Skyting stjerner5-4

雲ひとつない、快晴の日だ。変わらぬ日々の中、訪れる全ての終わり。平行世界の一つの、運命の日。
椅子に腰掛け、ルックは吐息を吐き出した。記憶を共有した数年前から、持てるすべてを用いて、何度も、何百も結界の強化を施した。島の場所がわからぬよう、目眩ましも幾十にかけてある。ーーそれでも、安心は出来ない。別の平行世界で直接ヒクサスと相対した記憶のあるルックは、突破されるのも時間の問題だと思えてならなかった。可能であれば防ぎたい。だが相手が異常すぎた。ヒクサスはあまりにも規格外だ。幾度となく戦争に参加し、魔法兵団長として前線に立っていたルックでさえ、いくら真の紋章を数個有しているとはいえ、ヒクサスの紋章術は化け物染みていた。恐らくは、日を引き伸ばしただけであろう。ヒクサスの襲来は避けらない。
自身を庇い冷たくなった骸は、今も鮮明に思い出された。虚ろな眼差しが脳裏から消えない。亡くした慟哭も、怒りも、憎悪も。
情けないことに、思い出してルックは握りしめた掌が震えていることに気づいた。苛立ちにルックは前髪をかきむしる。
その日が近づくにつれ、焦燥感が強くなっていく自覚はある。どれだけ万全に準備を施しても、だ。対抗策として様々な魔法を調べ上げた。それこそ、シンダル遺跡もだ。あの時の自分より、多くの知識も力もある。今の自分は、あそこまで無様に敗北を期さないだろう。それでも、不安は潰えずに腹の底に泥濘している。
今は兎に角、魔力を乱してはならない。対時するであろう数日後に向けて、持ちうるすべてを用いて相対出来るよう、体力面も精神面も整えておくべきだ。それでも、平行世界での出来事が起きたこの日に、胸のざわめきが消えなかった。
何も起きない。起きるはずがない。想定していなかったあの時とは違う。
焦燥感は深く深呼吸をして、無理矢理やり過ごす。奥にしまいこみ、平静であろうとして数刻もなかった。
ずん、と建物が揺れる。
ーー去来するざわめきは、大きくなる。
揺れる視界とは別に、感覚が研ぎ澄まされていき、ルックは目を見開いた。
数年前から改良を重ねた結界が容易く破られたのを感じる。断続的な塔への振動は、 結界が壊されただけでなく、物理的に破壊されたからである。これならば、すぐに向かい打てる。そう安堵することなど、ルックには出来なかった。
場所は以前よりも、近い。塔の外ではなく、中のーー達がいる部屋だ。

すぐさま転移した所で、ルックは大きな魔法がぶつかり合う気配を感じた。他でもない師匠であるレックナートであろう。余波の強風で視界すらもままらならない。舌打ちしながら風の紋章で辺りの砂塵を晴らす。
すぐそばに、小さな影があった。助けを呼びに行こうと小さな体を振るいただせた少女だ。スカイブルーの目に涙を貯め、ルックに気づくなり少女は声を上げる。
「助けて・・・助けて!ルック様!」
プラチナブランドの髪は埃にまみれ、白磁のような肌には幾つもの切り傷が出来ている。セラの見たことない悲壮な表情に、ルックは室内を見回す。
ーー嫌な予感がした。
壁は崩れ落ち、そこから剥き出しの夜空が覗いている。地面に転がった燭台の灯りは消えており、部屋は暗闇に包まれていた。しかし、攻防で破壊されたのだろう、崩れた壁の向こうに浮かぶ、星々のか細い光が部屋を仄かに照らす。ぼんやりと浮かび上がる人影に、すぐに魔法でその場を照らそうとするが、それを行う前に雲に隠れた月が姿を表した。瓦礫の近くで、法衣を着た女性が血まみれで倒れこんでいた。
レックナートだ。
彼女は辛うじて意識はあるようだが苦痛に顔を歪め起き上がる様子はない。その腹から夥しい量の血を流しているからだ。慌てて師に駆け寄ろうとして、彼女の視線が一ヶ所に向けられている事に気づく。部屋のまん中に浮かぶ1つの人影だ。それが侵入者なのだろう。ルックはそれを睨み付け、即座に魔力を練ろうとしてーー拡散した。

月の光りに照らされ、徐々に浮かび上がった影は、1つではなかった。
重なるように立つそれは芭蕉の髪に緑の目をした、自身に瓜二つの、青い法衣の男。
もう1つは黒い髪をした少女だ。ひゅっと、ルックの喉がひきつる。

