Skyting stjerner2-26
「気がついたか?」霞んだ視界の向かい側から、声が降ってくる。視線を向ければ、口元の小皺が目立つ、温厚そうな顔立ちした中年の男が、扉を開けて部屋へと入ろうとしているところだった。反射的に上半身を起こそうしたが、男は手で制する。
「まだ、無理はしない方がいい」
男は部屋の中心に置かれていた、木製の卓と足早に向かう。水差しとコップを手に取り、盆に乗せる。その背を、ぼんやりと眺めた。
男は白髪が混じった髪を後ろに撫でつけ、背筋をピシリと伸ばしていた。身なりと丁寧な所作から、とてもそこらの村民には見えない。少なくても、農民ではないはずだ。彼自身も成人を迎えたばかりの年頃の割には、体躯に恵まれていたが、男もまた、すらりとしていて、上背があった。男は寝台脇の小卓に、水差しと洋杯を乗せた盆を置くと、傍に置かれた椅子へと腰かける。伸ばされていた背筋が、男の長身をより強調して見せていた。
「他都市との交渉帰りの道中で、君を見つけてね。随分とボロボロで、驚いたよ」
頭が解く、重かった。脳が思考しようとするのを、止めているからだと気づいたのは、男の言葉で全てを思い出したからだ。
「・・・聞いてもいいかね。確か、あの辺りは、ノースウィンドゥがあったはずなんだが・・・。君を治療してもらおうと、近くのあの村に寄ってみたら・・・・酷い有様だった。村のはずれに、土が柔らかい、埋め立てられたばかりの墓がいくつもあった。君が倒れていた街道から、あの村は近い。君自身、随分と泥塗れだったが、あれは・・・」
「・・・・村は、滅ぼされたよ」
全てを思い出した。何時までも続くと信じて疑わなかった平穏な日々が、崩れ落ちた瞬間を。
寂れて、これといった特産品もない、お世辞にも恵まれているとは言えない田舎だ。村の連中は皆、家族のようなもので、顔を知らない奴なんていなかった。どいつもこいつもお節介な奴らばかりで、煩い連中だ。だからこそ、成人を迎えたばかり男が、例え村一番の腕っぷしであっても、村を出ようとは思っていなかった。彼にとって、村の端っこに住む、今にも息絶えそうなヒョロヒョロな爺さんも、口煩い説教じみた婆さんに、近所のガキンチョも、村長が飼っている犬ですら。男は一番、村で腕自慢なのだから、守ってやらなければいけないと思っていた。のどかな村だったのだ。ーーーあの時まで。
「俺が、村に戻った時は、村の皆はもう、息を引き取っていた。・・・俺だけ、外に出ていて、無様にも生き残っちまった・・・」
村に戻った男が見たのは、惨憺たる有様に変わり果てた村の景色だった。しぶとく死んでも死ななさそうな爺さんは、村の入り口で、柵にもたれかかって倒れていた。手元には、あれだけ手にしただけで震えるのだから、持つなと言いきかせていた斧が、刃がこぼれた状態で、地面に突き刺さっていた。婆さんは、村の中心の広場で、杖だけは決して放さず、強く握りしめたまま倒れていた。村の一番奥にある、家の扉の前では、手足があらぬ方向に折れ曲がり、蹴り殺された村長の犬が。隠されていたのだろう、その家屋の中にいた子供らさえも。年寄りも若い連中も、誰一人、生き残っている者はいなかった。
「・・・強くなって、上手いもん、食わせてやりたいだけだったのに。なんで、俺だけ・・・。・・・腕っぷしばっか強くなっても、こんなもん、何の役にも立たねぇ!!!」
両拳を強く握りしめて、男は吼える。掌に食い込んだ爪が皮膚を突き破り、巻かれた包帯に血が滲んでいく。
「俺が外に出てた、ばっかりに・・・村の連中、全員、・・・!」
男の腕っぷしが強くなったのは、村全員分の埋葬し、墓を建てるためではなかった。剣を振り続けて出来た掌の肉刺にも、意味もない。掌の皮膚が擦り切れようとも、只管スコップで穴を掘り、朝も、昼も、夜も、一度も休むことなく、埋め続けた。彼の悲痛な叫びを、ベット脇の椅子に腰かけた男は、膝の上に拳を置き、黙って聞いていた。
「・・・見たところ、君も、しばらく何も食べていないだろう」
小卓に置いた、コップを手に取ると、水差しから水を注ぐ。一杯の水を、男の前に差し出した。
「水も、何も口にしていないはずだ。まずは、飲みたまえ」
パン、と乾いた音がした。目の前に差し出されたコップを、男が衝動のままに払い除けた。質のいい絨毯に転がった洋杯は、幸いにも割れずに済んだが、零れた水が絨毯に染みを作っていく。払い除けられた手に視線も向けず、男は鋭い視線で咎めた。
「君は、死ぬつもりか?」
椅子から腰を上げた男は、部屋の中心に置かれた、卓へと向かう。予備のコップを手に取ると、再び水差しから水を注いだ。無言のまま、苛烈なまでの後悔に苛まれる男の前に、もう一度、コップを差し出す。
「今の君は、残された者達の思いに、応えられているのか?」
細身で、穏やかな風貌からは想像できない、力強い言葉だった。
瞬間、男の脳裏に、村でのやり取りが思い出される。
駆けつけた時には、既に手遅れだった。抱き上げた男に対して、腕の中の恋人の顔は青白い。衣服には血がこびり付き、四肢からは力が抜けて、だらりと地面に横たわっている。何度名前を必死に呼んでも、閉じた瞼は開かない。
「お前だけは、お前だけは絶対に・・・」
男は、村を理不尽にも遅い、暴虐の限りを尽くした相手を、恨んだ。例え、自身が死のうが、絶対に、生かしてなるものか。絶望と後悔に飲まれ、臓腑の奥底から恨みを吐き出す男の意識を戻したのは、ひんやりと頬に触れた、氷のような掌だった。はっとして視線を向けると、腕の中に抱えた恋人が、閉じていた瞼を辛うじて開けて、こちらを見上げていた。
「・・・ビク、トール・・・貴方は、生き、て・・・」
か細く、小さな声だった。それでも震える唇で、告げた彼女の言葉が、耳にこびり付く。彼女の眼差しは、死に直前しているとは思えないほど、酷く穏やかなものだ。
咄嗟に、男が頬へ添えられた手を握り返そうとしたときには、女の振り絞った、微かな力が抜けてしまう。男は彼女の手を握って、名前を何度も呼んだ。だが、返事が返ってくることは、二度となかった。
それが恋人との、最期の会話だった。
もう一度、男が力強い言葉で催促する。温厚さを残した柔らかな表情に浮かぶのは、唯只管に、痛いほどに真摯な眼差しだった。
「さぁ、飲みたまえ」
愛した人を残していく時、須らく思うのは、残していく者のことだろう。
残される者が、例えどんな思いを抱いても、彼らが思うのは、残していく者の不幸等ではない。それを痛いほど理解しているのもまた、残される者だ。なぜなら、自身も相手と同じ、思いを抱いているからだ。
震える手で、男は一杯の水を受け取る。腹の奥底から湧き上がる慟哭を、無理やり押しとどめる。喉元まで迫り、圧迫する苦しみを、水と共に飲み込んだ。
***
タイ・ホーの船で、達は南のサウスウィンドゥへと向かう。途中、視界の先が見えないほどの霧雨に見舞われたものの、風は安定している。こちらには、どんな運河でも進める抜群の腕を持つ、船頭がいる。霧雨のおかげで、逆にハイランド軍に気取られる事無く、達は対岸のクスクスまで辿りつけた。
「さっき、タイ・ホーさんと何を話してたの?」
クスクスに着き、町の南にあるサウスウィンドゥへと向かう道すがら、横にいるリオウが尋ねてきた。は舟から下りると、別れ間際、タイ・ホー達に何やら話していた。それは他でもない、ティル達のことだった。彼等は相当、を探してくれているらしい。旅の最中偶に会うクライブやシーナですら知っている程だ。だから念には念を入れて、は自身と会った事を誰にも云わないでほしいと伝えたのだ。もしくは元気にしていたけれど、どこに向かったかはわからないと。タイ・ホー達は、顔を歪めていたが、訳ありだと必死の表情を浮かべるに、最終的には頷いてくれた。
解放軍のリーダーとして、幾人もの仲間を、親友を失い、実父を敵に回し、その手で打ち取ろうことになるとも、彼は決して折れずに、突き進んできた。ようやく、先の戦を終えたばかりなのだ。ハイランドに追われている達は、まだこの戦乱から抜け出すことは、出来そうにない。リオウやジョウイ、ナナミ達を、見なかった事にしてしまうには、情が移りすぎてしまっている。偶然、リオウ達と再会した、国の行末をも見定めるという、星見のレックナート。彼女曰く、天魅星の宿主のティルは、いずれ戦に巻き込まれる定めにあるという。は、これ以上、彼を戦に関わらせたくはなかった。もう十分なほど、彼は傷ついてきた。
「ちょっとね」
これは、自身の問題だ。リオウ達に言えるわけもない。は、曖昧な笑みを浮かべる。リオウは詳しく聞きたそうにしていたが、それ以上、詮索することはなかった。
「よお!やっと来たな!こっちだ!!」
程なくして、サウスウィンドゥに着いた。町へと入ると早々に、明るい声が市中に響く。見れば数メートル先で、大男が勢いよく達へと手を振っていた。アイリが顔を歪める。
「誰だい、あそこで大声出してるのは?あんたの知り合いかい、リオウ?」
達は半笑いを浮かべながら、否定する訳にもいかず頷く。市街を歩いていた市民が、大声を上げて手を振る大男を、怪訝そうに見ていた。
「あ、こっちにくるよ」
すると、渦中の男が軽い足取りで近づいてくる。彼が歩くごとに視線がこちらに集中して、ちょっとその場から逃げたいとは思った。図体もでかければ行動もでかい大男、ビクトールは、達の前に着くと、腰に手を当てて歯茎を見せて笑う。
「はっはっはっは!
