Skyting stjerner1-36

「初めまして。私はグレミオと言います。あなたのお名前は?」
柔和に微笑んだ彼はそう言った。彼の細い体躯もそうだったがは優しげなその表情に、軍に似つかわしくない人だと思った。
それが彼への第一印象だ。

「――じゃあ、そろそろ戻りましょうか。」
解放軍に入る事が決まった日。は早速、彼に城内を案内してもらうことになる。
日は既に暮れており、少ない時間で全ての場所を教えることはできないが、が必要になるであろう場所を彼は一つ一つ教え、その場に着けばこれはどの時にどういう風に扱うのかといったことまで教えてくれる。
不慣れな事に緊張しつつも必死に頭に入れていただったが、屋外にある洗濯場を教えてもらい城内へと戻った時だ。は思わず足が止まってしまう。
付いていたはずの壁に立てかけられていた燭台の灯がいつの間にか消えており、岩で出来た城内は窓から差し込んでくる月明かり以外はうす暗く、不気味に感じられるほど静まり返っていた。
しかしここで暗闇を怖がってるなど子供染みた事を気取られるわけにもいかない。厨房も食堂も既に案内され、後は最初に教えられた部屋に戻るだけだ。一瞬足を止めてしまったものの、は必死に平静を装う。
「ちょっと待っていてくださいね。」
しかし数歩も歩かないうちにそう言うと、グレミオは壁へと近寄り何かを手に取った。
ポケットから取り出したかと思えば、ややあって、グレミオを中心に回廊に明かりが生まれる。
「暗がりで転んだりしたら、大変ですからね。もう回るところは回って夜も遅いですし、お部屋までお送りしますよ。」
金色の髪を淡く緋色に染めながら、グレミオは言う。既に部屋の場所は教わっている。はその申し出を悪いとは思ったが、それでもこの薄暗い城内を一人で戻る事は確かに怖く、すぐに断わりを入れる事はできなかった。
「さ、行きましょう。」
僅かに逡巡したが口を開く前に、グレミオは踵を返してしまう。は慌てて後に着いた。
「あ、あの、グレミオさん。わざわざありがとうございます。」
コンパスの差はあれど、グレミオが歩調を緩めていた事もありはすぐにグレミオに追いつく事が出来た。部屋まで連れて行ってくれるという彼に感謝を述べると、彼は笑みを浮かべる。
「当たり前のことをしたまでですよ。」
その笑みを見て、やはり彼はこの岩でできた固い城や、軍という言葉とは似つかわしくない人だと、は思った。
温かく、まるで彼が持つ燭台の灯のように柔らかで。それまで城内を回る時ですらどこか緊張していただったが、そんな彼に自然と心を開いていった。
今思えば、彼のことだ。あの時彼は自分が暗がりを怖がっていたのを気づいてくれたのだろうとは思う。

「――ちゃん!」
掛けられた声に意識が掬い上げられる。ぼんやりと目を開けると、心配の色を濃くした青の目、そして太陽よりも眩しく月よりも綺麗だとが思う、彼の長い金の髪が視界に入った。
グレミオは目を覚ましたにほっとしたように息を吐く。毎度魘される度に起こしてくれているのだろう彼には申し訳ないと思ったが、それよりもこうしていつも心配してくれる彼への嬉しさが勝り、は笑みを浮かべる。
「グレミオ、さん。」
「大丈夫ですか?」
目を覚ましても不安げな表情のグレミオは、の額に掛かっていた前髪を避ける。はくすぐったさを感じながらもグレミオを見上げ答えた。
「大丈夫です。グレミオさんが、いてくれますから。いつもありがとうございます。」
そう言って微笑めば、グレミオもまたいつものようにとはいかないがそれでも微笑んでくれた。
「まだ時間がありますから。寝ててください。」
ぶ厚く、固い掌がゆっくりとの頭を撫でる。は反射的に閉じた瞼の裏、それは夜とは違い恐怖を抱くことなく彼の暖かな掌の感触や頬を掠める風にさえ安堵を抱きながら、再び眠りへと落ちていった。


とグレミオが昼寝をするようになって三日ほどの時が経った頃だ。仕事を終え、今日も今日とて戦闘員だというのに最後まで家事を手伝ってくれたグレミオと共に、食堂へと向かっている時、グレミオが真剣な表情でを見た。
