Skyting stjerner1-56

ティル達が砦へ向かい、四半刻も経たない頃だ。初めは気の所為かと思われたが、砦から灰色の煙が立ち昇り始めていた。真っ先に気付いたマッシュが驚きに声を上げる。
「な、なぜ火が・・・!?予定の時刻よりまだ・・・!!」
「な・・・!?」
それを耳にしたも、愕然と声をあげた。マッシュの視線を辿れば、確かに煙が空へと昇っていっている。立ち上がる煙は徐々に黒ずみ、火の勢いの凄まじさを物語っていた。目を見開き呆然と見上げただったが、我に返ると駆け出そうとした。しかし傍にいたラズリルが直ぐ様腕を掴む。は腕を激しく揺すって抵抗した。
「離して!ラズ離して!!」
「落ち着いて。大丈夫だから。あいつらはこれくらいじゃ死なない。」
淡々とした口調のラズリルを、込み上げてくる苛立ちのままは睨み付ける。
「どうして大丈夫って言えるの!?私、ティル達を探してくる・・・!!」
「行ってどうするの。君は足手まといにしかならない。」
平素と変わらぬ表情で、ラズリルは言う。はラズリルの言葉に息を詰まらせた。確かに彼の指摘通り、歩兵戦で役に立たない。それどころか、足を引っ張る要因であった。けれど焦る心はそのまま、嫌な予感までも急速に胸中に広がっていく。もしも、もしもだ。また、戻ってこなかったらーーそう僅かでも思うと、は居てもたっても居られなかった。焦りに瞳孔を開き、食って掛かるに、ラズリルは冷静に言う。
「今は、待つんだ。」
(「時には信じて、待つことも必要だ。」)
以前告げられた、レパントの言葉が重なる。けれどやはり、は待つ事が出来なかった。帰ってこなかった者がどうしても思い起こされてしまう。再び、ラズリルの手を振り払おうとした、その時だった。
重たいものが、地面へと倒れこむ音がした。反射的に視線を向け、 は目を見開く。
じわりじわりと、大地に染み込むよりも早く大量の血が広がっていく。剣よりも頭脳を武器にする彼の嗄れた手は、力なく投げ出されていた。長身の体も倒れ込み、腹からは鈍色の剣が突き出ている。
倒れていたのは、軍師であるマッシュだ。
「なんで・・・どうして・・・。」
呆然とは呟く。倒れ込んだマッシュの後ろに立つ白髪混じりの髪をした男は、頬についた血を拭うこともせず感情を削ぎ落としたような無表情であった。いつも目尻に皺を寄せて微笑んでいた柔らかな目も、今は面影もなく伽藍どうだ。
信じられない光景であった。いち早く、ラズリルが動く。彼は周りと同じように硬直することなく、素早く男を取り押さえた。男が取り抑えられても、は動揺が抜けない。瞳を揺らして見るを見て、男は苦笑を浮かべた。
「私には、この生き方しかなかったのです・・・。」
ーーサンチェスはそう言って、疲れたように笑った。

異常な事態に、医師であるリュウカンが次に我に帰った。慌ててマッシュに駆け寄り様態を見る。
「マッシュ殿!しっかりなされ、マッシュ殿!」
声を上げ、腹から赤い血を流すマッシュの意識を覚まそうと応急手当を始める。
「おい・・・一体どういうことだ、なんで火、が・・・?」
そこへフリックが、時間よりも早くつけられた火に気づき、こちら側へと来た。彼の言葉は不自然に途切れる。広がる光景を目にしたからだ。
「な、なんで・・・どうして・・・どういう事だ・・・!!」
叫びにも見た声に、ラズリルに抑えられていたサンチェスが答える。
「ご覧の通りです。私が、マッシュさんを刺しました。火も、私が放ちました。」
感情の籠らない口調だった。はただただ首を降る。フリックはこれ以上ない程目を見開くと、顔色を変えて叫んだ。
「サンチェス!!きさまぁぁ!!なぜ、マッシュ殿を刺した?なぜ、油に勝手に火を放った?答えろぉ!サンチェス!!!」
「申し訳ありません、フリックさん。私は、あなた達を今日まで騙し続けてきました。私は、7年前の継承戦争の時から皇帝陛下に仕えてきたのです。」
明かされるのは、彼の裏切りだった。サンチェスは淡々と事実を言うが、フリックはそれが信じられないでいた。以上に、彼とサンチェスの関係は深い。今まで、それこそ解放軍設立当初から彼は仲間であったのだ。
「では、では、貴様が、貴様がスパイだったと言うのか!」
「そうです。継承戦争の頃の皇帝陛下は素晴らしい方だった。そして、私も皆と同じように皇帝陛下への忠誠を誓った。」
