Skyting stjerner1-41
込み上げる羞恥にいてもたってもいられず、早足に食堂を出て幾分にもならない時だった。階段を降りる手前、突然左腕を引かれる。何事かと目を瞬かせたは、その人物を確認する前にどこかの部屋へと押し込まれた。勢いよく閉められた扉に、廊下の光が遮られ薄暗さに包まれる。日が上っている今だから良いものの、夜になれば周りを確認することは出来なかっただろう。カーテンこそ閉められているものの、窓から差し込む日で室内は灯りを付けずとも微かに明るかった。
部屋はどうやら、空き部屋のようだった。僅かに置かれた家具には布が被せてありどことなく埃臭い。
は自分の腕を引っ張った人物を見て目を丸くした。
「、本気なの。」
食堂で置いてきたはずの、ラズリルであった。
部屋の奥まで行くとの腕を離し、彼のデフォルメである無表情で振り返る。
は彼が尋ねていることがわからなかったのだが、それを察したのかラズリルが続けた。
「軍入りのことだよ。」
ラズリルの問いに、やはり来たか、とは生唾を呑む。彼が昨夜のあれだけで納得するとは思っていなかった。
それだけでなく、内緒で村を出たという点もある。加えてあれだけ使うなと言われていた真の紋章を使ったことも。
ティルが居たからこそ、彼は今の今まで追求も説教もしなかったのだろう。今この場にはとラズリルしかいない。自室でなく空き部屋を使用するというのも、邪魔が入らぬようにだろう。つまり心置きなく自分は彼に説教されるのだろうと思うとはため息を吐きたくなってしまった。
しかし思い直し、それを飲み込む。彼を説得しなければならない。昨夜の時点で、彼は解放軍に入ると言ってはいたが、今こうしている限り納得は出来ていないのだろう。場合によっては問答無用にドワーフの村へと連れ帰されてしまう可能性があった。そうなってしまった場合、は彼に敵う気がしなかった。それは何度もエルフの村に行こうとして、けれど一度も行けなかったということが証拠である。
「・・・本気だよ。」
何も感情を持っていないかのような無機質な目ではあるものの、何処か威圧感のある彼の碧から目を逸らしたくなりながら、それでもは自身は本気だ、と伝える為彼の目を見続けた。途端、彼の目に感情が宿る。
「戦えやしないのに村を出ただけじゃなくて、戦えやしないのに軍入り?」
感情を表に出し、怒りも露わに眉をよせると鋭い目でを睨みつける。は思わず身を固まらせた。
彼がこうして怒るのは滅多にない。
そもそも彼は普段から、の前以外では大抵無愛想なのだから。だからこそは恐らく過去で一番怒っているだろう彼に身を竦ませた。
があからさまに怯えているというのに、変わらぬ鋭い眼光で射抜きながらラズリルは続きを口にする。
「それに、なんで力を使ったの。僕は言ったよね。使わないでって。」
「でも、別に、それほど私は苦痛じゃなかったし・・・」
「戦場に現われた『キツネ』は、君だろう。」
ラズリルはの言葉を遮る。
大方予測はしていたが、どうやら彼がこうしてここに来たのは、それを知ったからなのだろう。まだ一週間も経ってないというのに、彼は本当に、どうやって情報を掴んだのか。は不思議に思うが思考に耽る場合ではなく、自身の紋章のことを知り、勘の鋭いラズリルに無理があるとわかってはいても、それは自分ではない、と否定の言葉を言うため口を開こうとした。しかしその間も逃さず見つめ、の動揺で確信を持ったラズリルが続きを口にする方が早かった。
「あれだけの力を使っておいて、負担が掛からないわけがない。それに公に使ったんだ。ハルモニアだって黙ってない。実際、あそこは動き出してる。」
それを言われてしまえば、は押し黙るしかなかった。昨夜彼に、同じ部屋にティルが寝泊まりする理由を告げていた。彼はハルモニアから守ってくれているのだと。そもそもハルモニアから守らなければいけなくなった原因を、が何かを言う前に彼は繋げてしまったのだ。そうなるとどう足掻いても、彼に嘘が通用することはなくなってしまった。
すると突然、ラズリルが顔を俯かせ押し黙るの腕を掴んだ。何時もより力強く腕を引くと展開に追いついていないにラズリルは言う。
「ここを出るよ。ここにいたらいつ、あの厄介な国にばれるかわからない。」
は目を見開き、慌てて抵抗した。
「待って!ねぇラズ!!」
引っ張れる方向とは逆の後方へと体を引いて、それでも構わず進む彼に声を上げる。
