DreamMaker2 Sample 2018年3月2日 埼玉県 所沢市 □□□小学校周辺において起きた呪霊の多発事件、通称トイレの花子さん事件の詳細
近隣にて軽症者8名、および特級呪術師が派遣された当日帳内に取り残された、肝試しに訪れていた小学生1年生が呪霊に襲われかけるが無事保護され大きな被害もなく終える。
学校内部に現れた1級呪霊2体は特級術師1名が対応。消滅を確認。
原因と予想された4階非常階段近くの女子トイレでは、以後怪奇現象が起こる気配はなし。呪術師の感じた異様な空気もなくなっている。
引き続き、補助監督による経過観察を行う。


なお、原因については現在調査中。




「ん〜ま、こんな所かな」
後部座席で足を組む男は頷くと、運転席の男に声をかけた。「そんな感じで、伊地知提出よろしくねー」
車を運転する細身の男は、黒ぶち眼鏡を押し上げながら答える。
「分かりました。では、そちらで提出させて頂きます」
特級術師ともなれば、書類を作成する間もない程日々呪霊と相対しなければならない。加えて、男は少数派である呪術界において呪術師を教育する学校の教師だ。本来ならば任務毎に自ら作成しなければならない報告書も特級術師は免除され、代わりに補助監督が作成することになっている。ーーといっても、この男は学生の頃から随分と適当で幾度となくサボる常習犯であったが。締め切りから1か月遅れようやく提出されたかと思えば、小学校の感想文なみの三行文章なんてざらである。
しかし能力ばかりは高い、とにかく手が抜けるところは抜くいい加減な男なので、今回の報告書も男の口頭での簡単な説明に、補助監督である伊地知が補正しまくり作成することになる。
内容に相違がないかの最終確認に、後部座席の男の了承を確認を得て伊地知は書類の提出日とこの後のスケジュールを脳内で確認する。翌日も早朝から任務が控えているので、出来るならば今日この後提出したいところだ。と、そこまで考えてちらりとバックミラー越しに、視線を後部座席の男へと向けた。
ここまでなら、いつも通りの事だ。だが今回に限りそうではない。上記のとおり、特級呪術師となれば書類作成も免除、呪霊退治に専念してもらう為任務に関する調べ事は基本窓や補助監督の人間が行う。しかし報告書には書かれなかったが件の事件の原因を彼は知っていた。
怪奇現象が噂されていた件の女子トイレには、原因らしきものは見つからなかったという事になっているが、特級呪術師である五条悟の持つ六眼は見落とさなかった。他の呪術師には見ることのできなかった、花子さんと名乗る女性が件のトイレにはいたらしい。
呪霊、仮想怨霊といった人に見えないモノは、それらを相手する呪術師であれば誰でも見ることが出来る。しかし、その花子さんとやらは特殊な眼を持つ五条悟にしか見えなかった。加えて何を思ったか。呪術師であれば問答無用で祓うのが通例であり、それは五条悟も同様に、むしろ彼の場合容赦なく冷酷に祓うのだが。五条悟はその霊を害はないと判断し、一時的に保護するというのだ。
呪霊に堕ちる前に祓わなければならないのは言うまでもなく、彼も重々承知だろう。そもそも、呪霊や仮想怨霊という存在はあるが、純粋な霊というものは存在しない。死んだ魂はあの世にいくか、呪霊となるかのどちらかである。
六眼を持つ五条悟にしか見えない花子さんという霊は、呪術界でも稀にないケースである。本来ならば上に報告しなければならない事態であるが、それを直属の上司が報告にはあげないという。そうなると、部下であり五条悟の補助監督である伊地知は無言で頷くしかなかった。常に五条悟の無茶ぶりに振り回されている諦めの境地であった。
僕が保護したんだから、僕がなんとかするよ。とは常にゴーイングマイウェイな上司の言葉である。
いやいや、彼とて御三家の子息として生まれたときから呪術界の中心で育ったような男である。きっと自分なんかには及ばない深い考えがあるに違いない。・・・あるよな?
こみ上げる不安を抑えるように、伊地知は無言で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「お、うちの生徒の出身校じゃん」
長年補助監督をしているが、常に腹の底が読めない男は伊地知が集めた資料を捲りながら声を上げた。
花子さんは五条悟にしか見えない。しかも彼は上に報告しないというので、今回の件は彼が自ら調べなければならない。最低限情報は集めはするが調査は彼単独で行うことになる。
面倒くさがりな彼の事である。自ら動かなければならないことに機嫌が悪いかと思いきや、しかし意外にもそうではないのである。
黒い布で覆った目は見えないが、先程から零す声の口調は明るい。そもそもこの男、やりたくなければ妥協せずにとことん何もしない男である。
資料を適当に捲ってはいるが、その時点で伊地知からすれば奇跡的である。なにせ妥協しない男なので。
弧を描いている口元といい、常に男の顔色を窺っている伊地知は思った。むしろ機嫌がいい?いつもとは変わった最強の様子に戦々恐々とする伊地知を他所に、男は思案する。
女子トイレにいた花子さんは、何かしら□□小学校と縁があったのかもしれない。ならば過去に何かあったのではないかと伊地知が集めた資料には、卒業生の名簿一覧もあった。
そこには見慣れた名前が載っている。なるほど、と五条は思う。思い返してみれば確かに随分と昔、五条はこの少年を尋ねに、この近隣に訪れた事があった。
過去に起きた出来事を知るには卒業生に話を聞くのが一番だろう。男は白い指先で用紙をトントンと叩く。「駄目元で聞いてみるか」
静かな男を観察していた伊地知は、ふと思い始める。真面目だ。珍しく真面目である。いつもちゃらんぽらんな彼を見ていた伊地知は、真面目な調べる姿勢を見せる彼に一株の期待を抱き始めていた。少しは横暴さも収まったのか・・・?
しかしそんな伊地知の希望は、資料を閉じるなり明るく飛ばされた指示により消える。
「じゃ、あと10分で高専について。18時までに家に戻れなかったら伊地知マジビンタな」
現在の時刻17時丁度。この場所から高専まで早くて30分。更に送迎には20分弱はかかる。
訂正、やっぱりこの人の横暴さは変わっていなかった。
伊地知は眼鏡の奥にしょっぱい汗を浮かべ、無言でアクセルを踏んだ。


