Skyting stjerner1-11
ガランの関所からティルが帰ってきた――。大広間の隅ある石版の前。つい先日不覚にもに紋章を教えてしまうことになったルックが、紋章について淡々と教えを――なんでも紋章を扱うには1つ1つの紋章による基礎知識と長長とした呪文、精神の安定化が必要らしい――をに教えていた。というかそれはもはやのことなど構った様子はなく、自身の知識を確認するかのように述べているのだけなのだが。証拠に結構脱線していたりする。 しかももさっぱりな専門用語を出したりして。実のところそれは今まで散々とに与えられてきた、苛立ちへの地味な意趣返しであったりもする。ルックは中々ねちっこいのだ。
ところが、彼とは正反対に割とさっぱりとした性格のは、そんな彼のことなど気づくことなく、わからないというのに必死にそれらも頭に詰め込めようとしていた。そのうち、これも繋がっていくのだとろうと勉強とはそういう地道なものが必要なのだと、元の世界の幾つにも折り重なっていた数式を思い出す。
確かにそれはそうなのだが、彼の専門的用語や考察が繋がる日は、まだ基本の最初の部分しか齧っていないには大分遠いものであるらしかった。彼女が紋章を扱える道のりは、まだまだ遠い。
とにかくそんな彼らのいる石版前、正確には大広間がいつも以上に騒がしくなった。それも並大抵のものではなく、響くのはどこか喜色を孕んだ声色である。
偶に煩くはなるが大抵は静かなその場として、その常ではない状況の中自然とルックとの講義は中断され、意識がそちらへと持っていかれた。
「――行って来れば。」
と、未だ騒がしい、よくよく見れば人だかりしか見えない大広間へと視線を向けていればルックが唐突にそう言った。
は石版を背に横で立つ彼を振り返ってなんのことか判らず、首を捻る。ルックは既に大広間へと視線を向けておらず、彼女へと視線を一瞥しするとはぁ、と一つ呆れた溜息を吐いてからルックは続けた。
「あいつが帰ってきたって。」
「あいつ?」
しかし呆れられても大分離れた大広間の様子など、わかるはずがない。は以前影で隠れて見ていたを当てたような、そんなルックみたいな不思議パワーは持っていないのである。
「この軍の軍主殿。帰ってきたそうだよ。」
そこではっと目を見開く。この軍の軍主殿――それは5日前、ガランの関所とやらに出で行ったティルのことである。
よくよく耳を済ませてみれば、グレミオの歓喜と安否を確かめる声が聞こえないでもない。きっとそのことを聞きつけて、慌てて彼を迎えに行ったのだろう。ティルのいない間、彼はどこか心あらずといったようで、常にティルの身を心配していたようだったし。
最近はすっかり悪夢をみることなく、睡眠も解消されていたためちょっとした空き時間――今までルックを見つめていた時間である――たとえば洗濯物を急いで洗って作った時間や、洗い物を急いで洗い終えた後に作った時間に加え休憩時間もほとんどルックとの紋章講座に当てられ、グレミオにも自身の世話などしてもらわず、まさにわが身を削る思いといったようにティルを心配ていた彼自身の休息にしてもらっていたのだが。
果たしてその効果はあったのだろうか。少なくても、毎朝調理台で会う度に彼は日に日にやつれていったような気がする。
そうしてティルのことを大層心配していたグレミオだが、もちろん彼の友であるも心配していた。
