Skyting stjerner1-8
解放軍で働き始めて既に1週間が経った。も大分軍に溶け込め始めていた。少なくても使用人同士ならばほぼ顔見知りになったといっていい。そして同時に――それは噂が使用人中でほぼ広まっていたといっても過言ではない。
その噂というのはが軍主といい関係、つまりは恋人同士ということである。
実に待ったをかけたい内容であった。実際が同僚からそれを聞いたとき彼女は我が耳を疑い話を止めさせて何度も繰り返してもらった。しかし何度聞いても内容に変わりはない。
いつ、誰がティルと恋仲になったというのだろう。ティルと自分は1週間前に会ったばかりだというのに。しかもその噂が流れ出したのはティルと出会って4日目からだというのだからもう本当、 展開が早すぎる。むしろ的にその頃ようやく恩人と助けられた人間から友人同士へと昇格したと思えたのに。
その噂の出所は言うまでもなかった。解放軍の使用人として働き出した3日目、は怪我をしたのだがその彼女を心配してティルが彼女を連れ出したところを見た、シェリンダである。
あの後ティルの部屋から調理場に戻り、おかしいとは思ったのだ。分担した仕事から調理場に戻ってきていた同僚たちに、何故かやたらと自分をちらちら見てくる人が多くて。確かに新米であるため注目されやすいが、それも2日経てばとりたてて美人でもない凡庸な自分は注目されなくなっていたというのに。それは夕食時も続き、次の日の朝食時もそうであった。そうなってしまえばさすがに自意識過剰でなくても自身に何かあると気づき彼女が意を決して尋ねてみようと決め、チャンスを伺っていたときだ。黄色い声が上がり朝食の後片付けをする調理場へとティルが顔を出してきたのは。
軍主殿が調理場に一体何のようかと、勇気ある一人の女性が尋ねると彼は苦笑して、用というわけではないが、が心配で見に来たのだとのたまった。その時の視線は相当痛かったとは当時を思い出す。
なぜだが回りが軍主との一挙一動に注目し、やがてはティルに話しかけなければいけないような気がしてきたのだ。というかびしびしと肌に刺さりまくる視線がそう訴えかけているような気がした。実際何故かどの同僚も が仕事をしようとする前にやるよ、やるわよ、と持っていってしまうのである。そんなわけで仕事の手を途中で止めるのは雇われてる身としては大変恐縮なのだが仕事も取られてしまうにはなすすべもない。それにことごとく仕事をとる同僚たちの目線は語っていた。――ここはいいから軍主殿にお声をかけろと。
というわけではティルへと声をかけ、そして一言二言会話したわけである。それも傷はどう?大丈夫。といった淡白具合ぶりだ。
それがどうなったらそう解釈されてしまったのか。それからしばらく調理場の出入り口にいたティルだったが、そこから去った後、は同僚達に詰め寄られたわけである。それもどれも似たりよったりな内容。軍主殿と恋人同士とは本当だったのか、というものであった。
そこでようやく彼らが昨日から自分をやたらと見てくる理由を悟ったである。
なぜそうなった。
もちろんは否定したし出所であるシェリンダにも二度とそんなことを言わぬよう言った。自分とティルはそんな関係ではないのだ。最初は彼らもそんなに納得してみせたのだが、その日の夕食の準備に取り掛かる前にティルが再び現れたところからおかしくなっていった。
ティルはその日だけでなく次の日も、また次の日も顔を出し――今では誰が用意したのか1日に最低2回は様子を見に来る彼専用の椅子まで調理場の隅に置いてあったりするのだ。
そうして同僚達はすっかり噂を信じ込み、の言葉など単なる照れ隠しだとまったく聞き入れることがなくなってしまった。
なぜ、なぜに。
半分ほど原因を作ったティルだが、彼も絶対その気はないのだとも判っていた。
彼は彼女が再び怪我をしないか、怪我を悪化させないかと心配しているのだ。それは彼が腹を空かせたに食事を恵み仕事を紹介した辺りから自分が面倒みねば、と責任らしきものが生まれているのかもしれない。だからといって自分ははたしてそこまでそそっかしくみえるのだろうか。そしてお前は私の親か。
目下彼女の悩みは過保護なティルにあった。しかしせっかく心配してくれているというのに無碍にできるはずもない。