しかし彼の細腕のどこにそんな力があるのか。大した効果もなく引きずられるばかりで、焦ったは視界に入った棚板を掴む。
そこでようやく、ラズリルが止まった。ラズリルは僅かに、足を止める。しかし振り返ったかと思うと、の肩を抱き、膝裏に片手を回す。体が浮いたかと思えば素早く持ち上げられていたは無言で彼が歩み出したところで状況を理解すると、再び声を上げた。
「やだ、ラズ!話を聞いて!!」
こうなってしまえば、彼は本当にドワーフの村へと連れて行ってしまうだろう。
そればかりは嫌だった。はここを出るつもりはない。
必死に手足をばたつかせるのだが、抱えるように持ち上げられているは大した抵抗も出来ず、彼の足を止めることは出来なかった。
彼はやると言ったら、してしまう人間だ。だからこそは慌てる。加えてこうも人の話を全く聞く気のない彼に、苛立ちが湧いてきていた。少しぐらい聞いてくれてもいいというのに。そしてその焦りと怒りから、視界に入った自身の肩を抱く彼の黒の手袋に覆われた手に目を止める。次の瞬間、碌に考えることもしないまま、ただ彼の足を止めさせるためだけにその手に噛みついていた。
思いの寄らぬ行動にさすがに彼も驚いたようで、肩から手が外される。
途端、膝裏こそ支えられているものの、片方の支えを失ったの体が重力に沿って床へと落ちていく。
床に頭をぶつけることを覚悟したに、しかしその衝撃は伝わってこなかった。代わりに体を包み込むような温もりがして、驚き思わず瞑っていた目を開く。
薄い茶色の髪が視界に入り、それではようやく状況を察した。
ラズリルが咄嗟にの頭を抱え、もう片方の手を壁についてギリギリでぶつかるのを止めていたのだ。
それもどうやら壁が近くにあったらしく、あのままであったらは壁に頭をぶつけていただろう。
「ご、ごめん・・・。」
は彼への怒りも萎み、いくら必死だったからといって、彼の手を噛みあまつ結局はこうして助けられてしまったことに申し訳なさと罪悪感が湧く。眉尻を下げて謝罪を告げる。ラズリルは無言で、はいくら彼でも、愛想を尽かし嫌われてしまったかと思った。
ラズリルはゆっくりと抱えていたの頭を放す。そしてその手をの顔の横の壁に付いた。
「君は戦えやしないのに。そんなにここにいたいの?」
近くで見るほど冷たく、けれどどこか物騒な光を持つ目で、を見下ろすラズリルに思わず息を飲む。同時に、無意識に体が強張った。
稀に彼の海よりも深みがあり、それでいて透き通っている綺麗な蒼い目は、にとって未知数の色を持つことがあった。いつもは綺麗だと思うそれが、ふとしたその時だけは違うのだ。セクハラがどうのこうのといったレベルではない、それこそ彼を苦手だと思ってしまう原因だった。今回のそれはそれまでと段違いのものだ。は否応なく体が強張ってしまう。彼の意識を逸らさなければ危険だと、何が危険かはわからないがそう感じた。
けれどそう思うというのに、本能とは違う、の意思がラズリルの問いに答える。
「――それでも、私はここに残る。」
彼の目を直視する勇気はなく、は視線を降ろしてそう告げる。途端彼の持つ威圧感が強くなったような気がしたが、それでも彼が言葉を発する前に続けた。
「私はずっとドワーフの村にいて、外で起きてる戦争のことだって、無関係だと思ってた。確かにこの軍に入ったのは成り行きだよ。――けど、もう無関係じゃない。」
はそこでようやく、顔を上げる。
「もう、なくしたくない。」
ラズリルの目をまっすぐに見つめて言う。しかし目が合ったラズリルは、予想に反して剣呑とも言える鋭い目を一瞬、揺るがせる。けれどすぐにそれは元に戻ってしまったが。
やがて、彼が口を開こうとする。その時だった。
「そろそろ、時間だよ。」
扉が開かれると、とラズリルしかいなかった部屋に声が響いた。
驚きながら声のした方向を見れば、扉に寄りかかるティルがいた。
時間、といえば恐らくは特訓のことだろう。理解するとは顔が青くなる心地がした。自身が言い出したこととだというのに、態々時間を割いてくれるバレリアを待たせるわけにはいかない。
ラズリルはまだ納得していないだろう。彼が心配から、強引にでも村へ帰そうとしたのはわかる。それでもとしても、こればかりは譲ることが出来なかった。
ティルへと意識が向いたその隙に、自身を挟むかのように置かれていた手を壁から離して座り込んでいたその場から立ち上がる。
はラズリルに何も言うことをせず、部屋から立ち去った。
