終結

DreamMaker2 Sample 座り込んだまま、黒い目を丸めて呆然と見上げるに長身の男は美しく微笑んだ。
「ようやく、会えた。
男の声は決して大きい訳でもないのに、まるで空間を支配したかのように響いた。
風に揺れる銀色の髪は、砂埃の舞う中でも艶やかさを失わない。顎先は鋭く、真っすぐな鼻梁、秀麗な柳眉と恐ろしく整った顔立ちをした青年だった。一度見たら確実に忘れないだろう。そんな美青年が、文字通り突然現れた。
しゃがんだまま見上げる青年は、背を屈めているものの随分な大男で、秀麗な顔立ちといいは妙な威圧感を感じた。脳内処理が上手く働かず、固まる彼女に鋭さすら感じる氷のような美貌を、ふわりと微笑ませる。
一瞬にして周囲に纏う空気が変わった。美しい人間というのは挙動一つ一つで空気をがらりと変えるらしい。瞳は優し気に細められ、甘やかな表情で青年は告げる。
威圧感が消え、肩の強張りが抜けたはその表情を見て、ふと既視感を覚えた。青年の恐ろしく美しい顔立ちよりも、目を惹いて止まない蒼い双眸がを映す。烟る睫毛が青年のきめ細やかな白い肌に影を落とす。慈しみに細められた瞳は、正に宝石のような、透き通った浅瀬のような、新緑の碧に、青空の、ような。
「俺だよ、五条悟」
「・・・悟くん・・・?」
かちり、と目の前の青年と青空の瞳をもった少年が重なった。が夢の中で出会った少年。最後に会った少年と比べると、愛らしく丸みの残っていた顔立ちは随分とすっきりとしている。成長期に入り急激に伸びてきた彼の身長は、まだの胸元辺りだったはずだ。見上げる程の長身ではない。
彼はようやく、この春に中学生になったばかりのはずだった。今目の前にいる青年は、どう見ても中学に入りたての少年には見えない。
けれど青年の持つ色彩と、何よりも特徴的な碧い双眸を和らげる青年の表情。夢の中でに懐き始めたころから見るようになった、はにかむような少年の笑みは、見間違えようがなかった。
呆気に取られていたがようやく、目の前の青年が誰かと分かった瞬間、ざっとの顔から血の気が引いた。
「こんなに、怪我して・・・早く手当てしないと・・!」
それまで呆然としていたとは思えない程、は慌て始める。突然振ったように現れた彼と、恐ろしく美しい顔立ちに呆気に取られてしまったが青年の衣服は随分とボロボロだった。黒い羽織りは穴だらけで、中に着ている白いシャツは赤黒く染まっている。我に返ってみれば、髪や額、喉にまで固まった血がこびりついているではないか。
子供の頃も天使のように愛らしかったが、成長した青年のあまりにも人外的な容姿に呆気に取られて、気付くのが遅すぎた。押し寄せる後悔に胸中を苛められながら、は手を伸ばすと悟の額の血を恐る恐る拭う。しかし、血の跡に構えた傷跡は見当たらない。
突然起き上がるなり、襲る襲る顔に触れた彼女にきょとんとしたのは青年だった。心配そうにこちらを覗き込むが、双眸に映り込む。

