Skyting stjerner2-19
「こっちは終わったけど、そっちは大丈夫ー?」「うん。こっちも、もう大丈夫だよ。」
リオウ達とは離れた草木の陰で着替えると、丁度リオウ達も着替え終えたらしい。返されたリオウの返答には木の脇から顔を覗かせる。
「これで大丈夫かな?」
「うん、大丈夫だよ。」
軍服の着方をわからないは、リオウ達から一通りどう着るかは聞いたが。念のためその場で一回転すると、リオウが笑顔で頷く。ハイランドの軍服は白を基調としている。下っぱとして潜り込む予定の達は、その上に胸当てをつけた軽装であった。ジョウイの分の兵服は少しサイズが大きかったのか、袖をめくっている。木の幹に腰かけたナナミが三人の様子を見て、眉を顰た。
「やっぱり、その服似合わないね。」
「そ、そうかい?」
てっきり、サイズの事かと思ったジョウイが頭をかきながら苦笑するが、ナナミが言いたいのはそう言う事ではななかった。現にリオウとのサイズは合っている。
いつも軽装であるリオウ達が、しっかりと軍服を着ている姿がナナミには似合わないと感じるのだ。ナナミは木の幹から立ち上がると真剣な表情で再度念を押すのだった。
「リオウ、ジョウイ、気をつけてね。危なくなったらすぐ逃げてくるのよ。」
ナナミは森の入り口で、達の背が見えなくなるまで見送ってくれた。
1人残されてしまう彼女のためにも、何事もなく無事に戻らなければならない。浮ついていた気持ちを引き締めて達は森を進んでいく。
警戒しながら森を進み、しばらくした頃だ。さらさらと微かに川が流れる音を耳が拾った。水場が近いのだろう。水は常に貴重な兵糧だからこそ、ハイランド兵は近くに布陣している可能性が高い。達は顔を合わせると、極力音をたてないよう慎重に少し離れた場所から川沿いを進む事にした。 しばらくすると、初めに金属の擦れる音が。次に微かに人の喧噪が聞こえてきた。ーー敵陣が近いのだろう。
ジョウイが確認するように小声で言う。
「まずは食料のおいてあるテントを探さないとね。」
とリオウは彼の言葉に頷いた。目的は争う事ではなく、上手く忍び込み食糧の在庫を調査する事だ。兵糧次第で彼等の滞在期間やミューズへの侵攻時も予測出来るだろう。
開けた場所に張られた白い天幕は見える範囲でも多く、出入りする兵士の数も多い。敵陣の隙間となる天幕の中腹を探したので検問もないようだった。この場所からであれば忍び入ることも大して難しくはない。木を隠すには森の中。圧倒的な兵力を持つハイランドだからこそ、紛れ込むには打ってつけだ。 焦らず、不審に見えないように堂々と。慎重に息を吸いこむこと数回。は目の前で2人に目を合わせ頷きあうと、自然を装い森からキャンプ地へと入っていった。
キャンプ地には上手く、入り込むことが出来た。森から戻る兵士が入ってきても、兵の多さもあり把握しきれていないのだろう。所用から戻ってきたのだろうと辺りは気にした様子すらない。 肩透かしを食らうような簡単さに、張りつめていた緊張の糸が僅かにほぐれる。吐きそうなほどの緊張も上手く抜けていくが、目的は紛れ込むだけではない。食糧庫を探さなければならないのだ。しかし数十以上ある白い天幕はどれも同じようで、どれが食糧庫なのか見当もつかない。
あまり辺りを見回して不審がられる訳にもいかない。とジョウイがどうするか、と思案する前にリオウが横を過ぎったハイランド兵に声をかけた。
とジョウイに緊張が走る。しかしリオウはへらりといつものように毒気のない笑みで話しかけた。
「あ、すみません。隊長に言われてバターを取りに行っているんですけど、食糧庫ってどこでしたっけ?」
僕、すっかり忘れてしまって・・・。そう言って頬を掻きながら情けなさそうに笑うリオウは、ぎこちなさも微塵も見当たらない。むしろ歩みを急に止めてしまったやジョウイの方が怪しく見えるだろう。 しかし、ありがたい事に相手は気に留めることなく軽く手を振りながら返答を返した。
「ああ、それならもっと後方だ。」
「ありがとうございます!これで隊長に怒られなくてすみます!!」