少女の身体から血塗れの杖が、生えていた。
両腕は力なく垂れ、身体はぴくりとも動かない。足元には血溜まりが浮かんでいる。横顔は俯き、髪で隠れているが、ルックは空虚になり何も映さなくなった瞳を知っていた。
無造作に杖が引き抜かれ、少女が崩れ落ちるのと、体の奥底から咆哮が沸き上がるのは同時だった。


***


四肢から力が抜けていく。最早起き上がる力もなかった。それでも霞む視界で一人立つ法衣の男が、動かなくなった少女に近付くのを捉え、叫ぶ。
「やめ、ろ」
沸き上がる怒りは、しかし虫のような掠れた声としかならなかった。
もしかしたら、生きているかもしれない。例えあれだけの傷を負い、流れ出る血の量から少女が生きていられるはずがないと理解し、少女もあれから動く事がなくても。その可能性を捨てきれずにルックは足掻き、力の入らない手で少女へと手を伸ばす。
だが法衣の男が歩みを止めることない。少女の元まで辿り着くと、腕を振るう。発動した魔法は、軽い動作で動かぬ少女の両腕をもいだ。
最早悲鳴すら、上がらなかった。視界が明滅する。果てない絶望と、怒りに両目からぼろりと涙が溢れた。
その身を屈ませて、少女の腕を手にした男は美しい顏を物憂げにし、残念そうに呟く。
「やっぱり、僕を選ばないか・・・」
「ヒクサス・・・!!!」
ようやっと絞り出した声に、ヒクサスは振り返る。翡翠色の目を瞬かせて、改めて不思議そうにルックに尋ねる。
「君は、まるで僕が来ることがわかっていたみたいだね。」
塔への奇襲は随分と念入りに対策が取られているようだった。そうはいっても、ヒクサスが苦戦することなど有りはしないが、面倒に感じたのは確かである。数十年、塔への襲撃行っていなかったはずだが。興味を失ったとばかりに、ヒクサスは手に持っていた腕を投げ捨てる。ごとりと音を立てる少女の腕だったものに、ルックは何度目かの視界が明滅するのを感じた。
歯の隙間から、唸るように声が出る。
「ーーーお前だけは、僕が、必ず殺す。」
あと僅かもせず、この人形は動かなくなるだろう。今はもう痛覚すらないはずだ。にも関わらず死の間際まで、鋭く睨みあげる翡翠の目に、同じ色の瞳を持つ青年は愉快げに笑った。
「人形の割には、いい目をするね。
純粋な憎悪と、殺意だけの目だ。」
目を弓なりにして、楽しそうに笑う青年は、血濡れたその場では異常で、異質だった。ルックは最期まで、男を憎悪のこもった目で睨み付けーーそこで、意識が途切れた。



***



幾度と繰り返す日々は長かった。
何度も失い、対策を講じては無残に失敗しそれでも次こそはと。決して諦めずにこれたのは元来の彼の負けず嫌いである性格や、彼が過去に出会った、途方もなく絶望的な状況であっても運命にあらがおうとする人々を見てきたからかもしれない。
百万世界あるうちの、別次元での自身の記憶を見せられるたびにルックの心は荒んでいく。繰り返される絶望は、例え今を生きていようとも常に焦燥感を掻き立てられた。何度繰り返しても、先にあるのは彼女の死だ。
何十、何百、何千―――何百万。憔悴してく心は、何を守りたかったのか、それさえも失いかけてしまいそうだった。
だが、忘れられないのだ。
誰と何を話して、誰を皮肉ったのか。軽い魔法をぶつけては起き上がるそれに、どれだけ呆れたのか。
繰り返されるうちに過去の記憶はおぼろげになっていく。呆れて、嘲笑って。その理由も経緯も、もうほとんど薄れているのに。
能天気、そう形容するのが当てはまるような笑い方だった。綺麗だとはどうやっても思いようがない。それを見ていると、こちらの肩も抜けていくのだから。
それでも。どうあっても。その笑みが。
何十、何百、何千、何百万。
果てない旅路のようでもあった。百万世界の自分の記憶を、思い出しては今度こそはと強く願い。再び絶望を迎え、繰り返し記憶を思い出す。その繰り返しの中―――数えることは疾うに忘れてしまった頃だ。
ようやく、ルックは彼女の死因を大きく占める元凶を倒すことが出来た。
彼には自身だけでなく、幾度となく彼女を殺された。いつだって無残に、残虐なまでの力でもって殺されてきた。数えきれない死に恐怖を微塵も覚えないわけではない。それでも、それ以上にこみ上げる慟哭でもって繰り返し挑みようやく、ルックは自身の生みの親―――オリジナルのヒクサスが大地に倒れ伏す様を見下ろすことが出来た。運がよかったとしか言いようのない勝利だ。偶然が重なった結果であり、次もうまく出来るかといえばそうは思えない程辛勝であった。互いに血まみれでルック自身も満身創痍だった。肩で息を切らし、力の入らない腕で無理やり杖を立てにして、なんとか立てている。だがそれでも衰えることなく、並々ならない殺意を宿した翡翠色の目に、地面に倒れ伏したまま自身と同じ顔をした、ヒクサスは鼻で笑う。
「とんだ、憎悪と殺意だね。・・・これには、僕も驚いだよ。」
赤黒く大地を染めていく血は致命傷だった。助かりようもなく、ヒクサスはこのまま命を落とすだろう。既に体に力も入らないはずだ。しかし数百年前から生きる化け物だからかヒクサスは痛みに顔を歪めることなく、淡々とルックを見上げている。
足らない。これだけでは飽き足らない。何度も、何度も。死した後の彼女の遺体すら蹂躙し、惨たらしく奪ってきた。ルックは杖を頼りに体を引きずりながら、ヒクサスへと向かう。未だ薄れることのない獰猛な瞳を見上げて、人形のような顔が愉快そうに歪められる。
同じ翡翠色の目を細そめ、ヒクサスは笑みを浮かべた。
「その憎悪は、いつの日か
 世界でも滅ぼしそうだ――」
戯言は途中でかき消える。
残された魔力を練り集め、ルックはもちいる力で風の魔法を生み出す。風の塊をぶつかる、間際の最後まで、ヒクサスは目を弓なりにして愉快そうにルックを見上げていた。

