DreamMaker2 Sample 「アンタ、弱っちいな」
「え?」
現実では疾うに日が落ちた夜でも、夢の中は常に明るい晴天が覆っている。日差しを浴びて煌めく白銀の髪に透けるような肌をした少年が、眉を潜めて突然言い放った。
天使のような顔立ちの少年は、端正な顔立ちを常に歪めている。こちらを見やる剣呑な目つきもいつもの事で、は既に慣れたものになっていた。明らかな警戒を示す少年は、けれどこちらが強引に進めれば好奇心が抑えきれないのか慎重に様子を見ながらも拒絶する事はない。だからは境界線を越えて少年へと構い続ける。遊びを提案するのも話しかけるのも基本からだ。
その日は珍しく悟から声をかけてきた。というよりも、それは彼が思わず呟いたものだった。
呪力を持たない女は、大して筋力もない。つい数日前、たかだが誕生日だからとヘンテコな帽子や色がついたサングラスまでつけさせてくる程強引な癖に。その力は何時だって振りほどこうと思えば振りほどけるほどの微弱なものだ。背も掌も自分より大きいくせに、軟弱な女。初めから感じてはいたが、改めて女を眺めて悟はそう感じた。突然の悟の言葉に目を瞬かせていたは、首を傾げる。
「んー、ばば抜きは悟くんより強いよ?」
「ちげーよ、そういう意味じゃねぇし」
「悟くんは、覚えるの早いからねぇ」
笑う女は、言葉の意味をちっとも理解出来ていない。仕方がないと言えば仕方がないのだろう。女は夢魔に憑かれてはいるが、呪術師でもないただの一般人だ。少年にとって簡単に手折ることが出来る手足。呪力を込めれば常に無防備に晒されている首も同様だった。どこもかしも弱弱しい女は、簡単に死ぬ。――きっと知らない所で、いとも容易く。そう思っての少年の言葉だったが、女は案の定理解出来ていない様だった。にこにこと害のない笑みを浮かべている。女の能天気な笑みは何時だって毒気が抜かれていく。
弱いくせに。
悟は眉を顰めた。

それから数週間後、少年は女に無言で小さな拳を突き出した。いつものように顔をむっすりとさせた少年が、珍しく自分からこちらにやってきたかと思えば突き出された握り拳には目を瞬かせる。悟は黙ったまま何も言わない。顰めっ面の少年と、目の前の手を交互に見る。「えっと・・・?」
「やる」
戸惑うに、悟がぽつりと小さな声で言った。驚いて顔を上げたが見たのは、顔をから逸らした少年だった。
「・・仕方ねーから、守ってやる」
眉を顰めてそっぽを向いているが、突き出された拳はそのままだ。少年の口調はいつもと変わらない素っ気ない言い方だが、けれど銀色の髪から除く白い耳が赤く染まっている。
突然どうしたのだろうと考えたは、すぐに思い当たる。そういえば、数週間前に少年の誕生日を祝ったばかりだった。もしかして、そのお返しだろうか?は常にぶっきらぼうな少年に、思わず頬が緩んでいく。少年の小さな拳の下に掌を出せば、少年が掌を広げた。重ねた掌の中に、固くてひんやりとした感触がする。渡されたのは、蒼い石のネックレスだった。
「だから、離れるなよ」
そっぽを向いたまま少年は言う。
拒絶こそされないが、いつも眉を顰めている少年には嫌われているのかもしれないと思うことが度々あった。つい張り切ってしまったが、数週間前の少年の誕生日祝いもやりすぎだったかなと反省したのだが。けれど少年の様子を見る限り、そうではないのだろう。
こみ上げる嬉しさに、は少年の自分より小さなまろい手を握りしめる。握りしめられた少年の掌が僅かに強張った。けれど握られた手が振り払われることはない。
はこの時、ようやく少年に嫌われていないと実感できると同時に、顔を赤くして逸らしたままの少年が心の底から愛おしく感じた。いつも顔を顰めて言葉も少ない少年が、羞恥に見舞われながらも望んでくれた。
―――少年が振り払わない限り、その手を握り続けよう。
小さな少年の初めての望みを、断る事なんてありはしない。

その日から、少年は毎夜欠かさず彼女に呪力(呪い)を込める。
そうとも知らずに、女が少年の手を離すことはなかった。





目が覚めると、真っ白な天井が目に入った。見知らぬ天井だ。寝起き特有のぼんやりとした思考のまま、寸前の記憶を巡らせる。
