か、冷え切っている。無理にでも、発動しているのだろう。直ぐにでも、術式を止めさえなければいけないのに。
彼女は、無意識にか、それとも自ら望んでか、分からないが、自身にも幻術をかけている。
―――彼女の意識を戻せるのは、一人しかいなかった。


「・・・アイツは、にベタ惚れだった。女の私にも、のことで嫉妬してくるくらい、ウザいくらいにな。
心は狭いし、何時までも幼稚さは抜けないし、本当に、どうしようもない奴だったけど。
でも、そんなどうしようもない、ロクでもないあいつでも。のことだけは、どんなことでも受け止めようとしたはずだ」

寝起きで髪がボサボサの姿で、互いに笑った朝も。
涙で浮腫んだ顔に、躊躇いもなくキスを落として慰める日も。
任務帰りに同行した車で、肩に寄りかかって、うっかり制服に涎を垂らして居眠りしてしまった夕方も。
出来上がった変顔のプリクラを、渡した放課後も。

酷いな、と思うような、どんな時でも、記憶の中の五条は、笑っていた。


「受け取ってやれ」


家入は、虎杖が持っていた封筒を受け取ると、に差し出す。それを受け取らないことなど、には出来るはずもなかった。
差し出された封筒に、触れる。両手で持った、封筒は軽い。けれど彼が残した、たった1通の手紙が、には何よりも重く感じた。
溜まらず、は手紙を胸に掻き抱く。

「うわああああああ」

次々に瞼の奥から、熱いものが込み上げる。滂沱の想いが頬を伝い、両手で抱く手紙に染みをつくった。
彼女の悲痛な叫びに、虎杖も涙ぐみそうになるのを、堪える。家入は、涙こそ流さなかったが、悲しみに暮れる彼女の肩を抱いた。

いつか彼と過ごした学び舎で、夕焼けの空に、の哀哭が響いていた。



涙を頬を濡らしたまま、は茫然と呟く。

「私、ずっと夢を見てたんだね・・・。」

いつの間にか、の生み出した幻影も消えていた。
は涙を拭い、家入の腕の中から、顔を上げる。「ねぇ、硝子ちゃん」

「悟君の手紙、ちゃんと見るよ。
・・・でも、今じゃない」

の言葉に、家入は僅かに戸惑いの表情を浮かべる。 まだ、立ち直れていないのではないか、不安を抱いた様子の家入を安心させるよう、は眦を緩めた。

「私、諦め悪いの」

何度両手で拭っても落ちてくる涙で、泣き笑いを浮かべた姿は、ともすれば痛ましく見えるかもしれない。
けれど、家入は知っていた。目を見張った後、安堵の息を吐く。親友としての付き合いの長さから、悟ったのだ。

彼女は弱く、よくくだらない事で跪く。散々悩む姿は、彼女の内面を知らない、強者から見れば理解しえないものだ。弱者とも言える彼女は、禪院家の下衆の坊ちゃんからは、「雑魚」および「雑草」などと揶揄われては、五条達に絞められていたものだ。けれど、ご存知だろうか。「雑草」というものを。
五条や夏油のように強さもない。家入のように、優秀の術式もない。 虎杖や、乙骨のように、秀でたフィジカル、ポテンシャルも持ちえない。所謂、ほとんどの高専出身者と比べれば、その他大勢となる。舞台にも上がれない、脇役とも言えない存在。禪院家のボンボンの揶揄も言い得て妙だった。名もない草花のように、世間一般には、到底、何かにはなり得ない。弱い「雑草」だからこそ、

「諦めない」

踏まれても、踏まれても。たとえ、茎が折れてしまっても、いつの間にか、空へと伸びていく。

涙を流しても、前を向く。
その目は、彼女の元の強さを取り戻していた。





現代最強の呪術師、五条悟の遺体は、地下、遺体安置所に、新田弟、新田新の術式で保管されていた。
表立ってはいいないものの、弥生時代から存在している呪術の歴史は、気が遠くなる程長い。様々な術師により、研究は成されてきたが、呪術というものは、未だ、ブラックボックスだ。当然、現代最強ともなれば、今後の呪術界、敷いては人類の為、死後であっても有効活用される。本人も、了承の上であった。
 
