DreamMaker2 Sample

home sweet home(下)





2006年、9月。残夏の暑さの残る頃。東京呪術専門高等学校の2年生と1年生は、西へ遠征へと出向いていた。
引率は2年の担任である夜蛾だ。2006年はまだ、多くの昭和世代の人間が中年層に入っていることから、サングラスに柄シャツ、中にはパンチパーマやオールバックの格好している人間もチラホラ見受けられた。有体に言えば、厳つい。そうした厳つい人間が珍しくはない、とはいえ。都心の新幹線を待つホームに立つ彼等は、異様な程周囲の目を引いていた。
一見、普通の学生である黒髪好青年が、大きな荷物を下げた女子生徒の荷物を代わりに持とうかと打診していた。女子生徒は断っていたが、彼女の背後から外国人とのハーフだろうか。見事なまでの金髪の青年が、荷物を奪う様に持つ。彼女は慌ていたが、黒髪の青年と、彼女の傍にいたアンニュイな雰囲気を纏うボブカットの少女に何か言われたのだろう。最終的には金髪の学生に、数回頭を下げていた。
金髪の青年は目を引いたが、他の者に比べれば、まだ目立たない方だった。
彼等の後方に、自販機もかくやと立つ長身が二つ。
一人はボンタンズボンに、何故か足袋を穿いた青年。ルーズソックスと同じく、腰パンが主流の平成に、昭和のボンタンズボンは中々に珍しい。土方のあんちゃんスタイルの糸目の彼は、純日本人と呼べる生粋の塩顔で、不良にも似通う格好にも拘わらず、シャープな顔立ちから随分と大人びて見える。黒髪を後頭部で団子にして、耳に拡張ピアスを開けているのが印象的だ。高身長に加え、体格もがっしりとしていて、何かしらの武術を嗜んでいるような背格好である。そもそも、ボンタンズボンは一説にはスポーツウェアや軍服として採用されているニッカポッカを真似したとも言われている。動きやすさを重視したのかもしれない。とはいえ、単に一世を風靡した映画「ビーバップ●イスクール」に憧れて、といった線も否めないが。
更にもう一人目。服装は差し当たって目立つことのない、一般的な学生服だろう。しかし彼は容姿が群を抜き、際立っていた。真冬の白雪にも似た白銀の髪に、きめ細やかな陶器のような肌。スラリとした長い手足は九投身で、顔と手足の長さがバクってる、モデルですら涙ながらに裸足で逃げだしそうな容姿をしていた。そんな神々しいまでのイケメンオーラを放ちながら、青年は黒の丸サングラスをかけている。神々しい相貌を、怪しさ満点のサングラスでぶち壊しに来ているのである。片や「ビーバップ●イスクール」。こっちは「カ●ボーイビバップ」か。と内心突っ込んだ通行人もいなくはないだろう。
二名の学生とは思えない程、体格の良い青年達の他に、周囲の目を引く人物が更にもう一人。
刈り上げた短髪に、サングラス。肩幅は広く骨太で、シャツにズボンといった普通の出で立ちにも拘わらず、暑さでシャツを捲りあげた腕には隆々とした筋肉と、健康的な血管が浮き出ている。その道の人間しか見えない、彼等の担任教師・夜蛾政道。
呪術高専の面々は、周囲の視線を集めまくっていた。

