Skyting stjerner2-5
ぼんやりとした月灯りは、宵闇を僅かに照らす。月光がはっきりと映らない朧月夜に、昼間でも暗い深い森を歩くのは危険だ。しかし生物の全て眠りについたような静謐な森の中、ゆらゆらとランタンの光が一つ浮かんでいた。僅かな手元の灯りで獣道を行く足取りは、迷いはない。外套を羽織り進む人物は、まだ年端のいかない青年のようにみえた。灯りに照らされ、映るのは若草色のバンダナと、辺りに溶け込んでしまうような漆黒の髪。浮かぶ金色の目は、暗い森に怯えの一つも見えない。ただ前を見据え、闇をも知らぬ輝きだと多くの人々は感じ、彼につき従った。真摯な彼の目は―――しかし目に見みえる程の焦燥に陰っていた。
異変に気付いた時には遅かった。彼の目の前で伸ばされた手を、掴まなければいけなかった。
なのに、あと少しで。ほんの僅か、届かなった。
落ち着け、と言ったのは親友だった。しかし親友に言われなくても、落ち着ていた。冷静に状況を理解出来ている。正直なところ、自身が指揮をとったどの戦よりも、未だかつてない程頭が冴えていた。いっそ、恐ろしい程に。彼女がいなくなってしまえば、どうなってしまうか自身ですら分からないと思っていたというのに。
あまりにも冷静で。静まり返った湖のように、何に対しても感情が微動だにすることがなくなった。
―――ただ、伸ばした彼女の手を、掴みたかった。その華奢な体を抱きしめて、勝手に抱きしめられたことに怒ればいい。
怒って、それでも照れたように最後には笑ってほしい。
――――に、会いたい。
それしか、彼の心を突き動かすものはなかった。
同じように彼女を探しに背を翻したのは天敵で、親友は別の方角へ彼女を探しに向かった。
共に探そうとする従者も、彼は旅の途中で置き去りにした。効率的に彼女を探すためには、別れて探したほうが良い。そうした考えは間違えではないだろう。しかし心の奥底にある気遣う余裕がないという理由も、彼には否定出来ない。
彼は元貴族の子息であり、軍主としても大軍を率いた。何があろうとも己を殺す術を、息を吸うようにこなせてきた。それは物心ついた頃からなのだと気づいたのは、彼女に出会えてからだ。
自分の知らない自分を知った。彼女と話し、時には怒り、笑い、様々な自分を、感情を知った。
ただ一人がいなくなっただけで。解放軍時代、何人もの、いや配下の何千人の仲間を失うこともあった。それでも止まることなく進めていたというのに。
笑い声が聞こえない。温もりに触れられない。彼女の香りも、何もかもがない。――今では彼女がいない日々を、どうやって生きていたのかも分からなかった。
緩める事無く突き進み足の先で、がさりと草を掻き分ける音がした。
「・・・退いてくれ。」
草を掻き分けて、現れた魔物は数体。鋭い歯を剥き出しにして、周りを囲っていた。
動じることなく、ティルは魔物に告げる。だが言葉の通じない魔物達は、唸り声をあげるだけだった。
殺気立つ魔物は、今にも襲い掛かりそうである。しかし、ティルは瞼を閉じた。棍に着いた汚れも、彼は拭う気になれなかった。今はただ、この時間すらも惜しい。
次の瞬間、魔物は閉じられた金色の目に好機とばかりに襲い掛かった。
閉じられた目は開かれ、前を見据える。眼前に迫った魔物に、焦りもない。前を見据えた瞳は、月よりも鋭く鮮明だった。
朧月は、旅人を照らすことなく闇夜に浮かぶ。静寂が戻った森の中、獣が数体事切れていた。
足元の枯れ草には、黒光りした血痕が点々と続いていた。
***
霧の魔物を倒してから、1日野宿をした翌日、達は峠を越えることが出来た。峠を越えて、平原を北に進めば、もうキャロの街だ。
辿りついたキャロは国が違う事もあってか、リューベとはかなり違った。中華圏の家屋であったリューべとは違い、キャロは西洋風のレンガの家々が連なっている。街の門に着くと、ジョウイが一息つく。
「やっと、戻ってきたな。」
「へぇーここがあんた達の街かい。結構、栄えてるんだね。」
門から街を関心したように覗きながら、アイリが感心したように言った。リィナが残念そうに整った眉を下げる。「では、ここでお別れですね。」
旅芸人であるアイリ達の目的地はここではない。彼女達とはここで別れることになっていた。
過ごした日数は僅かだったが、年も近く彼女達が旅芸人だということもあってか、道中会話が途切れることはなかった。彼女達が寄った様々な街の様子、旅で出会った人々の話。リオウ達も故郷キャロや、は旅をしているときに格別美味しいと感じた名産品の話をした。