ちゃんさえよければ、今日は一緒に寝ませんか?」
思わず固まりかけたに、グレミオは慌てて続けた。
「その、私がいれば、ちゃんも魘されないで済むかもしれないですし・・・。」
彼の目は、を心配してくれているようだった。はそんな彼に、自分の方こそお願いしたいと思ったが寸前で思い留まる。彼と寝ればは酷く安心して、例え夜中に魘されて起きてしまっても怖がらずにまた眠れるだろう。けれどそれは余りにも彼に悪かった。グレミオは優しく、だからこそ心配症である。彼のことだ、自分が眠るまで起きていそうだし、そして魘されでもしたら途端、彼を起こしてしまいそうである。自身の睡眠すらないがしろにしてしまいそうで、だからこそそれは憚られた。加えて彼には伝えてないが、悪夢を見ることを知られた次の日に渡された薬草を飲んでも、薬は毎回効くわけではなかった。そうなると、彼の心配に拍車をかけてしまうのは目に見えている。
グレミオが心配してくれているように、もまた、彼を大切に思っていた。だからこそ彼が体調を崩しかねないことは勿論、心労をかけさせ続けるわけにもいかなかった。
「大丈夫です。グレミオさんの薬草のお陰で、私夢も見ないでよく眠れてますから。」
精一杯の虚勢を張り、は笑みを浮かべる。
けれどグレミオの表情は未だに固い。納得していないような彼に、は続けた。
「それにいくらグレミオさんといっても、格好いい男性ですからね。一緒に寝るだなんて私、きっとドキドキして眠れなくなってしまいますよ!」
考えてもみなかったのだろう。の言葉にきょとんと目を丸めた彼は、ややあって意味を理解するなり頬を僅かに上気させた。「あ、いえ、その、」と動揺も露わに言葉を繋ぐ。
そんなグレミオには笑ってから、隣に並んで歩いていたグレミオを追い越し先に食堂へと入って行った。後方から揶揄われたと僅かに怒ったような、それでいて未だ羞恥を含むグレミオの声に、は更に笑みを深くさせるのだった。


朝日が毎朝上るように、が毎朝一番に聞く声。厨房に入ると響く優しい声は、その日も掛けれる。
ちゃん、おはようございます。」
は掛けられた声に、重い瞼を擦るのをやめ顔を上げる。そこには早朝にも関わらず、今日とてきちんとした佇まいで微笑むグレミオが居た。
「おはようございます、グレミオさん。」
挨拶を返すと、は手に持つエプロンをつけ始める。そのゆっくりとした動作に、まだ完全には覚醒していないのだろうとグレミオは苦笑を浮かべながらも優しい眼で彼女を見ていた。ふと、グレミオが口を開く。
「そういえば昨日、梨が安く仕入れることができたんですよ。」
「梨、ですかぁ。梨といえばパウンドケーキ。ショートケーキも捨てがたい。あ、いやタルトも・・・」
は梨を思い浮かべぶつぶつと呟く。わかってはいたが、あまりにも食いつきのよすぎるにグレミオは小さく笑ってから話しかけた。
「そこで、ですね。今日もお茶をしませんか?今回は皆さんにもお出しする予定ですから忙しくなってしまいそうですが、少し多めに作って、休憩時間に作ってしまえばお茶も出来そうですし。」
「い、いいんですか?」
エプロンを後ろで結ぶ手を止め、思わず振り返ったに、笑みを浮かべたままグレミオは頷く。
「はい。 ちゃんは他の人たちと違って、お酒を飲みませんからね。それくらいいいんですよ。」
「・・・・私!早く終われるよう頑張ります!」
眠気眼から一遍顔を輝かせたは、そう宣言するなり素早くエプロンを結ぶ。そして駆け足で包丁とまな板を出していった。
意気込みながら袖を撒くっているを横目に、すっかり眠気も覚めている様子にグレミオはまた笑みを浮かべたのだった。




優しい時間、優しい記憶。浮かび上がるそれらが突然、の知らないものへと変わる。
窓がないのか、それともあまりにも小さいのか、所々壁に燭台が立てかけられているもののその部屋はうす暗かった。床は石畳で頑丈そうではあるが、ところどころ苔が生えとても古そうだ。見知らぬ場所に、ここはどこだろう。 がそう思った時だ。