***
駆け足でバレリアの待つ鍛練場に行けば、まだバレリアの姿はなく、待ち合わせの時間に遅れなかった事には安堵の息を吐いた。
数分すると、バレリアがやってくる。そして、その日の特訓が始まった。
先日、ビクトールとフリックが鉄甲騎馬兵に対抗する火炎槍を持ち帰ってきた。あとは帝国が戦を仕掛けてくるのを、ガルホースの力を発揮できない湖付近で待ち構えるのみだが、帝国の動向を探らせている斥候からの連絡からでは向こうも準備を整えているようで、戦まで時間はないだろう。その為特訓二日目は体力作りはなく、付け焼き刃でも武器を扱えるようにと組み手を組むことになった。
まずは、と木刀を扱いをバレリアから教わっている時だ。訓練場に予想外の声がかかった。
「バレリアさん、だっけ。」
降ってきた声に驚き、は顔を上げる。
赤い鉢巻の端を風に靡かせ、回廊からこちらに歩いて来るのはラズリルだった。
名を呼ばれたバレリアが手を止め、彼を見る。「そうだが。何か用か?」
「僕が教えるよ。」
言葉少なく発せられた彼の言葉だが、十分にその主旨は伝わった。は勿論、バレリアも驚く。の特訓を、彼が担当するということだろう。
バレリアは戸惑うが、確かに、大森林で共闘したことから彼の強さは十分に知っている。中途半端な強さではなく、彼は絶対的といっても差支えないほど強い。
加えて彼は双剣使いであり、剣の扱いには長けている。解放軍にいる者の剣の使い手は、大半が大剣で、その者達は体格もよければ背も高い。
力もないの武器はダメージを少しでも与えられる小ぶりの剣だと考えていた事から相性もよく、組み手をする場合も少年である彼とならば、確かに背は彼の方が大分高いもののそれでも良い方だ。そんな彼は、自分より彼女の相手に適しているだろう。彼の申し出を断ろうとする懸念は見当たらなかった。
「ラズ・・・。」
そこでが呆然と声をあげる。ラズリルはバレリアに向けていた視線を、へと向けた。
「 が言い出したら、聞かないのは知っているからね。」
そう告げる彼は無表情なものの、数時間前のそれはとは違う、いつものどこか優しいものだった。
あれだけ反対していた彼だが、彼は納得してくれたのだ。それもこうして自身に手を貸してくれようとしている。は理解した途端、体の奥底から暖かな気持ちが込み上げてくる。
「ありがとう。」
思わず破顔すればラズリルもまた、柔らかな笑みを浮かべた。
特訓二日目。その日の夜も、は同室に異性がいるというのにラズリルとの特訓で相当疲労したため、気にせず眠れることが出来た。
そしてそんなの寝顔をティルは見つめる。つい三日前は彼女の顔を見ることも出来なかったのだ。その顔は穏やかで、相当疲労したのか夢も見ずに眠れているようである。だからこそティルは安堵した。直後である。
ティルの背中に突然、衝撃が走る。
「邪魔だったから。」
邪魔はお前だ。ティルは同じベッドで寝転がり、自身を蹴り落としたやつにそんな事を思った。
の部屋、そして今ではティルと共に寝泊まりする部屋に、ラズリルは自分もここで寝ると言い出した。元々一人部屋であるこの部屋に、ベッドを二つ入れることは出来たがそれでも三つも入れることはさすがに出来ない。結果のベッドで寝るからいい、とほざく彼を引っ張り、彼はラズリルと同じベッドで眠ることになったのだ。
野郎と同じ。というか狭い暑苦しい。同じ部屋同じベッドで寝ることを許しただけでもありがたく思え。なんて大変苛つきながらティルはそんな事を考えているとは思えないような爽やかな笑みを浮かべた。
「俺、一応ここの軍主なんだけどな。」
しかしラズリルといえば無視だ。というか既にティルに視線を寄こすこともない。ただが眠っている方向へと視線を向けている。
笑顔を浮かべてはいるがティルはそれに思わずぷちっと臨界点が突破されてしまったような気がした。その代わらぬ能面面に掌底を繰り出そうとして、しかし当たる前にラズリルの手に掴まれ阻止される。そして今度は逆に彼が掴んでいない方の手をティルへと向けたのだがそれはティルが掴み阻止した。
ティルはベッドの上で片膝を立て、寝転がっていたラズリルも上半身を起き上がらせ、そうして二人は、音が鳴りそうなほど掴み掴まれた手に互い力を入れたのだった。
「ああ、そうだ。言っておくけど、に変な事しないでくれる?」
今朝方いないとラズリルを探して、ティルは空き部屋であるはずのそこから物音と微かな声を聞いた。
