Skyting stjerner1-44

木刀を両手で握りしめ、はそれを振りかぶった。けれどすぐに相手の木刀で受け止められると弾かれ、態勢を崩してしまう。
弾いた相手、ラズリルは態勢を崩したに言う。
「力込めすぎ。の力じゃすぐに弾き返されるって言ったでしょ。」
「・・・わかってる、適度に、でしょ。」
には圧倒的に筋力が足りない。だからこそ弾き返された場合は反動に耐え、すぐに回避出来るよう、力を込めすぎないようにする。既にそう、ラズリルから教わっていた。
女性であり剣も習い始めたばかりのの力のない分は、素早さで補うのが最適だった。素早さがあれば体格の大きい者でも急所を狙ったりと立ち打ちが出来るからだ。だが力の可減が上手く出来ず、はこうして何度か注意されていた。中々コツを掴めないことを歯痒く思いながらも木刀を構える。一番最初に習った、基本中の基本である構えならば多少様になった方だとは思う。けれどラズリルは眉を寄せた。は肘の角度や、咽元から剣先がずれているのかと焦ったがそうではなかったらしい。
「その前に、休憩。」
小さく息を吐くと、の持つ木刀を片手で取り上げる。驚き、目を瞬かせながらラズリルを見れば、彼はますます不機嫌そうな顔をした。
「そんなに息が上がってるんだ。少しは、休んで。」
「でも、」
思わず口を開けば、遮るようにラズリルがため息を吐く。
「いいから、休む。必死なのはわかるけど、適度な休憩は必要だよ。」
そう言うと、ラズリルは踵を返してしまう。慌てては声を上げた。
「ラズ!」
「お昼、何か貰ってくるから。はそこで休んでて。素ぶりも筋トレも駄目だからね。」
鍛練場の入口へと向かっていくラズリルの背中を見る。本当は彼を止めて鍛練を再開してもらいたい。だが、も自身の体力の限界には気づいていた。乱れた呼吸の合間に、かろうじて言葉を発することしか出来ず、体の節々は小さく震え、今は既に遠い彼の背を追いかけることも出来ない。情けないが、確かに限界であった。は溜息を吐き、そのまま草木の上へと倒れ込む。

草木の上に倒れ込み、蒼い空に流れる雲を見上げた。肌を撫でる微かな風が心地よい。そうしていつの間にか呼吸も落ち着いてきた頃、影が一部の青い空を隠す。
「ティル?」
影はティルであった。が目を瞬かせて見上げていると、視界からティルの顔が消えた。
「・・・頑張ってるね。」
そうして声が落ちてくる。横に座り込んだティルに習い、は上半身を起き上がらせ、苦笑を浮かべた。
「まぁ、ね。私は少しでも強くなんなきゃだし、これぐらいは。」
「でも、無理だけはしないでね?」
「してないしてない。」
隣に腰かけたティルを見ながらはひらひらと手を振る。相変わらず、ティルは過保護であるらしかった。彼はこうして偶に訓練を覘きに来てくれたり、その日の鍛練の終わりになれば必ず鍛練場に居て、疲れている時などには手を貸してくれるのだ。ラズリルもしてくれるのだが、彼の場合余計な事をしそうなのでその辺りは遠慮させて貰っていた。
「本当に?」
「本当本当。」
「・・・・約束だからね。」
「わかってます。」
訝しげな彼に、は即座に頷く。彼の場合、仮に断ったとしても無理やり頷かされるのは既に経験済みである。出会って3日ぐらいに。しかもさりげなく追い込んでいくのだから、今のところはそれに立ち打ち出来る術が見当たらなかった。何しろ彼は本当に、頭の回転が速い。
そこではふと思った事を尋ねた。
「そういえば、ティルは?どうしてここに?」
「今、休憩中なんだ。」
さらりと彼は嘘を吐いた。