***


「×××ちゃん、照れてる?」
「・・・別に」
そう言って、顔を思い切り逸らした黒髪の少年を女はじっと見つめる。
いつも傷だらけで言葉数も少ない少年が、突然顔を逸らしたからどうしたのかと見つめれば、耳は赤く染まっていて。驚きと同時に嬉しさが込み上げてきて思わず手を伸ばした。ツンツンしている黒髪は思ったより柔らかくて、感動したのを覚えている。
ぎょっとこちらを振り返る少年は案の定まなじりが赤く染まっている。まだ元気だった彼女がその様子を見て背後で笑うものだから、余計に彼は羞恥に顔を赤くしていく。

どうしようもない現実に途方にくれて、情けなくもみっともなく泣いていた女はあの頃少年に救われたし、居場所のない女にとって彼等が唯一の心の居場所だった。
だから伝えなければならない。
名前も思い出せないその人だけれど、きっとそれが最期の心残りだから。


揺蕩う思考が浮上していく。霞む眼をこすれば見慣れた女子トイレーーではなく、染み一つない白い天井に広々としたリビングが映った。
必要最低限の家具しか置かれていない部屋は生活感はあまりなく、無機質にも見える。
男独りの住まいの割に広々とした高層マンションの一室で、生活感もあまりない様子から不信感は増したが、男曰く仕事で全国を転々とすることが多い為基本は近隣に滞在し自宅に帰る機会も少ないのだという。
男の職は呪術師。呪霊を祓う、つまり映画によくあるエクソシトみたいな存在だと女は認識している。実に眉唾ものだが、女自身も特殊な状況下であるしそもそも昨夜呪霊というものに襲われたばかりだ。なにせ、自身も幽霊なもので。生前の記憶は明確ではなく所々ぼやつきがあるが、最期の瞬間トラックに挽かれたのは覚えている。
死んでしまった自身を唯一見ることができる五条悟という非常に胡散臭い男に保護されたのは昨夜のことだ。
艶めく銀色の髪に、僅かに除く白皙の肌。パリコレモデルも驚く程スラリとした手足に長身の男は、雰囲気からして美男子だった。
しかしこの男、全身黒ずくめな挙句目元まで黒い布で覆っている。そんな人物との初対面の場所が女子トイレとなれば、誰がどう見ても不審者。いくらイケメンオーラが漂っていようが、問答無用に通報まったなしだ。とはいえ男は呪術師として致し方なかったというのだから本物の変質者ではないのだろう。それでも拭えきれない初対面の不信感に、女は本名を名乗らず花子と名乗ることにした。
学校の女子トイレの幽霊といえばやはり花子さんである。
そうした考えから女ーー花子さんはあからさま偽名のまま、男が頬をひきつらせて脅してきても素知らぬ顔で今に至る。
しかし、その考えは正解であったらしい。
連れられてやってきた五条の家で、女は暇を持て余す。本当は名前も思い出せない、断片的な記憶だけを頼りに彼を探しに行きたいが、女は呪霊をおびき寄せ易い体質であるらしい。折角トイレからは抜け出せたが、まず一人で彷徨っていれば確実に呪霊が誘き寄せられてしまう。
事実、昨夜学校から男の家に行くまでの間にも呪霊に襲われた。問題なく呪術師である男が片手で祓ったが、当分の間男の家からは出ない方がいいだろう。呪術師である男の家は結界が張ってあるそうで、呪霊は近寄ることも出来ない。のちのち出れるようにしてあげるから、そう言って男は今朝方任務へと向かった。
女は幽霊であり睡眠や食などといった行為を必要としないが、寝ようと思えば寝れるし、不思議なことに食べることもできる。
とはいえ、昨日は未知の存在である呪霊と呪術師の遭遇に精神的に疲れ、早々に寝た。
初めは案内された男の家ーー高層マンションの最上階な上、客室も備えた独身にもかかわらず広い部屋ーーに男の金銭能力に戦慄いたが、男の存在からして胡散臭さしかないため、考えは放棄することにした。
そうして眠りにつき、薄っすらと『彼』の記憶も僅かに思い出せたが。仕事に出た五条を見送ってしまえば、女にはすることがない。もう一度眠るというのも手だが、ようやく女子トイレから出れたのだ。寝るのも勿体ない気がして、
女は暇潰しがてら今の現状について何か分かることはないかと、グーグル先生に頼ることにした。部屋の中のものは適当に使っていいよ、と家主から家を出る前に許可は得ていた。
女は幽霊ではあるが、そうした世界については分からないことばかりだ。元々彼女は見えない人間で、オカルト類にもあまり興味もなかった。呪霊や呪術師と言われても今一つピンとせず、実感は持てないのだ。狐につままれたような心地である。
パソコンを起動させ、ネットで調べる。すると人間は噂好きなもので、出る出るわ嘘か本当かわからない話ばかり。ヒットするオカルト話の多くは与太話だろう。
とはいえ、その中で唯一気にかかることがあった。
本名を知られるのは、霊にとって命とり。
名は体を現すため、真名が知られてしまえば使役は愚か祓う事も簡単に出来るのだという。嘘か本当かはわからないが、そう述べられると納得できる気がした。
女はまだ成仏するつもりはない。『彼』に伝えるために、呪術師である男に祓われるわけにはいかないのだ。
呪術師は女を保護すると言ってここまで連れてきてくれたが、本音は分からない。呪霊から助けてくれた男の親切心がまるきり偽りとは思えないが、彼はしきり女の名前を知りたがっていた。本当は祓う腹つもりなのかもしれない。
昨夜も名前を言わないなら祓うといいながらも、結局祓うことはしなかった。
もしかしたら、名前を知らないから祓えないのかもしれない。推測が正しいかは果たして分からないが、祓われない為にも念には念をいれておきたい。
女が頑なに花子さんと名乗り続けようと固く決意した瞬間的であった。