「グレミオ!おい、早く出て来い!何をしてるんだ!!!」
突然響いた聞き慣れた声に、驚いて声のした方向、背後へと振り返る。そこに居たのは声の持ち主であるビクトール。そしてティルにクレオ、パーンに、ルック、加えて見知らぬ男性が一人。見知らぬ男以外の解放軍の面々は誰もが手に武器を持っており、は目を瞬かせた。
ここはどこだ?こんな記憶はにはいない。ゆめ、そう夢のはずだった。いつも見る夢の代わりには自身の記憶を再現するかのように見ていた。陽だまりの様な暖かい記憶だ。
「ビクトールさん。この扉はこちら側からしか、開け閉めが出来ないみたいです。」
つい先ほどまで聞いていた優しい声に、は呼吸をすることすら忘れ、その声がした方向を見た。
彼の声は忘れようとしても、忘れられないだろう。優しくて暖かくて、安堵を誘うその声は、ビクトール達が対峙していた一つ扉を挟んだ向こうから聞こえた。
無意識下に足が動き、は扉に触れる。手の平から伝わるひんやりとした冷たさから扉は鉄製であろう。グレミオさん、とは呟く。けれどの声はビクトールの怒声で遮られてしまった。
「何を言ってるんだ!フリックの奴は、他の仲間達を連れて先に外に出ただろう!?だから大丈夫だ、何とかなる!俺達が戻らなきゃ、異変を察知してあいつが仲間を連れてきてくれるはずだ!だから早くこっちへ・・・!」
「いえ、もう無理みたいです。私の足元まで、胞子が来てしまいましたから、今、開けたら皆さんまで・・・。」
彼らは何を言っている? にこんな記憶はない。けれど彼が言う胞子と、閉ざされた扉の向こうにいるグレミオという状況に、は体の芯が冷え切り思考すら止まってしまうのを感じた。

「グレミオ、扉を開けろ。」
の意識を取り戻させたのは、が記憶している、淡々としていて、けれどそれ故彼が意思を覆そうとしない時のそれだった。
それだけではない。聞こえた声の近さと、の腕を通り抜け同じように掌の上から扉に触れたその光景に、は目を見張った。
自身に触れることなくの腕と掌を通り抜け扉を触れる光景に、最初こそ驚く。しかしすぐに、ああ、これは夢だから、と思い返した。
そう夢だ。ちがう。はひたすら否定し続けた。それは、自身が出くわさなかった出来事だ。なのにどうして、これが過去に起こった事実だと言える。
「聞いてるのかグレミオ!扉を開けるんだ!!」
けれど耳元で聞こえたその怒声と、扉についた掌よりも僅かにずれた上に鈍い音を立てて叩きつけられた拳に、はその考えも飛んでしまう。
ティルはいつも穏やかだ。偶に違うこともあるが、彼は基本的に声を荒げるような人物ではない。そんな彼が苛ただしげに拳を扉へと叩きつけ、声を荒げ――それもその声音だけで、十分悲痛な色を含めている。
は思わず背後のティルを振り返る。そして息を飲んだ。
眉を寄せたティルは切れ長の目を吊り上げ、音が聞こえてくるのではないかという程歯を食いしばり険しい表情で扉を睨みつけていた。 ――けれどはそんな彼が泣きそうだ、と思った。いつも揺らぎない目は揺れていて、稲穂色の目から今にも涙が零れてしまいそうだ。
―――なんてひどい夢だ、とは思う。
こんな自身ですら想像がつかないような、彼の表情を見せるだなんて。まるで過去に起きた出来事のようなそれは、確かに悪夢で、いつも以上にの精神へと揺さぶりをかけてくる。
何故なら夢の先で、彼は――
「坊ちゃん。グレミオは、初めて坊ちゃんの言うことに逆らいます。」
彼の声が再び扉の向こうから聞こえ、はティルから視線を扉へと向け。扉に遮られて見えないが、彼はこの扉の向こうにいるのだろう。
「坊ちゃん。聞こえますか?すみません。グレミオはもうこれ以上、坊ちゃんをお守りすることが出来なくなりそうです。・・・・でも、もう坊ちゃんは、グレミオの助けなど必要がない程、成長なされましたね。坊ちゃん・・・・坊ちゃんは、立派になられましたよ。その姿をテオ様にお見せしたかった。」
「グレミオ・・・」
呟いたのビクトールだった。は奥歯を噛みしめる。聞きたくなかった。それはが大好きな、グレミオのいつもの優しい声だ。その声音から、彼はきっといつものように微笑んでいるのだろう。だからこそ余計聞きたくはない。