よく生きてたもんだ、嬉しいぜ。
ミューズじゃあ、バラバラに逃げたからよ。皆、どこ行っちまったか見当もつかなかったんだが・・・」
そこでビクトールが、不自然に言葉を止める。目を瞬かせ、リオウとの横に視線をずらすと、そっとリオウに顔を近づけた。
「おいおいおい、リオウ。どこでこんな可愛いお嬢さん方と、お友達になったんだ?お前も隅におけねぇなぁ」
嫌らしい笑みを浮かべながら、肘でリオウを小突く。それが聞こえていたのだろう、アイリが秀麗な眉を寄せる。
「ちょっとあんた!」
「ふふふ」
「え?え?かわいい?わたしのこと?」
リィナが微笑み、ナナミが目を瞬かせる。すると、ビクトールは無言でナナミを見てきたので、ナナミは肩を落とした。
の後ろから、不貞腐れた声があがった。
「で、行方不明だったビクトールのおっさんは、いつになったら俺に気づいてくれんだ?」
衣服のポケットに片手を突っ込んだシーナだ。ビクトールは口の端を吊り上げて、嬉しそうに答える。
「冗談だよ。すっこし見ない内に、でかくなったなぁ、シーナ」
「お前は俺の親父かっつーの」
肩を組み、矢鱈と親しげな彼等に、質問を投げかける者はいない。クスクスへと向かう船の中のことだ。時間もあったことから、道中に加わることになったシーナも交えて、それぞれの自己紹介を終えていた。その時に、シーナは当時、ビクトールと同じように解放軍に参加していたと、教えてあったのだ。シーナと軽くふざけ合っていたビクトールだったが、ふと視線を一同へと向ける。
「ところで、ジョウイはどうした?」
流れていた穏やかな空気が、一瞬で変わる。重苦しい空気が、その場に沈殿した。暗い表情を浮かべるリオウ達に、ビクトールは顔を引き締めた。
「実は・・・」
影を落とした表情で、リオウがミューズでの出来事を話し始めた。
話を聞き終えたビクトールが顎をさする。
「そうか・・・アナベルが暗殺されたってのは聞いてたが・・・」
ジョウイのことは、何よりもリオウとナナミ、でさえも衝撃を受けた。だが、ビクトールは、アナベルと随分と親しげだった。成り行きとは言え、今まで自身が保護し、面倒を見ていたジョウイが裏切り、アナベルを殺したのだ。一月にも満たない付き合いのジョウイ達よりも、親しくしていただろうアナベルを殺めた事に、ビクトールが憎しみを抱いても可笑しくはない。むしろ、当然ともいえよう。ビクールは、静かに一度、目を伏せた。
「そんなことがあったとはな・・・」
一拍して、顔を上げたビクトールは、いつも快活な彼にしては珍しく、柔らかく微笑む。
「まぁ、なにか考えがあるんだろうさ」
にっと笑うと、眉を僅かに下げて、こちらを気遣う表情を浮かべたリオウの頭を軽く撫い混ぜた。大きな犬を撫でるような、ビクトールらしい随分と乱雑な手だったが、彼の変わりない様子に、ジョウイの親友であるリオウは安堵する。その場の空気を変えるように、ビクトールがリオウの肩を軽く叩いた。「それより、ついて来いよ」
「フリックも酒場にいる。とりあえず、再会を祝そうぜ」
知り合った当初は、女伊達らに、肝の座ったやつだと感心を抱いた。傭兵という生業から、強かな女性と知り合いが多い彼だったが、彼が知っている女性とは、一線を画しているように感じた。嘗て亡くした恋人も、おっとりしているように見えて、肝心なところは揺るがない、いい女だったが、彼女は表立つことを好まず、陰で寄り添い、支えるような性格をしていた。だから、余計珍しく映ったのかもしれない。命さえも惜しくもなく、全身全霊で、市民を思う。役人として、市長になる前からそうであったのだから、最早彼女の性格だろう。長になってからは、これ以上ないほどの適役ではあるが、故に、危うさを感じても可笑しくはない。けれど、それを覆してしまう程の、安心感が彼女にはあった。明朗快活を体現したような男である彼と彼女の気が合い、2人で酒を飲みかわすようになるのも、そう時間はかからなかった。
夜も更けた頃合いに、いつものように酒を飲みかわしていた時の事だった。酒が入っている時、彼等は滅多に重苦しい話を交わすことはない。だが、その日の彼女は珍しく、真面目な表情を浮かべていた。杯に注がれた酒の表面を眺め、物憂げに呟く。
「ビクトール。私に、何かあった時は・・・」
「なんだよ」
片眉を上げて、男は催促する。だが、女が続きを口にしない。次の瞬間、女は勢いよく盃を呷る。酒を飲み干した彼女からは、浮かべていた表情は気の所為だったのかと思えるほど、重々しい表情は何処にもなかった。
「いや、何でもないさ」
女はからりと笑う。いつもの気丈な彼女だ。男はそれ以上、続きを促すことはしなかった。飲みかわす酒の合間に、何時ものように下らない話をして、馬鹿にしたり、馬鹿にされたり、そうやって笑って過ごし、酒の時間を楽しんだ。
女がとうとう口にすることはなかったが、彼女の気の迷いであったとは、男も思ってはいない。
ーーー知っているさ、その言葉の続きなんて。
サウスウィンドゥの町の作りは、中国の旧下街のようだった。箱の上に座り煙管を吐く男性や、路地で将棋を楽しむ者が目に入る。通りを三つ程曲った所で、他と違いやたらと賑わう建物があった。酒場だ。中に入ると早速青い外套が目に入る。それを見てシーナがまだ青いんだな・・・と感心したように呟くので、は思わず噴出してしまった。
フリックのいる席へと向かうと、席に着く前に彼が達に気づいた。
「よく生きてたな、、リオウ。ナナミとピリカも・・・て、そこのお前はシーナか?」
「よう。久し振り、フリック」
シーナが片手をあげて応える。思わぬ再会に、驚いた表情を浮かべるフリックが口を開く前に、ビクトールが制止する。
「悪いが、挨拶は後だ。話がある。こっちに来てくれ」
ビクトールは、フリックが腰を落ち着かせている卓の空いてる椅子に、どしりと腰掛けた。倣って全員が座るのを確認すると、ビクトールが続ける。
「まぁとりあえず話を聞いてくれ」
そうして、ビクトールはビクトール自身達の話を始めた。
「と、まぁこっちも色々あって昨日ここについたばかりって訳だ」
「こいつが色々寄り道をするもんだからな」
「結局辿りついたんだから、いいじゃねぇか」
肩を竦ませたフリックに、ビクトールが唇を尖らせる。どうでもいいが、中年大男の拗ねたようなそれは大層強烈で、思わずリオウ達は頬を引き攣らせた。そうとも気付かず、ビクトールは話を続ける。
「まぁそれで、ここで皆が来るのを待ってたって訳さ」