三か月前に身元のない自分を保護してくれた理子達。詳しく理由は言えないけれど、彼女がいなくなる、と同僚である黒井から連絡をもらって向かった都内でも郊外にある学校。門の前で足止めをくらったが、怖面の男性から関係者だから最期の瞬間に彼女たちと会う事を許してもらえて。再開した理子ちゃんは随分と驚いたようだったけれど、皆で説得することで無事帰れると思ったその時、轟いた銃声音。そこからは目まぐるしかった。撃たれたはずの体は傷一つなく、状況をつかめないながらも狙われている理子ちゃんと怪我を負った黒井さんを昇降機に押し込めて、なんとか逃がせた。そのまま足止めしてくれている青年の盾になろうと残ったのはいいけれど、成人女性を抱えているにも関わらず米俵のように担がれたり、お姫様抱っこされたりされながらも広がる目に負えない程の空中対戦。
人外すぎる光景に完全に、は目が回っていた。空を飛ぶ、壁を駆ける、拳や蹴りでコンクリートを破壊し、凶器はもちろん見えない空砲が幾つも壁を穿っていた。正に超人大戦。フィクション顔負けの人外二人の衝撃的な光景を思い出し、は無意識の内に額に手をあてようとする。しかし引いたはずの腕が動く様子はない。右手が誰かに握られている。ビクともしない手へと視線を向ければ、ふわりとした白銀の髪が視界に映った。
短髪だった昔より、少し伸びた髪。あどけなさのある輪郭は、精悍なものになっていた。丸々とした零れ落ちるような大きな瞳は切れ長の瞳へ。けれど元々童顔なのだろう。と視線が合いふわりと笑みを浮かべた表情は、随分と幼い印象を見せた。
「よかった。目が覚めた」
青年の色彩はあまりにも珍しい。彼は夢の中で出会ったあの少年だった。三か月前よりも、随分と大きくなっている。幼い頃握り締めたまろくて小さな掌も今や一回りも大きく、の手を容易く覆っていた。
「久しぶり、
手を握りしめたまま青年、五条悟が微笑む。その表情を見て、の脳裏に直前の記憶が過る。
突然再会した悟くん。随分と大きくなっていたから始めは随分と吃驚した。けれどそれよりも。彼の衣服は血だらけだった。思い出しはっとしたは、すぐさま視線を巡らせる。
「大丈夫?怪我してない??」
黒い羽織は相変わらず穴だらけのようだった。赤黒く染まったシャツは変えたようで、ぱっと見では怪我らしいモノは見当たらない。だがその下は包帯まみれかもしれない。そう思っては悟の頭からつま先まで念入りに見回す。
ベッド脇にあるパイプ椅子に座り込んでいた悟は、目を瞬かせた後苦笑を浮かべる。
「相変わらず心配性だなー。大丈夫だって。ほらほら」
陽気に笑う彼の表情は、やせ我慢しているようには見えない。ひらひらと振られる掌を掴み、指先まで怪我がないか確認する。悟は嫌がる事なく、になされるままだ。隅から隅まで確認して、ようやく納得出来たは安堵の息を吐く。改めて、目の前の青年をしみじみと見た。
「・・・随分と大きくなったね」
確かに悟くんの成長は元々早かった。出会った当初の、小さく可愛らしかった天使のような姿を思い出すと随分と感慨深い。将来絶対男前になるとは思っていたけれど。今では青年に残る幼さも、危うげな妖艶さに変わっていた。しげしげと眺めるに、悟は言う。
は小さくなったねぇ」
にっと口角を上げて揶揄う姿は、幼い頃の彼と変わらないままだ。にとっては三か月しか経っていない。けれど、どうにも目の前の彼とは年単位の月日が流れているようにしか見えなかった。そもそも、ここはが住んでいた場所とは似てるようで異なる違う世界のはずで――今まで、少年は同じ世界の人間だと思っていたが、違ったのかもしれない。世界が違うから、時差が生れた。その説が濃厚だろう。そこまでが考えた所で、しかしそれ以上に今の現状には分からない事が多かった。意識を失う前にお団子の青年と、黒髪の男により繰り広げられていた何がなんだか分からない超人対戦の原理は一先ず置いておく。
それ以上に脳裏に浮かび、気にかかる人物が同じ部屋にいないか改めて見回そうとして、部屋の引き戸が勢いよく開かれた。
!」
さん!!」
声を荒げて入ってきたのは制服姿の黒髪の三つ編みの少女に、メイド服を着た妙齢の女性だ。