「去年参加の二年が、雑魚でさ。東京校が負けちまったんだと」
周囲の視線を集めまくり、周りから一歩距離を置かれながら移動した彼らは、新幹線の車両で座席を探していた。
「三年は歌姫以外、辞めただろ。だから、お前ら一年も欠員補充として強制参加な」
切符片手に該当の座席を見つけるなり、どかりと椅子に腰かけた五条に、後ろの席にかける黒髪の青年、灰原が両拳を握って意気込む。「頑張ります!」
「ほどほどに、頑張ろう」
何時でも全力な彼に、夏油が苦笑を浮かべて宥める。
今年の呪術高専姉妹交流会は、京都で行われる。先のとおり、昨年は東京校が敗北したからだ。先輩の歌姫と冥冥は現地合流の予定で、京都校との交流会、基、対抗試合初参加のメンバーだけでの移動である。夏油の発言に、五条が大きく肩を叩く。
「なーに、温い事言ってんだ。やるには当然、勝ちだろ」
どつかれながらも、夏油も内心ではそのつもりなのだろう。否定はせず、肩を竦める。「まぁ、それなりにね」
ふと五条が、背後の席へと振り返った。まだ立ったまま荷物を片付けていたは、思いもせず振り返った五条と目が合う。五条はを見上げて、不遜に指を差した。
「お前は精々、流れ弾に当たらねぇーよう引っ込んどけ」
もし、これが歌姫や硝子であったなら速攻反感を食らってだろうし、冥冥であれば冷笑で伏して寄越されただろう。
気が弱いコイツなら、怯えて辞退もあり得た。弱い奴がいても、精々足が引っ張られるだけだ。ならいない方が、まだマシ。そう思っての五条の恫喝にも似た鋭い言動に、しかしは目を数回瞬かせてから、大きく頷く。
「任せといて下さい!」
予想した反応とは違う彼女の返答に、五条は無意識の内に、口角を引き結んだ。胸中に苦虫を噛み潰したような、苦い感情が広がっていく。むすっとした表情の五条を、夏油は横目に見た。音を立てて座り直した彼に、素直に心配だからって言えばいいのに、呆れた思いで見る。相変わらず、ベクトルの向きが入れ違っている両者である。面倒くさいなぁなんて夏油が思っている傍ら、後座席の一年生たちは、和気藹々としていた。
「そういえば、その袋、どうしたの?」
「これ?」
灰原が尋ねているのは、が持っていた大きな荷物だ。対抗試合に向かうのだから、呪具という可能性もなくはないが、が大きな呪具を使っている様子を、灰原は見た事がなかった。彼女は頬をかきながら言う。
「移動時間は長いし、お弁当作っといたの。よかったら・・・」
の言葉に、灰原が力強くガッツポーズをした。
「やったー!花子さん、料理上手だし。嬉しいよ!!」
「・・・いいんですか?」
「勿論!」
同学年ではあるが年下の彼等に、鬱陶しいとウザがれるかと思いきや、喜色を浮かべた様子に、の表情も柔らかくなる。頬を綻ばせて、早速袋の中から弁当箱を取り出してく。
「あ、灰原君の好きな唐揚げもあるよ!」
「わーい!僕の好物!!!」
「七海君もね」
「ありがとうございます。助かります」