「道中、楽しかったです。」
リィナが寂しげに微笑んだ。湿っぽいのは苦手なのか、名残り惜しげな達にアイリが短髪の髪をかきあげながら言う。
「そうだ、あんた達、家はどこにあるんだい。」
またこの街に寄ったら顔を見に行ってやるよ。そう言いながらそっぽを向くアイリもまた、この別れを寂しく感じているらしかった。
彼女の様子に、達は僅かに笑みを浮かべる。素直ではない彼女らしい。アイリの問いに、ジョウイが答える。
「僕の家は、北の突き当たり、リオウの家は西のはずれ、そこの道を左に行ったところさ。道場だからすぐわかるよ。」
「そうかい、じゃあまたな。」
さっさとそう言うと、アイリは背を向けてしまう。背を向けた彼女の様子に苦笑してから、リィナも頭を下げる。
「それでは。」
「それじゃあ、バイバイ!」
巨漢の男、ボルガンも大きく手を振る。振られる手に応え見えなくなるまで、達は彼女達を見送ったのだった。
その場にいる者が一気に半分の人数になったことに、寂しさを感じていると、ジョウイがリオウに向き直った。
「僕も家に戻ってみるよ。」
キャロの街へ着けば、家に戻るだけだ。後に落ち合う約束をして、先にジョウイはキャロの街へと入っていく。残ったは、さて、と腕を組む。
旅の間消耗した消耗品を買いに行きたいか、まずはティル達の情報を少しでも得たい。まだ、彼らについての話はひとつも得られていないのだ。しかし先に店が閉まってしまい、今夜寝る場所がなくなってしまうのだけは勘弁したい。路銀はリィナ達から分けられたものがまだ残っている。リューベで物資を購入した事から、残りは心許ないがもう食料はないのだ。仕方がない。まずは宿屋を確保すべきかーーそう考えていたのだが、そこへリオウが思っても見ない言葉を言った。
「それじゃあ、僕達も行こうか。」
自身が含まれている事に、目を瞬かせる。の驚いた様子にリオウは僅かに眉を寄せた。
「ここまで来たのに、 は僕の家族に会ってくれないの?」
「え、いやそういうわけじゃ・・・」
そうではなく、自身がお邪魔していいのかといったことなのだが。慌てて言葉を濁すに、リオウはそれまでのわざとらしい不機嫌な様子を一変させ、笑みを浮かべてみせた。
「嘘だよ。僕が友達を自慢したいだけ。それも変わったね。それに、今日泊まる所もないでしょ?」
「変わったって・・・!いや、まあ、確かに泊まるところはないけど・・・。」
「ほらほら行くよー!」
「ちょっと、リオウ!」
リオウそう言うなり、街へと向かう。慌て彼を追いかけ、も門を越えるのだった。
しかし、いつかしか駆け足になった二人は、気づかなかった。
達が横切った後、村人達は一様に顔を歪めたり、何かを小声で話したりと不審な臭いを漂わす事に。
リオウを追いかけ間も無く、街の家屋とは趣の違う、一際大きく少し寂れた道場が見えてきた。若しかしなくても、あれがリオウの家なのだろう。壁には蔦こそ這っているが、立派な武家屋敷だ。
道場も眼前に迫ってきた頃だ。突然リオウが足を止める。「あ、待って。」
屋敷は目の前である。しかし目前で足を止めたリオウは道場への道を逸れてしまった。「ちょっとリオウ?」
「その前に・・・確かこの時間帯は・・・。」
声をかけるを他所に、リオウは道場の脇にある小さな空き地へと向かう。それに訝しげに思いながらも何か考えがあるのだろう、も彼の後をついていく。
空き地には一本の大きな木が生えていた。幹も太く、長くそこにあった事が伺える。リオウはそのまま、大木へとが向かった時だ。緑葉が茂る音がした。かと思えば茶色の物体が勢いよく飛び出してくる。木から飛び出た物体は、一直線にリオウに向かった。
「リオウ!!」
咄嗟に声を上げる。しかしリオウは、眼前に迫ったそれを避けることなく、両手を開いた。勢いよく飛び込む茶色の物体と、リオウが音を立てて激突する。
反射的に閉じた目を恐る恐る開けると、リオウは倒れる事無く受け止め、頬を緩ませていた。
茶色の物体は、彼の腕に収まっている。は目を白黒させた。
「ムクムクっていうんだ。僕の幼馴染の一人だよ。」
幼馴染の一人といわれたそれは、茶色い毛のふわふわしたムササビであった。リオウに久しぶりに会ったのが嬉しいのか、ムササビ、ムクムクは目を細めてリオウにじゃれていたのだが、その場にいるもう一人に気づくと、丸くて大きな円らな瞳をへと向けた。僅かな緊張と共に詰まる。を見たムクムクは、片手をあげた。
は顔面が緩むのを抑えられそうにもなかった。挨拶した。挨拶をした・・・!!必死に身悶えしそうなのを抑えるに、リオウが言う。