室内から漏れた微かな声に、目が覚めたことに気付き慌てて入ってみれば、起き上がった彼女は二人の様子に目を瞬かせている。三つ編みの少女、理子は目尻にじわりと涙を浮かべるとそのままへと抱き着いた。「わっ」
少女の勢いに思わず仰け反ったに、理子は腕を回す力を強める。
「よかった・・・!本当によかった・・・!!」
抱き着いたまま、理子は声を震わせた。胸元にじわじわと冷たさが広がる。初めは呆気にとられていただったが、彼女の様子に気付き彷徨わせていた手を華奢な少女の背に回した。
理子を宥めようとするは、ふと横に立った気配に視線を上げる。メイド服の女性、同僚の黒井だ。彼女はいつも涼し気な表情を安堵に緩めている。
「本当に、無事でよかったです。さんが残ったと理子様から聞いて私達がどれだけ肝を冷やしたかと・・・」
表情を和らげている彼女のまなじりも、赤みが残っていた。
にとって、返しても返しけれない大恩のある二人だが、彼女たちもたった三か月しか過ごしていないを随分と心配してくれたようだった。二人の様子には罪悪感が湧くと同時に、ふわりと胸中が暖かくなる。心配をかけてしまった申し訳なさはあるけれど、それ以上に彼女たちが少しでも自分を思ってくれた嬉しさだ。としては不思議バリアがあるから大丈夫だとは思っていた。けれど彼女たちからすれば太刀打ちできない術師殺し相手に、呪力もないのに残った一般人のを心配に思うのは当然のことだ。怪我で意識がおぼろげだった黒井を置いていくわけにもいかず、理子は戻ることはできなかったが。ようやく高専の人間が見つかり、反転術式で治療施され意識を取り戻した黒井に事情を説明すれば彼女も顔を青ざめさせていた。理子が止められるなら、と藁にも縋る気持ちで呪術について何も知らない彼女を高専に呼んだのは黒井だったが。まさか一般人である彼女がここまで行動的だとは想定だにしていなかったのだ。
抱き着いたままの理子の背を撫でながら、は怪我を負っていた黒井を見る。
「黒井さん、怪我は・・・」
「もう大丈夫ですよ。家入さんが治してくださいました」
背後へと向けた彼女の視線を辿ると、開け放たれたままの扉の向こうでいつの間にか立っていた黒髪の少女と目が合う。射干玉のような黒髪を肩で切りそろえた、目元に泣きボクロのある美人だ。涼やかな瞳といい、将来は確実に艶容な女性になるだろう彼女は、と目が会うなり小さく目礼する。彼女が家入さんなのだろう。彼女の後ろには、見覚えのある青年が立っている。超人対戦を繰り広げていた黒髪を団子にした青年だ。と目が会った青年は、鋭い三百眼を弓なりにして笑顔を浮かべる。彼もまた、記憶を失う直前で怪我を負っていたはずだが、遠目から見る限り怪我の一つも見当たらなかった。
・・・もしかして、大分眠っていたのだろうか。何故意識を失ったのかは分からないが、は記憶と違い怪我が治った様子の彼らにそう思う。
事実としては薨星宮から大して時間は経っていないのだが、一瞬で怪我を治す反転術式という治療を知らない彼女がそう考えても致し方ないだろう。
その時、にしがみついていた理子が突然離される。悟だった。
「おい、糞ガキ。何時までもに抱きついてんじゃねぇーよ」
うっすらと笑みをうかべて、くるりとへと背を向けるとひき剥がした理子へと言う。頬を引き攣らせて、明らかに不機嫌な様子である。理子と黒井は、の身内といっても過言ではない。しかしこの男はそうではない。
五条悟。御三家の次期当主であり、六眼と無下限術式を持つ最強を約束された男を呪術界で知らぬ者はいない。しかし常に飄々として人を食ったような態度しか見せないこの男は、何故かから離れようとしなかった。は別に怪我を負ったわけではない。悟の呪術で一時的に眠らされただけだ。
傑と黒井の治療を終えれば、後始末は多くある。星漿体の辞退を決めた理子も今後について話さなければならない。薨星宮に他の人間がついた頃には既に姿を消していた術師殺し、伏黒甚爾の捜索もある。けれど悟はから決して離れようとしなかった。彼女へと向ける男の眼差しからして、いつもの彼とは様子大分違う。
―――そもそも、一般人であるはずの彼女が纏う呪力は五条悟のものだ。
昔からの知り合いだと、男は言った。だがそれだけで片付けられるような表情を彼は浮かべていない。砂糖を煮て焦がしたような、甘くドロドロと溶かしたこちらが逸らしたくなるような目を男は一心に向ける。