リオウが満面の笑みを浮かべて頭を下げる。勢いよく下げられた後頭部にはっとなり、続いてとジョウイも頭を下げる。我ながらぎこちない仕草にはらはらして、しばらくしてから恐る恐る薄目を開けた。
「よかったよかった。気をつけろよ、新米。」
リオウのフレンドリーな様子に相手は気にした様子はないようだった。すぐに踵を返していく。
「はい!」
元気に返事を返す非常に高いリオウのコミュニケーション能力に安堵すると同時に、は畏怖すら抱いた。敵陣にも拘わらず、リオウは自然体でいつもと変わりない様子だ。鋼の心臓すぎる。
それからも何度か似たようなやり取りをして、達は同じように見える白い天幕の中から、食糧庫への場所を聞きだすことが出来た。
運よく入り口に兵士はいない。素早く近づいて先ずはリオウが忍び込む。続いてが中へ入ろうとした、その時だった。
「なんだ!お前らは!!!」
「しまった・・・」
ジョウイが小さく顔を歪める。離れていた門兵が戻ってきたのだろう。食糧庫は目の前で、あと一歩だったのに。
リオウはすでに中だ。ここで太刀打ちするか?一瞬の脳裏を過った考えはすぐに打ち消された。そんなことをしたら忽ち騒ぎになってしまい、上手く逃げ出すことも出来なくなってしまうだろう。しかし、ここまで上手く兵士から話を聞き出していたのはリオウがいたからだ。すぐさま人を呼んでいないことから、天幕の向こうにいるリオウには気付いていないのだろう。運がいいのか、悪いのか。
頼みの綱の彼がいない中、は必死にどう切り返すべきかを考える。そうこうしている内にも背後から足音が近づいてきた。生唾を飲み込み振り返ると一人のいかつい男が、眉を潜めてこちらを見下ろした。
「お前ら、その軍服は少年兵のものだな・・・なんでこんなところにいるんだ。」
男は訝しな表情でこちらを見て、やはり既に中にいるリオウには気付いていなかった。それには安堵したが、彼は大勢いる下っ端とは異なり兵服の表す所属を理解しているようだ。
頭が真っ白になったとは異なり、その時ジョウイが細く見える声でたどたどしく話始めた。
「それが・・・・その・・・・ぼ、僕らは、ユニコーン隊にいたんです。都市同盟の不意打ちにあって、仲間は皆・・・僕らはなんとか生き残って・・・・でも部隊はもうないから・・・」
だからここにいるのだ、という設定である。緊張しているぎこちなさも加わり、ジョウイの言葉には説得力もある。
男は目を見開いた。一瞬ばれたかとは肝を冷やしたが、男は次の瞬間ジョウイの肩を両手で掴む。
「そうか・・・お前ら、よく生き残ったな。」
男は眉を潜めると鼻息も荒く憤る。「同盟の奴らは本当に酷いな!!ゆるせんぞ!!!」
勢いよく首を縦に振り、達も同意を示す。いかつい男は直情的のようで、鷹揚に頷いた。
「そうだろうそうだろう!!お前らの仲間の仇は俺が討ってやるから安心しな!!」
「ありがとうございます。あの・・・・隊長に言われて、ここにバターを取りにきたんですけど・・・。」
男の勢いにすっかり飲まれ縮こまるとは異なり、ジョウイがさり気なく話題を修正していく。男はジョウイの設定に絆されたのか、疑う事様子なく呆気なく頷いた。
「ん?そうか?じゃあ急がないとな。ほら、バターなら中だ。」
男の了承に、内心達はガッツポーズした。一時はどうなることかと思ったが、ここまで豪胆なリオウの行動や、冷静なジョウイの話術のお陰で上手くいきそうだ。なんだか自身が何も役に立っていないような気がして情けない気持ちもあるが、終わりよければ全て良しということにしておこう。
とジョウイはそのまま自然に天幕の中に入ろうとした、その時だった。
「おい!お前ら!!」
再び男が声を掛けて来たのである。はぎくりと肩を強ばらせる。まさか、ばれてしまったのか・・・?一瞬で冷や汗が浮かび、額を伝う。
しかし男は目を細めると、首を振った。
「考えすぎだな。お前みたいな顔のスパイがいるわけないな。おい、お前らあんまり気を落とすなよ。」
「は・・・はい、ありがとうございます。」
肝を冷やした達は、そう言って微笑むのに必死だった。