の特訓相手であるラズリルは、隙を作れば彼女にべたつく奴であった。それは彼が解放軍入りして二日目に本当どうしてやろうかあのひっつき虫、とティルが思ったり、三日目には食事時にに必要以上に触れているのを目撃し軍主命令という職権乱用を使用した程だ。その時の彼は笑顔で「仲間が不快な思いをしてるのは軍主として見過ごせないし、郷に入っては郷に従えって言うでしょ。」と最もな事を並べ暗に解放軍に居たければさっさとそこから移動しろ、と言っただけだったのだが、「まぁいいよ。他の時間は一緒だから。」などとラズリルが言ったときには思わずその爽やかな笑みに凄味が加わり、影で見守っていた一部幹部を震え上がらせた。
そんなこんながあった相手となれば、と二人きりにさせる事に警戒を抱かないわけがない。というかそういったやりとりがあった三日目からではなく、既に彼が解放軍入りした時から、ティルは彼に警戒を抱いていた。だからこそ余計不安であり、軍務の暇を見つけては様子を見に来ているのである。
彼が只者ではないと知っているからこそこうして特訓相手を彼に任せ、彼が只者ではないと知っているからこそ、誰よりも警戒を抱くのだった。矛盾した行為だとはわかっているが、今のところティルにはこうするしかなく、面白くないと思いながらも誰でもない彼女の安全の為、甘受するしかない。
には休憩中と告げたティルだが、この場に来たのはふと、鍛練場が見える軍務室の窓からラズリルが去るところを見たからだ。彼がいる場合、と話していると尽く邪魔され続けていた。それはラズリルからすればティルも同じなのだが。その奴がいない。考える間もなく椅子から立ち上がり、赤い着衣を翻す。ティルは目の前にある書類を放棄し、部屋にマッシュが居ないことから簡単に部屋を出たのだった。
休憩中などと嘯くティルに、が納得していると、そこでようやく違和感に気づく。
「・・・なんかティル、さっきから避けてない?」
隣に腰かけるティルは、いつものようにを見ることなく空を仰いでいる。それはよくよく考えれば、出会い頭からそうであったと気づいたのだ。
試しにティルの顔を覗こうとすれば、顔を横へと向けてしまう。は思わず眉を寄せた。
「なんで、こっち見ないの?」
「気のせいじゃないかな。」
どう見ても気のせいではなくあからさまだというのに、ティルはそう言う。ますます訝しがるである。そんな時、ティルが違う話題を出した。これまたあからさまな話題転換だとは思う。
「それより、そろそろ上着着たら?寒いでしょ。」
「暑いから大丈夫だよ。」
大分暖かくなってきたもの、確かにこの時期はまだ寒が残る。しかし先ほどまで運動していたは熱く、ティルに訝しみながらもそう答えた。
しかし次に彼が言った言葉に、は思わずそれすら吹き飛び、内心首を捻るのだった。
「ラズリルが帰ってくるよ。」
つまりは、とはそこで脳内処理を終える。今現在 は彼の言うとおりいつもの長袖に長衿の上着を脱ぎ、黒のノースリーブにズボンといった出立ちであった。
彼はラズリルの前でそんな恰好でいるな、といいたいらしい。なぜこの格好でいてはいけないのかわからないがしかし、
「別に、ラズは見慣れてるし。」
生憎ドワーフの村での居候生活で、この格好は何度も見られていた。何しろ彼はの部屋をまるで自室かのよう扱い入り浸っていたのである。部屋でくつろいでいたは、今の格好でいることも何度もあった。
しかしティルはそれに気分を害してしまったらしい。若干音色を不機嫌なものにしてを振り返る。
「・・・何それ。」
が、不機嫌な顔のティルはと目が合うとすぐさま目を逸らすのであった。はそれに頬を引き攣らせてしまう。
「ほら避けてる!」
あからさま。あからさますぎである。それでどうして避けてないといえるだろうか今貴様ばっちり目があっただろう。
だがティルといえば、未だへと顔を向けることも視線すらも向ける事をしない。出会い頭から顔を逸らされ続け、それでも白を切ろうとするティルに、思わ の沸点が刺激されてしまう。「ティル!!」
