Skyting stjerner1-12

「すみません!遅れました!!」
ルックと別れた後全速力で走り、調理場へと向っただったが、厨房への扉を開けて転がるようにして入れば既にいつもなら蒸気と沢山の人で熱気の立ち込めるそこは数人の同僚と、ほのかに頬を掠める熱風しかなかった。
遅かった。は完全に夕食時の支度を手伝えなかったのである。これでは使用人失格である。わなわな体を打ち震わせ、どうしようクビにされたら私の三食ご飯つきなどと心配していたら大きな音を立てて調理場へと駆け込むやら声をあげた彼女に、一人の同僚が近づいていった。
より二つ年上で、長く綺麗な亜麻色の髪に小顔で大変可愛らしい顔つきに似合わず、豊満なバストを惜しげも外気に触れさせたナイスバディな使用人たちの中でも1、2を争うアイドルであると同時に、その懐の広さから同姓からも大変頼りにされるお姉さん、ユーリである。
はいつも彼女が傍に来てくれると、彼女から漂う花のいい香りにうっとりしながら他の同僚達同様喜びまくるのだが、しかしこのときばかりは肩を震わせ一歩足を退かせた。
「一体どうしたの?理由は?」
「・・・・寝過ごしました。」
問われた彼女は、一瞬視線を横へとさ迷わせ逡巡して、けれど正直に答えてみた。言った直後、は寝坊などといったあまりにもお粗末な理由に、これは絶対呆れられるか怒られるかクビにされると腹を括る。
「もう、よかった。心配してたのよ。ちゃんが来ないから。」
けれど吐かれた吐息は、呆れたものや怒りを抑えるためといったものではなく。それにユーリから発せられた言葉もが危惧していたそれとはまるで違う内容であった。
自然と地面へと向けていた視線を持ち上げて、ユーリを見る。彼女は眉をハの字に下げてはいるが、安堵に表情を緩ませていた。
そんな彼女の様子には目を瞬かせる。
「今日はもういいわ。ちゃん、疲れてたんでしょう。それにいつも頑張ってくれてるもの。後片付けもしなくていいから。」
ユーリは苦笑を浮かべながらそう言った。彼女は不可抗力ながらもただでさえ忙しい夕飯時に仕事をさぼってしまったことを怒っているというわけでもなく。ただ純粋に、のことを心配していたのである。
といえばてっきり当然ながら怒られ、最悪クビにされるかもと思っていたので、怒ることもなくのことを心配し、更にはそう言い募る彼女に大いに驚かされつつ、同時に心配をしてくれたことへの嬉しさと、心配を掛けてしまったことへの罪悪感が募る。
「で、でも・・・・」
は罪悪感からそう声を上げていた。いつもの彼女なら暇を出されて喜ぶであろうが、しかし寝坊して遅刻した挙句、皆後片付けをしているというのに自分だけしないというのもあまりにも申し訳ない。
しかしそう言う彼女にユーリは首を振る。
「いいから。休んで。ね?」
慈愛を感じる微笑を浮かべながらもユーリはそう断言する。
しかし、と思い周りを見渡せば調理場に残っていた全員が暖かい笑みを浮かべていた。誰も彼もを責めている様子などない。一人の男性従業員が「ユーリさんの言う通りだ。」と口にした。
それをきっかけに、口々に皆が言葉を発する。
「そうそう。ちゃんはいつも頑張ってくれてるし。」
「ちょっとぐらい休んだって、バツはあたりはしないさ。」
「それに一人抜けたって、あとは俺たちで出来るしな。」
ちゃんは先に休んどきなって。」
そう言われてしまえばは何も言えてしまえなくなる。彼らの暖かい言葉に思わず感動を覚えてしまったほどだ。優しすぎる。これが元の世界のアルバイトかなんかであれば絶対に店長辺りに怒られ説教をかまされていただろう。しかし説教どころか、彼らは怒った様子もなくのことを案じてくれているのだ。
「・・・申し訳ございません。ありがとうございます。」
確かに気まずさはある。は迷いに迷ったが、けれど結局、素直に好意を受け取ることにした。頭を下げて礼を述べる。
それに笑顔で頷いたユーリだったが、それがふと曇る。その時には顔を上げていたは、そんな彼女を見て首を傾げた。がどうしたのかと問う前に、彼女は口を開く。
「ただ、グレミオさんとティル様には会いに行って差し上げてね。ちゃんがいないから、お二人ともすごく心配していらして。お夕飯も食べずに探しに行ってしまわれたのよ。」
「え。」
思っても見ない内容に、は目を瞬かせた。グレミオさんと、ティルが?