食糧庫に入ると、先に忍び込めていたリオウが安堵した表情で出迎えた。布を挟んだ天幕の中から、話は聞いていたらしい。誰となくため息を吐く。さっさとこんな場所からおさらばしたい。小心者のとしては心臓がいくつあっても足りない。三人は無言で頷きあうと急いで天幕内の食料を見て回るのだった。
天幕に積まれた木箱や小麦の袋などの数は莫大な量だ。小さな村の備蓄以上はあるだろう。しかしその分ハイランド兵は多い。ざっと見たところ、この兵糧であれば二週間分といったところだ。王国軍は大規模な展開をもって早めに決着をつけるつもりなのだろう。一頻り確認を終えると三人は再び顔を突き合わせるなり頷く。
一番の問題であった食料の数は確認出来たし、あとはもう用はない。怪しまれる前に離れるに限る。達成感に包まれながらも最後まで気は引けない。改めて気を引き締め直し足早に食糧庫を後にする。
怪しまれないように、それでも無意識の内に早くなる足で天幕を五張程横切った頃だ。突然先頭を行くリオウの足が止まった。その顔は驚愕に染まっており、は彼の視線を追い、そして同じように達を見て固まった男に目を見開いた。
「お、お前達はリオウにジョウイに、あの時の小娘!こんなところで・・・」
「ラウド隊長・・・」
金髪を神経質そうに後へと撫で付けた、眉間に皺を寄せた中年の男。隊長という立場にも拘わらずリオウ達少年兵を売り、キャロでその罪を擦り付け達を処刑しようとしたラウドだった。
互いに思いもしない再会に唖然としていたが、ラウドは我返ると顎に手を当てしたり顔を浮かべた。
「ははーん、今度は本当に同盟のスパイに成り下がったってわけだなぁ」
達はすぐさま踵を返し、走り始めたが遅かった。次の瞬間、ラウドの大声が辺りに響き渡る。
「侵入者だ!!!」
「っ逃げよう!」
キャンプ地は一瞬で物々しくなった。最後尾にいたジョウイが今度は先頭を切る。
幸いなことに兵士の多さからラウドから離さえすれば再び紛れ込むことができる。ラウドは追ってこない。その事に安堵するが再び大声が後方からした。
「少年兵だ!スパイは少年隊の格好のやつらだ!!」
思わずは内心舌打ちをする。これでは何処にいても特定されてしまう。紛れ込むことができなくなった。 すると、先頭を走るジョウイが周囲の目がこちらに向くより早く咄嗟にすぐ側にあった天幕へと転がり込んだ。確かにこのまま闇雲に走っても捕まってしまう。隠れるしかないだろう。幸いにも昼時ということやラウドの言葉から、ほとんどの兵士は天幕の外に出払っている。やリオウも躊躇うことなく天幕へと続いた。
「何者ですか、貴方達は?」
だが運悪く、天幕内には人がいた。中は一際大きかった食料庫のように広く、それでいて上等な絨毯や艶やかな机、ビロードの張られた椅子などの一目で高級品と分かる調度品が置かかれている。恐らく寝室だろう一部は薄い布で遮られ、顔の見えない声は女性のものだった。
女は厳しい声で言った。
「ここは王族のためのテントですよ。」
「しかたない。」
ジョウイは素早く懐から鋭いナイフを取りだした。
「皇女ジル様、私は警備を仰せつかっているラウドと申します。」
天幕の向こうから、中を窺う声がする。それはラウドのものだった。天幕前で膝をついたたまま頭を垂れてラウドは続ける。
「このキャンプに都市同盟のスパイが三名ほど忍び込みまして、申し訳ありませんが中を調べさせて貰いたいのですが・・・」
「その必要はありません。下がりなさい。」
はっきりとした否定の声にラウドは眉を寄せたが、声音はそのままに伺うように続けた。
「お時間は取らせませんので・・・」
「お願いします。一人になりたいのです。」
だが女はそれを良しとしなかった。か細い声でそう言えば、ラウドが言い淀む。
「し、しかし万が一ということが・・・」
すると、口調を変えた女が言う。
「さがりなさいと言っています。レディの寝所を荒らそうと言うのですか?」
強い口調だった。所詮一個人の隊長風情が皇族相手に意にそぐわない行動を起こすことなど出来ない。天幕で遮られて中は見えないが、ラウドは慌てて頭をさげた。
「あ・・・い、いえ・・・そういうわけでは・・・。そ、それでは失礼させてもらいます。お騒がせして申し訳ありません。」