結果ティルには何も言えず、検討違いな野暮な話を持ちこんでくる同僚たちを即座に違うと切って捨てる以外彼女には術がなかったわけである。
つらつらとそれまでの出来事を思い出し一つ溜息を吐いた。と、そこへ思わぬ声が掛かる。
「あれ、今日は早いんですね。」
しかいない調理場に現れたのは今日も輝く金髪に端正な顔立ちのすらりとした高い背にも関わらず細い体躯の男、グレミオだ。
「ああ、グレミオさん。おはようございます。」
「はい。おはようございます。」
グレミオは二コリと柔和な笑みを浮かべて見せた。
こうして使用人たちが働き出す前に厨房に二人して立つことは彼らの日課のなり始めていた。いつもは先にグレミオが厨房に立っていて、後からが挨拶しながら入っていくのだがこの日は違った。
「それで、どうしたんです?」
グレミオもそんな彼女を不思議に思ったのだろう。何しろ毎朝半ば閉じかけている瞼を必死に押し上げてここまでくる彼女。そこまでしてこなくてもいいというのに、彼女はグレミオがいるなら、とどうしても譲らないのである。彼だけ働かせるのは新米であるとしては許せない行為であるのだ。それになによりも、自身彼と二人で過ごす朝を気に入っていた。
朝起きて、まず第一にグレミオにおはようと言われるとどうしようもなくは安堵してしまうのだ。それは男性でありながら母のように暖かく面倒を見てくれるグレミオを、今は遠くにいる自身の母親と重ねているからかもしれない。そうではないかもしれないが、とにかく彼と過ごす朝はにとってかけがえのないものであった。
グレミオの穏やかな笑みを見てやはり癒されると改めて思いながらは彼の質問に答えるべく口を開いた。
「早く起きてしまって、やることもなかったんで。」
「やることって・・・・。」
グレミオはそう言って苦笑を浮かべた。そんな彼には首を傾げる。グレミオはやはりわかってない様子の彼女に小さく笑ってから、その大きく分厚い掌で彼女の髪の毛を撫でてやった。
「他の女の子達みたいに身だしなみを整えるとか、あるでしょう。」
どうやら髪の毛が跳ねていたらしい。は仮にも女の子であると言うのにそれを指摘されてしまって、羞恥で顔を上気させながら誤魔化し笑いを浮かべた。グレミオもそんな彼女に穏やかな笑みを向けて、寝癖が直ったのを確認すると彼も彼女同様朝食の準備を開始するのだった。まだ朝日が昇る手前、ほんの少し暗く夜の寒さの残る厨房の中、ゆっくりと会話を楽しみながら。
「そういえば、ちゃんは右手の手袋、いつも外しませんね。」
いつものように談笑していると、その日、ふとグレミオ彼女の右手の話題を出した。それは彼の言う通り人前では決して手袋を外すことのない、右手だ。
左手は外しているのをよく見かけるのだが、グレミオは右手を外した時を見たことがないと思い出したのだ。なんとなしに出した話題だった。
「すみません・・・。」
けれど彼女は、それまで纏っていた穏やかな空気を萎ませ見るからに落ち込んだようだった。そこでようやく、彼はこの話は彼女にとってタブーだったのだと気づく。
「いえ、包丁を使う手ですし、指の部分は出ているから別に大丈夫ですよ。」
彼の言う通り、彼女の手袋は指抜きされたもので、それに右手は彼女が包丁を使う手だ。食材を扱うときも彼女はそれなりに気をつけていることを彼は知っていたこともありそれを責める気はなかった。
だから慌ててそうは言うものの、彼女は気落ちしたままであるらしい。
「これは、外せないんです。すみません。」
目を伏せて申し訳なさそうにそう告げる。相当触れてはいけない話題だったらしいとグレミオは自分の失態を悔い、眉を寄せ申し訳なさそうな表情をした。
「いいえ、私も野暮なこと聞いてしまったみたいです。こちらこそすみません。気にしないでくださいね。」
そうは言うもののもまた申し訳ない気持ちで一杯であった。調理を担当する側として、毎回同じ手袋をつけているのは不衛生極まりない。食材に触れるときは気をつけていたり、毎日一人部屋に戻ったあと洗ったりして殺菌をしてはいるもののそれでも手袋をつけたまま料理をするのはにとって抵抗があった。元の世界で、料理を作る前は必ず石鹸で手を洗って、が調理実習の基本であったからかもしれない。それはきっとこの世界でも同じだろう。