グレミオの優しい声は、いつも記憶の中で安らぎをくれる。先ほどまで見て、聞いていたその声でそんな事を、グレミオには言ってほしくはなかった。もう一度聞きたいとすら願った彼の声である。
だけれどこんなものは、望んでなかった。
「グレミオさん!!開けてください!出てきてください!!!」
「グレミオ!いい加減にしろ!!この扉を開けるんだ!!!」
の悲鳴のように上げられた声は被るように、ティルの怒声が重なった。
「・・・坊ちゃん。 ちゃんを、泣かせないであげてくださいね。」
扉の向こうから聞こえたその内容に、は続けてあげようとしていた声を飲み込む。
ティルのことなら、まだわかった。彼はティルの乳母的存在で、彼の話から本当に彼は、ティルの事が好きなのだと知っていたからだった。
けれどここで自分のことが出てきた事には声を、一瞬息すら留めた。
扉の向こうから紡がれるグレミオの言葉は続く。グレミオは申し訳なさそうな声をして言った。
「それとちゃんに・・・傍にいれなくなってすみません、と、伝えてくださいませんか・・・。でもグレミオは・・・いつも坊ちゃんと ちゃんの傍にいますから。」
(「グレミオが・・・・『傍にいれなくなってすみません。でも、グレミオは、いつも坊ちゃんとちゃんの傍にますから。』って、言っていたよ。」)
は体が抑えきれないほど震えだすのを感じた。
この先の結末をは知っている。知っているからこそ、は震える膝に力が入らなくなり地面へと座りこむ。
「お願いだから、死なないで・・・!」
それでも震える両拳を扉へと打ち付け、は叫ぶ。目からぼろぼろと涙が止めどなく地面へと零れ落ちていく。
「坊ちゃん・・・。
そろそろお別れみたいです。目が霞んできてしました。・・・坊ちゃんは、グレミオの誇りです。お願いです。坊ちゃんは最後まで信じることを貫いてください。
それがグレミオの・・・最後の・・・お願いで・・・・す。」
そうして優しく、けれど掠れた弱弱しい声で締め切られたその声が聞こえることは、二度となかった。

どれくらいその場にいたのだろう。
ただ放心してその場に座り込み、誰も何も言葉を発さないで居続けていた。遠くで時々悲鳴が聞こえたのはきっと、人食い胞子の部屋に入ってしまった帝国兵のものだろう。それでも誰も何も言わずに沈黙し続けていた。いや、時々誰か話していたかもしれない。けれどはその声に意識を向けることは出来ず、ただ呆然としていた。そして帝国兵の悲鳴ももうしばらく聞こえなくなった頃、遠くから複数の足音が鳴り響いてくる。
鉄で錆びた機械を動かしたような音が扉の向こうからすると、途端鉄扉が勢いよく開き、光が差し込んだ。
松明を片手に持つマッシュが、幾人かの兵を引き連れそこにいた。「ご無事ですか皆さん。」
「帰りが遅いので軍を率いて来てみたのですが・・・。どういうことでしょう。帝国兵たちの影の形もありません。」
困惑した表情でマッシュが言う。そんな彼に、地面へと座り込んでいたビクトールが立ち上がり答えた。
「多分、さっきの人食い胞子にやられたんだろう。」
その声はいつもの調子を取り戻そうとしてはいたが、どこか固いものだ。
「人食い胞子、ですか?ですが、ここに来るまでは何も・・・。」
「・・・未完成らしいぜ。あいつが言ってた通り、効果は半日しかねぇみたいだな・・・。」
ビクトールの答えを聞き、マッシュはそこで口を閉じる。彼らのひどく気落ちした様子と、彼らの中にいるべき人が一人いないことに気がついたからだ。
マッシュはここに来るまでにフリックには会っていた。彼は一足早く掴まっていた解放軍の仲間達たちを連れて、本拠地を目指していたのだ。けれどここにいない彼はそういった話をフリックから聞いてはいなかった。
「とにかくここを出よう。」
状況を察したマッシュが自然と口を閉ざすと、ビクトールがその場を立ち去るように言う。そして部屋から出る間際、気遣わしげにティルを見てから彼は出口へと向かった。