「特にティル様は5日ぶりでしょう?厨房を覗きにいらしたティル様にちゃんがいないと伝えたらそれはもう心配なさったご様子で。グレミオさんも、夕食の準備が出来次第ちゃんを探しに行ってしまわれたのよ。」
まさか二人が自分を―――いやありえる。すぐは納得した。グレミオはいつも自分に良くしてくれるし、ティルに至ってはの親かといわんばかりの過保護振りである。同じ年だというのに。
「本当は休ませてあげたいんだけれど。その前にお二人には会いに行って差し上げてくれないかしら?」
はそれに少しも躊躇せず、頷く。彼らが自分を探してくれている。そんな彼らを安心させてあげたいと思うと同時に、も彼らに、特に5日振りに帰ってきたティルに逢いたかったのだ。 踵を返しは厨房から出る。
その時にはいつの間にか、大広間で感じたような疎外感は消えていた。



***



は彼らを探して城内を見て回っていた。けれどどこで尋ねても自身を探していた、と答えるばかりで、当の本人たちに会うことはなく、意を決して最上階のティルの部屋を覗いた後も、グレミオの部屋を訪ねていた後も見つからずにいた。
もう城内で探すところなどないのではないか。少なくても、城で暮らし始めてそろそろ3週間なが思い当たる場所は全て見てまわりそのどこにも見つからずは困り果てていた。
はとりあえず、と城内を歩き回り疲れた体を休めるため中庭に出ることにした。最初は走り回り、段々と疲れたため歩いて探していた彼女だったが、一度出た熱は中々引かない。 夜風に当たれば冷えるだろう。は丁度通りかかった中庭への扉を開いて中庭へと向かう。
やはり冷えた夜風は常時より温度が高くなった肌には心地よかった。頬に触れる夜風が気持ちよく、思わず瞼を閉じる。そのまま歩きつかれたこともあり、綺麗に揃えられた芝生の上に寝転びたい衝動に駆られたが、それは必死に抑える。もし芝生の上で寝転んでしまえば、歩き回り疲れた自身は寝てしまいそうである。この後ティル達を探しに行くというのにらそんなことはできまい。そうだ、せめて上着だけでも脱いでしまおう。特製のこの服は、踝まであるが、前を止めているボタンと内側で結んだ紐をとってしまえば上半身だけ脱げるのである。ちなみに、この発想源は浴衣である。いかに楽に部屋でくつろぐことが出来且つ外に出ても機能性が良い服をと面倒くさがりや人が考えた結果であった。その考えに至ったとき、はもしかして昔の人も面倒くさくて浴衣なんてものを考えたのかも――というお前と一緒にするなと昔の人々が口を揃えて文句を言うだろう失礼なことを考えた。

その時のためにと腰に巻いているベルト代わりでもある小さなポーチは、エプロンを掛けるのに邪魔になるため今はないが、まぁ座ってしまえばずり落ちてしまうこともないはずだ。とはいっても下にはズボンも穿いているのだが。
下は黒のノースリーブのため、常温より高い肌に触れる風は増える。そうしたらきっと気持ちが良いし、一気に体も常温に戻ってまたティル達を探しにもいける。
そう考えた時であった。
襟元へと運ぼうとした手はぴくりとも動かない。の黒の手袋越しに少し固めの何かが触れている。
それが何かと気づく前には彼の声を聞いた。
「――。」
「ティル。」
先ほどまで探していたその人の声に、そして自身の腕が掴まれていることに驚きながらは彼を振り返る。
ティルはいつもは白いその肌をほんの少し上気させ、そこにいた。きっとを探していてくれていたからであろう。
5日も外に出掛け、本来ならば今頃ゆっくりと旅の疲れを癒すはずの彼に、疲労を蓄積させるようなことをさせてしまいとても申し訳ない気持ちになる。
しかしそれとは別に、その時自身の心臓がドキリと跳ね上がった。
5日前に見たときと同じように、端正な顔には傷一つなく、変わりない様子に安堵の息を吐くところだが。一つだけ違う箇所があったのだ。
それは何よりも彼の異常を示していた。なぜならそれは、彼のその端麗すぎる容姿の中で、何よりも一番目に付くところであったからだ。
それはいつも強くまっすぐで、決して折れることはないだろうと思われる、彼の揺ぎ無い目の輝き。彼へと傘下した人々は、皆その目に魅入られ付き従ったといっても過言ではない。
彼ならば。彼ならばきっと成すことが出来る。誰にも自信を与え希望を示す、その絶対の金色の瞳。