さすがにグレミオほどではないが、何しろ外にはモンスターなんてものがいるし、解放軍のリーダーとして帝国に狙われる身ということもあって、あんな細身で大丈夫だろうかとふとした拍子に思い出しては気がそぞろになっていたのだ。
だが5日経った今。この5日が遅いのか早いのか、この地の理に弱いにはわからない。ドワーフの村の周辺ならばなんとかわかるのだが、森を出てしまえばさっぱりである。
それだけで聞くとまるで自分は野生人かなにかのようだ、と少し気落ちしてしまうのだが今はそれどころではない。
そう、ティルが帰ってきたのだ。
「・・・・行かないの?」
けれどが彼の元へ行く様子はまったくなかった。未だ石版の元に座り込み、大広間へとじっと視線を向けている。
膝を抱え込み、は隣に立つルックを見上げた。
「そういうルックこそ、行かないの?」
「僕は人と馴れ合うのが嫌いだ。」
予想通りの答えに、は苦笑を浮かべてしまう。やはりここまで嫌悪も露わに、なんの躊躇もなく言い切ってしまう彼と、今こうして話せているのも奇跡に近いと思われた。 どうやらルックは見かけ通り、内面では意外にも押しに弱いらしい。そう考えると見かけに寄らず押しの強いティルとも結構どころか以上に頭の良い二人はかなり気が合うのではと思うのだが。
それも幾ら師匠からの命令といえど、人嫌いな彼が人に、布いては軍主の彼に従じているのだ。どう見たって彼は自分より上に立たれることが嫌いだろうに。
だからこそルックもティルという人を認めて、敬っているのではないかと思っていたのだが。
(これは人ごみが相当嫌なものだと見た。)
ティル、ということよりその周りに群がる人々に近づくのが嫌だと思われる。は苦笑いを浮かべる。
自身も彼と似たようなものだった。彼が心配だ。でも。
「私は、使用人だからね。」
やすやすと、軍主である彼に話しかけるのは心阻まれた。それに、今は多くの人々が彼の回りで帰還を喜んでいるのだ。そんなところに行って、どうして自分など使用人が相手にされようか。
いやきっと彼ならば、すぐに見つけてくれるだろう。しかし彼だって、立場ある者なのだ。それも彼は気にしなさそうなのだが、自分はそうにもいかない。
膝へと顔を埋め込み、まるで自身の存在がその大広間にいないかのように縮こまった彼女を見て、ルック眉を寄せてから溜息を吐く。
「僕も一応、魔法兵団長なんてものしてるんだけど?」
ははっと顔を上げてそう言った彼を仰ぎ見る。彼は相変わらず背中を石版に預け、腕を組み立ってまっすぐと大広間を見ているのだが。
気のせいではなく、どうにも彼の白い頬には少し赤みが掛かっていた。
「・・・・・励ましてくれてる?」
「切り裂くよ。」
慌ててはハンドアップし降参の意を示す。こうしなければ彼は必ず切り裂きという風の刃を自分へと向けてくるのだ。それはここ数日で既に学んだことである。
しかしこれでは。
(照れ隠ししてるようなものだよなぁ。)
思わず込み上げてくる笑いを必死に堪え、結果にまにまとした表情をしてしまう。これも数日、特に弟子入りし始めてからわかったことなのだが、彼は人嫌いと称されてる割に結構面倒見がいい。
なにしろ渋々ながらも、結局は自分に紋章のことを教えてくれているのだから。根は優しいのだろう。ただそれが屈折した性格の故滅多に出てこないだけで。
まさにツンデレとは彼のような人に相応しい言葉である。そのツンとした部分は人の心を容赦なく抉るか、一度デレを見てしまえば苛立ちも収縮し、代わりにかわいいやつめ、といったように流せてしまうようになるのだ。