騒動により、未だ着手はされていないが、新田弟の術式により、時を止めている状態の為、遺体の腐敗はない。

呼び出された乙骨は、からの問いに、固い面持ちで頷く。

「確かに、その術式は持ってます」

何が起こるか予想できない、宿儺達との戦いに備えて、手札は少しでも多い方がよかった。 本人から許可を取ることは出来なかったが、他でもないパンダの後押しもあり、乙骨は様々な術式をコピーしていた。

実際に、宿儺戦で使用する事はなかったが、コピーした術式の一つに、夜蛾正道の術式がある。
夜蛾の術式は、傀儡操術。高専2年生の生徒であり、自我持つ呪骸、パンダは、彼の術式により生み出されたものだった。そして、パンダは夜蛾の息子である。
だが、乙骨は否定する。

「でも、生まれるのは、本人ではない何かだと」

パンダはパンダであり、夜蛾の亡き息子ではない。生前から、夜蛾はそう言っていた。夜蛾の術式をコピーし、術式を理解した乙骨も、同じ意見なのだろう。
は頷く。

「確かに、夜蛾先生のやり方なら、そうなるんだと思う。
でも、パンダ君には、前々から違和感があって。
乙骨君に教えてもらった術式を、私なりに考えてみたの。
九十九 魂の研究ノート。高専に保管されてるあれ、読んだ?」

今度は、乙骨が頷く番だった。
九十九が死ぬ前に、脹相に託した研究ノートは、現在高専にて保管されている。決戦前に、何かしらの役に立つかもしれないと、乙骨も読んでいた。
は、乙骨がこの室内に入ってきた時から、強張った表情をしていた。
けれど、腹を括ったようで、脇に下げた拳を一度強く握り、話を続ける。

「九十九さんは、肉体は魂であり、魂は肉体、って考えがあったみたい」

彼女は長年の研究から、そう結論づけていた。
そこで、夜蛾の術式に戻る。夜蛾の傀儡操術では、まず『肉体から魂の情報を複製する』ことが第一段階だ。しかし、その箇所に誤認があったのではないか、とは踏んでいる。

「肉体は魂であり魂は肉体。そう仮定した場合、
魂は複製されるんじゃなくて、修復になるんじゃないかな」

席を共にしている硝子が、作業台に背中を齎せながら、タバコの煙を燻らせる。「・・・裏打ちもある」

「術式が切れたことで、乙骨は一度死んでいる。
だが、乙骨の場合、里香によって、反転術式で生かされていた体に脳が戻ることで、生き返れた。
ここで問題なのが、魂の在処だ。
乙骨の自我を魂と仮定するならば、術式が切れた時点で、乙骨の魂は一度死んでいる。
だが、肉体=魂であるならば、乙骨が生き返ったのも納得できる。
なら、どこで別人になるか」

次のステージだ。が引き継ぐ。

「『三つの魂の観測』」

肉体から、魂の情報を修復したとする。
ただし、それだけでは確立した呪力を持たず、自立しないため、いずれ崩壊してしまう。

崩壊することなく、自我を持ち、呪力を生み出すため、夜蛾の術式は、次に相性の良い魂3つ必要となるのだという。
ならば、だ。

「三つの魂の観測が必要なら、別人になると思う。
けど、必要じゃなかったら?
―――一つの魂が、反転術式を持つ場合は?」

反転呪術式を持っているのであれば、崩壊しえない。
本人が反転術式を使用する場合、他人から施される反転術式と比べて、効果も断然異なる。他人からの反転術式であれば、傷が残ってしまうが、自身へ反転術式を行える場合、腕がとれようが、自爆しようが、傷一つなく再生してしまうからだ。