そんな彼の眼が、闇夜の中確かに、見るも明らかに不安に揺れていた。
金色の瞳が揺れる様子を見ては驚きを隠せない。何があっても揺らぐことのないだろうと人々を、いつのまにかでさえも思わせていたその瞳が。
まるで何かに、恐怖しているかのように。じっと見つめられているは自身が彼を怯えさせてしまっているかの錯覚を受けた。
「・・・・ティル?」
は動揺のままに彼に声を掛けた。すると次の瞬間、彼は目の方に意識が向いていては気づかなかったが強く握っていた彼女の腕を離し、安堵したかのように笑みを浮かべる。
「もう、心配したんだよ?5日振りに会いに行ったら、がいないって言うから。」
そう言う彼の瞳には、先ほどの揺れに揺れていた様子など微塵もなく、既にいつもの揺ぎ無い光が宿っていた。
「久しぶり、。元気にしてた?」
にこり、と笑うティル。なんでもなかったかのように話しかけてくるその様子。
「――うん。ティルは?怪我とかしてない??」
「まったく。この通り元気だよ。」
「そっか。」
はティルにそう言うが、胸中には釈然としない気持ちがあった。
彼の笑顔とその様子に誤魔化されかけてしまうが、先ほどの彼の様子はを心配しただとか、そんな理由であるはずがない。
尋常ではないその様子は彼に何かがあったとは思わせるのに、十分であった。――確かに、彼は恐怖していたのだ。
それは何かはわからない。わからないからこそ、は彼を心配する。もしかして、旅の間に何かがあったのだろうか。
「ティル、座らない?」
「え?」
は芝生の上を指差した。唐突にそう言いだした彼女に、ティルはきょとんとした表情をする。
しかしそんな彼の様子を気にすることなく、は一人芝生の上へと座り込む。足を伸ばし、後ろ手に両手を置いて彼を仰ぎ見た。
「私も、ティルを探してたの。それでちょっと疲れちゃって。それにティルとも久しぶりに話がしたいし。」
も探しててくれたの?」
「ティル達が探してくれてたって聞いたし。それに、私も会いたかったから。」
そう言えばティルは驚いたように目を瞬かせを見下ろす。そんな彼に眉を寄せた。自分は危険な外から久しぶりに友人が帰ってきたのを会いに行かないほど、薄情なやつだと思われていたのか。
確かに大広間では会いに行かなかったが。それは人前ということもあり、こうしていつかは彼の無事を確認しに逢いに行こうとは思っていた。 それがまさか城主である彼が帰ってきたその日の夜といった早い形になるとは思っても見なかったが。
顔を歪めさせるに心外だという彼女の気持ちが伝わったのか、ティルは慌てたように視線を横へと逸らした。
「その・・・・そういう訳じゃないんだ。」
頬をかきながらそう言ったティルは、に視線を戻してほんのりと、上気させた頬ではにかむように笑ってみせる。
「探してくれて、ありがとう。。」
お前は乙女か。見目麗しいことも手伝ってか実に可愛らしく笑うティルには胸に来るものがあった。同姓なのに。いやティルは異性だった。
思わず男が異性にきゅんと胸をときめかせる時はこんな時かと思ってしまうである。それほどまでにティルのその表情は可愛らしかった。
若干赤くなってしまっただろう頬を隠すため、は芝生へと視線を落としつつ、とりあえず自身にはそんな可愛らしい表情を浮かべることは無理だろうことは確かであると思った。
そう思うと途端敗北感が襲い、は自身の顔の温度が引いていくのを感じた。いやな温度の下げ方である。
「あー・・・うん。とりあえず座ろうよ。」
さぁ、早く。と即すように隣の芝生を叩いてみせる。そうすれば彼は苦笑を浮かべながらもの隣へと座った。それを確認し、少し間を空けたところでは彼へと話しかけた。
胸中は未だ敗北感に見舞われているが、今はそんなことに鎌掛けている場合ではないのである。そう、ティルだ。
「・・・ティル、どうしたの?」
はティルへとまっすぐに視線を向けて、そう問うた。
「何のこと?」
けれどティルは少しも動じた様子もなく、いつもの笑顔を浮かべたまま首を傾げてみせる。
そんな彼の様子には思わず片眉を吊り上げた。は確かに見ていたし、その時の衝撃は相当なものだったから忘れようにもない。暗闇に浮かび上がる金色は、確かに揺れていたのだ。
「さっき。何か様子が可笑しかったよ。もしかして、旅の途中、何かあった?」