けれどは右手の手袋だけはどうしても外せなかった。
彼女の右手の甲には紋章がある。それもただの世界に数多ある紋章の欠片などではなく、真の紋章といったこの世界に27しかない希少な紋章の1つだ。その紋章のせいで宿主に選ばれたはこの世界に来てしまい、が恨んでさえいる紋章である。
しかもこの紋章は次に誰か新たな宿主を見つけるまでから外すことは出来ない。同時にこの紋章の持つ『呪い』によりは故郷に、延いては元の世界に戻れないのであった。
そして希少であるが故か、にとってはいらないものでしかないのにこの真の紋章というものを欲する国があった。それをが今いる国、赤月帝国の北にある大国ハルモニアである。
その国は『真の紋章狩り』というものを行っているのだという。そしてヒューイや長老、彼女が真の紋章を持っていることを知る者達はみな決してその国に近づいてはならないと言う。ハルモニアは真の紋章の為ならば紋章の持ち主の生死から無関係な人々の生死、更には戦争を起こすことさえ厭わないという噂さえある。だからが真の紋章を持っているとハルモニアに知られてしまえば彼女の身も危険だと。
もまだ死にたくはなかった。この紋章、しかも工の紋章などといった大変役に立たない挙句代償としてに故郷と人間としての生という大きなものを奪われたが、それでも死んでしまいたくはなかった。
まだ希望を捨てきれないのだ。生きて故郷に、元の世界に帰りたい。打つ手もなく絶望的な状況だが、まだそれを諦めるには早すぎるとは思っていた。
それにこの世界も生きてみれば、捨てたものではないのだ。グレミオが、ティルが、サスケが、ヒューイが。長老やドワーフの村の皆も、あいつも。シェリンダや解放軍の使用人仲間だって。
今はまだこの世界で生きて、この世界を満喫して。そしていつの日にか絶対に元の世界に戻る手立てを見つけてみせる。
は顔を伏せ右手を握りしめる。絶対に、掴み取って見せるのだ。
「・・・・ちゃん?」
顔を俯かせているが心配になったのかグレミオがそこで声をかける。はそこで顔を上げ、グレミオを仰ぎ見た。
「・・・・いつかグレミオさんには、聞いてもらいたいです。」
のことを。が大事に思うグレミオにいつの日か自分のことを知ってほしかった。
「もちろん、グレミオさんがよければ、ですけど。」
頬をかいてそう言い直せばグレミオを目を一瞬瞬かせ、そうして暖かな笑みを浮かべた。
「私でよければ、いつでもいいですよ。」
当然のごとく、そう答えてくれるグレミオに、自分の望む言葉をくれる彼に。
は自然と、笑みが浮かんだ。
まだ笑える。笑えるならばやっていけるのだ。
***
グレミオはその日、一人の少女を探して城内を歩いていた。彼が探している少女は1週間前、この城で家事手伝いとして働き出した者だ。
その彼女、にどうやらティルは親心に似た気持ちを抱いているのかあれこれかまっている。
「休憩時間に、が偶にいないんだ。」
偶々辺りを見回していた彼を見かけ声をかけたところ、彼はそう言っていた。どうやらティルはを探していたらしい。
使用人といえども休憩時間はある。昼食の片付けと洗濯ものの取り出しが終わり、夕食の準備に入る前だ。その休憩時間は各々自由に過ごし、大抵はそれぞれの部屋で同僚と談笑することが多い。ティルはその時間もを尋ねに行っていたのか――といつの間にか調理場に置いてあったティル専用の椅子を思い出しほほえましい気持ちになる。
偶然が重なりグレミオは今だティルが調理場へと顔を出したところに居合わせたことはないが、その様子を想像するとグレミオは坊ちゃん、成長なされましたね。という感動が生まれてくるのだ。きっと心配そうに、そして微笑ましそうに彼女を見守っているのだ。そうまるで自分のように。はたしてグレミオのティルへの考察はこの辺りにして、彼はティルの答えに答える。
「ちゃんなら、私も見かけていませんよ。」
そう、のことである。は時々、休憩時間にふらりとどこかへ行ってしまうのだ。それは時々、休憩時間に彼女と談笑することのある彼としても気になっていたことで。
自然と眉を寄せて考える様子を見せる。ティルも顎に手を当て二人して顔を付き合わせた。
「、部屋にもいなくて。まだ仕事をしてるのかと思って、洗濯場とか色々見て回ったんだけど。」
それでもいないらしい。