「レオナさん達は・・・?」
「いや、まだだ。俺達が最初で、次がお前らだったみたいだな」
の質問に、ビクトールが首を横に振る。表情を不安に曇らせる達に、フリックは安心させるように言った。
「なに、皆いずれ追い付くさ」
誰もがレオナやユーリ達に想いを馳せる。どうか無事であるようにと。話が落ち着いた頃合いで、ビクトールが太ももを叩いた。
「さぁて、そろそろ時間だな!」
達の視線を集めたビクトールが、にやりと笑う。隣に座る、リオウの肩に片腕を回して絡んでくるおっさんに、リオウも慣れたものだ。抵抗すると、おっさんはより面倒くさいので、為されるがままになっている。
「これから、サウスウィンドゥの市長、グランマイヤーと会うことになってるんだ。リオウ、お前も付き合えよ」
「市長・・・パトロンになってもらうつもりですね」
リィナの鋭い指摘に、ビクトールは頬をかいて頷いた。
「まぁ、そんなもんだ。今あちこちに人をやってばらばらになった仲間を集めている人が集まってきたら器がいるってもんだ。メシ食うのにも、金がかかるからな」
生きていくために、必要なことだ。
「私も行くー!!」
ナナミが元気よく手を上げて、意思表明する。続いてリィナとアイリが口を開いた。
「私は、ここでお茶を楽しんでます」
「固苦しいのは、チョットね」
「じゃ、俺はお姉さん達のお相手を」
語尾にハートでも付けそうな勢いでシーナが言う。未だにムクムクを肩に乗せたボルガンが、両手を振った。
「いってらっしゃーい」
「・・・じゃあ、私もリオウ達と行ってくるね」
そう言えば、何故かシーナに見られた。は目を瞬かせるが、シーナは無言でこちらを見て、唸りだしてしまう。そんな彼にびくつきつつも、ビクトールに肩を叩かれ促されると、達は酒場を後にしたのだった。
サウスウィンドゥの市庁舎は、町の東にあった。酒場から少し歩いた所で、立派な朱色の円柱と石造りで出来た、大きな建物を見つける。市庁舎だ。ほとんどの市庁舎では、用心のために警備兵をつけるが、サウスウィンドゥの市庁舎では、市民の為に常時解放されているらしい。市庁舎内は役人の他にも、市民で活気づいていた。市内も貧困の差はないようで、ミューズ同様に市政の敷かれた、良い都市であるようだ。左手に進み、一番奥の部屋の前まで行くと、扉の前に人が一人立っていた。男はビクトール達に気づくと、姿勢を正す。
「ビクトールとフリックさんですね。話は聞いております。中へどうぞ」
一同の中でも、飛びぬけて体格が良く、一際目立つビクトールとフリックは、先の戦の功績もあり、随分と有名だ。ましてや都市同盟の一つであるミューズで、彼らは傭兵として活躍していた。風来坊のビクトール、青雷のフリックと、近隣の都市でも、その名を知らない市民はほぼいない。名を名乗る前に、察した彼により、達はすんなりと中へと通された。
市庁舎の奥の部屋には、長身痩躯で、温厚そうな中年の男性が居た。白髪の髪を後ろに撫でつけた彼は、背筋を伸ばして立っており、ビクトール達を見ると頬を緩ませる。
「あの敗戦の中、よく無事だったなビクトール」
「グランマイヤー殿も、御無事で何より」
ビクトールも頬を緩ませて、頭を下げる。サウスウィンドゥの市長、グランマイヤーは、穏やかな表情のまま、それを手で制すると、ビクトールの前と片手を差し出す。再会の喜びに握手を交わした後、グランマイヤーは温和な顔立ちを、厳しくさせた。
「ミューズ市は既にハイランドの手に落ち、このサウスウィンドゥも危機に晒されている。ミューズの傭兵の中でも名を知られた、君の力を借りたいと思っている」
「もちろん、喜んで力になります」
「うむ、頼むぞ」
ビクトールの頷きに、グランマイヤーは頬を緩ませた。が、すぐに表情を切り替える。
「・・・ところで、君の出身はノースウィンドゥだったな」
思ってもみない話題に、ビクトールは一瞬目を瞬かせた。そして頷く。
「ええ、まぁ」
「フリード」
グランマイヤーの言葉に、彼の斜め後ろに下がっていた一人の男性が前へ進み出た。黒髪を真ん中で分け、眼鏡をかけた、神経質そうな男だった。彼は、眼鏡の山を押さえると、はっきりとした口調で答える。
「はい。最近、かつてのノースウィンドゥの周りで女性の行方不明事件が起こっております。調べに行った部隊の報告では、ノースウィンドゥに化け物が住みついているとのことです」
「ビクトール。君なら、あの村の事をよく知っているはずだろう」
グランマイヤーが眉尻を下げて、ビクトールを見た。
「辛いと思うが、行ってくれぬか」
「・・・そりゃまぁ、いいですけど」
了承するビクトールに、グランマイヤーは視線を横へと向ける。彼の隣には、先程の男性が背筋を正して立っていた。
「私の副官、フリードも同行させる。行方不明事件の解明を頼む」
グランマイヤーの言葉を受けて、男、フリードがビクトールの前に進み出た。勢いよく手を差し出すと、腰から頭まで一直線にかけて、綺麗な三十度で頭を下げる。
「フリードです。ビクトールさん、あなたが我がサウスウィンドゥに力を貸してくれることを嬉しく思います。共に頑張りましょう。よろしくお願いします」
「あ、ああ・・・まぁ、ぼちぼちな」
矢鱈ときびきびとした動作をとる彼に、ビクトールは苦笑し、差し出された手を握り返すのだった。
フリードを連れて部屋から出ると、ナナミが不思議そうな表情を浮かべて、ビクトールに尋ねる。
「ねぇねぇねぇ、何?ノースウィンドゥって、故郷なんでしょ。辛いって、何があるの?」
「行きゃわかるよ。それよりも、いったん戻るぞ」
ビクトールは肩を竦めて、そう答えるだけだった。
「どうでした?」
酒場に戻ると、シーナの向かい側に座っていたリィナが尋ねてきた。ビクトールは空いていた椅子を引いて、どかりと腰かける。
「まぁな、金は出してもらえそうだ。ただ、ちょいと頼まれごとをされてね」
「そちらは?」
リィナがビクトールの隣にいるフリードを見た。フリードは伸ばした背筋を更に正すと、顎を引き、胸に手を添えて軽く会釈する。
「申し遅れました。私、グランマイヤーさまの副官フリードと申します。今回、ノースウィンドゥまで皆さんに同行することとなりました。よろしくお願いします!」
「元気な方ですね」
リィナがフリードの様子に、微笑みを浮かべる。続いて、ビクトールが言った。
「まぁそういう訳で、ノースウィンドゥに行くことになったんだが、リオウ、お前は一緒に行くだろ」