「ここで問題なのが、呪骸だな。
呪骸は無生物故に、反転術式きかない。・・・そこで、これか」

硝子が、背後に安置されている、五条の遺体に視線を向ける。
は頷く。

無生物ならば、反転術式が効かない。ならば、生物なら?
幸いにも、新田弟の術式で、五条の遺体に腐敗もなく、騒動により、呪術への究明のための解剖も着手されていない。

「呪骸の核代わりは、六眼」

五条亡き後、六眼は、呪物にも相当する。

五条の魂の修復。
加えて、呪力の自立のために、必要となる三つの魂の観測は、五条が持つ反転術式により不要。
魂を込める核は、六眼とすれば、問題ない。

微かな可能性が浮上し、乙骨の背筋に汗が伝う。無意識に、体が強張っていた。
きっと、も、家入も、同じような心地なのだろう。

「最後のピースは―――認識」

家入は落ち着かせるように、煙草の煙を深く吸い、吐き出す。

無から生み出せる幻覚で、亡骸を呪骸と誤認させる。乙骨に、呪骸だと錯覚するほどの術式をかけるのだ。死滅回遊後、負の感情から術式の効果が上がり、視覚だけでなく、認識ですら歪められるようになったであれば、可能性があった。

自然と、その場の視線がへと集まる。
は一度目を閉じてから、口を開いた。

「悟くん、言ってくれたんです。
『またね』って」

決戦前のことだ。最後まで、不安を隠しきれないに、五条が残した最後の言葉だった。
勿論、失敗する可能性もある。すべては達が、億に一つでも残る可能性を必死に集めた、推測によるものだ。

は苦笑を浮かべる。


「でも、私は、すごく臆病だから。
不確かな未来とかじゃなくて、
彼と一緒の、今が欲しい」


『またね』と言って、快晴の空が霞むほど、穏やかに笑っていた五条。
は当時、胸が詰まり、何も言葉を返すことが出来なかった。

何かを伝えられれば、良かったのかもしれない。それで、何かが変わっていたのかも、結局、変わらなかったかもしれない。
は五条の最期の言葉に、何も返せず、涙を零すしかなかった。
それが、彼が亡くなり、全てが終わってしまってから、ようやく出せた、の本音だった。

あの当時、返せる言葉などなかった。五条と宿儺の戦いは、避けられるものではなく、時間も残されていなかったからだ。
どれだけ万全だと対策を立てても、どうやったって、後悔は生まれる。
―――けれど、きっと。まだ、やれることが残っていた。

呪術師は、現実を見る。そうでなければ、残酷で、狡猾な呪霊を祓うことなど、出来ないからだ。
憶測の域を出なければ、それは希望的推測だ。それは、一般人が夢見るもので、リアリストである呪術師らしくない者がすることだ。

万年のドベといって差し支えないは、誰よりも呪術師らしくないからこそ、足掻いた先に、辿り着いた答えだった。

そして、例えその可能性が僅かでも
も、家入も、乙骨も。
1%にも満たない、可能性があれば
高専の呪術師は、誰一人諦めないのだ。




***





慌ただしく、季節が節目を迎えようとする頃、
家入の在中する東京呪術高専の医務室は、呪術師の動きより一歩遅れて、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。