「ちゃん、同僚の方達ともいらっしゃらないらしんですよ。彼女たちも誘おうとしてもいないから不思議に思っているようでしたし。」
と過去首を傾げてがどこにいるのかと考えていた同僚達をグレミオは思い出す。あの時彼女らはきっとティル様といるのだと結論づけ、グレミオもまた、仲の良いティルと一緒にいるのだと思っていたのだがそうではないらしい。
はて、彼女はどこにいったのか。
「・・・・とりあえず、もう一回俺探してくる」
「ティル様ー!」
よ、とティルが言い切る前にグレミオ達のいる廊下に甲高い声が響く。それは妙齢の女性のようではなく、少女特有の音色の高い響きを持っていた。げ、とティルが顔を引きつらせて彼女の方を見、それだが誰だかわかる思わず踵を返してしまいたくなったのがそれは女子供に弱いティルには出来ないことであった。
「ティル様!休憩時間は終わりですよ!」
ティルの元までたどり着き、乱れる息も整えることもせず少女は眉を吊り上げ声を上げる。
「え、あーうん、でもアップル・・・・。」
「それにマッシュ様が呼んでるです。早く行って上げて下さい。」
視線をさ迷わせるティルに構うことなくアップルは真剣な表情で彼を見上げた。逃がしませんと彼女の目は強い色を放つ。ティルといえばくそ、マッシュめ。と思わず心の中で舌打ちをしたい心境であった。自分は女子供に弱い――そこで自分の弟子である子供のアップルを使わせてくるなどと。
ここで他の者であれば適当なことを言ってを探しに行ってしまうのだが、子供が出てきてしまうとそうはいかない。泣かれたりでもしたらと考えると無碍に扱えないのだ。そこを判ってマッシュは自分の弟子をティルの迎えとして使ってきたのだ。我が軍師ながらあっぱれである。本当は苦虫を噛み潰したような顔をしたいところだが穏やかな笑みを貼り付けてティルは腰を屈めてアップルと視線を同じにした。
「あのね、俺どうしても外せない用事があって・・・。」
「マッシュ様が呼んでます。」
ティルの用事などどうでもいいらしい。真顔で切って捨てられてしまう。
彼は一体どうやった教育をしたのだろう。いやマッシュの人柄故にこうなってしまったのかもしれない。彼の養い子達、特にこうしてマッシュにくっついてきたアップルを筆頭に彼女らはマッシュを大変尊重していた。その為軍主の外せない用事だろうが彼女からすればマッシュの用事のほうが断違いに上らしい。とはいってもティルの用事はどうみたって軍師であるマッシュの用事の方が重大だろうか。グレミオはそんな彼を見て苦笑を浮かべる。
「坊ちゃん。なら私がちゃんを探しておきます。」
「グレミオ・・・。」
眉尻を下げて助けてくれといわんばかりの視線を向けられてもグレミオは苦笑するしかなかった。ティルの気持ちはわかるが、今大事なのはこの軍の軍主なのだ。それは何よりも優先せねばならない。それには休憩時間が終われば何処からともなく戻ってくるのだ。だから探せば絶対城内のどこかにいるはずである。また、ティル以外にも探す者がいるのだから彼には軍の方をしてもらわねばならなかった。
じっとティルから懇願の視線を送られたがここは甘やかしてはいけないところとグレミオは笑顔で流す。こういうところは彼が幼い頃から変わらない様子で、さすがにグレミオも耐性がついているのだ。
やがてグレミオが梃子でも譲らないと察したのか、ティルは溜息を吐いた。というかその前に自身の服の裾を掴み幼いながらにも睨みあげてくるアップルが譲ってくれるとは思えないのだが。
「・・・・・わかったよ。」
しぶしぶと、溜息混じりに言えば彼はアップルに引っ張られマッシュの元へと連行されていったのである。
その後、グレミオはティルに言った通りを探しに城内を探し回っているのだが。
(なかなか見つかりませんねぇちゃん。)
それも通りかかる人に話しかけてみても誰も見かけてないというのだ。目撃情報もなく、広いトラン城の隅から隅まで探し回るのはなかなか骨を折る。
そこでふとグレミオはもう一度使用人たちの働き場に行ってみようと思った。
(坊ちゃんが一度見たとは言っていましたが、もしかしたら帰ってきてるかもしれませんしね。)