「私も一緒に行くー!ノースウィンドゥってどういう所か興味あるもん」
「私もちょっと興味あるわね」
ナナミに続いたのは、アイリだった。卓に肘をつき、そっぽを向いたままの告げた彼女に、向い側に座るリィナが意味深に笑う。気づいたリィナがすぐにアイリが睨みつけるが、リィナは軽く微笑み、素知らぬ顔である。
「私はここで待っています。この子を見ている必要がありますから」
「よしピリカ、ムクムク、一緒にお留守番だぞぉ」
ピリカを抱きかかえ、ムクムクを今もなお肩にへばり付けさせたボルガンが言う。彼らの隣に腰かけた、フリックが口を開こうとした。
「それじゃ・・・」
だが、それはリィナが許さなかった。リィナは黒真珠のような瞳を僅かに伏せ、ついと視線を横へと流す。
「ねぇ、あなた私のお茶の相手をしてくれない?一人じゃつまらないわ」
抜群のプロポーションを持つ、妖艶な女性であるリィナの流し目の先はフリックである。突然の矛先に、フリックは肩をビクつかせた。
「ええ、お、俺?でも、一人って訳じゃ・・・」
しかし、フリックに加勢するものは誰も居なかった。周りの誰からも援護はない。ビクトールが神妙な表情を浮かべて、フリックの肩を掴んだ。
「じゃあ、こいつは置いて行くんで、好きにしてやってください」
背中を押されたフリックは慌てる。冷や汗すら流しながら、声を荒げた。「待てよ、どうして俺が・・・!」
「あら、私と一緒はお嫌ですか?」
「いやいや、そういう訳じゃなくて・・・!」
「じゃあ、フリック、頼んだぜ」
ビクトールは涙目で相棒に助けを求める彼の肩を軽く叩いた。最後に、ビクトールの視線がとシーナに向く。
「で、お前らはどうする?」
「私は行くよ」
「んじゃ、俺も行こうかな」
に続いて、頭の後ろに手を置きながらシーナがそう言った。思わず彼を見ると、シーナはそんなに呆れたように言った。
「言っただろ。お前、放っておいたら何するかわかんねぇからな」
「シーナ・・・」
はシーナの物言いに、眉をよせる。自身をいったい何だと思っているのだ。すかさずが文句を言おうとした時である。はいきなり腕を引かれた。
「リ、リオウ?」
「!行こ!!」
リオウだ。彼はの腕を引っ張り、酒場の外へと向かう。先に行こうとする彼等の後を、フリードが追いかけた。
「では、出発いたしましょう。ノースウィンドゥの街はここから北西に行ったところです。そうですよね、ビクトールさん」
「ああ、そうだよ。そこまで知ってりゃ俺が行く必要ないと思うがね」
ビクトールは、やれやれと肩を竦めた。
数分程、何故かリオウは苛立っているようだったが、話している内に、それも静まっていった。だが偶にシーナが会話に入ると、途端機嫌は悪くなるので、シーナが苦手なのだろうか、と人好きな彼に珍しい反応に、内心は首を傾げていた。
ノースウィンドゥへは、フリードが手配してくれていた馬車で向かうことになった。お陰で、徒歩であれば1日はかかるであろう距離を、数刻で着くことが出来た。
ノースウィンドゥは、ビクトールの故郷だ。は解放軍時代、ビクトールの過去を、僅かばかりだが聞いていた。自然と、顔が引き締められていく。
ノースウィンドウに着いたのは、日が暮れる前だった。
丁度、夕餉の支度で活気づく時間帯だが、町は静まり返っている。いや、人が暮らしている、生活音すらない。それも当然なのだろう。
辿り着いた町は、廃墟と化していた。人が住まなくなり、随分と年月が経っているようだった。
代わりに、焼けた大地には、いくつもの墓標が立てられていた。ナナミが唖然とする。
「ここが・・・ノースウィンドウ?ビクトールさんの故郷・・・」
ナナミははっとすると、ビクトールに振り返り、眉を下げた。
「ごめんなさい・・・あの時、あんなこと聞いて・・・・」
「ははは、見ての通り、しけた村だろ?」
ビクトールは、特に気落ちした様子を見せることなく、笑って見せる。ナナミと同じように理由を知らないアイリが、眉を顰めた。
「しけた村って・・・ここで何が?この墓は?」
「この墓は、この村に住んでいた人たちの墓さ。何年も前、ネクロードという吸血鬼がこの村を襲った。奴は慰みに皆を殺し、その血をすすり、そして立ち去った。俺はその時、たまたま町を出ていて助かった。そしてただ一人生き残った俺はこの墓を建てて回ったんだ」
当時の事を、思い出しているのだろう。墓標を見つめながら語ったビクトールは、そこで視線をリオウ達へと戻す。
「でも、まぁ昔の話だ。ネクロードも、この手で討ち取ったからな」
「さてさて、それはどうでしょうね?」
直後の事だった。背後から、不気味なまでに低い声が轟く。はっとして振り返れば、そこには、達にも思ってもみない人物が居た。
黒いマントを羽織った、不気味な雰囲気の男だ。襟まで詰められたブラウスは上等なものだが、撫でつけられた黒髪に、肌は青白く、死人のようだった。反例するように唇は真っ赤で、釣り上げられた口の端に嘲りが乗る。
解放軍時代、倒したはずのネクロードが、墓地に音もなく佇んでいた。ビクトールの眼光が、見たこともない程鋭くなる。
「き、きさま!なぜ!!!」
険しい表情を浮かべるビクトールを、ネクロードは鼻で嗤う。
「不死身の吸血鬼が、あなた如きに倒せると思ったのですか?それは、浅はかというもの」
歯軋りせんばかりに睨みつけるビクトールに、ネクロードはそこで、笑みを深くした。
「くっくっくっ、しかしこの村は良い所だ。あなたのお陰で、死体もこの通り良い状態ですよ」
瞬間、ネクロードの背後を、何十匹もの蝙蝠の群れが飛び交う。
まず、異臭が漂った。クサヤや、腐った卵のような、それでいて甘く鼻の奥をツンと刺激する、日常生活で感じる臭いとは比較にならないほど強烈で、不快な臭いだ。ーーーこの異臭を、達は知っている。
視界を覆った蝙蝠が消えると、そこには、幾人もの人間が佇んでいた。衣服は泥まみれで、所々擦り切れている。まるで随分な年月を経過し、劣化したかのようだった。肌の色は異常なまでの土色で、映ろな瞳は焦点が合わない。髪も爪もぼろぼろで、口の端から、涎を垂らしている者もいた。年寄りに、子供、年齢は様々で、人間以外にも、犬までもいた。
背筋に悪寒が走る。ビクトールの顔が白を通り越し、蒼くなった。ネクロードが目を細める。
「おや、顔色が変わりましたねぇ。どうしました?もしかして、こいつらは貴方の顔見知りですか?くっくっくっ」