ティルの名を呼び、頬を無理やり掴むと自身に向けさせようとする。まず沸点が刺激されていなければには出来ない行動であった。しかしティルは途端、逃れるように体を引く。そうすれば身を乗り出しティルの頬を掴んでいたもまたバランスを崩してしまった。人は重力に逆らえない。そんな訳で はティルごと野草の上に倒れ込んだのであった。
固くはあるが、温かいそれには一瞬脳が固まる。視界は赤、であった。自身が下に敷いてるもの。それは自身が押し倒した形になったティルである。
理解した途端、は情報処理しきれず頭が破裂するかと思った。押し倒した異性、美形、しかもティル。よりにもよってティル。更に自分が押し倒したような形。いや押し倒しているのか。いや決して、故意ではないが。それでも押し倒してしまったのには変わらなく、しかも相手はティルで、
「っごめん!!!」
我に返るとは謝罪の声を上げながら、草に手を付き思いっきり倒れ込んでいた体を起こす。しかし何故か、それは途中で止まってしまった。は瞬きすら忘れて、ただティルを見る。草に手を付いたまま見下ろすティルもまた、を見上げていた。自身の腰辺りに回された手に一瞬意識も持っていかれたが、今はただ見上げてくるティルの目を見る。
間近に見る金色の目は変わらず綺麗だ。綺麗なのだが、はどこか違うと思った。それはどこかで見たことのあるような、それこそ今のような間近で。それがいつどこで、と思い出し、誰、がラズリルであると思い出したところでの脳は完全に停止した。の頬に、腰に当てられた手とは違う、ティルの掌が添えられたからである。
ティルの端正な顔が近づいたと思えば、鎖骨辺りにティルの唇が触れそうなほど近くなる。そして肌に触れた吐息には思わず体をびくつかせた。
「ほら、やっぱり寒いんじゃない。」
途端頬に触れていた手を離し、ティルは吐息を吐く。いつのまにか腰に当てられた手も離れていた。
は思わず頬を引き攣らせた。この、男は、もしかしなくてもその為に。は若干の呆れと、憤りが湧きあがり眉を寄せながら体を起き上がらせた。
「いやいや、今のは息を吹きかけたかだから!」
「風邪引いたら、意味ないでしょ。だから上着脱ぐの禁止ね。」
少し肌寒い季節にも関わらず、先程まで運動をしていた為体は火照っている。
確かに急激に体を冷やすのはよくないが、別にこんな事で風邪は引かない。そうは言おうとしたのだが、ティルの後半部分の言葉にそれを飲み込み思わず声を上げた。
「はぁ!?何それ!??」
「だから、 は上着脱ぐの禁止。これ、軍主命令だから。」
「いや、意味わかんないし!大体そこでなんで、それを使うわけ!?明らかに可笑しいし、ティルの私情じゃん!!」
「ここでは俺が法律。」
「ティル!!」
「駄目ったら駄目。」
聞く耳もたないといったように、それからラズリルが来るまで取り付く島もなかった。


それから二日後のことであった。
鍛練の最中、ふとラズリルが顔を上げどこかを見ることがあった。
どうしたのか、と尋ねれば彼は首を振ってしまい、またその日の鍛練帰り、ティルとラズリルと歩いていれば、ティルもまた唐突にどこかを見たのだ。それに再びどうしたのかと尋ねれば、彼もまたなんでもないと笑みを浮かべる。同じ日に彼ら二人が似た行動をしたことに、は訝しく思ったが、けれど彼らがなんでもないというのだから、と特に気にしないことにした。そして翌日の事である。
「あ、あの。」
その日の鍛練もまた、ラズリルに強制的に切り上げられ、はしばしの休憩を取っていた。そこへ背後から声を掛けられたのである。
鈴が鳴るような可憐な声に振り向けば、そこには思いも寄らない人物がいた。
「シルビナ、さん?」
緩く波打つ銀の髪をしたシルビナが、大きな蒼い目を不安げに揺らしながらもそこにいたのだ。
彼女は人ではなくエルフであり、大森林での任務以降、も何度か会ったことがある。もっともほとんどが見かけただけで、それに彼女の隣にはいつも同じくエルフの青年であるキルキスや、やはり邪魔なのではないか、と思ってしまうスタンリオン、いつの間にか解放軍入りしていた流れのエルフだというルビィがいることが大抵であった。