皇族からの叱責にラウドは処罰を恐れるようにその場から足早に去っていく。ばさりと翻し天幕を出て、耳を済ませた足音も聞こえなくなりしばらくしたところで、皇族の女性、ジルは振り返った。
「これで良いのかしら、スパイさん?」
天幕に侍女をつけることなく一人でいたのは、長く艶やかな黒髪に黒耀の瞳、白く陶器のような肌は傷一つなく、華美すぎずそれでいて品の良さを忘れない上等な赤いドレスを身に纏った少女だった。戦場に似つかわしくない華奢な彼女は記憶に新しい。処刑されようとキャロの街で連行されていた時だ。誰もから問答無用に非難の声を上げられながら、一人だけ何事かと問いかけてきた豪華な馬車から顔を覗かせた女性だ。
押し入るなりナイフを突きつけたジョウイは、彼女の姿に目を見開いた。
ハイランドの皇女、ジル・ブライト。
彼女もまたジョウイ達の姿に驚いたようだったがすぐに表情を引き締め、鋭いナイフを突きつけられても悲鳴一つ上げず要求を呑んでくれた。突き付けたナイフを下ろしながら、長い髪を一つに括った少年、ジョウイが眉尻を下げる。
「脅したりして・・・・ごめんなさい。」
「いえ・・・」
刻然とした態度は崩すことなく、スパイとは思えないジョウイの殊更な様子にジルは逆に内心眉を寄せる。
彼女はジョウイから離れると、テーブルの上で何かをし出した。ジョウイがそれを見て慌てたように言う。
「何を・・・・。」
ジョウイ達はスパイだ。彼女に何かされては困る。だが振り返ったジルは柔らかな微笑みを浮かべていた。
「そんなに怯えないで頂戴。お茶を入れようかと思って。」
ナイフを突きつけられた時の怯えのなさといい、先程脅されたばかりだとおいうのにジルはジョウイ達に背中を見せ、白くしなやかな指で茶器の支度を勧める。唖然とする達に、ジルは言う。
「しばらくはここから出られないのでしょう。ハイランド式のもてなしよ。それからその手に持っているナイフ、しまって頂けますか?それとも都市同盟ではそれがもてなしなの?」
振り返り際にジルはジョウイの手にあるナイフを流し見る。
自分たちは追われる身だ。彼女は殊更従順な様子を見せているが油断して隙をつき助けを求めるつもりなのかもしれない。ジョウイは眉を寄せる。
ジルの黒耀のような瞳は、真っすぐとこちらを見ていた。――曇りのない、まっすぐな瞳だ。自分がそう思いたい、だけなのかもしれないが。
一瞬逡巡の後、ジョウイは無言で鞘に納めた。
「貴方達とはキャロの街で一度会っているわね。」
卓を挟み皇女とお茶をするなど早々ない経験である。達はスパイの身の上で警戒を怠ることなく緊迫しているが、それは達だけなのかもしれない。少なくとも皇女であるジルは、一般庶民どころか、脅してきた達と普通にお茶をするような軽い態度であった。
ジルはキャロの町で会った達を覚えていたらしい。皇女様の気まぐれ、というわけではなかったらしい。カップを両手で持ち上げながら彼女は動きを止めた達に目をやり、ジョウイへと向き直った。
「あの時、貴方は『この国が僕らを裏切ったんです。その事を僕は許さない。』と言っていたわね・・・・。どう?実現できそうかしら?」
「それは・・・」
ジョウイは唇を噛む。
連行される中、ジョウイは明らかな高貴の身の彼女に啖呵を切った。事実、達は何もしていない。ハイランドは自作自演で少年隊を死に追いやり、命からがら逃げおおせたリオウ達を口封じとして、罪を擦り付けた上で処刑しようとしたのだ。リオウ達は故郷からの云われない非難に追われ、街を出るしかなかった。傭兵の砦を通して都市同盟へと亡命したものの、事情を知る砦の者達とは異なりミューズでは副市長をジェスを筆頭に、ハイランド人して肩身が狭い。なぜ、こんな事になったのだろうか?自分はただ、あのキャロの街で、変わらず幼馴染達と平和に暮らしたかっただけなのに。
トーマス夫妻の無残な死。トトの村、リューベ村の光景。陥落する傭兵の砦に、両親だけでなく、声すら失ってしまった孤児のピリカ。
その全てが。ジョウイは許すことが出来ない。忘れることもできず、昨日の事のように思い出せる柔らかなキャロの街での記憶は、もう遠くへいってしまった。