怪訝に思い開ければそこにいた二人。ティルは探しに言ってよかったと思う。の様子から何かをされたといった様子はなかったが――
それでもあの態勢に腹の底から煮えるような苛立ちが込み上げて来ることには変わりなかった。特訓の時間が狭まっている事から慌てて室内を出ていくの背を見送った後、部屋に残った彼に自然と目を細め、剣呑な色を宿して睨みつけただけでもティルとしてはかなり譲歩した方である。もっとも、彼もまた海のように静かな、それでいてそれと似たような目でティルを睨みつけていたのだが。
そして今再び笑顔ではあるが鋭い眼光で言葉にして言えば、ラズリルは無表情に鋭い眼光でティルをねめつける。
「別に何もしてないよ。棍よりは剣の方がにはあってるしね。」
素知らぬ顔でただその日起きた事を言う。しかしそう言うが彼は、今朝方どうみてもセクハラとしか思えぬ行動をしていた。しかし見ていなかったティルは気づきもしない筈なのだが、ただ彼らがいなくなった後のシェリンダの様子に引っ掛かりを覚え、ティルは彼が何かしたのではと勘繰ってはいるが。だがその疑いも、彼の言葉に意識がすり替えられる。
彼は強い。まだほんの少ししか相対してないが、それでも肌で察していた。五分か、それ以上か。それは闘ってみない事にはわからない。そしてには棍よりも、少しでもダメージを与えられる剣の方が都合がいいのも分かっていた。自ら彼女に教えることも出来ず、元より軍務がある為時間も中々取れないが、それがなくても、恐らく剣の扱いではこの軍内で一番に飛び抜けているだろう彼に任せた方が良いだろう事も理解していた。
ーーそれでも面白くないと思ってしまう気持ちは消えない。
そんな時、ラズリルが口を開く。
「紋章の気配がする。」
場の空気が一瞬、固まる。いつの間にか力を込め合っていた手は離されていた。
「 を苦しめてるの、あんただろ。」
「・・・・ああ。」
先程の空気とは違う、張り詰めた空気の中ティルがそう答えれば、彼は眼光を更に鋭いものにした。
「なら、なんで傍にいる?」
彼の言葉は最もなことだった。ティルは苦笑を浮かべる。
「離れようとは、したんだけどね。」
ティルは最初こそ、彼女から離れようとしていた。誰よりも大切だからこそ誰よりも無くしたくないからだ。
けれどそれも、解放軍を止めさせて自身から遠ざけることは出来た。それが出来なかったのは、離れたくなかったからだった。
守るため、彼女を遠ざけなかったといっても、それはただの名目で、ただ自身が離れることが出来なかったのだ。
それでも距離を持とうとして、ただ一つだけわかったことがあった。
彼女という存在に出会ってティルは自身の壁をいくつも壊され続けていた。彼女に出会い生まれた居心地のよさを知り、狂おしいまでの感情も知った。
自身が抑えられないほどの感情を抱くようになるなんて、彼女に会うまでは考えられないことである。
だからこそ出会わなければよかった、というのは強ち嘘でもない。
けれど、
(「ティルに会えてよかった。」
「ティルだから、喰べられてもいいっていうのは、おかしいかな。」)
彼女の言葉に、自分がどれほど歓喜したことか。微笑み放たれた言葉が嘘ではないと彼女の表情からわかった。いや、たとえそれが嘘であっても恐らくは変わらない。他でもない、彼女の言葉だからこそ、それこそ情けない、とは思うがティルは湧き上がったそれに体が震えるかと思った。それはなんとか耐えたが。それでも今も、湧き上がる気持ちは止まらなく、止めるすべさえない。
感情のままに抱きしめることは、彼女の細い体を壊してしまような気がして、湧きあがる衝動を制してただ彼女を緩く抱きしめた。
けれど結局自分は、彼女を焦がれる気持ちをなくすことなど出来ないのだと、彼はその時悟った。
「どんなに離れていても、焦がれる気持ちは変わらないって、気づいたから。」
目を閉じても彼女が浮かぶ。自身でもどうかしていると思っても、どうしようもなく、ただ愛しい。どんなに遠く離れても焦がれる気持ちが変わらないのなら、ならば近くに居ても同じこと。
ラズリルはそんな彼に、何も言わなかった。
ただ彼を鋭く睨んでいた蒼い目が揺らぎ、そっと長い睫毛が伏せられる。彼が自身に重なったように見え、その気持ちも痛い程知っているからこそ、彼は何も言うことが出来なかった。
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