固く決意を固めた女、改め花子の1日は霊やオカルト話について情報収集することで終わった。
「たっだいまー!」
玄関の方向から、底抜けな明るい男の声が上がる。壁にかけられた時計を見えれば18時ジャスト。ベランダからの日差しは陰り、既に日も暮れていた。家主である呪術師が帰ってきたのだろう。既に死んでいる身なので疲労してはいないだろうが、生前の感覚から禄に動かさずにいた肩をぐるりと回す。
リビングに繋がる扉が勢いよく放たれる。花子は視線を向けて、声をかけようとしたところで唖然とした。
「・・・どなた様?」
固まったまま、ようやく絞り出した言葉にリビングに入ってきた長身の男はきょとんと目を瞬かせていた。
銀色の髪は癖もなく靡いている。遠目に見てもきめ細やかな雪肌に、整った鼻筋。唇は薄く、しかし艶やかだ。束になるほどのまつ毛に、美しく孤を描く柳眉。ここまででも職人が丹精込めて精巧に作ったビクトールすら案山子に見えてしまうほどの美貌だった。
恐ろしく整った顔立ちの中心で、蒼眼が煌めく。蒼色の瞳は外人だとか、人種の違いではない。少なくても花子は生前、画面越しのハリウッドスターですら見たことがない。青い瞳は、浅い水面であり、深い深海だった。相対する色のはずなのに、幼い頃太陽に翳した青いビー玉のような美しさを放っている。
見知らぬ人間であるだとかいう前に、花子があまりの美丈夫に唖然としてしまうのも無理はなかった。最早人ではなく、神が妖精の類のごとく美麗さだ。
辛うじて尋ねたまま、固まる花子に蒼い目を瞬かせていた男はそこで得心がいく。そういえば、外した姿はまだ見せてなかったっけ。
美貌の男の口から放たれた声は、花子が聞き知ったものだった。
「やだなー、花子さん。僕だよ、僕。
 グットルッキングガイの五条悟君だよ」
きゅぴんとばかりに、かわいい子ぶって首を傾ける男。
このふざけた調子、間違いなく奴である。
そもそも玄関口で早々、帰宅した呪術師の声を聞いたのだ。目の前の美しい男は、あの胡散臭い呪術師だった。黒い上下の衣服は今朝のままだ。異なっているのは目隠しを降ろしているからだ。ちょっと待て、と実に花子は物申したかった。男がただの雰囲気イケメンではなく、百歩譲って黒い目隠しの下もとんでも美形だったのは分かる。うっわ〜瞳が宝石みたい〜とどこの漫画の世界だよ、と思わず笑ってやりたい容姿も男の剽軽な性格はそのままのようなので許そう。しかし髪の跡は??なんで目隠ししていたくせに跡もつかずにサラサラなの??
あげていた髪が重力に伴いストンと落ちている髪質が花子にはまるで理解できなかった。胸が痛む。ズキズキとする痛み。そう、これは・・・・。
この時、確かに花子の五条悟の意識が変化した。初めは本物の不審者。次には不審者に見える恩人へ。
そして今度は、女として負けてはならない、皆無と本人すら思っていた些細なプライドを傷つけられたことによる、不屈の精神を男へと抱いたのである。

目隠しの下は超絶イケメン。モデルも負ける長い手足に、前世男はキリンとかだったんじゃないだろうか。股下も長ければ、顔も小さい。童顔。髪は艶めきサラサラ。
呪術師である五条は花子にとって恩人である。永遠に出れないかと思っていた女子トイレから解放し、襲ってくる呪霊という化け物も倒してくれた。いや、まあ恩人だからこそ。これ以上お世話になるのはよくないよね。何もせず、男の手を借りて『あの人』を探すまでただの居候然というのはよくない。敗北感を抱え、宛がわれた部屋へと戻った花子は、ある決意を固めるのだった。