落ちる沈黙後、ややあってからジョウイは彼女の前で告げた。
「・・・いつか、必ず。」
「そう・・・・」
揺らぐことのない決意を瞳に宿したジョウイを前に、ジルは伏し目がちに返すだけだった。
ジョウイは膝の上で手を組みかえると、ジルに尋ねる。
「ジルさん・・・いえ・・・皇女様、貴方はなぜこんな所にいるのですか?」
一つだけ、ジョウイには疑問が残った。虐殺が起きた少年隊の駐屯地から近いキャロの街でもそうだ。普通、皇女である彼女は王都の城にいるはずの人間だ。騎士であれば事情を視察しに向かうのもあり得るだろう。
しかし彼女はあくまで皇女だ。剣を持つことなく蝶よ花よ愛でられ守られるべき存在であるはずなのに、いつもお世辞にも治安が良いとは思えない、事が起きた場の近くにいる。このキャンプ地でもそうだ。侍女すらつけず、彼女はいつ戦争が起きてもおかしくない前線の場にいる。
それまで揺れることのなかったジルの瞳が揺れる。視線を落とした彼女は僅かに逡巡すると、一つか細く吐息を吐く。
「我が兄・・・ルカ・ブライトはご存知でしょう?兄はこの戦いを広げようとしています。ハイランド国民の多くは、戦乱に疲れ果てているのに・・・。」
こんなことは、彼らに話すべきことではない。王族に連なるものは、不安を零すことはよしとせず常に悠然と立たなければならなかった。
例え近しい臣下であっても、耳は何処にあるかわからず人の口に戸は立てられない。そんな事は当たり前の事で、ジルはそうやって今まで生きてきた。
彼らは既に都市同盟に亡命したのだろう。元ハイランド人で国の者ではない。そういった考えもあったのかもしれない。それでも、恐ろしくまっすぐに前を見据える彼らを前にスパイだと分かっているにもかかわらず、ジルは口にしていた。
「それに・・・兄はもっと恐ろしいことを考えています・・・それを止められればと思い・・・ここまで来たのですが・・・。」
ジルは小さく笑った。眉尻を下げて、自嘲の笑みを浮かべる。
「無駄だったようです。話を聞いてくれるどころか、兄にとっては私までもが敵のようで・・・。」
彼女は悲しげに微笑む。
「私には兄を止める力はないようです。それを思い知らされただけ。女の身では、ここまでなのでしょうか・・・・。」
―――もしかしたら、彼女は。
そう思ったのはだけではなかった。静まり返った場で、ジョウイとリオウも、驚いたように彼女を見る。
視線を受けて胸の内を吐露してしまった事に気付いたジルが慌てて顔を上げた。
「長話がすぎたみたいね。お茶も冷めてしまいました。そろそろ外も静まったようです。お帰りになってはいかが?」
椅子から立ち上がると、微笑みながら彼女は出口を進める。
誰もが、ルカ・ブライドのような考えでいるわけではない。食糧庫の前であった兵士も、少年隊の生き残りだと言えば己の事のように憤慨していた。
ルカ・ブライトの妹であるジル・ブライトは、皇女の身にも拘わらずこうして兄を止めようとしている。
何が悪で、何が善か。
幾度となく深く疑問に思いながら、それでもリオウ達は互いに守りたいものを守るために、争うことを止められない。
「さようなら、もう会うことはないでしょう・・・」
黒髪の言葉を後に、ジョウイは無意識のうちに拳を握る。そして天幕を出る前に、一人ハイランドの為に戦う彼女に零した。
「・・・・ごめんなさい。」
侵入者を探すために騒々しかった外は、静まり返っていた。スパイを炙り出すために、後方へと向かったのだろう。兵士たちの姿も見当たらない。逃げ出す好機は今だ。脇目も降らず、達は森へと向かう。
そして森へと入る、手前の事だった。
「そうだと思ったぜ。」
突然前方からした声に、達は驚愕に目を見開く。静まり返ったその場に、金属の擦れあいや弓を張る音が耳に入る。
――やられた。は内心後悔するも遅い。背筋に冷汗が流れた。
「あの皇女様は何かとルカ様にたてついているからなぁ。」
森の中から現れたのは口の端を吊り上げた、金髪の中年の男、ラウドだった。ラウドはその背に数十名の部下を連れている。
一瞬ジルに嵌められたのかと疑ったが、違った。はたから彼は、ジルを信用していなかったのだ。下卑な笑みを浮かべてラウドは言う。