賑やかになる後座席の様子に、思わず舌打ちが零れた。
「くっだらねぇー」
ぴたり、と一年生の会話が止まった。五条は止まった会話に気にも留めず、眉を潜めて苦言を零す。
「ここまで来て、仲良しごっこかよ」
げえっと舌出す五条。すると、横から視線を感じて視線の元を見る。
「あ?ンだよ」
「・・・いいや、なんでも」
夏油がもの言いたげな表情で、こちらを見ていた。しかし尋ねてみても首を振り、何も言う事はない。夏油はそのまま視線を窓の外へと向けて、これ以上口を開く気はないのだろう。腑に落ちずにいる五条の前に、四角い形をした、プラスチックの容器が差し出された。
「五条君は、これね」
視線を辿って見上げてみれば、後座席からあの女が顔を覗かせていた。真後ろなのだから、聞こえていただろう。だが、笑みを崩さず弁当を渡してくる図太さに、思わず顔が歪む。鳩尾を過る、靄つく感情。
不意に湧いた捉えどころのない感情のまま、五条は視線を逸らすと指さした。
「・・・俺、そっち」
「え?」
五条が示したのは、の隣の灰原の席だ。思いもせず指された灰原は、一瞬、目を瞬かせた。
「あ、五条先輩もこっちがいいんですか?」
すぐに得心すると、灰原は快活な笑みで了承して、座席から立ちあがる。
「どうぞどうぞ!僕はまた今度、作ってもらうんで!」
快く了承した灰原に、五条は内心眉を潜めた。まただ。灰原は年功序列を守り、偶に敬語が抜けて失礼なことを言う七海と比べれば、常に先輩を敬う良い奴だ。今だって快く譲って弁当を差し出している。なのに、何故か胸中に靄がかる。
ついさっきも、一年の好物を知っているあの女や、それに喜んでいる灰原。鉄仮面な七海も表情を和らげていて、和気藹々とする彼等に言い知れぬ不快感を覚えたばかりだ。五条は腹の中に鉛を飲み込んだような、胃もたれにも似た感情をやり過ごす。いや、空腹すぎているからかもしれない。高専を日が昇る前に出る為に、朝はかき込むように食べた。だから、あまり食べた心地がしなかったのだろう。
「んじゃ、遠慮なく」
差し出した弁当を、五条は受け取る。その様子をニコニコと見ていた灰原だったが、すぐに疑問が浮上した。幾ら待てど、差し出した両手に代わりに戻ってくる物がないのだ。「・・・ん?」
無遠慮に蓋を開けて、食べ始める五条。彼の手元には、二つの弁当の蓋が空いていた。灰原は首を傾げる。
「・・・・・・五条先輩?」
「これっぽっちじゃ、足んねぇわ」
割り箸で唐揚げを口に含みながら、のうのうと五条は言う。「ま、腹の足しにはなんだろ」あの女の弁当2つを食べることで、五条はようやく溜飲が下がる心地がした。やはり腹が減っていたのだ、と納得する。反して、灰原は愕然とした。
「ええー!!」
「うっせぇーな」
「そんな・・・!酷いです!僕にも少しくらい下さいよー!」
「るせ」
悲鳴を上げる灰原から耳を遠ざけながらも、五条は弁当をかき込む手を止めない。悲痛な表情でなおも食い下がろうとする灰原に、五条はやれやれと首を振る。
「こっちはコレから、雑魚相手に手加減しなきゃなんねぇーの。
分かる?それとも何、うっかり向こうの生徒、殺っちまってもいいわけ?」
「横暴ですよ」
これにはさすがに、七海も苦言を呈した。
「そうです!あんまりです!!」
わーぎゃーと騒がしくなる車内に、眉を潜める周囲の客。
一人の人間が肩を震わした。彼はおもむろに席を立つと、騒ぐ彼等の背後に歩み寄る。騒ぐ彼等は気付く気配はなく、むしろ勢いを増してすらいた。
熱中する彼等の背後まで行くと、夜蛾正道は怒りの雷を落とした。
「お前ら、静かにしろ・・・っ!」


***


ガタン、ゴトンと揺れながら、電車は線路を進む。日頃から学生達との体術に、醜悪で凶悪な呪霊相手でもびくともしない体幹を持つ長身が、電車の振動と共に揺れていた。入り口横の床で、一人の成人男性が膝を抱え、体育座りしている。傍迷惑の彼は、酔っ払いという訳でもない。素面である。男は暗雲を背負ったかのように沈んだ表情を浮かべていた。
実に関わりたくない成人男性に、高専生徒は勿論、大人組も視線を逸らしていたし、なんなら距離も開けていた。そんな中、チラチラと時折男から視線を向けられるは、勘弁してくれと胸中で嘆く。
「五条悟くんは、拗ねています」
チラチラ向けられる視線に決して視線を向けずにいると、当の本人から自己申告をされる。は振り向かない。ここで振り向いたら負けである。とうとう視線がガン見へと移行されたが、は心を鋼にして振り返る事はしなかった。いつも通り目隠しをしているにも拘わらずヒシヒシと感じる五条からの圧力に、は内心念じる。耐えろ、耐えろ・・・。決してこんな大人と一緒だとか思われたくない・・・。しかし、常にゴーイングマイウェイで、周囲の視線からの耐性は無駄にあるくせに、への耐性は皆無の五条が吠えた。
「なんで無視するのっ!?」
服にしがみついてきた五条に、はうっかり悲鳴が出そうになった。踏鞴を踏むに、服を掴む事でがっしり固定しつつ、五条は不満を叫ぶ。
「そこは『どうしたの?』ってヨシヨシしながら、甘やかしてくれるところでしょっ!!?」
「え、そういう・・・?」
こればかりは、の表情が引き攣った。五条は先程まで嘆いていた表情をやおら真剣なものにすると、真面目に言う。
「僕、普段ならそんな趣味皆無だけど、君相手なら吝かではない。どんなプレイもバッチこい。まさに愛のなせる技だよ」
「真顔で言わないで。引く」