この場にいても意味はない。彼らは解放軍である。いつまでも敵地にいて、再び罠を張られる訳にはいかないのだ。間を開けて、他の面々も後に続く。
誰もが彼と同じようにティルを一瞬見やってから、出口へと向かう。ティルもまた、顔を伏せたまま立ち上がると出口へと向かった。
けれどその歩みがふと止まる。部屋の隅に見慣れた色を見つけたからだ。
彼らとは異なり、呆然と座り込んで見ていただったが、ティルが気づいたそれに気づくともう枯れたと思われていた目から涙がまた零れた。
「あ・・・。」
緑の色をしたマント。それはグレミオが外へと出かける時つけるものだった。大森林へと向かった時も、とテイエンへと出かけた時も、彼はそれを付けていた。彼の淡い光を放つ金色の髪と、その優しく柔和な笑みからその緑のマントはとても似合っていた。それがただ部屋の隅に、纏うべき人を無くしその場に残っていた。
たったそれだけ。それだけ残った様子に彼の人は本当に人食い胞子に食べられ、死んでしまったのだと突き付けられた気がしては声を震わせる。
なぜ、彼は死んでしまったのだろう。
なぜ、こんな死に方をしなければならなかったのだろう。
食べられるというのは、痛かったのだろうか。途端遠くで聞こえていたはずの帝国兵の悲鳴が蘇る。今思い返してみればあれは断末魔、だった。
数秒ではない。彼らは数分間、ずっと恐怖と痛みで泣き叫んでいたのだ。それこそきっと、息が絶えるまで。彼はそんな拷問まがいのことを受けても、悲鳴の声すら上げずいつもと変わりない、穏やかで優しい声で話し続けていた。最後まで彼は人の心配をしていたのだ。
そして彼は、きっと微笑んでいた。それは彼に始終くっついていただからこそ、わかる。
「グレミオ、さん・・・・グレミオ、さん・・・・!!」
今はいない彼の名を呼ぶ。けれどそれに応えてくれる彼の声は、もう二度と聞こえることはない。
涙で歪んだ視界に、そこでふと緑のマントへとティルが足を向けた。そしてその場に膝をつく。顔を俯かせたティルの表情は、からは見えなかった。
彼もまた、いや自分以上にグレミオの死に傷ついているだろう。声を荒げ、苛ただしげに扉へと拳を叩きつけていたのを思い出す。彼の声は悲痛なものだった。泣いて、しまっているのだろうか。がそう思ったときだ。俯かせていた顔上げたティルが顔を上げる。
彼は泣いていなかった。
その顔を、悲しみに歪ませることもしていない。グレミオに扉を出るように言っていた時のような表情は、もうそこにはなかった。不安に揺れていたはずの瞳には、再び揺るぎない光が宿る。彼は前を見据えていた。
からみると横顔だけであったが、その横顔に彼はもう、意識を前へと向けることが出来たのだと察せられた。
は再び、体が震えるのを感じた。どうして彼はあれだけ、強くいられるのだろう。自分は未だ涙を流し立ち上がることすら出来ずにいる。彼のその強さに、戦慄が走らない者はいない。
確固とした立ち上がり出口へと向う彼の後姿を見ながら、はこれが彼と自分の距離なのだと、漠然と感じた。
軍主が出ていくと、マントへと黙祷を捧げていたクレオやパーン、マッシュも出て行き、やがて誰もいなくなる。誰もいない部屋で、 は視線をその場に置き残された彼の人のマントへと向けた。そしてまた、頬に涙が伝うのを感じた。

ゆっくりと開かれた瞼を、数回瞬かせる。
突然靄がかかったと思うと視界に移る景色は、先ほどまで見ていたのとは違い僅かに明るい。天井も石で出来てはいるが苔や罅が入っている様子もない、先ほどいた場所よりも随分とマシな場所にはいた。座り込んでいたはずの自身も、何か柔らかいものに横たわっていた。右手を動かしてみると冷たいシーツに触れた。
「ようやく起きたの。」
ここはベッドの上か、そう理解するや否や横から声がしては声の人物を見る。そこにはいつかのように、ベッドサイドに置かれた椅子にルックが腰かけていた。
ただ明るかった以前と異なり、今こうしてうす暗闇の中にいると白い肌に長い睫毛が際立ち、暗闇に端正な顔立ちが浮かび上がる。は彼がこうしてこの場にいることと、一見美少女にも見えてしまうその中世的な美貌に呆気にとられ、目を瞬かせた。