「うん、ありがとう。」
とりあえず、彼の前では自分は素直でいようとは思っていた。それは曲がりに曲がった彼へと気持ちと意思を伝えるのにはストレートの方がいいとが判断したからだ。
だが普段から彼女が馬鹿正直であるかどうかは、彼女を知る回りの人のみが知る。
とにかくもそう言いきって、は再び膝へと顔を俯かせる。ルックが彼女の言葉に嫌そうに振り返ったが、彼女は目を閉じ顔を俯かせていたため気づかなかった。
ルックにそう言われても、は彼の元へ行くことが出来なかった。踏み出す勇気がなかったのだ。
自分と彼は違う。軍主と使用人、暮らした場所、体の中に流れる時。何もかも。そう、彼とは違う生命なのだ。彼だけではない。今この場所で知り合ったどんな人達もみんな。
がこの地で出会った人はみんな、自身にとてもよくしてくれると思う。そんな線などないかのように暖かく触れてくれる。けれどには彼らとの間に線が引かれていてるように感じていた。
今こうしているときも、大広間からのいる場所は走っても走ってもたどり着けない、地平線の彼方のように遠く感じる。
その距離は遠すぎて、時には泣き出してしまいたい衝動に駆られた。
膝に顔を埋めたまま視界をしばらく闇に閉ざしていただったが、次に顔をあげると、明るかった大広間は薄暗闇包まれており、柱に括りつくられた燭台には炎が宿っていた。
どうやらいつのまにか、眠ってしまっていたらしい。こんな場所で座り込んで寝るなどと、昨夜飲んだ眠気薬が残っていたのかもしれない。何しろ失態だ。
は使用人である。きっと今頃夕食の準備に皆大忙しだろう。一人こんなところで寝ている場合なんかではなかった。
「やっと起きたの?」
慌てて起き上がったところで、突然下からそんな声が聞こえては驚いてそちらを見る。同じく自分を見上げてくるのは寝起きには少し刺激の強い、薄暗闇の中でも変わらず麗しく端正な顔。
ルックが昼間のときとは違って石版のもとへ座り込んでいたのである。
「え、ルック!?なんでここに!?」
「ここは僕の定位置なんだけど。」
確かに石版の前で、ルック以外の人間を見たことはなかった。
「あー、うん、ごめん。邪魔して。」
ルックの一人の空間を、用もないというのに半日程邪魔してしまったのは確かである。人嫌いな彼だから、それはそれは大変苛立つだろう。下手すれば彼のお得意の切り裂きを食らって起こされていたかもしれない。
「判ってるなら僕に付きまとうの、やめてくれない?あと、僕の肩は高くつくからね。」
気まずそうに頬をかいてそう言えば、ルックが眉を潜めてそう言う。うん、ごめん。と言おうとしては彼の台詞の後半の部分がおかしいことに気が付いた。
前半はわかる。というか多分言われるだろうなと思っていたからだ。だが、後半はなんだ?
「えー、と?」
呆然ともう一回言ってくれない?とばかりに声を上げただがルックはお構いなく自分の法衣を眺め回しながら続ける。
「これで僕の法衣を汚してたりなんかしてたら、僕は君を切り刻んでいたよ。命拾いしたね。」
ここまで来ればは信じられないが事の次第を理解した。本当に信じられないが。
(ルックが・・・・肩を貸した・・・・!?)
通常なら他人の肩を借りて寝た自分を恥じるところだが、その相手がルックであるからこそは恥も吹っ飛び驚愕に目を見開く。ルックが。あの人嫌いのルックが。あの僕に触れるな触れたら切り刻むぞといったぴりぴりとしたオーラを常に纏ってるどころか振りまいているルックが!??肩を!?