ネクロ―ドが引き連れた人々は、かつてのノースウィンドウの村人達の、屍だった。
ビクトールは奥歯を噛み締めて、咆哮した。
「き、きさまぁ!!」
「ふははははは!!」
怒りのあまり、浅黒い肌のビクトールの首から上が、赤くなる。睨み据えるビク―ルの目は、血走っていた。
愉快で仕方がないとばかりに、ネクロードは一頻り笑うと、爪が鋭く伸びた指で、ビクトールを指さした。
「我が体に傷をつけた、あなたへの罰です。復讐・・・ですよ」
ネクロ―ドは後方へと下がると、悠然と構える。次の瞬間、村人だった屍が、襲い掛かってきた。
ビクトールが柄を握りしめる。その刃が迎え撃つより先に、鋭く空気を裂く音がした。同時に投擲された幾つもの短刀が、ボロボロではあるものの、屍達の衣服を地面へと縫い留め動きを止めたのだ。
「何だか知らないがあんた、亡骸を弄ぶもんじゃないよ」
ビクトールの様子から随分な知古であったのだろう。アイリが眉を吊り上げて睨む。出来た隙を、見逃さなかった。大きく円を描くように、三節棍が宙に舞う。
「そうよ!あんたなんかやっつけてやる!!」
縫い留めらなかった村人の屍の体躯へと叩きつけ、致命傷を与えることなく薙ぎ払う。同時に、道が拓けたネクロ―ドへと、一直線に影が向かった。三節棍を手に、ナナミが鋭く睨みつける。
「リオウがね!!」
影ーーーリオウは手に持ったトンファーを、ネクロードへと振りかぶる。だが、ネクロードは、眼前に差し迫った攻撃に、慌てた素振りもみせなかった。
リオウは、ビクトールやフリックと比べれば、上背が足りなく小柄な方だ。その分、素早さでは勝っている。
「おやおやおや、勇敢なお嬢さん方だ。嫌いじゃないですよ、そういう気の強い女性は。二人とも、我が花嫁として迎えてあげましょうか」
リオウの素早い攻撃を、ネクロードは軽々と避けた。まるで意に介さず、飄々と戯れ言を宣う始末だ。
しかし、その背後に回る者が居た。
「てめぇだけは、絶対に許さねぇ!!」
ビクトールだ。ビクトールの重い斬撃が、ネクロードを襲う。避けた先での攻撃に、今度こそ、ネクロードは避けようがない。刃が眼前へと迫った直前だった。まるで見えない壁に弾かれてしまう。ネクロードは笑みを浮かべると、手のひらを翳す。避ける間もなかった。掌から放たれた衝撃波に、ビクトールとリオウは優に十尺程、吹き飛ばされてしまった。吹き飛ばされた二人へと、ネクロードが追撃に迫る。
直後、墓地に火薬の破裂音が響いた。視界を濛々とした白い煙が覆う。
が、ハイランドからの逃亡用として、もしもに備えて、こっそり作成しウエストポーチに入れていた煙幕だ。勿論、工の紋章を使用しているため、ど素人のであっても、効果は折り紙つきだ。逃亡用とはいえ、まさか、あのネクロード相手に使用するとは想定もしていなかったが。分かっていれば、事前にもっと殺傷力を高めにして作っていたのに。視界が塞がる中、は叫ぶ。
「逃げて!!!」
一番悔しいだろうに、体制を整えたビクトールが歯軋りせんばかりに、吐き捨てた。
「あいつには効かない・・・!奴を倒すには・・・・!」
今この場で、ネクロードを知っているのは、以前戦士の村へと向かったビクトールとだけだ。ネクロードの止めを刺したのは、ビクトールだ。だが、彼の攻撃も弾かれたと言うことは、彼の手元に、切り札がないということだろう。
一縷の可能性にかけて、斬りかかっては見たものの、攻撃を塞がれたことにビクトールも、早々に切り替える。事態を飲み込めていないであろう、リオウ達に煙幕越し説明をしようとするが、相手の動きの方が早かった。「おやおやおや、焼き餅ですか?」
「私が、私の運命の花嫁に、気付かないはずがないでしょう」
墓地を覆っていた白煙が、一瞬で消し飛ばされてしまう。
ネクロードが放った衝撃波は、瞬く間に視界を晴らすと同時に、周囲を一瞬で吹き飛ばした。敵味方関係ない、広範囲の攻撃で、墓地には傷一つないネクロードだけが、一人立っていた。
「そんな子供騙しに、私が騙されるとも?」
ネクロードは目を弓なりに細めて笑う。
この男は始終、嘲りの笑みを浮かべていた。視界に、己が吹き飛ばされながらも、カタカタと人骨を鳴らし、破壊された嘗ての村人の屍を、唇を食い破るほど噛み締めたビクトールの姿が写る。柄を握った拳には、あまりの力強さに、血管が浮き出ていた。
は、ネクロードの衝撃波によって地面に付していた体を、地面に手をついて起こす。眦を吊り上げて、ネクロードを睥睨する。抜き身の剣は、既に握っている。
「いいの?貴方の好物の貴重な血が、なくなるよ」
刀身を、は迷うことなく己の首筋に当てた。
異世界の住人だからか、定かではないが、以前、ネクロードと相対した時、彼はの血に拘っていた。曰く、自身の血はネクロードにとって理想の血であるらしい。切り札が手元にない今、達の攻撃はどうやってもネクロードに届かない。今は、体勢を整えるしかなかった。
やはり、圧倒的優位に、ネクロードは余裕を崩さない。
「出来やしませんよ、そんなこと」
ネクロードという外道に、憤りを抱いているのはビクトールだけではない。は、常であれば怯むであろう刃を、迷うことなく自身の肌へ食い込ませる。刀身に伝った血に、リオウが叫んだ。
「!!!」
「あんの馬鹿!」
「何のための、煙幕だと思う?いくら、貴方の動きが早くても、この距離なら止められないでしょ」
耳元で、血流が脈打つ感覚する。周囲の音が遠のき、いつもなら、噛みつくシーナの罵声も、耳には入らなかった。
指先は酷く冷たいのに、頭が煮え立つように怒りに燃えている。ビクトールは、普段からおちゃらけたふざけた大人である。そのふざけた態度はどんな時でも変わらず、だからこそ、暗い解放軍時代、彼の底抜けの明るさに何人も救われてきた。その彼のふざけた様子も、余裕も、今は欠片もない。この村に来て、見せていた何処か空虚な陽気さも、ネクロードが現れたことにより、掻き消えた。
戯れに己が殺した屍を手駒として、また戯れに破壊する。目の前で繰り返されたビクトールの思いは、一体どれ程のものか。死者を愚弄するのは、許せない。だが、何よりも。
うちの熊さん虐めんじゃねぇ。
の思考は、それに集結していた。ぶちギレたの覚悟は、表情にも浮かんでいたのだろう。
目尻を釣り上げ、静かに怒りを見せるに、ネクロードは、肩を竦めた。「・・・いいでしょう」
「星辰剣・・・・でしたかね?さっさと、あの剣を取りに行ったらどうですか?