フリックが荒い呼吸を繰り返す。そしてやっとの事で自身が放った言葉の意味を理解すると、途端、途方もない怒りが湧き上がった。
「では、アジトが襲われオデッサが・・・オデッサが死んだのも、貴様のせいなのか!」
「結果的には、そうなりました。否定はしません。しかし、私は悩み続けていた。あなた達と一緒にいるうちに、何が正しいことなのか? 自分はどうするべきなのか?でも、私は皇帝陛下への忠誠を守ることを選んだ。
この年で、生き方を変えるのは難しいようです。オデッサさんのことはすまなく・・・」
「黙れ。」
溜まらず、フリックが低く唸る。鋭い眼光でサンチェスを睨み付けた。
「オデッサの名を、呼ぶな。貴様にその資格はない。」
「・・・そうですね。」
フリックは柄に手をかけると、剣を抜き、サンチェスに向けた。
「俺は、お前を許しはしない。
我が剣オデッサにかけて・・・お前の首をもらう!」
サンチェスはそれにただ、笑った。
「はい。私には思い残すことはありません。ただ、覚えておいてください。私は皆さん方が好きでした。
さん。私と話してくれてありがとう。貴方の存在は、ティル殿だけではなく私にも、暖かかった。
フリックさん。あなたは未熟です。でも、その未熟さ故の素直さが私は羨ましかった。そして、多分オデッサさんも、あなたのそんなところが・・・。」
「サンチェス!覚悟しろ!」
振りかぶられる刃を止めるべく叫んだのは、だけではなかった。刺されたマッシュもまた、いつの間にか意識を取り戻したのか、掠れた声で何かを言う。フリックは咄嗟に剣を止め、リュウカンがマッシュに耳を寄せた。
「マッシュ殿、大丈夫ですか。」
マッシュは口を閉口させて、何かを言いたそうにしている。リュウカンが支え、楽な体制にさせると、僅かに咳き込んでからマッシュは口を開いた。
「・・・今、サンチェスを斬り、彼がスパイであったことが分かれば解放軍全軍の士気に関ります。
彼の処分は後にして、今は軍を整え、すぐにもグレッグミンスターを目指すべきです・・・。」
マッシュの言葉に、リュウカンが眉を寄せた。マッシュの刺された腹からは血が流れ続けている。今こうして意識を保ち、話す事が出来るのも不思議なくらいだ。
「馬鹿なことを、マッシュ殿。あなたは重体なのですよ。今、動けば命に・・・」
マッシュは首を振る。
「・・・この世には流れというものがあり、戦いには時期というものがあります。・・・今、この期を逃せば、敵を倒すことは、できません!」
勢いは、完全に解放軍にあった。元は力を持たぬただの市民の塊だ。僅かに元軍人や傭兵がいようとも、大国である帝国からすれば烏合の衆に代わりはない。それが今この時、偶然にも、帝国を打ち倒すほどの力と意思を持った。それは亡きオデッサの意思の強さ、ビクトールとフリックの押し通す力、己の犠牲をも厭わないパーン達、軍師である自分、そして何よりも、軍主として恐ろしい程カリスマを持ち、先導するティル。そのどれもが、一つでも欠けてはならなかった。全てが揃った今、この好機は数百年に一度あるかないほどのものだ。
この機会は、決して逃してはならない。力も入らぬだろう手を無理矢理動かし、マッシュはリュウカンの腕を掴み、訴える。マッシュの力強い目に、状態を理解していてもリュウカンは何も言えなくなった。
「どちらにしても一度、城に戻る。」
そこへ、聞き知った声が間に入った。
振り返れば、無事砦から脱出出来た黒髪の青年、ティルが立っていた。着衣は煤で汚れているものの、テッドやクレオ、パーンも、共に砦に入ったものは無事帰還出来たのだ。
マッシュが歯痒そうにティルを見たが、ティルは首を縦に振る事はなかった。


***


シャサラザードの砦を落とし、達は重症であるマッシュとサンチェスを連れ、一度城へと戻った。
数時間後、マッシュは立ち上がれるまでに回復したとの知らせが入る。顔色は未だ土色で悪いものの、もう大丈夫だと告げたマッシュに安堵に胸を撫で下ろすと、は早速、マッシュに何か食事を作るためにに食堂へと向かった。