高専メンバーで急遽泊まった旅館から一夜明け、五条達は高専へと戻る途中であった。今朝から五条の機嫌は悪かった。というより、拗ねていた。原因は途方もなくどうでもいいことで、単に夜の付き合いをが断ったからである。学生達もいる外泊だ。としては部屋は違うといっても、そこはモラルを守りたい。実に真っ当な拒絶に、ところが教師であるはずの五条はそれはもう、ごねた。仮にも教職の五条だが、率先してモラルを壊そうとする男である。は頭を抱えたくなった。しかし五条としてはとイチャつく為の宿だったため、それも当然なのだろう。最終的には五条がなし崩しに事に及ぼうとしてくるので、仕方がなく、一回だけお付き合いしたが、後は断固として拒絶した。続きをしようものなら、部屋を移動するとまで脅しもかけた程だ。その結果、色々とやりたかったアレソレを出来ず、不完全燃焼となった五条が拗ねる、という事態に陥ったのである。帰宅の途についても五条の不機嫌は治らず、放置していれば電車内でもアピールしてくる始末。だからといって、五条がしょげている原因を学生達を前に言えるはずもない。下らなさ過ぎるし、道徳的にアウトだ。は仕方なく、折れることになる。帰ったら何でもいいから言うこときく、と言えば、現金なもので五条はすぐに喜色を浮かべ、機嫌を直した。なんとか五条を自立して立たせることに成功したは、安堵に肩の力を抜いたが、一瞬で鼻歌を歌うまで機嫌の良くなった五条に、早まったかな・・・、と不安に思うのだった。なんだか背筋が寒いが気のせいだと思いたい。まさかこれを狙っていたのではあるまいな。は若干胡乱気な目で五条を見た。大正解である。も大分五条の抜け目のない思考を読めてきて、そのまさかだったりするのだが、この時のは知る由もないのだった。
しかしこれだけ騒いでも、不思議と周囲の人間から苦情は愚か、怪訝な視線一つすら向けられていない事に、はようやく気付く。それは学生達も同じだったようで、疑問を口にすると夏油が衝撃の一言を放った。
「え?帳を降ろしたよ」
唖然とする生徒達に、夏油は首を傾げて平然と答える。首を傾けた拍子に後頭部で結い上げた艶やかな黒髪が、サラリと揺れた。
「だって非呪術師に近づかれて、触れられでもすればどうするんだい?」
さも当然のように言う男。この男の非術師嫌いも筋金入りである。とはいえ、五条曰く『前』程酷くはないらしいが。夏油の張った帳の精度の高さに、虎杖が改めて辺りを見回し、驚嘆する。
「すげー・・・、全然気付かなかった」
「アイツは帳を改良して、自分一人分で下ろすくらいだからねぇ・・・」
顎に手を当てて言う五条を、虎杖はちらりと見る。電車内で所かまわず騒ぐ五条と、しれっと帳を張る潔癖の夏油。やっぱ特級って変わってんな・・・としみじみと虎杖は思うのだった。

