Skyting stjerner1-51
これ以上、彼から大切な人を奪わないで欲しい。軍主として彼が失ったものはあまりに多い。確かに彼は一人ではなく、解放軍の多くの命を背負っている。だがは、知っているのだ。
彼は解放軍の軍主である前に、一人の少年で―――誰よりも、穏やかに微笑む事を。
だからこそ、は願う。
「お願いだ、ソウルイーター。」
吹き荒れる暴風の中、ただひたすら願う。
***
リュウカンに竜を診てもらい、竜たちは毒を盛られたことが判明した。
だが竜が眠っている今、戦力を持つ上級騎士が砦を空けるわけにはいかない。しかし見習いの竜騎士に頼むわけにいかず、そこで解放軍が材料調達を買って出たのだ。
竜が治らねば、竜騎士団はあっという間に衰退してしまうだろう。帝国との戦いに力を借りたい解放軍として、それは本意ではない。例え力を得られなくとも、国境争いがある度に活躍していた竜騎士団がなくなってしまえば、今後の影響は計り知れない。最も、居合わせた人として見過ごせなかったのが本音ではあろうが。解放軍はティルを筆頭に、お人よしが多く、そこが強みでもある。
こうして達は竜騎士の代わりに、シークの谷へと月下草を取りに行くことになった。他の竜とは違い、フッチとミリアの竜は難を逃れたのか健康そのものであった。その為竜騎士副団長であるミリアと彼女の竜と共に、達はシークの谷へと向かう事となる。
翌日、解放軍の面々は砦の屋上へと向かっていた。
もまた、早まる心臓を押さえながら階段を上っていた。先日、竜銅で眠っている竜たちを見たが、は動いている竜を初めて見る。空想上の生き物を見れるだけでなく、今回はその竜に乗るのだ。興奮するなというのが無理な話であった。
その時、遠くで大きな咆哮が響く。屋内にいても聞こえた、地面を揺らすような鳴き声である。聞いたことのない鳴き声は、もしかしなくても。高鳴る心臓を抑え、は興奮に頬を紅潮させて屋上にでた。
屋上の開けた場所には、赤い大きな岩が佇んでいた。真上に上る陽光すら遮る岩には、よく見ればびっしりと鱗が生えている。目を瞬かせながら視線をあげれば、岩が動き、黄色の鋭い目と目が合う。――岩のように、大きな一匹の竜だ。
仕舞われていた翼が、身じろぎするように振るわれる。僅かな動作ですら反動で生じた風は屋上の入り口まで届き、髪を舞い上がらせた。
「・・・すごい。」
正直なところ、眠っている竜を見て、は実感が沸かないでいた。元の世界では竜をモチーフにしたアトラクションが多くある。動きのない竜であれば、精巧な造りの摸造と変わりなく見えた。
だが、傍らに立つミリアに撫でられ、鋭い目を細め喜んでいる竜は生き生きとしていた。当たり前だ、生きているのだから。生物でなければ生まれないであろう。生命力溢れる竜は、恐怖をに与えるとともに、大きな興奮を与えた。
まさにおとぎ話である。足を動かすことを忘れ、目を輝かさんばかりのに、小さく噴出するとティルはの手を引いた。
「ひえぇぇ・・・・。」
腕を引かれている事にすら気づかず竜に見とれているは、残り数歩まで近づくと、竜を見上げ間抜けな声を上げる。「生きてる・・・これ生きてる・・・?」
唖然とするばかりのは、隠すことなく呆れた視線を向けるルックにすら気づかなかった。「馬鹿っぽい。あ、ゴメン。馬鹿だったね。」口にすら出していたが、耳にも入らなかった。
「ふふ、触ってみるかい?」
「え!?」
口すら開けそうなに、どこかで見た表情だな、と微笑ましく思うティルを他所に、ミリアが提案する。
鼻先を押し付けるようなスラッシュの鼻の頭を撫でながら、ミリアは安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。スラッシュは大人しいから。