まずは彼女が一番いることの多い調理場。だがそこは休憩時間がまだ半分ほどの残っているためかいつも多い使用人たちの誰もいなかった。 ここではないか。と次にグレミオは洗濯場へ行ってみることにした。その途中ついでに食堂も除いてみたのだがそこには昼間から酒を飲んでる戦闘員仲間、ビクトールと数人ぐらいしかいない。グレミオは危うく彼らに絡まれそうになるのを慌てて物音を立てず扉を閉めて回避した。酔っ払いとは人に絡むと厄介なのだ。特にビクトールはしつこいことを身をもって知っている。その時のことを思い出して苦笑を浮かべているとグレミオは洗濯場へとたどり着いた。 洗濯場は雨の時用にと中にもあるが――ほとんどは外にある。これは探すのが大変だな、と室内を見て回ってから彼女がいないことを確認し彼は外へ踏み出した。
外へと出ると同時に、城内では味合えないトラン城の周りの湖から清清しい風が流れ、柔らかく頬を掠める。空は雲ひとつない快晴で、グレミオは思わず息を吐いた。
(こんな日は外でのんびりとするのが一番ですねぇ。)
これが坊ちゃんならば鍛錬日和だと言ってそうだが、と思い浮かべてグレミオは苦笑した。こんな日、まだグレッグミンスターにいてティルの父が戦孤児として今やティルの親友である彼を連れてくる前、ティルの幼少の頃はピクニックに行くか、鍛錬をするかとよく意見が分かれたものだ。結果は大体彼の父親がいない限り、グレミオが折れ鍛錬となることが多かったのだが。鍛錬に明け暮れた成果でティルはかなりの腕前になったが、それが少なくても今の状況に繋がっていると思うとグレミオは沈鬱な気持ちになる。確かに坊ちゃんは素敵な方だが、腕が良くなければ軍主なんてものにならなかったのでは、帝国に反旗を翻し、そして軍人である父と敵対する道も選ばなかったのでは、と。しかし、すべてはティルが決めたことであった。ならば他人から何もいえないのだ。ティルの従者であり彼を信じているグレミオは彼に付いていくだけ。
けれど坊ちゃんの痛みは自分の痛み。父と敵対する道を選んでしまったあの優しい坊ちゃんが苦しんでいない訳がないのだ。しかし自分が手を差し伸べようとすると、彼はその手を拒む。それは自分だけではなく彼は誰にも頼ろうとしなかった。悩みを打ち明けることもせず、それすらも見せようとしない姿は男らしく頼もしいといえばそうだが、それは彼を思い、長年傍にいたことから大体の彼の心境を察することの出来るグレミオには辛いものでしかない。
いつから彼はそうなってしまったのだろう。ティルと長年傍にいるグレミオとしては、気づかなかったことがいつだって思いだすと悔やまれた。辛いだろうになぜ、誰にも頼ろうとしないのか。なぜ人に頼ろうとしないのか。彼のいつも浮かべてる笑顔だって、グレミオから見れば偽者だ。貼り付けられたそれは完璧な仮面。偶にそれは剥がれるが、それだけだ。普通の少年少女と違って、彼は素の表情を滅多に見せない。だれか、だれかいないのだろうか。彼の仮面を、剥がしてしまうそんな人が。仕舞い込まれた感情を取り出してくれるようなそんな人が。
そこまで考えに耽ってると、グレミオは洗濯場から離れ大分隅まで来てしまったらしい。辺りには木が何本も生えている。
ああ、自分はちゃんを探しているというのに。慌てて踵を返し洗濯場へと戻ろうとしたのだが。
「―――?」
グレミオの耳は微かに、そよぐ風と葉が擦れる音以外を聞き取った。
訝しげにそちらへと視線を向ける。少し警戒を布きながらゆっくりと近づいていき、そして木の根に横たわる少女を見つけた。胸元辺りまで伸びた黒い髪に首周りまである灰色の長袖、腰辺りから分かれた灰色の布から、カーキ色のズボンが除いている。
彼が探していたである。グレミオはその様子に目を見開き声も出せずに驚いたのだが、我に返り慌てて彼女に近寄ってみると、どうにも倒れているわけではなさそうだった。
の顔横のすぐ近くに膝をついて、の頭を自身の膝の上へとゆっくりと乗せる。そしての顔を除きこむが、やはり。
「・・・・寝てますね。これは。」
安堵の溜息を吐いてからグレミオは呆れた目でを見る。年頃の女の子がこんなところで昼寝などと。せめて部屋に帰ってすればいいものを。それには年頃の女の子としてあまり自覚がないとグレミオはつい先日髪を跳ねさせたまま調理場に立っていた彼女を思い出す。それはとしてはグレミオだからこそそうなのだが――もちろんグレミオは知る由もなかった。