今度こそ、あの剣ごとあの世に送ってあげます。あの剣にも、恨みがありますからね」
興味が失せたとばかりに、マントを翻す。
「さぁて、私はしばらく、私の花嫁とあの城にいますから。会いたければ、いつでも訪ねて来てください。歓迎致しますよ」
だがそれに動かない体に鞭を打ち、叫ぶ者が居た。奥歯を噛めたリオウは、ネクロードを睨みつける。
「そんなことさせるか!!」
睨みつけるリオウに、顔を振り向かせたネクロードが、嘲りの笑みを浮かべる。そして一陣の風と共に、次の瞬間、彼はとその場から立ち去っていった。
は必死に逃げていた。踵を鳴らして、後方を振り返っては前を向き、只管逃げる。だが壁にだけ掛けられた灯では足元が暗く、加えてはそれまで散々走っていた疲労から、床の窪みに足を取られてしまった。転んだに、声が掛る。地を這うような低い声だった。
「さぁ花嫁」
「来ないで」
迫った相手との距離に、即座に、は双剣を引き抜き構える。相手に攻撃は無意味だと理解していても、抵抗しないまま、いいようにされるわけにはいかない。構えるに、男は躊躇うことなく掌を翳した。目に見えない衝撃波がを襲う。防ぎようもなく、は衝撃に耐えかね、剣を手離してしまった。
ネクロードは翳した手を、降ろしながら微笑んだ。反対の手に持つカンテラで、薄暗闇の中、男の土色の顔が、白々と不気味に照らし出されていた。
「私は今、とても血に飢えているんですよ。大丈夫、私は貴方を殺したりしません。けれど、貴方の血を、少しだけでも頂けたらと」
真っ平ごめんであった。すぐさま、体制を整えようとしたは、右足首に走った鈍痛に、一瞬動きを止める。先程転んだ時に、足を変な方向にひねってしまったらしい。体制をすぐに立て直せない。は眉を寄せて、懐から暗器を取り出す。取り出した暗器を、躊躇うことなくネクロードに投げつけた。
はティルや、ラズ達のように、武芸に秀でているわけではない。リオウのように、技術は成長途中であっても、素早さやで補うような脚力も持ち合わせていない。魔法となれば、師である少年に、鼻で嗤われる才能の無さだ。が出来るのは、小手先ばかりのことだ。
懐から投げつけた暗器は、高い音を立てて、触れる直前で弾かれてしまう。ネクロードの表情が、わざとらしく悲しげに歪む。
「抵抗しますか。・・・ならば、少し手荒いですが」
ネクロードが、へと手を伸ばす。嫌がるの手を無遠慮に掴むと、簡単に引き寄せてしまった。そして素早くの衣服を肌蹴させ、その鋭い歯をすかさず、息を飲むの肌に突き刺した。
***
「やっと来ましたね。待ってましたよ、ビクトール、星辰剣。
おや、マリィ家の坊やも一緒ですか?」
ネクロードは、城へとやってきた面々を見て、意外そうに片眉を上げた。
日が空ける前の寅三つ時に、ネクロードの拠点へ、リオウ達が辿り着いた。ネクロードの根城は、ノースウィンドウより北にある。廃墟となり打ち捨てられた、元貴族の城だった。やってきたリオウ達に、ネクロードは笑みを浮かべる。
ビクトールが持つのは、月の紋章で不死となったネクロードに対抗できる、真の紋章の一つ。剣でありながら自我を持つ、夜の紋章、星辰剣。
加えて、新しい顔があった。ハンチング帽を被った、狩人のような軽装をした人物だった。ネクロードに祖父と父を殺された、ヴァンパイアハンターのカーンだ。
星辰剣を取りに行く道中で、思いもせず仲間として加わったカーンは、ヴァンパイヤハンターとして、長年ネクロードを追い続けていた。
カーンは、ネクロードにとって、ビクトール達同様、目障りな存在だった。
「手間が省けて助かりますよ」
「は何処だ」
リオウがネクロードを睨みつける。声に劣らず、鋭い双瞼だった。
「リ、オウ・・・」
リオウ達ははっとして視線を走らせた。ネクロードが悠々と立つパイプオルガンの前より、左手側の奥に彼女はいた。壁に背を凭れさせ、浅い息をしている。ーーー怪我をしている。すかさずリオウ達は彼女に走り寄ろうとしたが、それは眼前で放たれた衝撃波で止められる。リオウは奥歯を噛んで、衝撃波を放った人物を睨みつけた。ネクロードは変わらず笑みを浮かべる。
「生きてますよ、大丈夫です。ただ、何分彼女の血は美味なのでね。少し、飲みすぎてしまいましたが」
視線をへと向ける。彼女の表情はいつも以上に蒼白で、今にも倒れそうだ。トンファーを握る手が強くなり、革袋が軋む音を立てた。
途中から同行することになった、ヴァンパイアハンター、カーンが言う。
「そうやっていられるのも、今のうちだけだ。
剣の力、我がマリィ家の対吸血鬼用の術、貴様も逃れる事は出来まい」
は靄がかる意識の中、それらのやり取りを聞いていた。本当にあの野郎、血を吸いやがった。それも思い切り。は今にも途切れそうな意識を保ち、ネクロードの後をついてこの場に来るのが精一杯だった。
「そうだ、覚悟しやがれ!!」
ビクトールの吠える声が、どこか遠くで聞こえる。その内に、ネクロードが何やら怪しく笑う。
「おっと、慌てないでください。もちろんそれはわかってますよ・・・私にも考えがあって、貴方達を呼び寄せたのです。それでは、いいものを見せましょう」
両手を床へと並行にかざすと、何もなかったはずのネクロードの影が、ゆらりと揺らいだ。影は膨らみ、暗澹から何かが這い出てくる。だが、現れたものに、思いもよらず、リオウ達は眉を顰めた。
リオウ達の前に現れたのは、一人の女性だった。栗色の長い髪に、青いワンピース。白いブラウスを纏う彼女は、お世辞にも武器を扱えるようには見えない。煙ぶる睫毛が震え、澄んだ薄茶色の瞳がこちらを見る。武器を構えるリオウ達と異なり、離れた位置にいるは、異変にすぐに気づいた。愕然とした目を見開く彼に、嫌な予感が過る。にたりと嫌らしく笑ったままのネクロードが、より悪寒に拍車をかけた。
「どうですか?なつかしいでしょう?
確か名前は・・・・ディジーですよね?」
「て、てめぇ・・・・」
戦慄くビクトールの両肩は、遠目から見ても怒りに震えていた。リオウ達も、遅れてビクトールの異変に気付く。
ネクロードは、ノースウィンドウの村人達の死体を、弄んだだけでは足りなかった。
ビクトールの前に立つのは、かつて彼が腕の中で看取った、恋人だった。
「どうです?取引しませんか?その星辰剣を渡したら、この女を助けてあげますよ?」
悪魔の如くの囁きで、ネクロードは言う。鈴が鳴るような可憐な声で、目の前に立つ彼女が、恋人の名を呼んだ。
「ビ・・・ビクトール・・・」
リオウ達は、思わず息を飲む。まるで、既に死んでいる人間だとは思えないほどの動作・仕草だった。姿形も、面影が残るノースウィンドウで相対した村人たちの屍とは異なり、腐敗が進んでいない。アイリもナナミも、躊躇いから動く事が出来なった。溜まらず、カーンが叫ぶ。
「ビクトール!!夜の紋章を渡したら、ネクロードを倒せなくなるぞ!!」
「くっくっくっくっく」
怯む一同の気配に、ネクロードが喉を震わせて、愉快げに笑う。デイジ―の薄茶色の瞳が、ビクトールへと切にと訴えかける。
「ビ・・・・ビクトール・・・・た・・・たすけ・・・」
ふと、佇むビクトールの肩から、力が抜けた。顔を俯かせたまま、微動だにしない。
ネクロードは首を傾げた。
「どうしました?さあ、その剣を渡すんですよ」
項垂れたビクトールが、ぽつりと呟く。
「星辰剣・・・・」
「きさまの好きにするがいい」
ビクトールの手には、真なる夜の紋章、意思を持つ剣の星辰剣がある。
憮然とした物言いだが、星辰剣は持つ者を選ぶ。星辰剣の態度は、ビクトールを持ち主として、判断を任せているように思えた。
解放軍時代から、星辰剣とビクトールは、口を開けば喧嘩ばかりしていた。再会してから今まで、ビクトールが星辰剣を帯刀していなかったのもの、恐らくまた喧嘩でもして、怒ったビクトールが何処かに放置してきたのだろうと容易く想像できた。果たして、の予想は正解であるのだが。