なにやら素顔を見るなり始終落ち込んだ様子の花子に、五条は不思議に思ったが翌朝の彼女の様子にさらに首を傾げることになる。
朝方目を覚ました五条がリビングに入ると、昨夜早くに部屋に引っ込んだ花子がパソコンにへばりついでいた。何か調べ物でもしているのだろうか?それにしてもディスプレイにへばりつく様子は大分熱心なものだ。生あくびを一つして、頭を掻きながら五条は声をかけた。
「おはよー花子さん。何してんの?」
「おはようございます。五条さん」
返事を返す女は、ちらりともこちらに視線をよこさない。まさにそれどころではないと全身で訴えていた。しかし五条悟は空気を読まないので、背後に立つと無遠慮に後ろから画面を覗き込んだ。
「・・・何してんの?」
思わず、再度尋ねる。
「株です」
花子は株価の変動を見逃すまいと画面をガン見しながら答えた。
恩を借りてばかりは嫌だ。ならば何で恩を返すのがいいかと自室に篭り考えた花子は、すぐに答えを出した。
金だ。
薄汚い大人である花子は、意地汚い答えを出した。
しかしそこで問題になるのが花子が幽霊だという事だ。体がないので、肉体労働はまず無理である。家で稼げる仕事はないかと悩んだ結果思い浮かんだのが株であった。
五条の家に保護されることになった初日、彼から渡されたものがある。家にいるだけだと花子さんも暇だろうし、使わないから好きに使っていいよーと簡単に渡されたのは、なんと驚くことに通帳であった。0が7つ程並んだ金額が記帳されたそれは、どう考えても簡単に渡していいものではない。
住まいといい、五条はどうにも金銭感覚が大分狂っているようだった。え、待って初対面だけど。しかも私、生身ですらない幽霊なんだけど。唖然とする花子に、五条といえば僕結構稼いでるし、気にしなくていーよ。とまさに暖簾に腕押し。気にする。めっちゃ気にする花子さんは0が7つ並ぶ通帳を初日に決して使うまいと決めた。しかし今は元手が必要であった。すべては五条に恩返しをするため。通帳の金額を元手に、花子はネットで健全に資金を稼ぐ方法ーー株を始めてみたわけである。
しかしこれがどうして難しい。株に手を出したことのない花子は、頼りになるグーグル先生からいろはを教えてもらいながら、手探りで始めたのだが、結局昨夜から眠ることなく必死にパソコンにかかりきりになってしまった。
読めない。まったくもって株価の先が読めない。しかし幽霊の身で稼げる方法といえばこれぐらいしか花子には思い浮かばなかった。
必死に株価を見つめる花子に、背後から覗き込んだ五条が首を傾げる。
「・・・なんで?もしかしてお金たりない?」
「それはないです」
1日で0が7つある金額を使ってたまるか。即答する花子はディスプレイから目を離さず、背後から去る様子のない五条に答えた。
「ちょっと、やってみようかなーって・・・。なんですけど、これが難しくて・・・」
五条に返すためだとは言わない。まだ金額を稼げていないのだ。しかしこれは悪手だったかもしれない。どうにも難しく、最初は意気揚々としていた花子の肩も下がってくる。
「ふーん」
目を細めて悪戦苦闘する花子に五条は気がないように答えてから、改めて画面を見る。そのまま五条は黙り込んだ。背後に動く気配のない男に、もしかして立ったまま寝た?花子が思い始めたころだ。
突然、身を乗り出しキーボードを叩く。
「え、ちょっと、五条さん!?」
焦る花子に、五条は気にも留めず叩き込むと、満足したのかようやく花子から離れた。呑気に背を伸ばしながら五条は言う。
「んー、ま、こんな所かな」
呑気に大きな欠伸を一つ零す。「あーねっみ〜・・・」
花子はあたふたし始める。もともと、渡されたといってもお金は五条のものだ。彼のものなのだから彼がどうしてもいいだろう。しかし数分見て、どうにも適当に操作したようにみえる彼に昨夜からにらめっこをした花子は焦ってしまう。
「ど、どうすれば・・・!」
画面を見つめて慌てる花子だったが、その時頭の上に手が置かれる。
「まあまあ。今日はこの辺りにしてさ。花子さん、昨日から起きてたでしょ?
さっさとご飯食べよー」
花子は幽霊だが、五条は触れる事もできるし、花子自身食べようと思えば食事をすることもできる。無駄に食費を使うことになってしまうため、初めは遠慮していた花子だったが「それだと花子さんもつまんないでしょ?折角だから一緒に食べようよ」という五条の勧めで五条がいる時はともに食卓を囲むことになった。
株価の変動は気になる。しかし五条が言うのならばそれに従った方いいだろう。もともと彼のお金が元手である。後ろ髪引かれつつも、花子は席を立つことにした。


そうして、彼の言った通り1日が終わりかけたころだった。帰宅した五条が見たのは、パソコンの前で手を組み顎を乗せた花子さんだった。
まさかの事態が起きた。夕方になって、そろそろもう一度覗いてみようかと思った花子が覗いてみて、花子は目を疑うことになる。
1日もたたずに莫大な金額が稼げてしまったのだ。その金額、元手の倍。初めは少額からと考えていたのに、通帳とほぼ同じ金額が稼げてしまった。花子がパソコンの前で呆然としたのも致し方ない。しかも、帰宅するなりパソコンの前で固まったままの花子から結果を聞いて、五条悟はあっさりと一言「へぇ」とどめに「予想通りすぎてつまんないなー」である。
どうでもいいとばかりに夕飯を促す五条に、呆然状態であった花子の不屈の精神はさらに燃え上がることになる。