一度死にかけた彼は、文字通り体の細胞から「反転術式」で作り直した。
心臓すら一度止まり、全身を再生させたばかりの彼はその影響か、あれだけ渇望した彼女を思い出せたからか。
彼女がいるからと引きずってきた体の傷は、まだ完全に回復していない。骨もあちこちイカれたままだ。それでも、痛みすら感じなかった。ただただ気分が異常な程に高揚して、見るもの、感じるものすべてが心地よかった。
幼いころから求めていた彼女が、目の前にいる。手を伸ばせば現実で触れる事ができる。彼女の声を聞くことができる。昂る感情を必死に抑え、悟は務めて優しく声をかけた。今の彼には周囲をーーー物は愚か、人も容易く壊すことができる。
生まれ持っていた莫大な呪力を思いのままに操り、最強に至ったばかりの彼は、目の前の非呪術師である彼女を決して怖がらせないように、逃げられないように。獰猛な感情を覆い隠して、伸ばしたくなる手も抑えて彼女に声をかける。はたして幼い頃から幾度となく被っていた皮は、この時も上手く装うことができた。
それでも膨れ上がった感情は抑えきれないようで、僅かにあふれ出てる。必死に抑えようとしても、決して逃がさないと瞳の奥には凶猛さを孕んでいる。が出会い頭青年に威圧感を感じたのも、この所為であった。
彼女は唖然とこちらを見上げて、初めはすぐには思い出せていないようだった。もし、彼女の記憶が戻っていなかったどうしようか。まあ、例え彼女が思い出さなくても、今更逃がせるなんて選択肢はありはしないけど。
青年の考えは、彼女が自分の名前を呼んだことで消えた。
ーーー悟くん。
随分と懐かしい、昔のままの彼女の声。久方ぶりに聞いた彼女の声が、脳内で麻薬のように浸透する。
現実で彼女と向き合い、彼女と相対するだけで心は暴れ多幸感に包まれるのに。脊髄に走る、甘く痺れる彼女の声に青年は歓喜した。
ーーーああ、抑えられないかもしれない。
瞬間、確かに青年はそう思った。ごくりと無意識のうちに唾を飲み込む。けれど男の考えは、一瞬で覆される。
呆然と座り込んでいた彼女が起き上がるなり、悟の頬に触れたのだ。今は消えたが、彼が負った傷の跡へと女の白魚のような指先が触れる。その手に紅い血が付着しても、怯える様子はない。それどころか、黒々とした目は心配そうに悟を見上げている。昔とは真逆の、胸元辺りまでしかない背を必死に伸ばして触れてくる彼女に悟は呆気にとられた。
ーー昔からそうだった。血に触れたこともないだろう、非呪術師の彼女は躊躇いなくこちらに触れてくる。その手が汚れないよう、こちらが嫌厭しようともお構いなく。
彼女は知らない。御三家に生まれた少年が、生まれた時から呪い呪われる人間と呪霊の魑魅魍魎の世界に佇み、血に染まり尽くしているかだなんて。どす黒く、見られないほどの醜悪な感情を抱えているかだなんて。
決して女にばれないようしたのは少年だったが、それでも滲み出てしまう異様さを少年は自覚している。
目の前に成長し、長年腹を空かせまくった化け物が立っているのに。女はそれでも、こちらに手を伸ばしてくる。
「ふは、」
思わず、悟は空気が漏れるように笑った。
彼女は眉尻を下げて今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。最強である自分を心配する、非力な一般人。彼にとっては赤子のような力しかない女だ。
心配する彼女を前に、自然と頬が緩んだ。
「大丈夫だよ」
安心させるように女の手に自身の手を重ねる。女の手は容易く覆えるほど、一回りも小さな手だった。力も、体格差も。どれをとっても彼女は悟に及ぶことはない。それでも不思議な程、悟は自覚している。
「これは跡だし、もう気にならない。大丈夫、俺最強だから」
あれほど荒れ狂っていた感情が収まっていく。
ーーいつだって、彼女に敵うことはない。
惚れた方が負けとは、昔の人間はよく言ったものだ。最強形無しである。なっさけねー。そう常々思っても、そうした自分も嫌いではない。
重ねた掌とは反対の手で、青年は彼女の頭を撫でる。
「待ってて」
人差し指での額をつけば、次の瞬間目を瞬かせていた彼女の体が崩れ落ちる。
呪術で意識を失った彼女を大事に抱えて、部屋の端に座らせる。怪我を負いながらも起き上がりこちらにやってきた親友に、一言声をかけた。
を頼む」
「・・・あとで説明してくれよ」
今聞いたところで答える気はないだろう。そもそも現状もそれどころではない。ぐっと堪えて溜息を吐いた傑に、悟はひらりと掌を返すことで答えた。