「見張っていたら案の定、お前らが出てきたわけさ。――さぁて、覚悟しろ同盟のスパイめ。」
ラウドは獲物狩るような鋭い目でこちらを見ると、上げていた手を振り下げた。
「かかれ!!」
咄嗟に、達は散り散りに飛ぶ。すぐさま弓矢が空を裂き、元いた場所や避けようとした先へと向かう。上半身を逸らすことで避けると、矢は背後の木へと突き刺さる。
次いで、剣を構えた兵士達が襲いかかってきた。達はそれぞれの得物を取り出し応戦する。
身を翻し、初撃を避けるとその勢いのまま横凪に足をがら空きの銅へと叩きつつける。直後に左手側からの斬撃を剣で押さえつけ、勢いを殺すことなく身を屈めるとそのまま足払いをかけた。後方から振り下ろされた剣は前へと地面を転がりながら避ける。咄嗟掴んだ地面の土を起き上がり際に勢いよく目へとばら撒いた。
怯んだすきに剣を思い切り防具のない肩へと突き刺すと、今度は矢が射なる音がした。ごめんなさい、とは内心謝罪を告げてから呻く兵を両足で足蹴にし、その反動で次は斜め後ろへと飛ぶ。がいた場所を素通りし、痛みに蹲る兵の背にある木へと矢が三羽突き刺さる。振り返ったところで、兵士は減った様子もなくラウドを中心に構えていた。
ハイランド兵は多勢に無勢だった。
無意識の内に後退すると、同じように下がっていたリオウ達と肩が当たった。―――居場所が無い。このままでは全滅していまう。
ジョウイが歯を食いしばると、咄嗟に達の前へと飛び出た。
「リオウ、、ここは僕がなんとか食い止める。」
ジョウイは嵌めていた手袋を投げ捨てる。彼は真の紋章を使って応戦するつもりなのだ。だが追いやられた狭い場所でそれを使えば仲間も巻き沿いになる。攻撃魔法は呪文を唱えた術者には効かない。
ジョウイは目をぎらつかせる。
「だから君達は逃げるんだ。ここで三人とも捕まったら、待っているナナミまで危ない。」
「無理だよ!」
「それは出来ない!」
考える間もなかった。即座にとリオウはジョウイの前に飛び出て、迫っていた敵をなぎ倒して反発する。けれどジョウイは眉を寄せると、勢いよく二人の背を押し怒鳴った。
「そんな事言っている暇はない!急げ!!」
突き飛ばされて倒れこみそうになったを支えたリオウに視線を向けるとジョウイは言う。
「時間がないリオウ!行くんだ!!」
ぐっとリオウは奥歯を噛み締めた。ジョウイだけでなく、リオウもも分かっていた。このまま逃げ切ることはできない。
誰かしらが足止めをするしかない。しかしそれでは、2人は助かるが、残った方の危険は非常に高い。生き残るためには誰かしら、3人の内から――そう考えたとき、残された者も生き残る可能性を考えれば攻撃魔法を持つジョウイが適役だった。咥内に血が滲むの感じながら、リオウはの腕を掴む。目を見開いたを引きずり、次の瞬間リオウは走り出した。
「リオウ!!」
が声を上げるが、彼はの手を離さなかった。運が悪いことにの紋章を宿していた手だ。手慣れならまだしも、は紋章を使用するとき集中しなければまだ使用できない。それを押さえられてしまえば、は自身の力で抗うしかなかった。だが力では、は抗う事が出来ない。必死の抵抗にもびくともせず、ただ引きずらるように走るしかなかった。
ハルモニアの刺客は怖い。だが、この場全員が助かるならば。そうが考え付いた手段も、これでは使うことが出来ない。
―――そんな、そんな。
リオウがこちらに気をやることなく、の腕を掴んだままだ。
は混乱と、力の限りの抵抗に加えは息が荒くなり、言葉をつく暇もなかった。彼女の抵抗にも気付いているだろうリオウは無言のままだ。
遠ざかる背に、ジョウイは投げかける。
「僕は必ず後から追いかけるから!絶対に捕まらないから!!」
後方が眩い程光り、黒き刃の紋章が発動される。一瞬の沈黙の後、再び背後で剣劇の音がした。
再び後方が光り、剣劇の音も小さくなる。けれどその音もやがて遠ざかり、全てが聞こえなくなるのに時間はかからなかった。
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