彼女の反応が気に食わなかったのか、ルックが蒼い目を鋭くさせるとを睨んだ。
「起きてるの、起きてないの。はっきりしたら?いつまでもぼさっとしてないでよこの馬鹿女。」
「す、すみません・・・・。」
さすがに慣れてると言っても、起き抜けに彼の毒舌はきつかった。思わず反射的に謝る。
そんな彼女をルックはしばらく睨みつけていたが、やがて小さくため息を吐く。なぜか苛立った様子の彼だが、それなりに怒りも治まっただろうか。はちらりと視線を横に向け、彼の眉間の皺がない事と、刺刺しい雰囲気も若干和らいだ様子を確認すると内心息を吐く。
「あー、もしかしなくてもルック、今回も治療魔法使ってくれた?」
は今こうしている場所が、先ほどと違い夢などではなく現実だと気づき始めていた。戦場ではなくベッドの上で目が覚めたということから、自分はあれから意識を失い、ここまで運ばれたのだろう。
以前もルックには治療魔法を掛けてもらったことがある。その事から自分の隣など、どんな理由があっても決していたくはないだろうルックがこうして傍に居るという事は、倒れた自分を治療をしてくれていたのだろう。
彼が優しいことは知っているが、それは稀にしか行動に移されることはない。なにしろ彼は大森林での任務の最中、冗談ではなくから距離をとり続けていたのだ。あれは少し傷ついた。まぁ距離をとっていたのは他の者達に対しても同じであったが。だとしても自身が話しかけると、九割の確率であからさまに彼は嫌な顔をするのだ。そして口を開いたかと思えば罵倒中傷嘲り。あ、心が痛い。
そんなことを思い出し思わず頬を引き攣らせそうになっただったが、次いでルックから放たれた言葉に盛大に頬を引き攣らせた。
「君、倒れるのが趣味なわけ?僕に無駄な力ばっかり使わせるなんていい度胸だね?いっそのこと弟子から格下げして未完成魔法の実験対象にでもなってみる?」
「あ。いえ、スミマセン。本当に御免なさい。だからそれだけは勘弁してください。」
大分機嫌も治ったかと思われたが、そうだった。これが彼のステータスだった。は真剣に土下座しようかと思いながら、必死にルックへと謝罪を述べる。実験対象だけは遠慮させて頂きたい。 何しろ切り裂きだけでももう充分である。未完成魔法の対象など、どれだけ未知数で恐ろしいことか。うっかり頷きでもしたらこれ幸いと本当にそんなものを食らわせてきて酷いことになりそうである。
は自慢ではないが打たれ弱い。ルックの魔法講座ですら根をあげそうになった程で、特にここ数日は、真の紋章を自在に操れるよう見てもらった彼のスパルタ具合に、いくら言い出したのが自身でもはいい加減泣いてしまいそうだった。
そうして真剣に土下座しようかと思っただったが、しかしその考えはふと感じた違和感に掻き消されてしまう。
「・・・ルック?」
「何?」
すぐさま鋭く睨みつけてきた彼に、しかしその視線すら気にせずは呆然と口を開いた。
「今・・・弟子って・・・。」
口を開けばあんた、馬鹿女。今まで一度も名前を呼んでくれたことのないルックは、勿論自身を弟子扱いなどすることはなかった。最初こそ邪険にされ、今では確かに押しかければ面倒を見てくれるが、それは全てからで彼自身が認めることなどなかったのだ。
そんな彼が今確かに、の事を弟子と言ったのだ。
「弟子って・・・。」
それだけであり、ただ単に冗談として口にされた物かもしれないが、それでもは嬉しくなり頬が緩んでいく。何しろあんた、馬鹿女、偶に迷惑女など女の前に罵倒文句。今までが今までである。
ルックはの言葉に珍しく瞬きもせず驚いた様子であったが、それも一瞬置くと顔を歪めてしまう。
取り消そうとしても既に発せられた言葉は戻すことなど出来ない。いくら物の例えといっても、緩んだ顔でルックを見る今の彼女には、それもまた通用しないだろうことも分かり切っていた。何しろ彼女は、それまではうじうじしてるのに一度こうだと思うと中々変えることをしない。それこそ、ルックが彼女のことを一見普通そうに見えて変な所で神経のず太い迷惑女と思う所以である。