任務を詰め込まれる呪術師達が、呪霊相手に誰しも怪我を負わない訳もなく、 家入が落ち着けたのは、呪霊の動きが僅かに鎮静し、術師達も余裕を持てた後である。

落ち着いて、一服する午後を迎えようとする家入は、暇そうに医務室に居座っている大男に、ふと疑問を投げかける。

「お前はこれからどうするんだ?」

男は、長い足を放りだして、スツールに腰かけていた。
首をぐるりと回して、家入を見る。

「いい機会だし、落ち着くまで、しばらくは表立たないでいるよ」

よいしょ、と椅子を回して向き直る。
白髪の男は、面倒くさそうに乱雑に頭を掻いた。


「僕が生き返れたのは、核となる六眼もそうだけど、
まずは反転術式ありき、つっても
正常な判断ができないよーな奴らもいるだろうしね」

目隠しで隠されてはいるものの、男の特殊な青い眼は、今では片方の機能がなくなっている。男の左目は、普通の眼球としての役割は成すものの、六眼としての機能を失い、核の役割を持っていた。
しかし、片目だけの六眼とはいえ、男の戦闘能力が落ちたわけではない。
六眼も片目だけになったし、多少、威力も落ちただろうと想像された、甘い想定は一瞬で「なんか違和感あるけど、慣れた」とのたまう、相変わらず意味が分からないほどの戦闘センスを持つ男により砕かれ、訓練という、えげつないしごきでは、乙骨達を戦慄かせた。

乙骨であった際には、存在していた額の怪我も、綺麗に消えている。やはり、自身で反転術式を回せるというのは、次元が異なるのだろう。自爆しようが、片腕がもげようが。自ら脳を破壊しようが、すぐさま治せるぐらいなのだ。
午前中は、乙骨達を見ていた彼だったが、乙骨にも任務が入った。暇ー、と家入のいる医務室に、男は転がり込んできたのだ。

宿儺との戦により亡くなったはずの、五条が、変わらぬ姿でそこにはいた。生前と異なるのは左目のみで、懸念されていた人格も、五条悟当人である。魂が複製されたのか、修復であったのか、目で見えるものではないので判断しづらいが、少なくても今の五条には、の睨んだ通り、五条自身の持つ反転術式により亡くなる寸前までの意識が存在している。彼自身も、当人以外の感覚はなかった。
―――五条悟が、生き返ったのだ。
だが、喜ばしいばかりではなかった。人間の蘇生となれば、周りが黙っていない。ましては、蘇生されたのは五条である。
五条が懸念する通り、術式を行使した乙骨は勿論、当の本人の五条悟は無理であっても、五条の周りが危なくなる可能性があった。

「ずっと隠れて生きていくつもりか?」
「いや?」

矛盾して、あっけらかんと首を振る五条に、煙草をふかしながら、内心家入はそうだろうな、と頷く。静かな五条など、それこそ別人格を疑って待ったなしだ。
五条は首裏をさする。

「ほら、呪術師は、マイノリティだから裏で暗躍してたけど、今回、羅索のせいで公にバレちゃったからねー」
「お前も派手にぶっ壊してなかったか?」
「え、ヤだな。それ全部、宿儺のせいだから」

一部始終、全て余すことなく中継されていたが、五条の頭の中では、全ての責任を宿儺に押し付けてあるらしい。なんの後ろめたさもなく全否定する五条に、家入の視線が、思わず胡乱げなものになった。
家入の物言いただげな視線は、僅かにも刺さることなく、いつも通り、メンタルにも無下限が張られているのか、五条は話を続ける。

「米国も出てきたし、元から裏にネットワークはあったけど、今は表が煩いからねー。
おじいちゃんも頑張ってくれてるけど、呪術界の顔として動けないケースがある。
だから、煩い連中には、表からは憂太が
裏からは僕で手を回していこっかな、と」

家入は脳裏に、想像してみた。これを機に、呪術師に手を出してこようとする輩も悪いが
表からは、現存、唯一の特級呪術師が、
裏からは、単独で唯一、両面宿儺とやり渡った、死んだはずの現代呪術師最強が相手になるだと、完全に脅しだし、逃げ場もなく挟み撃ちされる相手が不憫すぎた。
ふと、浮かんだ懸念に、釘を刺す。

「そう言って、表の面倒事は全部、乙骨に押し付けるつもりじゃないよな?」
「ヤダナ。ソンナコトナイヨ!」
「・・・ほどほどにしてあげなよ」

案の定であった。まぁ、そんなことだろうとは思ったけど。

「ま、しばらくは裏で暗躍して
落ち着いたら、表舞台にも戻るよ」

両肩を竦める五条に、この時の家入は突っ込まなかった。面倒だった、とも言う。
薄っすらと予想できた、同期である、、家入以外の面子は、 落ち着いたら落ち着いたで、そのまま乙骨に当主役を丸々押し付けて、早々に五条が隠居生活を送ろうとするとは思いもせず、数年後に、またひと騒動が起きるのだった。
一連の騒動を、後に虎杖達は五条悟、当主逃亡案件と呼ぶのであった。