同級生であり彼の禄でもない性格を知る家入と傑は、彼の異様な様子に一歩引いて見ている。しかし、理子はそうはいかない。世話役といっても、彼女は理子にとって家族同然の存在である。大人げなくガンを飛ばしてくる男相手に怯むことなく、理子は目を吊り上げた。悟に猫のように捕まれた襟首を振り払うと、に向き直る。
、そろそろ帰ろう。黒井も病み上がりだしの。荷物を」
は僕と帰るの」
しかし理子の言葉を、にっこりと笑顔を浮かべた悟が遮る。え。僕?思わず『俺』から一人称が変わっている彼に周囲は目を向けたが、悟といえば周囲から向けられる不審な視線を歯牙にかける様子もない。そもそも。先程から唯我独尊な男に珍しく随分と猫を被っているように見える。高圧的に見えない様、せめて一人称でも変えればと進言したのは彼の同級生である傑であったが。乱暴な口調が打って変わって柔らかくなり、思わず誰?と彼の同級生たちは目を疑い二度見する。
悟の豹変には驚いたものの、男の言葉は聞き捨てならない理子がすぐに眉を潜める。すると、彼女の傍にいる黒井が言う。
「至らずに申し訳ございません・・・」
「な、」
一体なにを、そう理子が問いただす前ににこにこと笑顔を浮かべたまま、悟が言う。
「今まで、がお世話になったね。いやぁ、僕はこーんな小さい頃からにお世話になっててね。
 の状況、黒井さんから聞いたよ。放っておけない」
あ、変わってない。部屋の入り口で様子を見ていた同級生二人は即座に思った。この男、口調こそ柔らかいが煽っていく態度は全く変わっていなかった。笑顔を浮かべたままがどうにもニヤついているような笑みだ。マウントをとりにかかる男に、理子は奥歯を噛みしめた。
黒井とは既に話がついているようだが、しかし寝耳に水である。思わずは声をあげた。
「でも、私・・・」
「今までの恩返しをしたいんだ。だめ?」
整った眉尻を下げて、碧い瞳を揺らした悟がこちらを見る。うるうるとした蒼い目は、まるで捨てられた子犬のような表情である。はうっと言いかけていた言葉を詰まらせた。昔からはこの表情に弱い。溺愛しているのは自覚しているが、殊更常に強気な彼が態度を一変させて弱弱しい表情を見せてくると何も言えなくなってしまう。彼が成長し始めた年頃の時、このままではいけないと子離れのために膝枕等も断るようにしたが、この表情を浮かべた彼に縋られ完敗し続けた歴史はにとって長い。
さすがに彼が大きくなればこうはいかないだろうと考えていたが。残念ながら今では見上げる程大きく成長した青年相手でも変わらないようだった。途端何も言えなくなるとは別に、理子が声を荒げる。
は妾の家族じゃ・・・!」
「天内達は高専が匿う家で暮らすんだろ?一般人のまで迷惑はかけられない」
と、正論を返しつつも、悟の勝ち誇った表情が彼の心情を表している。閉口させる理子に、悟は思い出したように付け足す。「あ、のメイド服ももういらないでしょ?僕が買いとるよ」
「・・・悟、そこまでにしろ」
頭に手を当てて、さすがに傑が注意を促した。頭が痛い。大概だとは思っていたが女子中学生相手に大人げないにも程がある。まだ彼から事情は聞けていないが、明らかに彼女を想っているのだろう。要は嫉妬である。話の流れ的に、昔世話になっていた彼女が理子達といるのが気に食わないのだろう。果たして親友である傑の推測は見事に当たっていた。
つい数時間前まで思い出すことが出来ず、に再会出来ずにいた悟にとって三か月いえども彼女と過ごせた二人が妬ましいのだ。こちらにやってきた身寄りのない彼女を保護してくれたのは確かに感謝しているが、それにしても自分が一番に会いたかったと思うのが本音である。彼女に頼られるのは、常に自分だけであり続けたい。
見る限り、彼女に憑いていた夢魔は祓われていた。長年の保険が効いたのだろう。けれど次元移動する際に縛りも僅かに弱まってしまったようだ。こればかりは想定出来なかった。そもそも次元を超えるなど、到底空想上の話で無理な話なのだ。まあ、少しばかり手違いが生れたが。こうして彼女と再会できたのだ。よかったことにしよう。
ようやく黙った悟に、黒井が言う。