しかもその相手が、恐らく押しかけ女房よろしく無理やり彼の弟子に成った自分であるからこそ、驚き度合いは増す。彼が実は優しい人なのは知っている。 けれどいかに優しかろうと、自分みたいな人物は嫌われているものだと思っていたのだ。だから彼が自分に肩を貸すだなんてそんな事態が信じられないし、想像も出来ない。
もし本当にそうなら是非ともその場面を録画して証拠を見せて見ろといいたい。
「あー本当に?」
まさかそんな。これはきっとからかわれているだけに違いない。
けれどルックはそんな彼女に不快そうに顔を歪める。
「僕が嘘でもこんな事を言うと思ってるの?」
言わないだろうな。君ほんとうに正直者だし。
「そっか・・・・。ごめん。ありがとうね。法衣が汚れてたら貸して。私、洗濯しとくから。」
「別に汚れてないからいいよ。というか、あんたさっさと行かなくていいわけ?一応使用人でしょ。」
掌を振りながらさっさと行け、と言わんばかりの彼の動作には自身の状況を思い出し冷や汗をかく。動揺したせいもあってか、彼女はルックが口にした後しまったといったような表情を作ったことに気づかなかった。
「そうだった・・・!」
しかし微塵も気にしたそぶりもなく、彼女はくるりと踵を返し去り際に手を上げ笑顔を浮かべる。
「本当ありがとうね!ルック!」
思わずルックはそんな彼女に呆れた視線を送った。
つい数時間前、自分の地位を考慮して、本当は近づきたいのに近づけないと呟き、いつもの腹正しいほどの図々しさを潜め、寂しげに体を縮こませていた様子などこれっぽっちもない。
・・・・人が心配してやったというのに。やはりあいつは馬鹿女で神経の図太い迷惑女である。
心の中では散々彼女のことを罵倒して、さっさと視界から消えてしまえと思ったルックだが、ふと思い出したそれを無意識に口にしていた。
「あいつには近寄らないほうがいい。」
「え?」
踵を返していたは再びルックに声をかけられ、若干驚きつつも彼を振り返る。今日は本当にどうしたというのだろう。いつもならさっさと行けとばかりにから背を向けるというのに。彼から話しかけてくるなど。
しかし折角だが彼が伝えたいことがわからず、は首を傾げる。
「どういうこと?あいつって?」
「軍主殿だよ。」
「ティル?」
なぜそこでティルが出てくるのか。ルックが珍しくもからではなく自分から声を掛けてくるということから、それにまっすぐとの目を見たその顔が真剣味を帯びているから相当重大そうなのはわかるのだが。
本当ならここで素直に彼の言う通り従うべきなのだろう。なにせ彼は嘘は言わない。ここ数日彼に引っ付いて回ったは皮肉屋でもその根は酷く生真面目で純粋、信用にたる人物だということも知っていた。
「それは無理かな。」
は考える素振りをしてから、困ったように苦笑を浮かべた。
ルックは信頼しているし、ティルに近づくなということもきっと何か思惑があってのことだろう。
けれど、ティルを避けるなど――そればかりは受けいられる内容ではなかった。なぜなら彼はの恩人であり、この世界で良くしてくれる一人でもあり、友人でもあるからだ。自身彼といることは楽しく時に腹正しいこともあるが。それでも彼と過ごす時間は暖かくて幸せな時間だ。
そんな穏やかな時間をなくすなど、自分にはどうあっても無理であった。それはこの世界の楽しさ――生きていく上での掛買いのない楽しさをひとつ、失ってしまうことになるからだ。
それを手放すことなど、無理なのだ。
彼女が彼の言葉を真剣に受け止め、答えを出したのを確かめるかのようにルックはの目から少しも目を逸らすことはなかった。もそんな彼に答えるかのように笑みを浮かべながらも、真っ直ぐと彼を見る。
数秒して、互いの視線が途切れた。ルックが視線を地面へと落としたからである。
「忠告はしたよ。」
「うん。ありがとう。」
彼の意図はにはわからない。けれど忠告というからには少なからず自身のことを思って言ってくれたのだろう。笑顔でそう伝えればそれを見たルックが渋面を浮かべる。
「用はそれだけ。もういいよ。さっさと行きなよ。目障り。」
「はいはい。」
素直すぎるのもどうかと思うが。けれどそんな彼の言い草にもは笑みを浮かべて、今度こそ調理場へと駆けていく。
彼女の心には少しも怒りらしい怒りは生まれなかった。なぜなら一度デレの部分を見てしまえばどんなことを言ってもかわいいやつめと思えてしまう彼がツンデレであるからだ。
果たしてそんなこと思ってるとは知らないルックといえば、邪険に扱ったというのに笑顔なんぞ向けられ、釈然としない思いを抱くのだった。
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