しかし今、その誰も彼女の傍にいない。シルビナはキルキスについて解放軍入りしたといったような形であり、彼が信じる人を信じようとしているのは傍から見ても伝わっていた。それでも、キルキスという支えがない場合、どこか不安に所在なさげになってしまうのは、それは生まれた頃から閉鎖的空間で育っていたエルフの種族上、しかたのないことだろう。
「あの、。」
そしてそんな彼女が一人でいるということも珍しいのだが、更に驚くことにへと声を掛けてきたのである。
彼女が発言する時はキルキスがいることが常なので、は驚く。やはり一人で人へと話しかけるのが怖いのだろう、どこか不安そうな面持ちであるシルビナに慌てて安心させるよう、なるべく優しい声では彼女に返した。
「はい。なんですか?」
シルビナはの返答に華奢な肩を少しびくつかせたが、けれどその場から踵を返すことなく、視線を地面へと落とす。
「シルビナ、どうしても相談に乗ってほしい事があって・・・。」
相談。自分に?けれど確かに彼女にとって、自分は話しかけやすいかもしれないとは思った。何しろ大森林で彼女と初めて出会った面々の一人であり、その内同性はクレオ、バレリアである。その彼女たちの中で一番年が若い自分の方が、もしも自身だった場合としても話しかけやすい。と、は紋章師の中で一番若くその癖魔法兵団長なんてものを務めている彼に魔法を教えてもらおうと思ったときを思い出しつつ納得した。
そういえばラズリルとの特訓で、最近では彼との訓練もしていないなとは思い返す。もっとも、それまでも毎日行っていたという訳ではないが、それでも彼に紋章を教わっていない期間は今が最長なのではないだろうか。教わってないだけで、見かけた時は話かけているのだが、彼は変わらず元気な辛辣っぷりであった。
とそうしてに脱線する時間を与えるほど、シルビナはしばし沈黙していた。それも彼女が顔を上げ、意を決したように話し出したことから途切れる。
そして思ってもみない事には目を丸めてしまったのだった。
「シルビナ、キルキスに指輪貰ったの。だからキルキスに指輪のお返しをしたいんだけど、何をあげたら喜ぶかな?」


更に、その日の翌日である。やはりその日も特に時刻の決まっていない休憩時に、今度はシルビナではない姿があった。
さん。シルビナ、見かけませんでしたか?」
シルビナだけでなく、連日でエルフの村出身の者に話しかけられるのは珍しいなと思いながら、は話しかけてきた青年、キルキスに首を振る。
「見てないですよ。」
「そうですか・・・。」
の返答に、彼はどこか気落ちした様子になるが、に向き直ると小さく頭を下げ礼を述べる。彼は大森林でが初めて会ったときからそうであったが、とても礼儀正しい。そうして彼が去ってしまう前に、は慌てて思い当たった事を口にした。
「あ、でも部屋にいるかもしれませんよ。」
何しろ、彼女は昨日同じ場所で、に相談しに来たのである。そしてその時知ったのだが、どうやらその前の日もに話しかけようとしていたらしい。ラズリルやティルは視線に気づき、その方向を見ていたのだろう。それならば言ってくれればよかったのに、とは思うが、彼らは姿は見なくても、それが害のあるものかどうか判断したのかもしれなかった。ハルモニアの刺客が夜も更けた頃、城内を徘徊していると知ってそろそろ一月経つが、は未だその刺客に遭遇したこともないし、気配に目を覚ますといったこともなかった。というかにはそんなもの読めるわけがない。ラズリルから武術を教わり始めたと言っても幼い頃から習っていたわけではないの武芸歴は所詮、何年といった年単位ではなく、一月しか経っていないからだ。
キルキスはの告げた言葉に驚いたようだったが、納得したような表情を浮かべた。