起きる様子もなく、眠り続けるの様子を見て呆れた表情を浮かべていたグレミオだったが、やがてグレミオの表情には穏やかな笑みが浮かんでいた。そしてゆっくりとの柔らかな髪を撫でてやる。
少なくても年頃の女の子がこんな場所で昼寝など感心しないが。こうしての寝顔を見てるとグレミオの心が安堵していくのも確かだった。
(心配したんですよ、ちゃん。)
ティルも心配していたがグレミオだって心配でいたのだ。彼女はまだこの城に来たばかりだし、どうにも普通の暮らしを送っていたらしい彼女は、もしかしたらこの広い城の中迷ってしまっているのかもと。それにが木の根で横たわっているのを見たときは、心臓が止まるかと思うほどだった。だからこうして穏やかに眠っている姿を見るそれまでの分、どうしようもなく安堵する。
すると突然の頭を撫でていた手が止まった。木々の間から零れ落ちる太陽の光を見ていたグレミオは視線をそこへと向ける。
がグレミオの手を掴んでいたのだ。
グレミオはてっきりが起きたのかと思ったのだが、彼女の瞼が開く気配はない。それどころか先ほどまでは口の端を緩ませ穏やかだった表情が、苦しそうに口の端を引き結び苦悶の表情を浮かべている。
彼女の急変にグレミオは驚く。驚いている間にも、グレミオの手を掴む手は非力な彼女が出す力とは思えないほど強く握られ始めていた。眉間に皺を寄せ、グレミオの見たことのない苦痛の表情を見せる彼女は、今にも苦しさに泣き出してしまいそうで。
「ちゃん。」
思わずグレミオは彼女手を握り返し声をかけていた。彼女はきっと、悪夢を見ているのだ。自分はどうすれば彼女を助けてあげることが出来るだろう。
術もわからずグレミオは声をかける。必死に離すまいとグレミオの手を掴む彼女の手を、それ以上に強く握り返して。
「ちゃん!」
いつのまにかグレミオは声をあげて彼女の名を呼んでいた。
そこでの瞼がぴくりと動き、ゆっくりと開かれていくと同時にグレミオの手を握っていた力も弱まっていく。グレミオも彼女に比例して握る力を緩めていった。
瞼を半ばまで開いた状態で、彼女は呟く。
「グレ、ミオさん・・・?」
「はい・・・。」
先ほどの苦悶の表情は消え、そう呟く彼女にグレミオは安堵の息を吐きながらそう言った。
はぼんやりとした表情でグレミオを見上げている。これは夢だろうか。現実だろうか。まだ半ば夢見心地の彼女は先ほどの恐怖が夢であったと思いたくて、ぽつりぽつりとその夢を話し出した。
「さっきまで暗い・・・真っ暗な闇にいたんです・・・・そのまえはみんないたのに、いつのまにか、いなくなっちゃってて・・・・・・それに気づいたときにはもう遅くて。
私は・・・手、みたいな、黒い塊に掴まれて・・・・水の中にひきずりこまれちゃうんです・・・・・その水の中だってまっくらで・・・・なにも、みえなくて・・・・・・。」
闇の中では何も届かなかった。光も、声も、酸素も。苦しくて思わず伸ばした手はいつも誰にも掴まれることはない。
「それで、起きて。気づくんです。わたし、ずっと、みんなといられるとおもってたんだ、って・・・・」
そんなわけないというのに。人はいずれ死に、違う道にと、それぞれの道を歩みだすというのに。けれどの別れはあまりにも早すぎた。
早すぎて、の感情は付いていけず半年たった今でもその傷は彼女の心を荒ませる。きっと死ぬまで消えることのない傷だ。
「いつも眠れなかったんですか?」
グレミオは彼女の生い立ちを知らなかった。しかし今の彼女の夢はきっと、彼女の過去の傷から生まれた悪夢なのだろうと検討がつく。
彼女の過去は知らない。今更だか彼女の両親はどうしているのか、彼女の出身地さえも。けれど彼女はこうして若い身一つで解放軍なんて土地にいる。 そして今の言葉から彼女の周りにいた人々の生死はわからない。けれど会うことは難しいのだろうと思えた。しかし今それを彼女に聞くと、彼女が過去を思い出さなければいけないことに繋がりそれはあまりにも酷なような気がした。だから彼は彼女にそれだけ尋ねる。よくよく見れば、彼女の瞼にはうっすらと黒い隈ができていた。膝に彼女の頭を乗せ、顔を近づけなければ気づかないようなものだ。