さん、手出しをされそうになったら何時でも構いません。すぐに駆けつけるので必ず電話するんですよ。」
「やだなぁー黒井さん。僕がそんなことするわけないでしょ?」
はははと笑う悟に、疑いの眼を黒井は向ける。軽薄な様子を見せる男はどう見たって信用できなかった。心配を微塵も感じていないのは、当人のだけだった。幼少期から被る彼の分厚い皮のフィルタ―がかかっているは、あり得ないとすら思っている。そもそも、彼に対しては子供のように想っているのだ。彼女が悟に向ける感情と、悟の想いが相違を生み騒動を起こす日は近い。
そこで、の掌が弱弱しく握られる。理子だった。ちらつかせている男の本音があっても、悟の言い分はもっともだった。理子達はもう、と共にいる事は出来ない。高専により理子達は保護を受けることは出来たが、星漿体を辞退した彼女たちは暫く狙わる。ほとぼりが冷めるまで、彼女たちは保護が必要だった。黒井は世話役であり、護衛だ。けれど一般人である彼女とは住む事は到底出来ない。
、また会えるか・・・?」
潤みそうになる瞳を抑えて、理子は尋ねる。は彼女の様子に目を瞬かせると、表情を和らげた。
「勿論。黒井さんも一緒に、今度理子ちゃんが食べたがってたケーキ、食べに行こう」
原宿にある二段ケーキのお店。黒井は食べきれないと反対したか、何時か三人でそのケーキを食べようと約束していた。
告げた瞬間を顔を僅かに歪めた理子は、その時既に未来を確信していたのだろう。あの時は分からなかった、一瞬彼女が浮かべた悲し気な表情も今になってようやく分かった。もっと早く気付いてあげられればよかっったと思う。思い返してみればふとした瞬間、理子と黒井は悲しげな瞳を宿していた。
けれど、その未来はもうこない。理子に握られた手を、は握り返す。「・・・ねぇ、理子ちゃん」
「生きていてくれて、有り難う」
の言葉に、理子は俯かせ気味だった顔を上げる。
穏やかな笑みを浮かべるに、理子もやがて、大輪の花を咲かせるように笑った。
「大好き・・・!」
たった三か月。けれど彼女たちを大事に思うのに、時間はかからなかった。
別れは寂しいけれど。きっとまた会える。
飛びついた華奢な体を抱きしめ返したも、理子も黒井も柔らかな表情を浮かべていた。



有明の月




今後についての話は、追々。
一先ずは休もうと悟に連れられて、はその日悟達が過ごしているという高専の寮へとお邪魔することになった。誰も知らないよりは知った人間がいた方がいいだろうと案内された部屋は悟の部屋の隣だ。大してない荷物もないのに持つといって聞かない悟が、部屋の隅に荷物を降ろす。
今後が決まるまでの一時であっても、これから過ごす新たな部屋だ。備えつけれられた窓からは、夕暮れ時に染まり始めた地平線と、まだ青さを残す空に見事な白夜月が浮かんでいる。黄昏月だ。思わず見とれただったが、そこでふと声をかける。
「悟くん」
「ん?なに、」
言葉は途中で不自然に止まった。手をめいいっぱい伸ばしたは、ギリギリで触れた銀色の髪に笑う。
「はは、やっぱりもう届かないねぇ」
窓からのぞく青白く輝く白夜月よりも美しい銀色の髪。昔のように撫でようとしても、開いた身長差から前髪にしか届かなかった。目を瞬かせる悟に、は改めて礼を告げる。
「色々と有り難う。迷惑かけちゃってごめんね」
諦めて、伸ばしていた手を下げる。けれど離れようとする前にの手は止められた。
「迷惑じゃない。・・・俺はもう、と離れたくない」
節くれだった掌は、よりも一回りも大きい。昔繋いだ小さな手の面影は今や何処にもない。は悟を見上げる。縋りつくように握りしめる彼は、随分と大きくなった。けれど瞳を揺らす姿は、見知ったものだ。
「心配かけて、ごめんね」
随分と、彼に心配をかけさせてしまったらしい。夢の中で会う少年はいつも勝ち気で、再会してからは一人称も変えて随分と丸くなったようだったけれど。は大切に思う青年の手を、昔のように握り返した。柔らかな表情で彼に言う。
「改めて、宜しくね。悟くん」
青年の向こう側には、青白い月が浮かんでいる。の言葉に、月を背にした銀色の髪の青年は微笑んだ。




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