階段を降りて間もないころだ。視界の隅に、赤い着衣が僅かに映った。赤を着るのはティルだ。は思わず、足を止めた。下へ、何のようだろうか。ティルはより先にマッシュと会っていたのか、マッシュが話をした時その場にいなかった。僅かに逡巡してから、少し様子を見るだけ、とはティルの後を追いかける。しかし階段を下りても、ティルがいる様子はない。不思議に思い、そこでまさかとは階段へと視線を戻した。この下は地下。地下牢がある場所であった。
・・・?」
案の定、地下牢の手前の階段にティルはいた。けれど壁に背を置き、隠れているような様子な彼に訝しがると、ティルは唇に人差し指を当てた。
は指示通り、物音を立てないようにティルの傍まで降りる。そこで地下牢から響く声が耳に入った。
「お前はテオ様の部下だった、確か・・・。」
聞いた事のない女性の声だ。聡明で、意志の強そうな声音をしている。テオはティルの父親の名だ。そして次に聞こえた聞きなれた声に、は目を瞬かせる。
「クレオと申します。ソニア様」
ティルの従者の一人で、女伊達らに武芸の秀でているクレオだ。
クレオに対し、苛立ったような声で女性、ソニアが言う。「何をしに来た。お前も、やはり裏切り者だ。」
「ソニア様。私はテオ様の側にいつもいました。だから、ソニア様の気持ちがよく分かります。それに、テオ様とソニア様の関係のことも・・・」
「無礼者!それ以上言うな!」
遮るように鋭い声が地下牢に響いた。僅かな沈黙の後、クレオが口を開く。
「ソニア様・・・。テオ様は、ティル様を憎んでいるでしょうか?」
再び沈黙が降り、クレオが続けた。
「あなたはティル様の母になったかもしれないお方です。そのあなたが、ティル様を憎む。それが、私には耐えられません。」
「しかし、私は帝国とテオ様に対する忠誠を捨てることは・・・」
「テオ様の、死に顔・・・。それは・・・安らかなものでした。
我が子の成長と旅立ちを、喜んでいたのでしょう。そのことを知っておいてください。」
ティルの母は、彼が幼い頃に先立ってた。テオはグレミオ達従者の力を借りながらも男手一つでティルを育て上げたのだ。
ソニアはテオと同じ帝国将だが、常に前線に立ち怯むことのない果敢な彼を慕っていた。テオもまた、純粋に慕うソニアを無下にすることなく、よくティルを交えて食事をしたものだ。もしも、テオが生きていれば。何時の日か彼らが共になる日もあったのだろう。
ソニアはそのまま、口を開くことはなかった。押し黙った彼女に、クレオは小さく頭を下げると、その場から遠ざかる。遠くなる靴音は、恐らく反対側の階段へと向かったのだろう。
はティルを見た。ティルは苦笑を浮かべており、思わずその手を掴む。ティルは目を瞬かせ、驚いたようだった。しかし、僅かに俯き笑みを零すと、精一杯握りしめるの手を握り返す。自身とは違い、細く小さな手だ。その手はどんな時でも、己すら忘れかけていたティルの胸に、温かさ滲ませた。ティルはそのまま手を握り返したまま、地下牢へと足を歩ませたのだった。
芭蕉色の長い髪をした女性は、鉄格子の向こうにいた。クレオの姿はもうない。地下牢に現れたとティルに、女性、ソニアは切れ長の目を向ける。
「・・・何用だ。処刑するなら、早くしろ。」
ティルは反して、首を振る。そして彼女を見ると告げた。
「仲間になって欲しいのです。」
「・・・・・・私は、お前を憎んでいるのだぞ。それでも仲間になれと言うのか?」
「はい。」
即座に答えたティルに、ソニアは無言のままだった。しばらくの沈黙の後、口を開く。
「・・・・・・ふん。よかろう。仲間になってやる。しかし、手は貸さんぞ。お前と一緒にいて、お前の死にザマを見てやる。」
はそれに苦い思いを抱いた。クレオとの会話から、ティルにとっての彼女の立ち位置も理解している。だからこそその言葉が悲しかったのだ。そこでふと、ソニアがへと視線を向けた。
「その女はなんだ。」
「俺が、共にありたいと思う人です。」
「な、」
躊躇なく告げたティルの言葉に羞恥に顔を赤くするよりも、はソニアの様子に目を瞬かせた。彼女もまた、驚いた表情でを見て、慌てたように顔を逸らすと言った。
「・・・・なんでもない。」
彼女の様子に、は靄がかっていた胸中が晴れていくようだった。義理の母親になったかもしれないソニア、義理の息子になったかもしれないティル。テオを殺めたことから、築かれていた絆はなくなるかと思われた。けれど。ティルが彼女を慕うように、ソニアもまた、彼を気にかけていたのだ。