「可愛いでしょ。」
「かわいいね。」
そりゃあもう、本当に。幼馴染の一人を気に入ってくれたのが嬉しいのか、リオウもまた笑みを浮かべる。
「この時間帯はね、よくムクムクがこの木で昼寝してるんだ。」
はようやく、彼の動きに納得する。
しばらくして存分にリオウとの再会を楽しんだのか、しがみ付いていたムクムクがリオウから離れた。そこでようやく、リオウの家族に会い行く事になった。
「私、ここで待ってるよ。」
道場に入る手前で告げると、リオウが振り返った。は頬を掻く。
「やっぱり、久しぶりに会うんでしょ?それに私がいちゃ悪いよ。」
「そんなの、僕達は気にしないよ。」
リオウは本当に気にしていないようだった。は首を降る。
「・・・駄目、やっぱり駄目。私が嫌なの。ほら、早く行ってあげなよ。」
そう言ってリオウの背を押す。リオウは戸惑っていたのだが、が押し込むように道場に入れたため、もう何も言う事はしなかった。残されたは息を吐く。なんというか、妙なところで彼は頑固なのだ。しかしリオウが居なくなると中々に寂しい。その場に座り込もうとして、は自身の足に何かが触れたのに気づいた。見下ろしてみればそれはムクムクである。ムクムクがその小さな手でズボンの端を掴んでいたのだ。
「ムクムクは行かなくていいの?」
なんとなく、そう聞いてみる。理解できるとは思わないが―――ところがムクムクは首を振った。どうやら幼馴染というのも強ち間違えではないらしい。ムクムクはそれなりに人語を理解できるのだ。加えて、彼、若しくは彼女はこうしてと共に待っていてくれるらしい。ムクムクの行動に感動し、は頬を緩ませながらリオウを待つのだった。
しかしリオウが戻ってくる前に、予期せぬ者が来た。
鎧を身にまとう、兵士達だった。とムクムクが待つ道場の前に来ると、声を荒げる。
「お前、何者だ!」
「都市同盟のスパイが戻ってきたの知らせだ。そこを退け!」
指示するなら、一つにして欲しいとは思う。けれどその前に、スパイという言葉に思わず片眉を上げた。
キャロの街に帰って何があるかわからない、むしろ危険かもしれないと、リオウは言っていた。それは都市同盟の奇襲に見せかけた、同国による虐殺をリオウ達が見てしまったからだ。少し考えれば分かる事であった。だが分かったとしても、故郷に帰りたいという彼らの意思を、は止めようとはしなかっただろう。
故郷に帰りたいという気持ちは、痛い程知っている。ティル達を探す為、というのもあるが、今回彼らについて来たのは、彼らが無事故郷へ帰るのを、見届ける為のようなものだった。
しかし皮肉にも、故郷によって、リオウ達が捕まえられそうになっている。は双剣の柄に手を置きながら、足元に隠れるムクムクにそっと告げた。
「ムクムク、リオウ達に逃げるように伝えてくれない。出来れば、私もある程度したら逃げるからってことも。」
ムクムクは人語を喋れはしないが、理解する事は出来る。それに一株の願いを賭けは早口で言う。ムクムクが僅かに身じろいだところで、兵士が不審な様子の達に声をかけた。
「お前!何をしている!」
人に刃を向けるのは、解放戦争以来だった。それもは周りや紋章頼りで、武器で相対することはほとんどなかった。戦後も変わらずラズリルに師事したが、互いに傷つける意図はない。
モンスターと対峙することに、今もう躊躇はない。だが人を傷つける事には、まだ躊躇いがあった。戦で剣を握れたのは、守りたい、大事な人ーーティルがいたからだ。しかし、彼はここにはいない。
彼はいない。彼がいないなら、逃げてしまいたい。だって、自分は一般人なのだ。敵意を持った屈強な男の兵士達を前に、剣を投げ捨ててしまいたい。そうした怯えは、どうしても消えなかった。同時に、は思うのだ。こういう時、彼ならば、ティルならどうするかと。彼の隣で見ていたからこそーー答えは考えるまでもなかった。
込み上げる怯えは息をのみ、仕舞いこむ。
は柄に置いた手を離さず、双剣を引き抜き、兵士を見据えた。陽に当たり、双剣が煌めく。数えられないほど教え込まれた構えは、今は意識せずとも自然に出来るようになった。
剣を構えて、は告げる。
「ここから先は、行かせません。」
怯えはもう、表に出ることはない。何度も見た、何があっても躓くことなく、前を見据え続けた赤色の背中。
ただひとつの想いが、の心を奮い立たせた。
――再会したときに、君に恥じない私でありたい。
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