そっと彼女の手を握る手と反対の手で隈を撫でてやるとなぜか隈が濃くなり、グレミオは怪訝な顔をした。彼女の隈はここまで濃くなかったはずだ。というかきっとこれほどであれば自分も勿論彼女を心配するティルだって気づくはず。怪訝に思いなぞった指の腹を見てみれば肌色の何かがついていた。
「・・・・・ちゃん?」
「いつもじゃないですけど・・・・たまに。」
はグレミオの追求の視線から目を逸らしてそう答える。は元の世界から持ってきていたコンシーラーで日々酷くなっていく隈を隠していたのだ。更にいうと偶にというわけでもない。特にこの城で暮らすようになってからは初めての土地ということもあってか何故か毎晩悪夢を見てしまうのである。そうなると眠ることが怖くなったり恐怖で起きて寝れなくなったりと、隈も酷くなってしまう一方だ。年頃の女の子としてはそれは遠慮したいものであるし、自分によくしてくれるとグレミオやティル辺りも心配しそうだと思ったは旅に出るとき大きめな袋に通学鞄ごと突っ込んだ元の世界の荷物の中の一つ、コンシーラーで隈を隠してしまうことにしたのだ。
ばれた以上はしかたがない。だがこれ以上の追求は勘弁してくれとはグレミオに視線を合わせない。コンシーラーなど、この世界にあるかどうかわからないものを指摘されたらどう答えていいのかわからないからだ。
彼女の危惧に反して、グレミオはその事に追求しなかった。変わりににこり笑みを浮かべて、が思っても見なかったことを言う。
「じゃあ、この時間はお昼寝の時間ですね。」
視線を逸らしていたはグレミオを振り返った。目を瞬かせて彼を見上げるグレミオは穏やかな笑みを浮かべてそんなを見下ろしている。
そしてゆっくりと、分厚く大きな掌をの額の上に置いた。
「大丈夫です。傍にいますから。」
思っても見ない暖かい言葉が落ちてきて、は再び驚きの表情で彼を見上げた。グレミオも変わらない柔和な笑みでを見下ろしながらゆっくりと頭を撫で始めた。
「ずっと。傍にいますよ。」
暖かい掌。暖かい言葉。どうして彼は自分が欲している言葉を、自分ですら欲していたことに気づかなかった言葉をこうも簡単にくれるのだろう。
いつのまにか枕にしていた彼の膝は男性ということもあり少し堅いが。
それでもはそんな彼に、今は遠く、そして過去の故郷の思い出を思い出し、込み上げてくる郷愁の思いで泣きそうになった。
「グレミオさんは、どうしてこんなところまで来たんですか?」
「坊ちゃんがちゃんを心配してまして。」
泣きそうになってしまうの必死に堪え、それ以上考えることのないよう、は話を振る。ところが出てきた『坊ちゃん』に思わずは顔を顰めた。
「グレミオさんがよく話す『坊ちゃん』ですか。」
「どうしたんですか?」
様子がおかしいのに気が付いたのだろう、グレミオが一瞬撫でる手を止めての顔をうかがう。はそんなグレミオの視線を避けるようにグレミオの膝へと顔もぐらせた。
「なんだか――『坊ちゃん』が羨ましいです。グレミオさんに大切にしてもらってて。」
ねむいのかもしれない。だからこそそんな恥ずかしい事を臆面もなく言えてしまったのだとは思った。
実際、ここのところ本当にあまり眠っていなかったはグレミオの優しく暖かな手の平や、この体勢も加わり思考が停止しかけていた。
ぎゅうっとグレミオの腰にまるで子供のように抱きついて、はグレミオとの会話に出てくる『坊ちゃん』のことを思い出だした。グレミオは彼のことを話すとき、それは幸せそうに話す。だからこそつい、はまだ見ぬ彼に嫉妬してしまっていた。実のところは彼とグレミオより先に知り合ってるのだがそれを彼女は知らない。
「ちゃんも大切ですよ。」
けれどそんな言葉が振ってきて、は思わずグレミオ見上げてその笑顔が嘘を付いていないのだとわかると再びグレミオの膝へと顔を沈ませた。
嬉しさで頬が熱くなっていく。必死に赤くなっているだろう頬を隠していると頭を暖かな掌が撫でる。
ああ――本当に。
なぜこんなにもこの人は温かいのだろう。暖かい手の平。暖かい言葉。は瞼を瞑って視界が暗闇になっても、もう怖くはなかった。
「――おかあさん」
彼女が眠りに落ちる前は一言そう呟いていた。本当に小さなものだったが、城から離れ葉が擦れる音以外音がしないその場で、その声を聞き取ることはグレミオにとって簡単だった。
(――お母さん、ですか・・・)