帳を降ろしている影響もあるが、昼間の車内は大分空いていた。
全員が腰かけ、ようやく落ちついた頃合いで、再びこの男が口を開く。「せっかくだから・・・する?」
「山手線ゲーム!」
「懐かしいですね!」
合いの手を打つのは、灰原だ。学生時代からよくしたものだ。京都校へ向かう車内で、騒ぎ過ぎて夜蛾に怒られた後、公平を期して弁当をかけたこともあった。結局、灰原だけ食いっぱぐれる事になってしまったが。・・・ん?そもそもあの弁当、僕のじゃ・・・?朧げな過去の記憶を手繰り寄せながら、上手く丸め込まれたのでは・・・?と新事実に気付き始めた灰原の横で、七海が溜息を吐く。
「またですか。貴方、それ好きですね」
「・・・なんだそれ?」
首を傾げたのは真希だ。驚きのあまり、五条が立ち上がる。
「嘘でしょ、真希知らないの!?!?」
まさかこれがジェネレーションギャップ!?五条は勢いよく振り返ると、他の生徒にも尋ねる。
「棘は?パンダは?」
「しゃけ」
「うんうん、だよね」
「俺は知っとるよー」
「まぁ、一回くらいはやったことあるわ」
「恵は?」
「知りません」
五条は愕然とした。
「嘘だろ、やべぇな禪院家・・・」
「関係ないと思います」
口に手を当てて呆然とする五条を、伏黒はばっさりと切って捨てる。そもそも、伏黒に至っては五条が後継人である。トンチを抜かす一応、仮にも後継人に伏黒は冷たい視線を向けるのだった。

知らないなんて、人生の半分とは言わないけど500億分の一ぐらいの確率で暇つぶしとしての手段で損してる。強ち外れとも言えない微妙な数字を出す事で既存のメンバーが同意も否定も出来ず、口を開きあぐねていると、五条は早速、真希と伏黒に山手線ゲームのルールを教え始めた。しかし、忘れてはいけない。この男、大概適当な男である。
やり方をキレッキレな動きで教えていたかと思えば、気が付けば、本来のルールから逸れて変なダンスも取り入れる始める始末。ここで悪ノリしてしまうのが棘にパンダ。そして常識人ぶった人の良い顔してはいるが、その実、五条と同類の夏油である。
悪のりをする彼等に、必死に笑いを耐える灰原。七海は知らん顔をしてスマホを弄り、様子見つつ取り敢えず巻かれろ精神で付き合う虎杖。常にクールな伏黒の恥見たさで見学する野薔薇に、普段止める人間は、残念ながら山手線ゲームのルールを知らないので事態は混沌へと陥っていく。比較冷静な日下部は、早朝から任務が入り既に別行動。伊地知は何も言えず、苦笑いでおとなしく座っていた。家入は一番まともかと思いきや、は知っている。硝子さん、あなたが持っているの酒缶では・・・?
痛む米神を抑え、は声を張り上げた。
「全っ員、着席ーっ!」