持ちうる力を使い切り、紋章の力をぶつけるとルックはそのまま意識を手放した。目が覚めたとき体はベッドにあり、まだ生きながらえていたことにルックは驚いていた。幾度となく敵対したヒクサスは脅威で、何度も負けていたのだ。今回奇跡的に倒すことが出来たがルックも相当なダメージを負っている。相打ちになっても仕方がないと考えていた。助かったのは手当を行ってくれたのだろう師匠のレックナート、そして大分力をつけてきた弟子のセラ―――一緒に顔をぐしゃぐしゃにしたもう一人のバカ弟子のお陰なのだろう。
眉尻を下げたレックナートは相当心配させてしまったようで、いつも白い顔をより顔色を悪くさせていた。セラもまた小さな背の少女から今では星見の塔の家事全般を担う程成長し、ルックを真似してか感情もよく押さるようになったが、瞼を赤く腫らしている。もう一人、顔を薄汚くさせた弟子は包帯を巻き替える傍から涙で濡らし、台無しにさせていた。
そっと息を吐いて、セラを見習えと役に立たなくなった不衛生な包帯を顔面に叩き返す。これでようやく収まるかと思えば、より酷く泣き出すものだから本当にどうしようもないやつである。
妹弟子のセラが慌てて、新しい包帯を巻きなおす。彼女も涙ぐんでいるが、彼女ほど酷い有様ではなく巻き方自体も丁寧で上手い。姉弟子のあまりにも情けない姿にルックは背を向けて、窓に視線をやった。
けれど、ルックは胸を覆っていた焦燥から抜け出した。
繰り返された永遠の牢獄のような迷宮を抜けた気分だ。懐かしいと感じる程、久方ぶりの穏やかな心地だった。
ようやく、取り戻した日常。騒がしい回りを気にもせず、窓の外を見つめる。相変わらず騒々しい。けれど窓に写った自身の顔は、随分懐かしく穏やかな表情を浮かべていた。
――しかし、その日常は長くは続かなかった。