それにスラッシュに乗って、シークの谷に行くんだ。触れなきゃ乗れないだろ?」
思わず、ごくりと生唾を飲み込む。確かにその通りである。
は引かれていたティルの腕を離れ、震えながら竜に手を伸ばした。寸前、触った瞬間セクハラァ!といわんばかりに火を噴かれたらどうしようと仕様もない妄想が走り、その手が止まる。だが触らなければ竜には乗れないそもそも空想上の生物であった竜に触りたい。の僅かな葛藤は、しかし唐突に終わりを告げた。
視線が下がった、いや石畳を見たかと思えば両足が離れる感覚。次いで腹に食い込む重力。いつぞやの再現である。おい貴様。
体が浮遊感に包まれ、すとん、と固い鱗の上に降ろされた。
腹に回された腕で体は支えられているが、強制的に竜の背――鱗へと手をついたは我に返り、腕を回す本人、色素の薄い茶色の髪を日の光で銀色に輝かせた青年に噛みついた。
「お、お前!ラズ!ラズリル!なにすんの!??」
ブルータス、貴様もか!乙女の腹回りをなんだと心得る。加えてである。ドキ☆わくわく幻の竜へのタッチ初体験をこうも簡単に終わらされ、は怒りに口調すら乱雑になった。しかし青年、ラズリルは目を瞬かせる。
「シークの谷、行くんでしょ?」
悲しいかな、正論であった。
ぐう、とは息を飲み込む。竜を前にが興奮している間にも、ミリアやフッチ以外の竜達は毒に侵され眠り続けているのだ。
しかし、しかしである。ならば行動に移す前に言えと。会話のキャッチボールほうれんそうは大事である。そう滾々と言い募りたい所が、しかし、残念ながらこの場でラズリルの言葉はド正論であった。
結果いろいろと台無しにされたは、無言でぎりぎりと歯噛みをし、先手を取られたティルは笑顔でブリザードを降らせ、フリック達を戦々恐々とさせるのだった。
最初こそ腹を据えかねていたであったが、他の面々も竜に乗り込み、両翼を羽ばたかせたところでその苛立ちも消え去った。
身じろぎから生まれた風を浴びた時以上の風が舞い上がる。胃が浮く感覚に、咄嗟に竜の鱗にしがみ付いた。ゆらゆらとした感覚はしばらく続き、この時ばかりは後ろからラズリルに支えられて心の底から安堵した。支えがなければ疾うに転がり落ちていただろう。数秒後、は声をかけられる。
「、もう大丈夫だよ。ゆっくり、体を起こしてみて。」
後ろで支えてくれている、ラズリルだ。その拍子に、いつの間にか瞑っていた目をうっすらと開く。確かに最初のような不安定さはない。振り落とされるような暴風は、肌を撫ぜる風に変わっていた。
言われた通り上半身をゆっくりをあげ、そこで景色が目に入った。
真っ白い霧。いや辺りは雲の中であった。方向感覚すらなくなりそうな程の白に覆われている。確かに、これならば恐怖は生まれない――。そんな考えは、一瞬であった。
次の瞬間、白い視界が開ける。雲を通り抜けたのだ。
山脈は連なり、岩肌をむき出している。しかしそれすらも今は遠く、針の山のようである。麓には今朝もかかっていた濃い霧が広がっていたが、それも僅かに見え、あとは広大な平原が広がっていた。麓では夜更けに雨も降っていたのだろう、水たまりがあちこちにできていた。だが南東のアンテイの方角には先ほど抜けた雲間から日の光がさしている。
流れる雲の動きから、台地に差し込む陽光が穏やかに変わる。見事なまでの陰陽であった。
息を忘れるほどの光景だ。はいつしか、竜の背に乗る事の恐怖が消えていた。
始めての竜の飛行は当初こそ大分緊張していたものの、思ったよりも飛行時は安定して、何時しか清清しいものに変わった。頬に当たる風が気持ちよく、やがて森の向こうに青く見える山に気づく。そこがシークの谷だ。