「心配してくれてるの?ありがとう。けど、大丈夫だよ。何もなかったよ?」
「うそ。」
変わらず笑顔を浮かべたままそう答えた彼に、は眉を寄せる。間髪いれずにそう言った彼女は、そのままティルを見据えて続けた。
「だってティル、さっき怯えていたでしょ。」
そこまで言って初めてティルはその笑顔を強張らせる。それも一瞬ですぐに戻ってしまうが、少しの変化も逃すまいとティルを見ていたには、その一瞬で十分であった。
彼は何かに怯えていたのだ。ティルはすぐになんでもないかのように答えるのだろう。彼がそう言ってしまうその前に、は口を開いた。
「何に?」
「なんにも。」
「ティルは何に怯えてたの?」
「気のせいだって。」
「何があったの?」
「何もないよ。大丈夫だから。」
「――私じゃ、ティルは頼れない?」
そこでティルは驚きに目を見開いてを見た。はそんな彼に小さく笑う。自嘲の笑みだった。
「ティルが見ず知らずの私にご飯をご馳走してくれたり。お仕事をくれたり、怪我をしたときも手当てしてくれたり。こうして私を探しに来てくれたこともそう。ティルはいつだって私を気にして、助けてくれた。だから私も、少しでも良いからティルを手助けしたいよ。」
「俺は見返りを求めてしたわけじゃないよ。」
「そんなティルだからこそ、私は助けたいって思うよ。確かに私は頭がいいわけでもないし、運動も普通どころか最近は駄目だ。それでも私はティルに何かしてあげたい。」
は浮かべていた笑みを消して真剣な表情でティルにそう告げた。が今まで思っていたこと。
助けてくれたティルだからこそ、助けたいと思い。たとえ助けてくれていなくともそんなティルだからこそ助けたいと思う。
それはどちらも同じ思いで、本当はどちらかは違うのかもしれない。けれど彼を手助けたいという気持ちに、変わりはなかった。
確かに怯えていた彼を、その怯えから守りたいと思ったのだ。
「だから話を聞くことぐらいなら、私にも、出来ると思った、んだけどね。」
そこでは再び、その表情に小さく自嘲を浮かべる。
同じ年である自分になら、ティルも話しやすいのではないかとは思ったのだ。たとえば子が苛められた時、本当に困っている時、親に子が何も言えないのと同じようにあまりにも近しい存在には逆に何も言えなくなってしまう場合がある。
だから知り合って浅いなら、話しやすいのではと思ったのだ。けれどやはり自分には無理なのかもしれない。その証拠に彼は先ほどから何も言わない。
出会ってからたった数週間でも、彼にいろいろな事をして貰った。けれど自身は未だ何一つ彼にはしてあげられていない。
そのことが悔しくて、彼に何もしてあげられない自分が情けなくて、は芝生を握り締める。小さく音を立てて数本の草が千切れた。
けれど、自身が彼にとって話すに足らないのならば、それは仕方のないことであった。無理矢理に聞き出そうとしても、意味はない。ーーそれはティルにとって、自身はその程度の人間であるということで、胸の奥に鋭い痛みが走ったが、は笑みを張り付けて顔をあげた。
「・・・ごめんね!いきなり変なこと言って。気のせいだったのかも。やっぱりさっきの、忘れて!!」
そんな彼女に、ティルは眉を寄せた。ーー彼女にそんな笑みを浮かべてほしいわけではなかった。それに彼女は勘違いしている。 いつの間にか無意識に詰めていたらしい息を吐くと、ティルは困ったような表情で告げた。
「・・・違う。違うんだ。俺はから沢山のことを貰ってる。」
「・・・私は何も出来てないよ。」
「そんなことないよ。俺はといると安心するし、楽しいから。だから十分なんだ。」
ティルはそこまで言うと胡坐をかいた膝の上に乗せた、組んだ掌へと視線を落とす。
「それに、さっきのは・・・本当になんでもないんだ。」
はそう告げられ、もうティルは自分に何も言う気はないのだと思った。きっと何度問おうと彼は平気だと、なんでもないと笑みを浮かべての言葉を受け付けないのだと。
そう考えたとき、の胸中に再び、悲しみが生まれる。けれど予想に反してティルは口を開いた。
を見つけたとき、暗闇に溶け込んでたがどこかに遠くに行ってしまうかと思ったんだ。ただ、そう思っただけで――」
ティルは相変わらず視線を組んだ自身の掌へと向けたまま話す。途中彼の長い睫はそっと伏せられ、それは彼の揺れる瞳を、感情を隠すかのようだった。