「確かに、まだシルビナの自室を尋ねていませんでした。 さん、ありがとうございます。」
「いえいえ。」
笑顔を浮かべては答えたのだが、キルキスがそれでは、と告げる前に、ふとその笑みを意地の悪いものに変えた。
「キルキスさん、シルビナさんと結婚するんですか?」
「え!?」
キルキスは案の定、顔を真っ赤にさせてしまった。思惑通りの反応をしてくれたキルキスに、は小さく笑う。
するとキルキスは少し頬を染めながらも、口を開いた。
「あ、はい・・・この戦いが終わって、エルフの村を興し終えたら、と思っています。」
「エルフの村って・・・」
「皆、いなくなってしまいましたけどね。けどきっと、シルビナのように、どこかで生き残ってくれてる人がいると思うんです。」
キルキスの思ってもみない言葉には目を見開く。解放軍と共にいたキルキスや、スタンリオンに助けられ、間一髪で村を出ていたというシルビナは助かった。けれど焦魔鏡で、エルフの村は既に壊滅してしまっていた。それをまだ生きているエルフ達を信じながら、キルキスは復興させるのだという。
途方もない話だ。けれど誠実な彼がそう言うならば、本当に彼は行動に移し、それが終えてからシルビナと結婚するのだろう。だからこそは驚きも露わにする。
そこでキルキスは苦笑を浮かべた。
「以前の僕なら多分、そんな事は思えなかったんでしょうけど。僕は、エルフの村が焼け野原になってしまったのを見て、・・・シルビナに渡そうと思っていた指輪を、捨ててしまいましたから。」
ドワーフの村に残ったは、その焼け野原と化したエルフの村を見ていない。けれどどんなに人を邪険にして、嫌な想い出になってしまっても、一度だけ見た村は幻想的で自然に溢れ、美しかった。だからこそその村が跡形もなく消えてしまったそれは、想像するだけで沈んだ気持ちになってしまう。
キルキスはその光景を思い出したのか、悲しげに眉尻を下げて続ける。
「僕が守ろうとしたものは、全部なくなってしまったと思うと、すごく悲しくて・・・・でもそれを、グレミオさんが拾ってくれたんです。」
そしてそこで、思ってもみない名が出た。
「この指輪は、君の希望だから、希望を捨ててはいけないと。
ほんの少しでも希望があれば、生きていける。それは人間もエルフも、同じだと思うからと・・・そう言ってくれたんです。それでその後、シルビナは生きててくれた。だから僕はほんの少しの希望でも、エルフの村を建て直そうと思うんです。僕たちは幸い、長く生きれますからね。」
キルキスは睫を一度伏せると、続ける。
「この指輪をシルビナに渡せたのも、僕がこう思えたのも、グレミオさんのお陰なんです。」
そしてその相貌に悲しげな笑みを浮かべた。誰にでも優しくしてくれた彼は、もういない。彼に世話になったキルキスは、当然ながら彼の死に悲しみを覚えた。
そこでキルキスははっとしたような表情を浮かべる。
「ご、ごめんなさい、僕・・・」
彼の死を悼んでいるのは、何も自分だけでなく、今目の前の少女は、その中でも彼と親しかったのだ。それなのに、彼女の傷を思い出させることを言ってしまい、キルキスは慌てたような声をあげる。けれどそんなキルキスに、は言った。
「グレミオさん、らしいですね。」
彼らしい言葉だった。の脳裏には自然と焼け野原になったエルフの村や、キルキスのことを想って悲しげに、けれど微笑む彼の姿が浮かんだ。
(優しい、彼らしい。)
は俯かせていた顔を上げて笑みを浮かべた。
「私も、キルキスさんに負けないよう頑張らないと。」
は腕まくりをすると意気込んで見せる。そんな彼女に人は本当に強いとキルキスは思いながら、自身も負けないよう、彼もまた笑みを浮かべたのだった。


***


「まさかバリエーションが増えるとは思わなかった。」