来るとき同様、降りる時はしがみつき、達はシークの谷へと降りる。
竜の上から見る景色は見たことのない程の絶景であった。しかしシークの谷もまた、を更に驚かせた。透き通る蒼を中心に、淡い桃色や黄色、エメラルド色を放つ水晶は、辺りに水晶の光を反映させるまでの多さで辺りを覆っていた。まるでこの世のものではないかのようである。淡く優しい光に溢れた神秘的なシーク谷もまた、絵物語だけの世界であった。が見惚れ、再び呆然と口を開けてしまうのも仕方のない事だろう。
しかしそのまま魅入っているわけにもいかず、月下草を探しには辺りを見回しつつ先へと進む一同についていく。少し進んだ所で、流れている水が凍っているのに気づき更に驚いた。寒いという訳ではないのに、小川のようなそれは凍っていたのだ。驚くに解説をしたのはティルである。なんでも小川ではなく、これも一種の水晶の形であるらしい。形成途中のものだという。それに感心するである。異世界とはまさにすごい。
月下草を探しているものの、それは穏やかな時間であった。
一変したのは、シークの谷の最奥まで来た時だった。
解放軍はほどなくして、最奥、谷の一歩手前でたどり着く。ここまで探してないのであれば谷の周辺に咲いているのだろう。危険はあるが、致し方ない。谷間へと近付く解放軍であったが、その時、辺りに何もないというのに突然空気がうねったのだ。捻れた宙は徐々に広がり、やがて一人の見目麗しい女性が現れる。一体誰か、とビッキーの時のように突然その場に現れた人物を見ていると、はそこでようやく、辺りが警戒している事に気づいた。警戒する解放軍を他所に、ミリアが驚いたように声を上げる。
「ウィンディ殿・・・何故貴方がここに?」
「ふふ・・・ごめんなさいね。お嬢さんは少し、黙ってらっしゃい!」
女は突然、片手を上げる。次の瞬間掌から閃光がほとばしった。叫ぶ間もなく体は光に弾き飛ばされ、背後にいたハンフリーが咄嗟にミリアを受け止めたが、彼女はそのまま気を失ってしまった。ミリアを気絶させた一連の行動にも驚いたが、彼女の呼ばれた名には混乱する。
ウィンディ。それは幾度となく聞いた名。それも戦の元凶として。
「きさまあああああああ!!!」
「クレオ!!」
ティルの静止も遅く、そこへクレオが女性へと飛び掛る。普段と違うその叫びは、彼女の激しい怒りが伺えた。
しかしそれも、彼女の華美な服装とは裏腹に軽々と避けられてしまう。加えてその隙に、今度は彼女が再び、掌を翳した。
「あなたもよ!!」
吹き飛ばされたクレオを受け止めることは不可能かと思われたが、それを辛うじてラズリルが受け止める。だが彼女もまた、そのまま気を失ってしまう。
「ウィンディ・・・」
低くティルが言う。金色の目は鋭い。そういうも、ウィンディを前にして、瞼の裏で幾度となく赤が明滅していた。
元凶だと思われてる彼女は、間接的にグレミオを殺した者なのだ。この戦を起こしたのは誰だかはわからない。恐らく誰でもないだろう。それでも恨まずにはいられなかった。
「私の邪魔はさせないわ。ねぇ、ティル?」
ウィンディは赤く塗った唇の端を上げ、妖艶に笑う。
「もう、私達の邪魔をする者はいなくなったかしらね。」
「はっ。俺達を忘れるなよ。」
「そうね。忘れてるわけじゃないの。ただ邪魔さえしてくれなければいいのよ。月下草をね、持って帰らせる訳にはいかないの。」
月下草を持ち帰らせるわけにはいかない。それはつまり、竜へ毒を盛ったのは、帝国の仕業である事を示していた。睨み付けるフリックを物ともせず、ウィンディはただただ笑う。そして視線をティルへと向けた。
「それに、ティル。そろそろ解放軍ごっこも飽きたでしょう?