ビクトールの人となりを、は知っている。故に、星辰剣も同様に、彼の判断に微塵も後悔を抱かないのだろう。
ビクトールは肩を落としたまま言う。
「もうあれから、何年たったのか・・・顔さえ、ぼんやりとしか思い出せないほど古い記憶だ・・・・」
その手に握りしめる柄を、力強く握りしめた。
「いいか・・・よく聞けよ、この腐れ野郎が!!!!!」
顔を上げたビクトールの表情は、微塵も死んでいない。
ぎらついた眼光が、鋭く前を射抜く。
「・・・ビク、トール・・・貴方は、生き、て・・・」
「私に、何かあった時は・・・」
思い返すのは、亡くした者が残したものだ。
愛した者を、あと何回、亡くせばいいのか、分からない。同時に、残された側がどうすればいいのかも、青二才であったあの頃から、どれだけ年を取ろうとも、ビクトールは分かりはしなかった。
ああすればよかった、こう応えとけば、と何度も夢想しては現実に戻る。そうして繰り返し、残された道を進み続ける。間違っていないかと何度も確認しては、想いだけを抱えて進み続ける。だからこそ、ビクトールは誰よりも、切に知っていた。
ビクトールは吼える。
「一度死んだ人間を助けられるもんか!!!」
想いだけは、誰にも明け渡さない。ただ一つ、残されたものだ。ビクトールはそれを、微塵も手放すつもりはなかった。
「くだらねぇ感傷に騙されるほど、このビクトール様は青臭くないんだよ!!」
振りかざした鋭い刃が、白む。栗色の長い髪に、青いワンピースに白いブラウス。かつての恋人の姿をしたそれを、ビクトールは一刀に付した。
斬られた青の衣服が、空気が抜けるように萎む。服の中から、ネクロードの配下のソンビが、飛び出た。それを一撃で切り捨て、ビクトールは剣を構える。
「いくぜ相棒!!」
ビクトールが握る星辰剣が、ふん、と一つ鼻を鳴らす。
「気安く呼ぶな」
いつもと同じ、素っ気ない返答だ。だが、そのあとに続く小言は、この時ばかりはなかった。
星辰剣を握るビクトールが、ネクロードへと間合いを詰める。
その隙をついて、シーナがの元へと駆け寄った。シーナの動きは、リオウと同様に素早さに重きを置いたものだ。シーナは瞬時にを担ぐと、リオウ達の元へと戻る。星辰剣を握るビクトールを前に、下手に身動き出来ずにいたネクロードが、高慢に言い捨てた。
「まぁいいです、どうせ、勝つのは私ですから」
「・・・」
不安げな表情なリオウに、は笑みを浮かべた。
「だいじょうぶ」
眩暈で、視界が霞む。ただの貧血だ。安心させるように言えば、リオウはより悲しげな表情を浮かべるだけだった。荒くなる息を、必死に抑えていたはどうすればいいか迷う、その時だった。リオウがの手を掴み、紋章を発動させたのだ。は苦笑しながら、やんわりと断りを入れようとする。「血が足りないだけだから・・・意味無い、」
「お、おい!」
次の瞬間、は目を見張った。リオウが突然、シーナが帯刀していた剣を抜きとったのだ。そして抜き身の剣を手に、思い切り自身の腕を切りつける。
「リオウ!!」
咄嗟に達は止めようとしたが、彼は止めなかった。ザックリと骨すら見えるほど、切りつけている。は元から悪い顔色を、更に悪くした。
リオウの行動に、ナナミは悲鳴を上げる。だがリオウは構わず、血が溢れ出る腕をの口に突き付けた。
「ふぐっ」
行き成り、傷口を突き付けられたは戸惑う。戸惑いながらも突然のことに、思わずリオウの血を、少量飲んでしまった。咄嗟に両手で押し返し、放そうとしても、リオウの片腕はびくともしなかった。そのまま押し付けられていただったが、ふとリオウがそれを止める。今度は、自身の口元に傷を近づけた。あ、なんか嫌な予感。そう感じ取ったは、しかし怪我をしていないリオウの腕に掴まれ、逃亡を阻止させらる。そのまま逃げることもままらず、引き寄せられ、リオウの唇がのものと合わさる。それは数秒だった。はリオウの衣服を掴み抵抗したが、無理やり流し込まれば、飲まざるを得なくなる。そしてが血を飲んだのを確認すると、ようやく唇が離れた。途端、は息を吹き返す。目を白黒させて、息継ぎどころではなかったからだ。
だが再び腕が引っ張られ、目の前にリオウの顔。そうして、は再度リオウに口づけられたのである。
唖然としていたその場が元に戻り、阿鼻叫喚と化したのはのうめき声がし、慌てて二度目の口付けが離された時だった。
呆然としたが我に返ったのは、数秒、いや数分後だったかもしれない。既にビクトールとカーン達は、ネクロードが召喚した化け物と混戦している。
手助けしなければいけないのは理解していが、感情が混乱の最中であった為、それどころではなかった。そして悲しいかな、それはだけではない。
「ごめんね、」
リオウがしゃがみ込むに、眉尻を下げて謝罪する。それにいやいや気にしてないよ、とは苦笑を浮かべる。だがやはり相当気にしているのでそう口には出せなかったが。そこへ同じく先程のリオウの行動で、現在の戦いを中断していたシーナが呆れたように言った。
「お前、キスはないだろー・・・」
「そうよ、血液型が違ったらどうするのよ!!」
「そこかよ!!」
拳を握って力説するナナミに、力の限りシーナが突っ込みを返す。そんな彼等にカーンが叫んだ。
「傷は治ったんだろう!!手伝え!!」
確かに、の貧血や、リオウの深い傷は彼の紋章によって治った。けれど心の傷ばかりはどうしようもなかった。しかし化け物相手に悲鳴をあげるカーン達が可愛そうで、はちゃっかりとこの場に来るまでに拾った双剣を、鞘から引き抜く。
一同、改め化け物との戦いに挑むのだった。その最中、治療の為とはいえ、は心の底から金色の目を持つ少年に謝った。
ネクロードが召喚した化け物は、蜘蛛のようだった。異なるのは、体が6つの顔で出来ている事である。
達が加戦すると、大蜘蛛は幾つもある口から、無数の破壊光線にも似た攻撃を放った。元貴族の城とはいえ、大蜘蛛相手に、室内は狭い。広範囲の攻撃を繰り出してくる相手に、達は動きが制限されていた。
ようやく、間合いを詰めると、しかし、化け物は身軽に体を浮かせ、天井へと跳躍してしまう。繰り返される動きに、苛立ちつつも、戦い始めて数分、ビクトールが剣で、四足あるうちの一つを、傷つけた。切り取る勢いだった斬撃は、思わぬ装甲の硬さで、切傷をつけるだけだった。だが、神経までは届いたようで、化け物は苦しそうにうめき声を上げる。
光線を止めた化け物に、すかさずシーナ走り寄る。化け物の足に剣を突き刺し、そのまま軽い動作で体を浮き上がらせる。そして剣を引き抜き、シーナは化け物の背へと乗った。
体躯も顔である為、シーナは思わず顔を歪めたが、すぐに一つの額へと突き刺した。
「おらよ、っと!!」
化け物の呻き声は、ビクトールの時と程にならなかった。なるほど、彼等の急所は額であるらしい。ようやく見えた打開策に、達はシーナの時のように、額を目指して攻撃を繰り広げた。アイリは投げナイフを、ビクトールは高く跳躍し、正面の顔の額を狙う。はシーナの真似をして、リオウは壁を蹴り、その背へと乗った。そしてなんとか6つの額に剣を突き刺すことが出来たのだが、化け物はまだしぶとく生きていた。
「これでも、ダメなの・・・」
唖然と、ナナミが呟く。化け物の後方で、その様子を見ていたネクロードが、くっと口の端を釣り上げた。
「私は、これで失礼させていただきますよ」
「待て!!」
はっとビクトールが声を荒げた。ネクロードは、振り向きざま、こちらを一瞥する。
「それでは、またお会いしましょう。・・・貴方達が、生き残ることが出来れば、ですが」
化け物はまだ倒せていない。ネクロードを追うことは出来なかった。
それでも、諦めることなく、ビクトールはネクロードの後を追おうとした。ネクロードの息を止めるのは、又とない好機であった。ネクロードの動きを制限する星辰剣も、ヴァンパイヤハンターのカーンもいる。自身が優勢であるのなら、ネクロードは残り続けていただろう。逃げ出すという事は、それほど追い詰められたという事だ。