その場で蹲り、膝を抱えて は呟く。空気が濁っているように感じられるのは、建物の造りの所為だろう。石造りのここは、情け程度につけられた小さな窓がほぼ天井近くにつけられているだけである。空気の循環が悪くなってしまうのはしかたのないことだった。
しかし酸素がないよりはマシだ。その点では、であるが。
「確かにいい選択、だと思うよ。正直、前見た火炎槍の光景よりも、私にとってはこっちの方がきついもん。」
遠目であっても、惨いとしかいいようのない光景であった。確かに今も思い出すと、目に焼き付いたあの光景や、鼻についた臭いが思い出され体が震え出す。
目を瞑って、顔を膝へと埋め込む。それでも視界には何も映らないというのに、今の方がとってはつらかった。
「そうそう、私、思ったんだけど。」
膝に顔を埋め込んだまま、誰も見ることをせずには続けた。
「これは君の記憶なのかな、ソウルイーター。」
瞼を閉じ、何も見えない暗闇に話しかける。
「だって、私がここまで細かく想像出来るとは思わないんだ。どう、あたってる?」
そしては小さく笑った。
「というか独り言とか、私痛いなぁ。・・・結構参ってるのかな。昨日グレミオさんの話、聞いちゃったからかな。」
息を吐いて、本当ならば顔を上へと仰ぎたかったが、それでもは膝に埋め込みながら続ける。もうすぐ始まるからだった。
「大丈夫だけどね。別に。だって、傍にいてくれるから。」
ティルも今はいないグレミオも。今ここで温もりこそなくても、傍にいてくれる。何も恐れることはない。だからはその長い夢をやり過ごすだけだった。
「大丈夫。」
呟いたの胸中には悲しみが渦巻いている。
(「 ちゃんの想いが、私を守ってくれますから」)
想いだけじゃ、何も守れない。だからこそは現実で負けるわけにも、ここで挫けるわけにもいかなかった。
やはり目を瞑ったままは呟く。
「早く、朝にならないかなぁ。」
   「グレミオ開けろ!」
   「坊ちゃん・・・グレミオは、初めて坊ちゃんの言う事を」
「早く、朝にならないかなぁ。」

永遠と続く長い夢は、以前とは違い暗闇ではなく色を持っているが、それはにとって変わらない黒だった。
だからこそ少しでもその暗闇が早く終わればいい、とは思う。
「大丈夫だよ、」
薄い瞼に触れる温かい何かと共にそんな言葉が聞こえた。その声はを安心させるように優しい声音で、今度は目の端に温もりを感じ、もう一度その声が落とされた時、未だ混濁しているの意識を覚醒へと導く。
「泣かないで」
「ラズ・・・?」
聞き覚えのある声に、は瞼をゆっくりと押し上げる。真上に上がった太陽の光は、目を開けたばかりのには眼球が刺激されきつかったが、それも慣れていくと視界にはやはり見知った顔がを見下ろしていた。
ぼんやりと彼の端正な顔を見上げて、は野草に寝そべり、休憩していた頃から記憶がない事に気づく。もしかしなくても、眠ってしまったのだろう。
ラズリルの顔をぼんやりと見ていただったが、そこではたと気づく。やたらとラズリルの綺麗な顔が近い。それだけでなく体に感じる自分のものではない温もり。抱きしめられてる、というより抱き込まれている方が正しいのだが、とにかくにもそこでようやく、 はその体制に気づくのだった。
幾ら寝起きで思考が鈍かったといっても、彼の恐ろしく綺麗な顔を見てすぐに意識がはっきりとしなかったのは、残念ながらドワーフの村で起きたら彼が傍にいた、という出来事が過去何度かあり慣れているからであった。こればかりはもああラズリルか、といった風に慣れてしまっている。それも意識がはっきりするまでの間だが。さすがに正常の思考力を取り戻せば、知り合いである異性に抱きしめられているといったことに動転しないはずがなかった。そんな訳で現在覚醒したは、勿論ながら動揺も露に顔を赤くする。
「ラズ、ちょ、離れて・・・」