さて、と、兼ねてから抱いていた、胸中の問いを家入は尋ねた。

「で、どこからが計算だったんだ?」

家入の問いに、きょとんと、五条は目を瞬かせる。とても、嫌な予感がした。
早速、聞いたことを後悔し始めた家入に、五条は無常に答える。

「全部」
「おっも・・・。最早呪いだな」
「ヒッドォイ。硝子まで、そんなこと言うー」

けたけたと軽く笑う五条に、家入の表情は死んでいる。
五条からすれば、ただの純愛である。真相を知る者からすれば、乙骨を見習え、と唾棄されても止む無しであるが。
五条の脳裏に、空港でのやり取りが浮かぶ。五条の妄想であったのか、死後であったのか。真相は分かり得ないが、五条には一つ伝えていない記憶があった。
宿儺に切られた後、五条は気が付けば、空港にいた。そこで同期や後輩、恩師に再会した時の話だ。



嫁とのエピソードを話した五条に、同期達が感動する、なんて事はなかった。
夏油が胡散臭い笑みを浮かべたまま、催促する。

「で、その裏は?」
「ん?」

反応したのは、純粋培養の後輩、灰原である。例外的に、彼だけ五条の話に感動し、僅かに涙ぐんですらいた。
疑問に思う灰原と異なり、何故か七海も、当の本人であるはずの五条も、怪訝に思った様子もなく、涼しい顔をしている。目尻に浮かびかけていた涙は引っ込む。

「え?今の流れなら、来世で会おうっていう意味じゃ・・・」

きょろきょろと周囲を見回しながら、疑問を口にする灰原に、深々と、七海がため息を吐いた。


「灰原。彼は五条悟。現代の呪術師最強ですよ。つまりは、クズオブクズ」
「・・・さっきから、俺にあたりキツくない?七海??」

五条は、矢鱈と先輩への風当たりが強い七海に苦言を零すが、完全に黙殺される。


「君のことだ。希望的不確かなものだけに頼る質じゃないだろ。続きがあるんだろ?」

いや、まぁその通りなのだけども。もっとほら、きゃー、五条君。オットコ前ー!みたいな反応があってもいいだろうに。悠仁達辺りなら感動してくれそうな、一見傍から見れば、ドラマ的なやり取りも、同期達の前では形無しである。五条の剽軽に見えて、呪術師らしく狡猾な性格、基、手の内が分かられているというのも、つまらないものだ。
はいはい、カッコイー、カッコイー。なんて横顔に某読みで書かれているような夏油に催促され、がしがしと頭を掻いて、五条は説明を始めた。

「そもそも、憂太に、夜峨学長の術式をコピーするよう、進めたのは僕だ。手札になるからね」

事の起こりからして、五条が絡んでいる。五条は続きを言う。

「学長の術式は六眼で理解はしてた。
魂と肉体については、僕の憶測も込みだけど、ウチの蔵にも同じような書物があってね。ほら、無駄に歴史だけはあるから。
あとは、反転術式がどう影響するかは、完全に僕の推測。
ま、記憶がなくても、別に変わりないとは思うけどさ。それだと後々、が気に病みそうだからね。
最後に、の術式。そこは次第だったけど、まぁ、ぶっちゃけ」