あれから数回に分けてレックナートの魔法により治療が施されたが、熾烈を極めたヒクサスとの戦いによる傷は深く、すぐに癒えることはなかった。
ベッドで静養を続けるルックは、暇つぶしに本を読んでいた。元から知識をつける名目でルックは多くの書物に目を通していたが、身に入ってくるのは久方ぶりの心地である。ルックは1度目を通したものは忘れない驚異的な記憶力を持っているが、随分と昔に読んだ本ですら懐かしい。
ここ最近、といっても百万世界の記憶も含めるともう何年とずっと、ヒクサスに備えて身になるものや世界の成り立ちについて、必死に目を通していた。愛用していた本も懐かしかった。懐かしく感じる装庁に目を細め、早速本を開く。開いたところで、右端に書かれた落書きに思わず頬を引き攣らせた。あの女、この本にも落書きしていたか。
セラが幼いころ、彼女はセラ目当てによく星見の塔に入り浸っていた。セラが成長した今も、こうして度々訪れてくるが当時の居座り具合は半端なかった。セラへの教育と称してルックの本をせしめては読み聞かせ、何を思ってか下らない落書きさえしてくれたのだ。その事実が発覚する度、当時のルックは怒髪天を衝く勢いであったが。まさかこの本まで犠牲になっていたとは、とルックは眉間の皺を揉み解す。頭が痛い。とりあえず、あの馬鹿はあとで締めるとして。取り直して活字へと視線を落とすと、ルックの集中力はすぐに本へと向かった。
途切れたのは、部屋が大きく揺れたからだ。
次の瞬間、爆発的な魔力が塔を覆う。咄嗟に身を起こしたルックは目を見張る。覆われた魔力は並々ならない量で、ルックでさえも肌が粟立った。
この原因を、ルックは知っている。
彼女をなくした始まりの時。しかし、それに関しては繰り返す中で初めに手を打っていた。解決しているはずだ。
なのに、なぜ。
まだ痛む体を無視して魔力を練る。あの時は莫大な魔力に相殺され発動的なかったが、あれからヒクサスに対抗するため様々な知識や鍛錬を行い、ルックの魔力は底上げされていた。
吸い取られた魔力を上回らせ、発動させる。テレポートを発動させて向かうのは―――始まりの場所だ。

たどり着いた場所は、彼女の割り当てられた部屋だった。
あの時と違い、彼女はまだその場にいる。渦巻く魔力の中心に拘わらず、魔力を持たない彼女はただ、そこにいる。
「なにを――!」
「あのね、工の紋章に聞いたの。」
まだ、間に合う。声を荒げたルックの声は、しかし遮られる。
莫大な魔力は風となり彼女の黒髪を舞い上がらせる中、彼女はこちらに振り返った。そして放たれた彼女の言葉に、ルックは目を見張る。「百万世界っていうのが、あるんだってね。」
「ルックは、何度も助けてくれようとしたんでしょ。」
なぜ、それを。咄嗟に言葉に詰まるルックに、は柔らかく目を細めた。
「ありがとう」
決して宿星をもつことなく、しかし変革者となり得るとされる工の紋章。いまだ不明なことの多いとされる真の紋章を宿すのは彼女だ。それ故に彼女はハルモニアに、ヒクサスに狙われた。その力は確かに、変革者となり得るのだろう。いかなる時も戦いに武器の力の差は大きく出る。
けれど、ルックが真なる風の紋章の影響で別世界の記憶を見るように。彼女の紋章もまた、ルックには及ばない力があるのだろう。何時の日か至ってしまう灰色の未来。生物すべてが生き堪えた未来を愁いて、彼女は阻止せんと紋章の力を使い、砂となる。ヒクサスへの対抗と平行して、灰色の未来を阻止すべく動き、彼女自身にも決して耳にはいることないよう、徹底して遠ざけていたのに。彼女は知っていた。いや、工の紋章により知らされたのだろう。その事実はルックに大きな驚きを与えたが、すぐに彼は我に返った。魔力の濁流はどんどん大きくなっていく。今はそれどころではなかった。
止めなければ。やっとだ。やっと、あいつも倒したというのに。
これでようやく、彼女が倒れる未来はなくなったのだ。
もう二度と、
「やめ、」
「ルック、ありが――」
必死な形相の自身とは異なり、彼女は笑う。いつの時とも同じように。気の抜けた笑みを浮かべて、伸ばした手は宙を切る。
彼女の輪郭が薄れる。あの時とは違い、触れることはなかった。露のように彼女は消えていく。いたはずの彼女は、呆気ないほど一瞬で、ルックの目の前で銀の砂となり中へと消えてしまった。
ーー僕はまた、助けれなかった。
彼女が手を出す事のないよう、灰色の未来に向けて手を打っていた。何度も殺めようとしてくる強敵であったヒクサスも倒した。なのに、彼女の宿す工の紋章ですら、彼女を殺めてしまう。
真の紋章は、この世界を構成するものだ。
「・・・はは・・」
酷く簡単なことに彼はその時気づいた。今更気付いた愚鈍な己が滑稽で、乾いた笑いが漏れる。
ただ一人を助けたい、それだけだというのに、世界はどうあってもそれを拒絶する。

何度も、何百、何千回を越えても
彼女が生きる未来を、世界を選ばない。
なら、己も彼女が生きれないーーーーこの世界を、選びはしない。
誰もいない部屋に佇み、ルックは笑う。
顔を掌で覆う隙間から、美しい翡翠の色の眼には仄暗い色が浮かんだ。

脳裏に夕日に照らされた何時かの彼女が、笑っていた。



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