抵抗しても彼には大した打撃を与えないと知っていても、彼の胸板に手を当て突っ張らせるとそう言う。けれどやはり巻き付いた彼の細腕はびくともせず、は益々恥ずかしくなるのだが、そんな時ラズリルが口を開いた。
「ねぇ 。」
思わず抵抗を止めて見上げると、そこには眉を寄せたラズリルがを見下ろしていた。
いつものように、テオ戦が終わってから、一層鍛練に打ち込み放っておけば休みをとることも昼食も取ろうとしないだろうに、無理矢理休憩時間を取らせ、少しでも長く休むようゆっくりと足を歩ませ厨房に昼食を取りに向かっていたラズリルだったが、戻るとは野草に寝転び、背を丸めて眠っていた。元々彼女は運動をしないしそもそも運動する事を嫌っている節があった。だからこそ、ここ最近の今までとは大きく違う運動量に、疲れてしまったのだろう。そうは思っても、肩を上下させているにさすがにラズリルもなんて無防備なと呆れそうになった。
自分だからいいものの、もしこれがあの似非紳士軍主だったらどうするのかと。そして軍内には勿論他に男もいるのである。そんな輩が通り無防備に眠る彼女に何をするかわからない。しかし残念ながら軍主の恋人であり最近では一人の新人が入り三角関係らしい、とまことしやかに噂されている彼女に手を出そうなど、我らが軍主や、素行は奇人であるがその剣捌きは鬼神であるらしい新人が怖く誰も思いもしないのだが。
とにかくも野草の上で眠る彼女に足早に、しかし起こすことのないよう足音を消して近づいたラズリルだったが、眉を寄せて悲痛そうに眠る彼女に思わず眉を寄せた。
彼女が魘され、そしてよくよく注意を払ってみれば僅かに感じる紋章の気配にその理由を悟る。
だからこそラズリルは魘される彼女を抱きしめていた。ドワーフの村で稀にしていたように、彼女の悪夢が取り除けるように。ただ、今彼女にその状況を至らす原因が、他人の想いのよるものだと考えると胸中に燻ぶるものがあったが。
精神崩壊を狙っているのか、もしくは睡眠不足による注意力散漫からの負傷を狙っているのか。どちらにしろいつもは見ない彼女の辛そうな表情から、それが彼女に害をなそうとしているのはわかる。
彼女は辛くない、と笑うが、昨夜などは確かに、彼女は眠りながら泣いていた。
そして自身の右手甲の疼きに起きたティルや、僅かな気配を察したラズリルは、そんな彼女を見る事はざらではない。
「あいつの紋章が苦しめてるのに、なんで離れないの。」
離れても変わらないと彼は言い、確かにその通りなのだろう。
だがわかってはいても、ラズリルは自身を見上げてくる に、そう言わざる得なかった。先程もまた、彼女は泣いていたというのに、だというのに彼女はどうして、とラズリルは思ってしまう。そしてその理由も既に悟っているからこそきょとんとした表情で見上げるを、ラズリルは眉を寄せたまま見ていた。
どうして傍を離れないのか、理由を告げる事には少し恥ずかしさがあったが、それでもややあって笑みを浮かべる。
「私が、ティルの傍にいたいから。」
途端、ラズリルの脳裏に過去が蘇る。
今のようにどこか照れた様子ではなかったが、それでもその微笑みは重なっていた。
『ごめん、
夜更け、魘されていたに眉を寄せそう言ったティルに、は怒ることもなく、辛そうな表情も浮かべることなく、『大丈夫だから』そう言って、笑っていた。
ただその目は違う、とラズリルは知っている。
そして誰を想ってそんな表情を浮かべるのかも、笑みが重なった今、わかってしまった。見たことのない慈しむような優しい目は、必ず一人へと向けられる。元から察していても、気づきたくはなかった事だった。
瞬きを忘れてしまったかのように固まるラズリルに、は思わず掌を顔面で振ろうとする。しかしそれが振られる前に、動きを一時停止したかのように思われたラズリルに手を取られ、引っ張られていた。
そうしてそれまでとは違い、肌の隙間もなくなるかのようにきつく抱きしめられる。突然の行動に呆気に取られ、状況を理解するとは顔を赤くし非難の声を上げようとしたのだが、その前に抱きしめたラズリルが口を開いた。