行き先を遮るように、化け物の矛先がビクトールへと向く。
「くっそぉ!!!!!」
立ち塞がる化け物を前に、ビクトールが悔しさの滲む声を上げた。
「来るぞ、ビクトール!」
カーンのヴァンパイヤハンターとしての補助があっても、中々化け物にトドメが刺せない。額が弱点である分かっても、決定的な一撃が入らないのだ。弱っているとわかっていても、倒すことが出来ず、やがてじりじりと、徐々に達の体力は削られていった。折角、リオウの紋章で回復されても、すぐに肩で息をするようになってしまう。リオウの魔力が切れた時が、達の終わりだ。果ての無い攻防に、の脳裏に一瞬、敗北の二文字が浮かぶ。背を預けたリオウも、肩を息をしていて、魔力切れは近かった。ぐっと、リオウがトンファーを握る力を強める。
「・・・ここで、死ぬわけにはいかない」
メンバーの中で、一番体躯が良いビクトールでさえ、恐らく、限界が近い。剣の重心が、少しずつ下がっている。解放軍で活躍したビクトールが、ここで疲労を見えせることは普段ではあり得ない事だった。だが、今回はネクロードが居た。眼前の仇的に、いつもは飄々とふざけて見せても、冷静に戦場を見据えている彼も、感情で思考が乱されてしまった。いくら武力に秀で居ても、冷静にならなければ戦況は見えない。今も彼は、どうにかネクロードの後を追えないか、躍起になっているように見えた。
「(ここで、こんな所で、終わる訳にはいかない。
あいつだけは、絶対に・・・!!!!)」
仇的との邂逅に、ビクトールを突き動かすのは、憎しみだった。絶対に、許すものかと。あの村を亡くした瞬間から抱いていた火が、轟々と胸の裡で燃えている。静まっていたはずの鬼火が燃え上がり、ビクトールの身を焼く。視界が狭まっていると、自身で気づく事すら出来ない大火だ。
恨むがままに動くのは楽だ。後先考えず、全てが、やがて己すら燃え尽きてしまっても、後悔は生まれない。だが次の瞬間、リオウの言葉に、ビクトールは我に返された。
「アナベルさんに、約束したんだ。絶対に、ミューズを取り戻してみせる!!」
普段は、穏やかなリオウの鳶色が、双眸炯々と前を見据える。
その時、リオウの右手から、眩いばかりの光が放たれた。
紋章を宿した手だ。一面が、白々とした光に包まれる。視界が遮られた一瞬、雷が炸裂したような音が轟いた。そして光が止むと、化け物は部屋の中心で瓦礫に埋もれ、力なく倒れていた。薄暗かった城内は、光が差し込み、一気に明るくなっている。天井が見事に破壊され、外へとぽっかりと穴が空いていたからだ。空いた穴からは、快晴が覗いている。長引く化け物との戦闘で、いつの間にか夜は明け、太陽は真上へと昇っていたようだ。石の礫が、破壊された名残で、頭上からパラパラと落ちてくる。
リオウの紋章は回復技だ。だがこの時の紋章の力は、確かに、強力な攻撃技だった。
力を失った化け物が、黒い塊に覆われる。その黒い塊が、蝙蝠だと気づいたのは、蝙蝠が散り散りに飛んで行ったからだ。飛んでいく蝙蝠の群れは、ネクロードの元へと戻るのだろう。後を追えば、いずれネクロードに追いつくはずだ。だが、もう後を追おうとする気持ちは、残っていなかった。
ビクトールは、それまで烈火のような様子から、憑き物が落ちたように佇んでいた。ざんばらな髪を、がしがしと片手で掻く。
「お前は、大したもんだよ、リオウ」
新たな技に、心配するナナミに揉みくちゃにされるリオウが、突然そう言ってきたビクトールを、不思議そうな目で見た。
リオウからすれば、紡がれた命を、繋ぎたいだけだった。
ミューズを脱出する際、アナベルはリオウ達が生き延びることを願った。例え助からない傷であっても、激痛に苛まれていただろう。 最期まで自らの事よりも、民の事を思っていた。アナベルに助けられたリオウは、焼け落ちるミューズを後に、思ったのだ。ーーー必ず、ミューズを取り戻してみせると。
今まで、口に出すことは出来なかった。どこかで、迷いがあったのだ。言葉にする事は簡単だが、現実は決して、生半可なことではない。無謀と言ってもいい。何せ、相手は大国であるハイランドだ。 それでも、逃亡の最中も、リオウにはその時抱いた決意は、奥底で燻って、今まで揺らぐことはなかった。傭兵の砦で亡くした、友のポール。焼き落ちたトトの村、リューベに、ミューズ。アナベルの死。ナナミが提案したように逃げ続ければ、生き延びることは出来るだろう。だが、ただ逃げるだけでは、何も為せない。奪われ、なくし続けるだけだ。
何度も想像してみた。この日々が、ずっと続くことを。逃げ落ちた先で、全てを忘れて、何事も無かったかのように生きる。ーーー生き残ることは出来ても、きっと、心の死になると、リオウは思ったのだ。出した答えは、最初からリオウの心の奥底にあったものだった。
これが、紡がれた命であるリオウの、故人への弔いだった。
アナベルの死は、親友であるジョウイの裏切りと同義だ。巻き込まれたリオウが、茫然自失して全てを投げ出しても、微塵も責められる謂れはなかっただろう。若しくは、裏切った後、行方が分からないジョウイを探す旅に出てもいい。それを敢えて、彼は困難な道を選ぶという。リオウ達の祖父であるゲンカクが、昔、都市同盟と関わりがあった人物だとしても、リオウが継ぐ必要性もない。リオウの実直なまでの信念は、かつての誰かを自然と連想させた。それ故か、感情に捉われていたビクトールは、横っ面を思いっきり叩かれた心地であった。いや、抉るようなボディーブローだったかもしれない。分かっててやる奴も大概だが、分からないでやるこいつも、中々である。
「・・・どいつもこいつも、好き勝手言いやがって・・・」
残された言葉を、忘れるはずもない。耳朶にこびり付いて、今も鮮明の思い出される。
それをどうするのも、自由だ。ビクトールは呟く。「いいぜ。俺は俺のやりたいように、やるだけだ」
「周りがどう言おうが、関係ねぇ。
なんせ、俺様は風来坊のビクトールだからな!」
覗いた青天井を背に、ビクトールは歯茎を見せて笑う。快活に笑った彼は、何時ものビクトールだった。
意図は分からないが、ビクトールに何時もの元気が戻ったことに、リオウもも、心から安堵するのだった。
「じゃあ、私はネクロードの後を追うためここから別行動とさせてもらいます。奴の場所が分かり次第、知らせを入れます」
城から出ると、カーンが早々に踵を返した。ヴァンパイアハンターである彼は代々ネクロードを追っているらしい。その背に、ビクトールが片手を上げる。
「ああ、頼むよ」
ネクロードと邂逅したばかりのビクトールであれば、カーンと同様に、ネクロードの後を追っただろう。
だが、ビクトールはもう腹を決めた。今はネクロードを追うよりも、やらなければならないことがあった。
カーンは一度振り向くと、達に一礼する。そして、その場から去っていった。
逃走したネクロード本人は倒せなかったものの、肩の荷を下ろした心地で、達はサウスウィンドゥへの帰路へとつく。
けれど道中、前方から見覚えのある人物達がやってくるのが見えた。ナナミが目を瞬かせる。
「え?え?どうしたの?皆?」
達の前に来たのはフリックや、リィナ、ボルガンに、ピリカといった、サウスウィンドゥの酒場に残っていた面々だ。
訝しがる達に、フリックは顔を顰めた。
「サウスウィンドゥが、ハイランドの手に落ちた・・・」
路肩で賑わっていた市民の影は、今や一つもない。蹴とばされた木箱に、地面には市街で売られていた果物や、織物が散開していた。賑わっていた声もなく、甲冑が無遠慮に地面を踏み鳴らす。市民は家屋の物陰に隠れ、蹂躙されないよう、必死に息を殺していた。
市民へと開かれてい市庁舎は、軍人で占拠され、ハイランドの旗がいくつも垂れ下がっている。
一際目立つ、サウスウィンドゥの城門。
そこには、市長であるグランマイヤーの首が、吊るされていた。
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