ルックは眉を寄せたまま大変不快そうだったが、はそんなまさに失言をしてしまったという彼の様子など微塵も気にしなかった。まさにルックの読み通りである。
「うへへ。ししょー」
「・・・その気味の悪い笑い方止めろ。」
「うひひ。しっしょー!」
更に気味悪いものとなってしまった。ルックは口元を引き攣らせて、すっと壁に立てかけてあったロッドを手に持つ。慌ててがハンドアップしたのはいうまでもない。切り裂きが放たれず、再び杖が壁に立て掛けられたところで、は安堵の息を吐いた。閑話休題。それからは何を言うでもなく、互いの間に沈黙が流れたのだがはふと気になったこと尋ねてみた。
「ね、ルック。もしかして手握ってくれた?」
はあの暗闇の中、誰かが手を握ってくれたような気がしたのだ。何度も暗い水の中へと落とされる中、一度だけで、それも周りが暗く誰の手かはわからなかったが、確かにその感触は覚えていた。そういえば、グレミオの夢を見出した前かもしれない。シーツに横たえた左手を見る。あの時捕まれた手は、確かに暖かかった。 はもしかしたら、こうして今傍にいる弟子とも言ってくれたルックが、その愛弟子を心配して掴んでくれたのかと思ったのだが。
行き成りそんな事を言い出したに呆気にとられる事なく、ルックは顔を僅かに歪めて答えた。「知らないよ。」
「そっかぁ・・・。」
はそうは言ったものの、少し残念な気持ちである。まぁ弟子と言ってくれたたけで十分だ。うん、十分すぎる進歩だ。高望みはしまい。と自身の心を励ました。

「そういえば、ここは?」
は天井から周りを見回してみても見覚えのないその場所を尋ねる。それほど古い建物ではなさそうだし、衛生的にもよさそうだ。その比較対象は夢で見た場所だが。敷き詰められた石は固く頑丈そうだが、あの場所よりは息がつまってしまいそうな閉鎖的空間ではない。
「ここはガランの関所。」
「・・・ガラン?トラン城じゃなくて?」
ガランの関所といえば一度目の戦で、スカーレンティシア城を攻める前に既に落とした場所である。トラン城といった解放軍の本拠地でなく、なぜそんなところにいるのだろうとは首を傾げる。ルックはに説明するのか面倒なのか、それくらい分かりなよと言外に告げるかのように呆れ、溜息を吐く。ちなみに的には後者であると睨んでいる。なにしろを見る彼の目はどこか哀れむものを見るかのようだったからだ。
「色々戦後処理があるんだよ。まだ本拠地に戻るわけにはかない。」
「色々って・・・どれくらいかかりそうなの?」
「さぁね。でもま、あと少しはかかるじゃない。ここには昨日着いたばかりだし。」
昨日、と は心の中で言葉を反芻して、そして今更だがはあることに気づき声をあげる。
「ルック!戦ってどうなったの!?というか私どうやってあの場所から無事でいれたの!?」
こうして無事にいるということは、戦はそれなりに良い結果に終わったのだろうけれど、が意識を失うまでいた場所は戦場だ。しかも気のせいでなければ武器防具を破壊していたに、帝国兵の意識は随分と向かっていた。何度も切り掛かれたり、矢を放たれたり、魔法を放たれたりしたのだ。上記二つは大体自身の力でどうにかしたが、魔法は当たる直前にどうやら魔法の心得あるらしいフリックが察知したり、獣並の戦士の勘を持つビクトールが助けてくれたりしたが。
ふと思い出されるのは、意識を失う直前自身の名前を呼んだ声だ。「もしかして、フリックさんが・・・?」
聞き慣れないそれだが声は聞き慣れていた。それまでの名を呼んでくれなかったからこそ、記憶に残っていたのだ。
「ああ、確かそんな奴だったんじゃない。その辺りのことは僕も知らないから。あと、戦は勝ったよ。丁度あんたが倒れてしばらくしてからだから二日・・・ああいや、もう三日前かな。」
「・・・そっか。」
はぽつりと呟く。助けてくれたらしいフリックに、後で礼を言わねばと思うのだがどうにも気落ちしてしまう部分があった。戦は終わった。それもこちら側の勝利で。いいことだ。けれど――なら、彼を殺した人は。どうなったのだろう。