から聞き取ったその言葉に一度撫でる手を止めたものの、苦笑してからグレミオは彼女の頭を再び撫で始めた。
(これでも男なんですけどねぇ・・・・。)
お母さん、とは。それはそれで女性でなくましてや男性ではあるが女性といったそういった系でもはない、列記とした男性として自負している自分としてはどことなく複雑な感情を抱いてしまう。
けれどの頭を撫でながら、寝づらいのかほんの少し顔を埋めていたグレミオの膝から横へとずらしたの穏やかな寝顔を見ると。
(それも、悪くはないですね。)
自然と微笑が浮かび上がった。自分はティルの乳母的存在だが、彼女にとっても自分は、そんな存在になれるだろうか。
そこでふと、グレミオは思った。ティルもこういった気持ちだったのではないか。
3日目に怪我をしたことが心配だからとそれをきっかけに。毎日調理場で一生懸命働く彼女を見て、隅にあるティル専用の椅子に座り彼は自然と微笑みを浮かべていたのではないかと。
そこまで考えて、グレミオは目を瞬かせた。もしそうならば。いやそうなのだろう。彼女が働き始めもそうだった。そして先ほども、心配も露に探そうとしていた。
――そうだ彼女がいる。
グレミオは彼女を探す前、思い浮かべて胸中内の不安の答えを、見つけたような気がした。
軍主となり、ティルはグレミオ達に出さえ堅く心を閉ざし始めてしまっていた。まだ軍主となり数ヶ月しかないでというのに。ここ1週間の間でさえ彼は大きく変わっていっている気がした。彼の殻は、段々とエスカレートしていっているのだ。
軍主として正しいのだろう。正しいが――グレミオには悲しいことでしかない。
それがどうだ。のこととなるとティルは、1週間前と変わりない。いやそれ以上に感情を露にしているように思えた。
彼女は希望だと、グレミオは思った。
少年の檻を取り去ってくれる。すでに彼女のことになると、毎回、ティルはティルらしくないのだから。
(ああそういえば。)
自分は坊ちゃんからを探してくるように言われていたのだった。使命をすっかり忘れてしまっていたことにグレミオは軽く落ち込んだ。
けれど、せっかく穏やかに眠っている彼女を起こすのは忍びない。
それに自分は傍にいると、彼女に言ったのだ。起きた時自分がいなかったら、彼女はまた不安に襲われ怯えてしまうかもしれない。
それだけは嫌で――
(坊ちゃん、ごめんなさい。)
グレミオは坊ちゃんの使命との休息を天秤に掛け――結果苦渋の思いで心の中でティルにそう謝罪した。
そもそも探して来てとは言われたが連れてこいとは言われていないのだし――屁理屈なのは十分承知だが。
けれどの寝顔を見ると、そんな考えでもいいかと思ってしまうグレミオであった。
その後起きたと共に厨房へと向かう途中、グレミオは神の鉄槌がくだされたと思った。
ティルと鉢合わせしたのだ。
どうやらマッシュの用事は終わり、再度琴音を探していたらしい。当然ティルはグレミオ達にどこにいたのか、特にには城内で迷子になったのではと心配していたと言い、幾ら探しても見当たらないがどこにいたのか聞こうとしていたのだが。
はどうやら言いたくないらしく。すれ違ってたのかもね。と言うだけであった。そして当然ながら今度はグレミオに問いは向けられた。
このときグレミオは笑顔を浮かべながらも泣き出してしまい心境であった。
はあの場所のことを言いたくないのはその様子からして一目両全だ。そして自分が彼女が嫌がっているというのにティルに教えていいものか。
そもそもあそこを昼寝場所にしようと言い出したのは自分だ。しかしティルに本当のことを言わないのはティルに忠誠を誓う身としては大変心苦しい。
どうすればいい。どうすればいいんですか。
――結果。
「どうやらそのようですね。私もついそこでちゃんを見つけたのです。」
ちらりと縋るように見てきたの視線に負けてしまったのである。
何かと察しのいいティルだがこの時は気づかなかったようである。特に訝しんだようすもなく納得し、へと話かけた。
ごめんなさい。坊ちゃん。申し訳ございません。坊ちゃん。けどグレミオは坊ちゃんに忠誠を誓っています本当です信じてください―――。
その日の夜、グレミオは寝る前ベッドの上で正座し懺悔を行ったとか行わなかったとか。
BACK / TOP / NEXT