は彼が話してくれたことに驚きながらも、彼が言い終わるまで待った。そうして彼の言葉が途切れたあと、口を開こうとしたよりも先にティルは呟く。
「馬鹿だね、俺は。ずっと傍にいるだなんて、出来やしないのに。」
ぽつりと闇夜に溶け込むように呟かれた言葉はその小ささに反してには大きく聞こえた。そこで湧き上がるのは大広間で感じた恐怖とも似た悲しみ。
の瞳は揺れ、胸中には虚無感ばかりが生まれる。
「あ・・・。」
「・・・?」
様子の可笑しくなった彼女に、ティルは声をかける。しかしはそれすら聞こえてないようで、ティルを見ているようで、見ていなかった。茫然とするは思う。 ーー自分は一体、なにをしているんだろう。
は不老だ。しかしいつの日かその呪いを解き、元の世界に戻りたいとも思っている。けれどもしこのまま、普通の人間に戻れなかったら。呪いが解けることなく不老のままだったらと。 彼女はもう、人間ではなくなる。今この時もは人ではない何かだったのだ。きっとあと数年もすれば、それははっきりと形を作るのだろう。猫と人間といったように、は彼らと、同じ時を歩んでいくことは出来ない。
誰も彼もが死んでいき、一人が残される。それは元の世界でも、この世界でも同じことだった。
元の世界でも一人。この世界でもまた――自分は、一人なのだ。
人間は生まれたときから一人という。けれど、それとはまた違う孤独がを襲う。掴んだはずのそれらが零れ落ちていくのをはただ見ていることしか出来ない。

だというのに、先程ティルに何を言おうとしたのだろう。きっと彼が思い出させてくれていなかったら、何処にも行かないと、何も考えずに、頼りにされるのが嬉しくて、口先だけで言っていただろう。そんなこと、無理に決まっているのに。
今こうして傍にいるティルだって、いつかいなくなってしまう。自分を置いていってしまう。もしくは元の世界に戻って自分が彼から離れるのか。
それはわからないが、ずっと傍にいることなど出来ないというのは判っていた。そんな自分がティルに頼りにされたいなどと、土台無理な話だったのだ。
「・・・そう、だね。」
彼の不安を無くして、安心させたかったのに、けれど同意する自分が不甲斐ない。けれどには、例えその場限りの嘘でも、頷く事など出来やしなかった。
距離が縮まるほど、その距離が離れていく。
悲しみに胸中が支配され、はふと緩めば泣き出してしまいたくなる衝動を芝生へと目を向け、瞼を閉じることでやりすごそうとした。奥歯をかみ締め、それが去るのを待つ。
しかし唐突に、の芝生を握り締めたままだった左手に何かが触れる。
上から被さるようにの手を掴むのは、ティルの掌だった。
「――それでも、俺は傍にいるよ。」
驚きに目を開けたを見ることなく、ティルはそう告げた。
「こうやって手を掴んで。が俺のこと嫌いになるまで、俺は傍にいるから。」
確かめるかのように、少しの手に力が込められる。の拳の上から握り締めるといった無理やりな握り方のせいか、力を込められると少し、痛かったが、それでもその痛み以上に、は悲しみに覆われていた心に温もりが生まれていた。
それまではずっと前を見て、を見ていなかったティルだが、そこで瞬きすらせず自分を見るを振り返り、苦笑を浮かべる。
「確かにやることは沢山あって、ずっと傍にいることなんて物理的に出来ないだろうけど。」
そして彼は優しい笑みを浮かべるのだった。
「俺はの傍にいる。」
再び力が込められた手。けれどは口の端を引き結び、泣き出してしまいそうになるのを必死に抑えるのが大変で気づかなかった。
何も言えず、ティルの優しい笑みから視線を芝生へと落とす。
それからしばらくして、ようやくは言葉を搾り出すように口にした。
「――ありがとう。」
ティルを嫌いになるなんてことは絶対にないだろう。
いつかは必ず、はティルと離れる。それは自身の世界に戻るか彼が死んでしまうかで。
けれど、とはティルに掴まれたままの自身の拳を握り締める。
(それでも今この時は)
―――その時が来るまで、傍に。
その時が思ったことは希しくもティルと同じであったとは――彼女もティルも、知る由もなかった。


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