初めは金あり顔よし、家もよし。なにそれ私の存在重荷でしかないという事実に打ち震え、せめてと出来ることを探すだけだった。しかし、だ。
掃除せずとも綺麗な部屋。ならばと料理を作れば早く帰宅した五条が手伝った料理の方が美味しいという事実すら発覚してしまう。サラダすら手製のドレッシングで上手いとは如何に。アラサー間近の独身の底力、みせてやる・・・!といつのころか論点がずれて奮闘していた花子だったが、五条悟に勝るところが皆目見当たらない。諸々の事情があったとしても女子力が皆無だから独身なのである。泣けた。
手製の花子の夕飯にはしゃぐ五条を前に、五条の作ったサラダをばりばりと自棄のように食べる花子である。ちきしょう、おいしい。泣ける。
「最近どーしたの?なんか変じゃない??」
なぜかうっすら半泣きの花子さんに、五条は尋ねてくる。

花子さんを保護することになって2日目。呪霊を集めてしまう性質の彼女は、しばらくの間家にいてもらうことになった。結界が張ってあるここであれば周囲に被害も及ばず、彼女も襲われることはない。
害のないとはいえ対して見知らぬ霊の彼女を保護したのは、多分、物珍しさからだった。
呪霊ではなく、花子と名乗るくせに仮想怨霊ではない明らかに害のない一般人の霊。帳の中に残されていた子供を助けようとした彼女は、善人でしかない。
しかし装っている可能性もなくはなかった。呪術師最強である彼は、呪術界や呪霊にとっても命を狙うものは数えきれない。油断を誘い、懐に入って五条悟を殺す。初対面の当初、女を知らぬ内に一瞬だけ過った考えである。
というのも女は弱い。軟弱すぎて放っておいたら確実に呪霊に食われるのは明白であった。
万が一、いや億に一でもそれすらも演技だったする。可能性は常にいくつもあり、事前に備え用意しておくべきだ。生と死の境界が曖昧な呪術界では僅かな油断が死に繋がる。

学校で襲われていた彼女と子供を助け、保護する五条が告げた後。
女は男に向かって頭を下げた。どうしても、やりたいことがある。それが叶えば、祓ってくれて構わないと宣ったのだ。
『あの人に、伝えたいんです』
黒い目はまっすぐに、確かな熱量をもってこちらを見つめていた。瞬間、脳裏に浮かんでいた幾つものもしも、は消え去ってしまった。
女が呪霊に食われそうになったとき、逸らさずにいた瞳のままだ。
ーー厄介なことに、どうやら自分はその目に弱いらしい。
初めは、ただ女の目に惹かれた。五条悟は腹の底の見えない飄々とした性格である。剽軽な表の底で、必要であれば他者を軽く切り捨てる残酷さをもっている。彼はその性分を自覚していた。
だからこそ、自身の根幹を揺さぶってきた女の物珍しさに自宅での保護を決めたのだ。
保護ならば別に五条の家でなくても問題ない。五条の我儘で秘匿処刑予定の生徒を高専に入学させ、保護させたことだってある。
自他共に認める最強の彼は暇ではない。呪霊退治はもちろん、高専の教師として常に全国は愚か海外にも飛んでいる。暇ではない彼よりも、効率が良いのは高専での保護である。