は安堵に胸をなで下ろす。彼女とティルの確執もいつか、なくなるだろうという確信を持って。


長い解放軍と帝国の戦いも、帝都を解放するのみとなった。解放軍の面々が大広間に集まったのを確認すると、松葉杖をついたマッシュが声を上げた。
「解放軍の戦士達よ!ついに時は、満ちた!長き間、人々を苦しめてきた帝国の最期の時だ!」
続いてシーナの父、レパントが声を張り上げる。
「友を思え、家族を思え、そして、彼らのため戦うのだ!」
この場に集まったウォーレンもまた、言う。
「人々の怒りは地に溢れ、嘆きの声は天に木霊している。今こそ、それを止める時だ。」
その時だ。突然、大広間が眩いばかりの光で包まれる。驚く解放軍の面々を前に、光が消えるとそこに現れた女性が一人いた。黒く長い髪を持つ、神秘的な女性レックナートだ。
「ティル、ついに、ここまで来ましたね。今こそ、全てをお話しする時です。」
そして彼女は語り始めたのだった。
「我が姉、ウィンディの望みはこの世界への復讐です。我ら『門の一族』は数百年の昔、その力の為に、皆殺しに合いました。その時、私とウィンディのみが『門の紋章』の力を使い、逃げ延びました。」
どれだけ時が流れようとも、鮮明に思い出される。夕焼けを眺める度に、レックナートは炎に包まれる生まれ育った村が脳裏によぎった。
物心ついた頃から走り回り、慣れ親しんだ広場で、共に育った友が腹から剣を生やし動かなくなっていた。 家屋すらも火で崩れ落ち、父と母は当時幼かったウィンディとレックナートに紋章を託すと、その場に残った。 嫌がるレックナートの手を引き摺るように引っ張ったのは、姉のウィンディだっだ。追っ手からの逃亡生活も、気が遠くなるほど長く、辛いものであった。 逃げ延びた村では、レックナート達が一族のものだと知ると、掌を返して追い出し、兵を呼ばれることもあったのだ。
行き宛もなく、辛うじて手に入れた少ない不味い食料を、無理やり食べさせたのも姉であった。もう歩けないと、手足を投げ出したレックナートを背負ったのも姉だ。
ーー幼い彼女達が、やがて追い付かれた兵から庇い、逃したのも、姉だった。
数年、レックナートは一人で生きた。姉が生きていると信じ、両親や村の人々から託された紋章を、守り通すと誓って。
そして長い年月が過ぎ、ようやく再会出来た姉は、変わってしまっていた。共に過ごした頃の面影もない。全てを憎み、紋章を、世界を憎んでいた。
豹変した彼女は、自身の過去と同じように村を焼き払う事も、躊躇すらなくなってしまった。笑いながら、虫を払うように人を殺めるようになった。今はもう、優しい笑みを浮べていた姉を、レックナートは思い出せない。
レックナートは続ける。
「『門の紋章』は『表』と『裏』、『入口』と『出口』の二つからなります。我が姉は『表』を、私は『裏』の『門の紋章』を宿しています。その力は、表裏一体。」
彼女の告白に、はっとしたようにクレオが言う。「では、レックナートさまの命を狙っていたのは・・・。」
レックナートは頷いた。
「我が姉は力を得るために、私の持つ『裏』の『門の紋章』も手に入れようとしました。だから、私は魔術師の島に引き篭もり、力を奪われないように結界を張り、時を待ったのです。ティル、あなたのような人が現れるのを。」
僅かに間を置くと、レックナートは広間に集まる者達を見回した。
「皆、聞くのです。
天地宿命の108星が、ここに集いました。貴方達は、皆この空を自由に駆けることの出来る、放浪の星。それが今、ここに集まったのです。必ずや、勝利を得ることができます。」
「ちょっと、待ちな。あんた、108星が集まったって言ったな。そいつは、間違いだぜ。ここには、一人足りない。」
ビクトールが眉を寄せて、異論を上げる。もその者を知っていた。彼もまた、石版に刻まれた一人だったからだ。クレオが呟く。
「・・・・グレミオ・・。」
彼の事を、忘れるはずがなかった。大広間に集う者たちは暗い面持ちになる。レックナートはゆっくりと悲痛な面持ちの彼らを見回す。
声も、姿も。亡くした者への思いは、未だそれぞれの胸に深く残っている。誰一人として彼を忘れた様子はなかった。それは誰でも手を差し伸べる、彼の人柄を表すようだった。
レックナートは星を読む。数百年に一度、星の巡りが強まり、この場に108星全てが揃った。その一欠片は欠けてしまっていても、それぞれの心に深く根づき、思いは消え去っていない。――これならば。