「君はいつだって、遠い。」
彼の声は、いつもの淡々とした調子が嘘のように、か細くどこか寂しげなものであった。そこでは彼の様子がいつもと違うことに気づいたのだった。
彼に抱きしめられるといった事はかなりある方だとは思う。けれど今のようにきつく、体に痛みを感じる程抱きしめられたことはなかった。
「ラズ・・・?」
非難の考えも羞恥も消え、 は抱きしめるラズリルへと戸惑い気味に声をかける。しかし彼は無反応で、ただ抱きしめる腕は離すまいと強い事には変わりない。
沈黙が落ちらいつもと違う様子の彼に、はどうすればいいのかわからないでいたが、やがてその腕の力に思わず彼に声をかける。
「痛い、よ。」
それも彼は無言であり、腕を緩ませることもしなかった。

それからどれくらい経っただろう。無反応にただ抱きしめ続けるいつもと違うラズリルにはどうすればいいのかわからず、けれど抱き込まれてはいるものの一度だけ聞いた彼のか細い声が耳から離れず、まるで縋りつくような彼を拒絶することも出来ないでいた。
彼は苦手である。けれど決して、嫌いではない。ドワーフの村で稀に悪夢を見た時にはを安心させようとしてくれ、そしてモンスターに襲われた時も必ず助けてくれた。今まで幾度となく助けてきてくれた彼に何が出来るだろう。そう考え、とりあえず彼を落ち着かせようと手で背中か頭を撫でようかと思ったのだが、それも未だきつく抱きしめられているため動かす事も出来ない。
そして何も出来ずに途方に暮れている時だった。草を踏む音に気が付き、は顔をそちらへと向ける。そこにはティルが立っていた。
ティルは穏やかに笑みを浮かべたまま、首を傾げる。
「君は盛りのついた犬かい?」
君、が自分の事かとは一瞬慌てたのだが、しかしそうではなかったらしい。
そしてそれを言われた人物といえば、の肩に置いていた顔をゆるゆると上げティルを見る。
「いけ好かない、人の皮被った狼よりはマシだと思うけど。」
暴言とも言えるラズリルの言葉に、顔を歪めることもせずにっこりと微笑んだままのティル。未だ至近距離の為横顔だけしか見えないが、それでもその眼光はいつもにも増して鋭いラズリル。むしろ君たちの背後にハブとマングースを見たとは思った。
「手を出すな、って言わなかったっけ俺。」
背後にハブを携えたティルが浮かべていた笑みを消し鋭い目つきでラズリルを見た。そしてマングースを携えたラズリルといえば、その様子に のように息を飲み圧倒されることもなく、鋭利な目は怯む事なく、むしろ強さを増してティルに向けられる。だからこそ常人であるは、二人が放つ尋常ではない空気の重圧に押し潰され、嫌に早く脈打つ鼓動でただ無事に、早く終わることをひたすら祈っていた為、自身の手が握られた事も彼等の会話も耳には入っても、脳で理解するに足らなかった。
「何があっても、この手だけは離さない。」
その目から彼の確固たる意志を掬い取ったティルは、口の端を上げる。
「上等、奪えるものなら奪ってみなよ。」
もっとも、誰にも渡す気など毛頭ない。
鋭い視線が交差し合い、互いに微塵も譲る気のないその場の空気は相当なものである。
よって、我に帰ったはその更に重くなった空気に一人顔を青くし怯えるのだった。
なのでそれまでの空気とは違い、穏やかなものを纏って、けれど若干の威圧感を持ちながらティルに笑顔で話しかけられれば、
も抵抗しようね?」
「はい!!」
確かに最後の方はしていなかったが、最初は抵抗した、という言い訳も出来ず。
は頬を引き攣らせつつもすぐに返事を返し、敬礼すらしそうな勢いでいつの間にか緩んでいた束縛から離れたのだった。


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