そこで勿体ぶって、言葉を区切る。夏油と七海に、また禄でもないこと言うな、という予感が生まれた。
五条は顎に手を当てると、無駄にキメ顔で告げる。

「愛、かな」

たっはー!困っちゃったねぇー!と微塵も困った様子もなく、むしろ嬉しそうに大げさに額に手を当てる五条。
同期の視線が冷え切っていった。


「僕、愛されちゃってるから。は恥ずかしがり屋だから、分かりづらいけどね!」
ほら、夫の僕にはわかるっていうか?」

五条は両手でV字を作ると、朗らかに宣言した。周りとの温度差が出るほどの、ハイテンションである。

「これぞ、ラブ&ピースの完っ全っ勝利!」

知ってはいたが、うぜーなコイツ。
ここまで、あの世と推定される空間での夏油達と、同じ流れで説明を受けた、現時点の家入の感情が、異口同音で一致した瞬間であった。



五条が大手を振って、推定のあの世から戻ってきたのか、それとも、あの世の彼等から、内心拒絶されて戻ってきたのか、定かではないが、全てはこの男の掌の内であった訳だ。

振り回されるが不憫でならないが、そこは必要な生贄として頑張ってもらうしかない。五条に惚れられた時点で、当の昔に割り切ってはいたものの、親友の不憫さに、家入は同情の念が禁じ得なかった。

荒ぶる五条神は、ポケットからの振動に気づき、スマホを取り出すと、画面を見て、パッと表情を明るくした。

「そろそろ、帰ってくるみたい」

今ラインきた。と花を散らさんばかりに喜ぶ男は、単純である。いつもこうだったらいいのにナー。背筋が凍らなくて済むのにナー。とは思うものの、それは全て希望として終わると重々理解していた。やはり、を生贄として差し出すしか、平穏は保られないのである。
一連の騒動で心身ともに振り回され、奮闘したを、近い内に労ってろうと心に決めて、家入は割り切ることにした。
スマホに視線を落としたままの五条に、家入は尋ねる。

は任務だっけ?」
「いんや、今日は1年の引率。
一年はそのまま寄り道してくるって」

そう告げるなり、スマホをポケットに戻して、五条が立ち上がる。「迎えに行ってくる」

「そのまま行くのか?」

隠れるつもりじゃなかったのか?
前述の内容に反した動きを見せる五条に、家入が聞くと、五条は不満を露わにした。

「えー、それじゃあ、と一緒にパンケーキも食いに行けないじゃん」

言ってることとやってることが違った。
五条は肩を竦める。

「日本は、おじいちゃんの管轄だから大丈夫だって。
これでも外国じゃ、一応、髪染めてるし、へーきへーき」

何かあれば、拳で黙らせる気満々である。この男はどこまでも唯我独尊であった。
家入は習慣で、白衣の裏ポケットから煙草の箱を取り出そうとする。

早々に身支度を整えて、医務室を後にしようとした五条は、扉の前で一度足を止めた。「あ」


「『医者の不養生だから、偶には禁煙しな』だって」

医務室の、年期を入った立て付けの悪い扉が、音を立てて閉められる。
一人、やかましい奴が消えて、医務室は元の静けさを取り戻した。
家入は思わぬ言葉に、目を瞬かせてから、取り出したばかりの煙草の箱を見る。

「は。うっせ」

一笑と共に、掌の煙草を、ぐしゃり、と潰した。


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―――2019年3月18日


季節外れの寒さが、肌を刺す。鼻頭が寒く、溜まらず、すん、と鼻をすする。
視線を前にやれば、数メートル先の道に、男が一人、佇んでいた。

枝技に見事までに積もるのは、名残雪だ。名残雪は日の光を浴びて、はらはらと舞い散り、白く乱反射していた。日の角度によって、青空を背に、幻想的に煌めく。ざあと吹きすさぶ風の中、視線の先に佇んでいた男が振り返る。

白髪は短いものの、絹糸にも似た艶やかさ。襟足は刈り上げ、除いた首筋は太い。両手両足は長く、全体的には細く見えがちだが、体幹はしっかりと鍛え上げられているのが分かる。すっと通った鼻梁に、薄い唇。―――その目が合う。
男の蒼眼が、柔らかく細まる。口元が開く。
大事に大事に仕舞いこんだものを取り出すように、優しい音色で、男は紡ぐ。
どんな美しい四季よりも、きらきらとした、何よりも大切な宝物の名を、そっと。


雪の下では小さな蕾が、芽吹いていた。