あなたのその右手の紋章、ソウルイーターを渡してもらいますよ。そんなに怖い顔をしないでティル、力づくで奪ったりはしないわ。」
ウィンディは未だにティルのソウルイーターを諦めていないらしい。笑みを一層深めて彼女は続けた。
「そうね、もうちょっとエレガントな方法よ。出ていらっしゃい、テッド。」
彼女の言葉に固まったのは、だけでない。ウィンディの笑みは変わらず、そして彼女の隣の空間が歪んだかと思えば、そこから一人の少年が出てくる。
は知らない。だが
「テッド・・・。」
ティルの言葉には確信を持つ。
蜂蜜色の髪に同色の目。蒼い服に身を包む彼は、ティルの親友であるテッドであった。
話では、真の紋章持ちとして三百年以上生きていたのだという。そうとは見えない程幼さの残る顔立ちをした青年だった。
テッドはにこり、と人好きのする笑みを浮かべる。
「久し振りだな、ティル。でも俺だけおいて逃げるなんて、ひどいことするなぁ。まあ、許してやるよ。俺とお前の仲だもんな。」
テッドはティルへと手を差し伸べた。
「さあ、お前に『あずけた』紋章を返してくれよ。俺はその紋章の力で三百年もの間、老いることなく生きてきたんだ。だから、それがないと・・・。
さぁ、返してくれよ。」
「君が本当にテッドならね。」
ティルの言葉に、テッド、そしてウィンディも驚いたようだった。ティルはそのまま続ける。
「渡さないよ。」
ブラックルーン。それは紋章をつける事によって相手の意思を思うが侭に操り、ウィンディの直接手を使わないやり方で、十八番であった。
そしてその時だ。突然、谷間に暗闇が落ちる。
「ティル!!」
ソウルイーターの発動時に現れる闇と同じものである。一瞬の闇はティルとテッドを覆い、たちは焦った。すぐにそれぞれが武器を取り出したが、予想に反して覆っていた闇はすぐに散る。
ウィンディが何かしたのだろうか。そう思う解放軍だったが、可笑しなことに、そのウィンディすら驚いているようだった。ならば、一体誰がーー。しかし思考を巡らすより早く、ウィンディが我に返り声を上げた。
「テッド、早くソウルイーターを奪うのよ!!」
「ティル、紋章を返してくれよ、嫌だと言うなら力づくでも・・・。」
「ソウルイーターは渡せない。」
ティルは再び首を振る。今の言葉は彼の意思ではない、と確実にティルは断言出来たからだ。先ほど暗闇が落ちた時、ソウルイーターの作り出した空間は、テッドが行ったのだ。真の紋章で作られた空間で、僅かにブラックルーンの支配から逃れたテッドからティルは本心を聞いた。真の紋章は、やはりウィンディには渡せない。
しかし断固として頷かないティルに、ウィンディは興じるような笑みを浮かべる。
「おや、じゃあテッドと戦うというのかい?自らの手で父親テオを殺め、付き人グレミオを死に追いやり、そして今度は友達までもその手にかけるのかい?罪深いことだねぇ。」
はその言葉に、思わず動きたくなる衝動を奥歯を噛んで堪えた。誰が死に追いやったのか。少なくてもグレミオは彼女に殺されたも同然だというのに。テッドもまた彼女が操っているだろうに、煽るように言うウィンディが、憎くて溜まらなかった。
テッドがうっすらと笑う。
「ソウルイーター、俺はお前と三百年もの間一緒だった。
お前のことは良く知ってるぞ。その呪いの意味も、その悪しき意志も。」
テッドはそこで、一度鳶色の目を伏せる。
「お前は、あの日・・・、俺が故里を失った日だ。あの日、俺の知っている者全ての魂を盗み取った。
三百年の長き旅の間、多くの国で戦乱を引き起こし、魂を翳めた。
お前はその主人の最も近しい者の魂を盗み、力を増していく!」
彼の予想だにしない言葉に、ウィンディは眉を寄せる。
「テッド!何を言っているの!早くソウルイーターを、」
しかしブラックルーンに支配されているはずのテッドはそれに従うことなく、ウィンディを振り返り、口の端を吊り上げた。
「残念だったな、ウィンディ。ソウルイーターが近くにあることが、俺に力を与えてくれた。ほんの少し、体を自由にする力を・・・。」
テッドは確認するかのように、皮手袋に包まれた右手を握しめる。
ならば、と僅かな好転の機会に解放軍の意気込んだ、次の瞬間だ。テッドは強い目で前を見据えた。
「さあ、ソウルイーター!