心にうす黒い靄がかかったようだった。あの笑顔を奪った人。あの温もりを奪った人。彼が何をしたのだというのだろう。優しくてどうしようもなく優しくて。そんな彼がなぜ死に、あんな苦しい死に方をしなければ。恐らくこの暗い感情は、一生付いて回るのだろう。
思考が暗くなりかけ顔を俯かせたは、周りがうす暗くてよかったと心の底から思う。自身の顔のため今どんな顔をしているかはわからないが、相当暗い顔をしているのだろう。そんな時、ルックが思い出したように口を開く。
「そうだ。ハルモニアにあんたのことばれたみたいから。」
「あーそう、ハルモニアに・・・」
はそう言おうとして、思わず顔あげた。しかしルックは無表情で冗談を言っている様子もない。そもそも、彼は冗談など言わない。
は口を何度か閉口してから、ようやく言葉を発する。
「んな、あ、あっさりと・・・・」
前置きも無しに突然それである。それも今日の天気を言うかのようにさらりと。内容はの生命の危機を知らせたようなものだ。せめて前置きぐらいはして欲しかった。
「・・・というか、気づくの早いね。」
何しろ戦が終わったのは三日前。もしかしたらばれるかもとは思ってはいたが、まさか三日で気づかれるとは思わなかった。
「それほど、あの国は真の紋章に貪欲ってことだよ。まぁ向こうはまだ特定出来てないみたいだけど。二度とおおっぴらに真の紋章は使わないことだね。」
特定されていないというのはありがたかった。ティルが考慮して姿形を隠すといった案が効いたのだろう。最悪の事態、それこそ自分の命が狙われるといったことが起こらず安堵の息を吐くと、ふとは思う。
ティルはどうしているだろう
夢の中のティルは前を向いていた。 羨ましいほどまっすぐに。けれど扉を叩いていた時の、彼の顔が蘇る。苦痛に顔を歪めた、泣きそうな顔。そこでは一つのことを思い出した。夢でなく、現実で彼は一度だけそういった、不安げな表情をしたことがある。
(『どこに、行ってしまうかと思って。』)
解放軍の勧誘の為、城を出ていたティルが帰ってきて、入れ違いになった後だ。あの時、最初こそティルの心配をしていたが、その後は自身のことで手一杯になってしまい、忘れてはいないけれど、記憶の奥へとしまい込まれてしまっていた。
確かに彼はそう言っていた。
(ティルは、置いていかれること怖がってる?)
あの時、はそれに気休めでも、傍にいるということ言えなかった。
いつか元の世界に帰ると決めていたし、たとえそうでなくても、その頃は自身が彼らと違う不老であると思っていたからだ。実際、ティルもまた真の紋章を持っており、同じ不老だったのだが。
(『一緒にいる。』
が嫌になるまで、ずっと一緒にいるよ。』)
しかしは言えなかったけれど、彼は誰とも一緒にいることなんか出来ないと、落ち着んでいたにそう言ってくれた。その時はただ、その言葉が嬉しかった。けれど今、は体中に電撃が走ったような心地がした。
彼は自身が不老だと知っていても、にそう言ってくれた。その時彼は、が不老だと知らなかっただろう。ただ相手は自分置いて行くばかりだというにそれでも。たとえそれが、ただ慰めるだけ吐かれた戯れ事だったとしても。
「・・・何、突然。」
「なんでも、ないよ。」
唐突に毛布に顔を沈めさせたにルックが怪訝そうな視線を向けてきたが、はそれどころではなかった。
嬉しいのはその言葉を聞いた時も変わらない。けれど改めて考えて、は嬉しくて涙が出てしまうかと思った。それが何故か知っている。彼だから、そうなのだろう。誰でもない彼だから、こんな気持ちになる。思い返して見れば、そういった様子は何度かあった。彼を想うと不思議と心が穏やかになること。彼が異性と親しくしてるときに浮かぶ靄。
は目を瞑る。

ああ敵わない、なぁ。

最初から思ってはいたけれど、どうやら本当に彼には敵わないらしい。


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