帳を降ろして周囲に迷惑は掛からないからといって、公共機関の電車で子供のようにはしゃぐのは止めてください、恥ずかしいです。こんこんと説教を説き、どうにか彼等を座らせることが出来た。今度こそ、ようやく落ち着くことが出来た。は息を吐く。休日なのに、何故か無駄に疲れた心地である。
途中、家入は酒が足りない、と後輩の七海と灰原を連れて真昼間から酒盛りへと向かった。残っているのは、高専へと戻る面子だけである。
隣に座っていた五条が、ふとに肩を寄せる。五条のような筋肉質の長身が凭れてくれば、は簡単に潰れてしまうので加減はしているのだろう。振り向けば、五条はを見下ろして、にへらと笑う。
「んー?」
「どうしたんですか?」
「なんでも」
五条は笑って、尋ねてくる。
「手、握っていい?」
「人前は嫌です」
残念、と五条は肩を竦める。だがの返答も大方、検討ついていたのだろう。それ程気にしている様子もない。
は視線を前に向けた。達の向かいの座席では、車内から差し込む麗らかな陽気につられ、虎杖達1年が仲良く揃って居眠りしていた。静かになったかと思えば、どうりで。伊地知も疲れているのだろう、うつらうつらと舟を漕いでいる。
同じ並びに座る2年と夏油は、何やら会話に夢中になっている。は前を向いたまま、静かに手を動かした。五条に視線は向けず、隠れるようにして、自身より一回り以上大きい筋張った手をそっと握る。隣で微かに、五条が息を呑む気配がした。いつもしてやられる五条に仕返し出来た気がして、は小さく笑みを零す。
「悟さんは、寂しがり屋ですね」
「・・・そーなの。限定でね」
小さくて、柔らかで、華奢な掌だ。簡単に壊せてしまうその手は、何時だって五条に魔法のように色鮮やかな感情を植え付け、温かな灯りを灯す。
五条は決して握りつぶさない様に、けれど離さない様、指を絡ませる。
「悟くんのこと、離さないでね?」
怒りも悲しみも、嫉妬も。負の感情ですら、彼女が隣にいてくれさえすれば、喜んで受け入れようと思えてしまう。ともすれば呪いを生み出してしまいそうな感情も、許すことが出来てしまうのだから不思議だ。
返事を返すように、絡ませた指を優しく握り返された。肩に凭れたの小さな頭の暖かさが、何よりも尊く、愛おしく感じて、五条は静かに目を瞑った。

電車の揺れにつられ、何時しか思考が揺蕩い始める。陽だまりの中にいる様な、凪の狭間に身を任せていると、唐突に機械音が鳴った。スマホの着信音だ。視線を上げれば、五条がポケットの中からスマホを取り出していた。繋いでいない方の手で画面を操作すると、五条は眉を潜める。
「あー」
ポケットにスマホを仕舞いなおし、乱雑に頭を掻く。五条は深々とため息を吐いた。
「折角の休みだってのに、任務入っちゃった」
伊地知にも連絡が来たのだろう。眠気を飛ばし、スマホを片手に申し訳なさそうな表情で五条を見ている。五条は一つ、息を吐く。
「いーよ、さっさと終わらせてくるから。伊地知は生徒達を送ってって」
よっと立ち上がるなり、五条は夏油に振り向く。
を頼んだ」
「仕方がないね」
夏油はやれやれ、と肩を竦めて了承を返す。その時、車内にアナウンスが流れた。「お、渋谷だ」
丁度任務の目的地だったのだろう。五条が一人、降りる準備を始める。はその背中に、声を掛けた。
「五条さん」
気付いた五条が、に振り返る。
五条は強く、最強だ。それでも、何時の日もは慣れずにいた。不安な気持ちが表情に出ていたのだろう。
五条は目隠しを掴み降ろすと、を安心させるように頭に手を置いた。くしゃりと髪を一撫でする。
「大丈夫、僕最強だから」
五条の青の目が、優しく眇められる。瞳の奥が浅瀬で反射する光のように、柔らかに煌めく。優しく下がる柳眉に、きゅっと絞られる小さな目尻の皺。穏やかに自然と弧を描いた唇。木々の合間から零れ落ちる光芒のような柔らかな表情に、自然と強張っていた肩の力が抜けていった。は一つ呼吸を置いて、笑う。
五条は何時だって、を探し出してくれた。心が迷子になった時、過去へと巡ってしまった時。どんな状況でも、五条はを見つけ出す。
今度は、とは思うのだ。もし、仮にもう一度離れてしまう事があれば、今度は自身が彼を迎えに行こう。
貴方が離れてしまわないように、何度だって手を伸ばすから。
は笑う。
「いってらっしゃい」
見送るに、五条は片手を上げた。
「行ってきます」

ーーもしも、今度は僕が過去を巡ったり
君が仮にまた、どこかに行ってしまっても
何百、何千年を越えても、君に会いに行くのだろう。

五条がそう想うように、離れていく五条の背中を見送って、は深く想うのだ。
ーーー例え、もしも貴方と、離れ離れになってしまったとしても
今度は私が、貴方を迎えに行く。





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