かつての主人として命じる!今度は俺の魂を盗み取るがいい!」
今からすることを許して欲しい。
ソウルイーターが作った空間で、テッドはそうティルに告げていた。思い返し、ティルは息を呑む。彼は死ぬつもりだ。
「やめろテッド!!」
しかしティルの意志とは関わらず、ティルの紋章が発動されてしまう。墨汁が落とされたような暗闇が再び、その場を包まれる。
願っていない。誰もこのような事は願っていなかった。確かにテッドは操られ、危機的状況である。だが、ブラックルーンに操られていたクワンダ、ミルイヒは解放させたのだ。
取り返しのつかない仲間を失い、被害は絶大で、操らていた彼らも一生消えない傷を負った。それでも、生きている。操れれば、彼はすぐに解放軍に牙を向くのだろう。長年宿していた名残で、僅かでもソウルイーターを発動させられるならば、それはとてつもない脅威である。ソウルイーターは生命を意図も簡単に奪う。
だが、それでも。危機的状況に陥る手前で、これが最善であるかのように思えても。親友の命を亡う事を、ティルは願っていなかった。
奪われた命令権を取り戻そうとソウルイーターに命じるが、紋章は長年連れ添ってはいたが宿主故に奪うことのできなかった、元宿主の命を奪う事に歓喜しているようだった。現宿主のティルの命令を聞こうとせず、辺りを覆う闇は膨れ上がるばかりだ。
――このままでは、テッドは命を落としてしまう。
力が放出される右手を必死に抑える。奥歯を噛んだ時に何処かを切ったのか咥内に血の味が滲んだ。構わずティルは歯を食いしばり、紋章の力を押させようとする。左手で掴んだ右腕の骨がぎしりと軋んだ。
だがいくら抵抗しようとも、ソウルイーターはテッドへと向かっていた。
永興に続くかと思えた、苦しみと悲しみ、怒りだった。ソウルイーターはティルの命令を聞かない。怒りを交えた悲壮な感情が胸中を支配していく。
それが突然、闇を伴う暴風へと変わる。
突然の異変に発動したはずのテッドも、ティルさえも驚いた。辺りが見えぬほど闇の中、原因に気づいたのは小さな喚き声を聞いたからだ。
「来るな!」
ティルは焦る。その時、ティルが感じたもの――それは紋章の暴走であった。
ティルの支配下を離れテッドに使われているが、それすらもままらなくなり始めた。何か不適切要素が混じったからだ。現宿主の、これ以上のない糧であった。近くある事に気づいたソウルイーターが、喰らおうとしている。
しかしティルへの返事は、そっとティルの手に触れるものだった。
「やめ・・・!!」
「嫌だ!!」
ティルの怒声さえも遮るほどの声をは上げる。
暗闇は爆風と共にに巻きついていく。爆風の中、目を開ける事もままらない。効果がないのはとて知っていた。けれどこのまま、見ておく事はには出来なかった。
優しい彼から何も奪わないで欲しいと。もう何も、奪わせないとは自身に誓っていた。誰を失う事無く、終われるように。魔法の素質のないは、紋章の力を感じ取る力はない。は必死に紋章に語り掛けた。
「お願いだソウルイーター。お願いだ工の紋章。
もうこれ以上、彼から何も奪わないで!」
ひたすら想い願う。ごり押しのように、ただ、それだけだ。だがこの時程、は強く何かを願ったことはないだろう。
脳裏に竜騎士団領に向かう途中、一瞬、違和感を覚えたティルの感情を削ぎ落としたような表情。そんな顔を、彼に浮べさせることはには耐えきれない。
彼が何時までも穏やかでいられるように。柔らかな笑顔が、陰ることのないように。ただそれだけを願う。
は自身がいつも着けていた腕輪を、ティルの手首へと押し付けるように嵌めた。元からこの腕輪には効果がない。だが効果がないならば、今この時、の想いがこれを完成させれば良い。
ドワーフの村にいた時、ドワーフ達に手伝ってもらいながらも、思いつく限りの貴重な材料を揃え作成した腕輪だ。それでも効果は発揮をしなかったが、ものは完璧のはずなのだ。であるならば――が思いつくのは紋章の力不足である。
紋章を使用する感覚を知らないは、もともと願う事で工の紋章を使用していた。その思いが、足りなかったのでは。そうは考えた。