レックナートは顔を上げた。
「・・・ティル、私の『門の紋章』の力を見せましょう。解放軍の戦士達よ、108星の者達よ。心静かにし、友の事を思うのです。」
一同が突然の彼女の言葉に目を瞬かせた。けれど、彼女の言う事は何故か、すんなりと受け入れられる。彼女が酷く、神秘的だからかもしれない。何が起こるかわからないが、も解放軍の者達と同じように、目を閉じたのだった。
瞼の裏に描く。いつでも思い出せる、彼の姿だ。
「次元の門よ開け、ここにいる108星の心を繋ぎ、彼の者を、此処へ・・・。」
彼の温もりも、喋り方も、全てが思い出せる。
「・・・ああ、こんなところで死にたくない。まだまだ、坊ちゃんやちゃんのために・・・。そういえば、洗濯物が溜まったままだった筈ですし・・・シチューの新しい・・・」
そう、今のように彼は話すのだ。
「ん、あれ・・・。」
そこでは違和感に気づき、目を開けた。そして広がった光景が、ただ信じられなかった。
レックナートの前に佇むのは、長身痩躯の男だ。金糸のような髪は長く、肩で結われている。暖かな緑色の目を瞬かせた彼は、周りを見渡している。
武器を持つその手は大きく、厚い。だが誰よりも安心感を抱かせるものだと、は知っている。
「グレミオ!」
「グレミオーーーーー!!」
「クレオさん、パーンさん、」
クレオとパーンが声を上げて、彼へと駆け寄る。
「ぼ、坊ちゃん・・・。わ、私は・・・。」
呆然とする彼に、ティルもまた微笑む。ビクトールは声を上げて泣き出し、フリックもまた似たようなものであった。クレオとパーンは只管彼の体を叩き喜ぶ。キルキスやシルビナ、スタリオンもまた笑顔であった。バレリアも頬を緩ませ、クロミミも尻尾をちぎれんばかりに振る。テッドが泣きながら笑っていた。
歓喜に溢れかえる大広間。 はただ呆然と信じられず、その光景を見ていた。
それをやめたのは、ティルがを見たからだ。ティルはそのまま、手を差し伸ばす。導かれるように、はその手を掴んだ。
引かれる手のままに、は彼の前に立った。
ちゃん・・・。」
呟く彼は変わった様子など一つもない。ただ、いつもの緑のマントがないだけで、それだけであった。
彼が穏やかに微笑んだ。「遅くなってしまいましたね、ちゃん。」
「ただいまかえりました。」
記憶にある笑顔そのままに、グレミオは柔らかく微笑んだ。じわりじわりと込み上げる思いに、目に涙の膜が溜まっていく。
弾ける様にが飛び込むのと、グレミオが両腕を広げたのは同時であった。
「――――おかえりなさい!!!」
もし、再び会えたら、何て言おうか。何を伝えようか。例え幻想であろうとも、想像したことがあった。ありがとう、大好き、さようなら。沢山の伝えたいことがある。その全てを、もう一度伝えることが出来る。幻想は、現実になる。
無くしたと思ったそれは確かに、暖かかった。
「『門の紋章』の力と集まった108星の力です・・・。しかし、次はありません。」
レックナートがそう告げると、いつも無表情であるマッシュが、緩ませていた頬を引き締める。歓喜に溢れかえる解放軍を前に口を開くと、辺りは自然と静まり返った。
「帝国との戦いにも終わりが近い。我々、解放軍にも犠牲が出た。死んで行った友の為にも、そして、なにより未来の為に、我らは進まねばならない。この戦いを終わらせなければならない。
我ら、解放軍の旗の下、ティル殿の下・・・」
「我らに勝利を!」
溜まらず、ビクトールが拳を突き上げ声を上げる。間髪開けずに続いたのは、意外な人物であった。
「我らに勝利を!」
普段は口数の少ないハンフリーだ。彼も拳を力強く突き上げると、珍しく声を張り上げる。
「我らに勝利を!」
フリック、そしてマッシュと、声は大広間に響き続ける。 次々に突き上げられた拳は、瞬く間に広間を覆った。一つ一つの声は、大したことはないだろう。だが重なる咆哮は、空気を振動させ、天井すら突き破りそうであった。
「「「我らに勝利を!」」」
誰もが拳を突き上げ、声高く言う。束ねられた力は、うねりを上げる。
全てが向かうは帝都、グレッグミンスター。


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