数十分ぶりに向き直った男は、込み上げる嫌悪感に表情を歪めていた。
「随分と分厚い皮かぶりやがって。気持ちわりぃ・・・」
「ハッ!惚れた女の前なんて、こんなもんだろ?」
吐き出しそうな表情の男に、青年は嘲笑を浮かべる。
先程女へと向けていた穏やかさなど欠片もない。口の端を吊り上げて獰猛さを隠さない男に、伏黒甚爾は呪霊から武器を取り出しながらぼやく。
「てめェの本性知ったら、あの女もさっさと逃げるだろーな」
心配?そんなもの、このガキには到底必要ないだろう。つい数十分前に確実に殺したはずの男は、飄々と目の前に立っている。殺したって、殺せないとんでもないクソガキだ。けっと唾を吐く伏黒に、青年は抑えていた獰猛さをあらわにする。
「そうか、そうだな、そうかもなぁ!!」
ギラギラとした目で言い放つと、悟は首を傾げる。
「でも、俺が逃がすわけないじゃん?」
きょとんとした表情で、さも当然のように言い放った。
凶器にも似た女への重々しい青年の想いは、見てるこちらにも伝わってくる。気の毒なこった。伏黒は逃げられないだろう女に思わず同情の念を抱いた。


***


「アンタには感謝してるんだよ」
浅い息をして倒れこむ男の傍に、青年は悠々としゃがみこむ。
勝敗は、圧倒的だった。
前もって計画を重ね、青年の隙をついたといっても、最早数分前の男とは異なる。
唯我独尊にて天上天下。たった数分で、青年はその境地まで至ってしまった。流しすぎた血に視界が歪む。四肢に力が入らずとも、未だに意識を失おうとしない伏黒を尻目に青年は続ける。「ま、に手を出そーとしたのは別だけど」
「俺、今サイコーに気分がいいし、俺的にはさっさと殺したいんだけど。
が悲しむだろうから、これで勘弁してあげる」
ようやく再会した彼女に、悟はこれ以上なく機嫌がよかった。いつもならさっさと毟りとる男の命も、寸前で踏み留まる。
もし彼女に男が死んだと知られれば、優しい彼女は心を痛めるだろう。手を汚した悟に。それだけではなく、加害者である伏黒にもだ。自分を害そうとした男でも、彼女なら悲しみに表情を曇らせると容易く想像がついた。
が一般人で良かったねぇ」
自分はまだしも、違うヤローを思って悲しむ彼女は見たくはない。出来れば視界にも入れさせたくないぐらいなのだから。
でも、彼女を傷付けようとしたのは到底許せはしないので半殺し以上に痛め付けはしたが。ばれなければいいのだ。
よいしょ、と軽く起き上がった青年は親友とともに既に退避している彼女に会いに行こうと踵をかえそうとして、ふと思い止まる。
「あ、勘違いすんなよ」
ポケットに手を突っ込み背を向けた青年は、どう見ても隙だらけだった。油断しているとしか見えない後ろ姿である。ーーーだが、伏黒には到底青年に叶うとは思えなかった。
動けないほど重症であるとか、そうした問題ではない。青年がいくら隙を見せたところで今や歴然とした差が生まれていた。呪力を持たず、天賦の才能を憎んでいた伏黒は五条悟に対して最早妬む気持ちすら生まれなかった。清々しいほどに、五条悟には勝てない。
もうじき、意識も落ちるだろう。五条悟は足を止めると振り返る。血だらけの男を、鋭い眼光が見下ろす。感情を全て削ぎ落とした凍り付くような音色で、青年は勧告した。
「ーー次はねぇよ」
そこには常に飄々とした、軽薄な態度は欠片も見当たらない。
ほんっと、ロクでもねー餓鬼だ。
残虐さを孕んだ青い双眸をあとに、伏黒の意識は途絶えた。



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