こじつけかもしれない。真の紋章を覆すようなものは、結局作れないのだろう。何しろ、真の紋章はこの世界を構成したものだと言われている。だが例えそうであっても、僅かな可能性はあった。何も手を打つことができない現状では、希望的推測でもある。
願望であり、あがく様はみっともないのであろう。それでもは、藁にもすがりたかった。
――そして、奇跡が起きる。
吹き荒れる風が、闇が押し戻されていく。
戻される闇は濃度を薄め、やがて何事もなかったかのように元のシークの谷に戻ったのだ。辺りも見えない暗闇に覆われていた場所は、元の美しい水晶に覆われた谷である。
行動は起こした本人ではあるものの、は思わず、唖然とした。だがいち早く思い出し、は他の面々と同じく驚いているテッドの元へいく。そして連なるようにつけていたもう一つの腕輪を、よく見れば黒い文様が浮かび、ブラックルーンが宿されているだろう手の方の手首へとはめ込んだ。
「ふ、はつ・・・?いいわテッド!さあ今度こそやっておしまい!!」
解放軍と同様、呆然としていたウィンディだったが、紋章の発動が失敗に終わったのだと気づくと慌てて声を上げた。
しかし紋章を無理やり発動させたばかりのテッドは、動かない。
「テッド!?何をしているの!さぁ早く!手始めにそこの女から!!」
自身を指されたことに思わず肩を震わす。そして腕を掴まれ、引っ張られた。傍らで顔を俯かせていたテッドだ。
ぐるりと視界が反転し、ウィンディと相対する。は目を瞬かせた。
の前には蜂蜜色の髪の青年、テッドが立っている。
「動く、ぜ。俺の思うとおりにな!!」
そう声を荒げたテッドに、ウィンディは絶句した。
全てが予想外の方向へと向かっている。一体、何故。そうして視野に入った者に、ウィンディは瞳孔を開いた。
「まさか、小娘・・・!お前・・・変革者・・・・!!」
「・・・え?」
驚愕するウィンディに、もまた思っても見ない言葉に驚いていた。しかしウィンディの中では納得がついてしまったらしい。
眉を吊り上げ、を睨む。美しい顔の歪んだ表情を向けられ、は思わず身を竦ませた。
噛みしめた奥歯の音すら聞こえてきそうで、しかし次の瞬間ウィンディは片手を上げると、何の言葉を残すことなく、その場から消えてしまったのだった。
ウィンディは撤退したものの、怒涛の展開にその場に沈黙が横たわる。破ったのは、ルックだ。
「そうか、あんたが・・・。」
「・・・なに?ルック、何か知ってるの?」
ルックはどこか信じられないといった表情で、を見る。
「変革者。過去それが現れると、星の定めが覆されるという。」
ハルモニアの対応が異常に早かったのはそのせいかと、更に彼は続けた。星の定めを変えると云われる変革者。それがだという。
一体なんだ、そんなべらぼうに強い名称は。ご大層すぎる。は、微妙な表情を浮かべた。そもそも何を持って変革者だというのが、それが分からないのに何故彼らはわかるのか。その辺りがわからない。そしてそれは、星見を詳しく知る者達しか、今はまだ知ることはない。
そこへ突然の出来事の流れにややついていけないでいたフリックが、頬を掻きながらうなり声をあげる。
「えーと、何はともあれ何事もなくてよかった!よくやった!!」
「よくないよ。」
が、それも即座にティルに否定されてしまう。
ティルへと視線を向けると、彼は無表情だった。思わずひっと情けない悲鳴がの咥内から上がった。
「信じられない・・・。
幾らが向こう見ずだからって・・・・まさかソウルイーターが発動してる時に近づくだなんて。」
「同意見だね。信じられない。本当に信じられない。いい加減にしないと僕も怒るよ?」
そういって加勢するかのように気絶したクレオを寝かせてからラズリルもまたこちら側に来るのだから、は詰まる。身を縮ませる彼女を見て、ラズリルが溜息を吐く。
「無事だからよかったものの・・・。」
「そ、そう終わりよければ全てよし!」
しかしがそういえばラズリルが無言で睨むかのようにこちらを見たためは再び詰まった。
それを打開したのは思わぬ人物であった。
「・・・え?」
ぽつりと呟いた、この面々では新たな顔ぶれのテッドである。
テッドは目を瞬かせラズリルを凝視し、
「・・・・なんで、あんたがここにいんだ!?」
と声を上げたのだった。
BACK / TOP / NEXT