けれど男はこの女を、傍で見てみたいと思った。 多分、物珍しいから。男はそう考えている。
女が害があるかなかろうが、言ってしまえば関係ないのである。物珍しいから、近くで見てみる。呪術界の名家で育った彼は、論理感もぶち壊れているのだ。まるで珍獣のような五条の考えは花子さんが知れば怒り狂う事間違いなしだった。果たして男の直感は当たった。
いや、外れているようで、当たっていた。
予想通り、手渡した通帳に固まり、早速引き出しにしまい込み使う様子がないのは彼女が善人だからこそだろう。男の素顔を見て呆然としたり凹んでいるのも、まあない事はない。多くの異性は顔を赤く染めるが、素顔を見て顔を歪めるものだっている。気の強い人間の多い呪術師の女性は、特にそうした反応を見せる。生徒しかり、元同級生しかり。
かと思えば、この女、別に気が強い訳ではないのだ。むしろ気は弱い方だろう。保護される身で肩身が狭いといっても、主張は常に少ない。
ならば、女が思い通りに動くかといえばしかしそうではない。突然株を始めようとしたり、物のない部屋をさらに整理しようとしたり。料理を作りだしたりと突然何かに火が付いたように動いたかと思えば、五条の作ったサラダに消沈して半泣きの表情を浮かべるのだ。
見ていて、飽きない。これにつきる。五条はにやけそうになる頬を務めて真面目なものにする。最近の行動についても、頑なに理由を言おうとしない。原因は大方想像はついているけど。
半泣きの彼女が可哀そうで、けれど心の奥をざわつかせるような可愛いさもあって、五条は彼女へと助け船を出すつもりで問いかけた。
サラダを無心に咀嚼していた彼女は、五条の言葉に一瞬つまる。けれどどうにも、全てにおいて卒なく熟す彼に対して他に思いつく手段もなく、若干追い詰められていた彼女は正直に吐露することにした。
「・・・五条さんに、何かお返しできればと・・・」
ほんっと、面白いなぁ。
予想通りの彼女の答えも、なぜか五条の心を震わせる。女の考えは別段、可笑しくもない一般的な人間の感覚だ。
それは分かっているのだが、五条は自分のために何かをしようとして半泣きの表情を浮かべてまでいる彼女を前に、無意識のうちに口角が緩んだ。
「じゃあ、ご飯。
これからも僕に作ってよ」
真面目ぶった表情はすでにない。頬を緩ませる男に、女は不貞腐れたように答えた。
「私より、ご自分で作った方が美味しいじゃないですか・・・」
「え?花子さんの料理の方が美味しいよ??」
これは本音である。味で言えば、無駄にお高い料理で舌の肥えている彼の料理の方が格段に美味しいのだろう。しかし、好みの問題だ。少なくても五条にとっては、花子さんが苦心しながらも作ってくれた料理の方が何倍も美味しく感じた。
思ったまま答えれば、瞬間、熟れたトマトのように顔を赤く染め上げる。「・・・ま、まずくても知りませんからね」
「そんな事ないから、安心してよ」
しどろもどろに、口をまごつかせながらか答える花子さんに、五条は機嫌よく返す。

五条悟は、この時間を思ったよりも気に入り始めていた。



君との時間




「変わった事?」
3日前に話を聞こうとして、既に任務に出ていた彼が帰ってきたのは日にちの経った今日のことだった。入れ替わるように任務の入った五条は、さっさと呪霊を倒すなり高専へととんぼ返りする。高専の授業はすでに終わっている。少年が滞在している寮へと向かおうとすると、丁度彼も外出する予定だったらしい。出くわした目的の生徒に、早速五条は花子さんがいた小学校について尋ねた。
黒髪の少年は、五条の問いに眉を顰める。
「いや、特にありませんでしたけど・・・」
「だよねぇ。悪いね、用事の前に時間とっちゃって」
少年の答えは大まか想定できていた。そもそも幼いころから見える彼が通っていた学校である。冷たい振りをして正義感の溢れるこの少年が、放っておくだなんてことはまずないだろう。
片手に花束を持っているから、義姉の見舞いだろう。足を止めてしまったことに謝罪すれば、少年は首を振る。「いえ。じゃあ、俺はこれで」
そのまま軽く会釈して通り過ぎようとする少年の背に、もう一つだけ五条は問いかけた。
「あ、待って。最後にひとつ。君が通ってた学校に、黒髪黒目の女の子とかいた?多分背も小さくてトイレに執着心持ってそうな」
「なんですか、それ。特に最後の」
向けていた足を止めて、怪訝そうな表情を隠さず振り返った少年に五条は促す。
「いいから、いいから」
この人は一見ちゃらんぽらんに見えるが、意味がない質問はしないだろう。少年は幼いころからこの教師に世話になっているので、そこだけは信頼していた。眉を顰めたまま、少年は心当たりを探す。
「黒髪黒目なんてほとんど同級生はそうですよ。
 最後のは・・・特に思い当たりません」
「先輩でもいいよ。一般人でOLしてる知り合いとか」
「うちの学校出身ですよね?」
頷く五条に、少年はもう一度該当する記憶がないか探す。しかし残念ながら検討はつかなかった。
「そんな知り合いいません」
少年の答えに分かってはいたもの教師は肩を竦める。そうして、今度こそ生徒を見送った。
「そっか〜分かった。
 有り難うね、恵」
手をひらひらと振る教師に小さく頭を下げ、黒髪の少年、伏黒 恵はその場を後にするのだった。





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