DreamMaker2 Sample 人は誰しも、物事を天秤にかける。今日の夕飯の献立から、出掛ける場所。誰と出かけ、誰と過ごすのか。我が子か、夫か、はたまた妻か。姉弟、孫、姪。月日と共に変化する関係は、いずれ愛想がつきるのか、それとも愛を深めるのか。その時々の環境にもよるだろう。
天秤の傾きは状況に応じて変わる。人は感情を持つ生き物であるが故に、状況と共に変化するのも当たり前だろう。

過去の妄執に捉われ、天秤の傾きを見誤ってしまう者。
正義感が強すぎるが故に、天秤から溢れだし、天秤自体が壊れてしまう者。

果たして、常に変わらない天秤を持つ者など、いるのだろうか?
もしいるのだとすれば、それは、人間なのだろうか?


home sweet home(中)





「先生、どっか行くの?」
「ん?」

『東京呪術専門高等学校、秋の大運動会』ーーー五条発案による突発的な対抗試合は、当たり前だが最後はグダグダになった。
見かねた日下部のGOサインで、浜辺で遊んでいた高専生徒達だが、夕日は地平線の向こうに隠れ、辺りは肌寒くなってきた。浜辺から引き上げ、上着を羽織る為に堀付近まで戻ると、何故か先程までは持っていなかったはずの大きめの鞄を五条が肩から下げていた。
虎杖の問いかけに五条は、にやりと口角を上げた。
「野暮だな。聞くなよ」
海の見える旅館でゆっくり、ね。揶揄うように告げた五条に、虎杖は目を瞬かせる。無意識に視線を走らせた視界の端で家入と話しているは、荷物こそ持っていないがその分、五条が持っている大きな鞄に入っているのだろう。
な〜る。いいなぁ。なんて純粋に感想を抱いた虎杖の他に、五条の言葉を聞き咎めた者がいた。
「・・・そういえば、五条先生と夏油先生って引き分けだったわよね」
「・・・と、いうことは?」
ぽそりと呟いた釘崎に、同じく話を聞いていたパンダが、神妙な様子で顎を摩る。答えたのは、パンダの隣にいた真希だ。「赤組の勝ちだな」
「ーーー勝者への貢物は?」
おっと。雲行きが怪しいぞ?
釘崎を切っ掛けとした生徒達の据わった視線に、五条は慌てて口を挟んだ。
「七海が焼き肉に「嫌です」」
聞き捨てならないと間髪入れずに七海が拒絶する。対応が少しでも遅ければ、五条は無理やり話を通してくるだろう。五条達の立ち位置から七海がいる場所まで多少距離があったが、己に不利益が出そうな話が出た時は、七海は強制的に、自然と耳が拾うようになっていた。嫌な習慣である。
口をへの字に引き結んだ釘崎が、不満気に腕を組む。
「というか、話違くない?」
「大人なら約束事ぐらい守れよな」
釘崎、真希の鋭い女性陣の突っ込みは痛いところを突く。ぶっちゃけ、景品の焼肉はその時の思い付きである。五条は後日、日を改めて連れていけばいいだろうとしか考えていなかった。確かに生徒達は可愛い。しかし、五条とて久しぶりに取れた休日である。なら態々休日に生徒達を呼び出すなという話だが、に教師としてのいい所を見せたいし、ここであれば、帰りには海の見える旅館で二人でゆっくりできる。五条にとっては一石二鳥のプランだった。休日を邪魔された周囲としては傍迷惑でしかないのだが、強くなれるし良い機会だからいいよね!とは五条の無駄に前向きで自己中心的な主観である。
ここ最近はろくにとイチャイチャタイムも取れず、伊地知を脅し、無理くり定時で帰宅してから朝までのイチャイチャタイムだけ。勤労戦士から見れば、十分なほど満喫しているのだが、そこは四六時中いちゃつきたい五条。日頃の疲れを温泉で癒し、とゆっくりしたい。本音を言えば、旅館でしっぽりしたい。折角の計画を無くされる訳にはいかない。起死回生とばかりに、五条は両腕を抱えると大げさに身を捻り、身振りで手ぶりで話し出す。
「あーやだやだ!大人とか子供とか、そういった固定概念からの差別ってよくないよね。僕はつくづく思うんだ。
今時、いろんな人間がいるわけだし、もっと視野を広く持とう!ネ!!!」
「やだ、潮風で髪がギシギシしてるー」
「棘、ちょっと濡れてんじゃね?」
「いいなぁー、海の見える旅館」
「温泉で温まりてぇなぁ」
「このままじゃ俺ら、風邪引きますね」
「しゃけ」
当たり前だが、五条の主張は誰も聞いちゃいなかった。恐らく純粋に感想をぼやく虎杖を除く、勢いづく釘崎、真希、パンダ、棘ならいざ知らず、まさかの伏黒の参戦である。普段はこういった場面でも乗ってこない伏黒だが、意地でもとの時間を邪魔したいのだろう。生徒達の勢いに、しかし五条は負けない。
「大丈夫!こんなこともあろうかと、伊地知に予備の制服持って来させてるから。ささ、さっさと着替えて」
ところが、その言葉がトドメとなった。顔を明るくして、釘崎が両手を叩く。
「丁度いいじゃない!」
「着替えもあるなら安心して泊まれるな」
「え」
頷く真希に、パンダと棘がハイタッチする。常日頃から十代に混ざっても問題なくついていける、むしろ率先して掻き回していくアラサー五条だったが、この時ばかりは生徒達の勢いに押されていた。呆然とする五条に、真希が眉を吊り上げ鋭い眼光を向ける。
「まさかとは思うが、負けたくせに何もなしかよ?」
「仮にも言い出しっぺなのに??」
ブーイングする生徒達に、五条は両手をあげた。
「ちょ、ちょーっと待った。僕等夫婦よ?貴重なイチャイチャタイムなんだよ?遠慮ぐらいしよ??「俺達は折角の休日が潰れたのにな」
このクソガキ。本音で言えば温泉はどうでもいいだろうに、どうしてもとの時間は潰したいらしい。普段はクールぶっている癖にこういう時ばかり積極的に乗って来る伏黒に、五条は頬が引き攣りそうになった。パンダが溜息を吐く。
「あー、短い学生生活の貴重な休みが1日潰れたなー」
「こんぶー」
「いやぁ、第一、今からじゃ部屋とれる訳、」
「おや、運良く大部屋が空いてるみたいだね」
「傑!!!
五条の絹を引き裂くような悲鳴が上がった。
「この裏切り者っ!!双子はどうした!」
胸倉掴みそうな勢いの五条とは正反対に、しれっとスマホ片手に検索した夏油といえば、涼しい表情だ。
「今日は美々子と七菜子は任務でいないんだ」
夏油はにこやかに答えたが、しかし五条は知っている。一見他意のないような微笑みを浮かべた、男の腹の内を。暇だし、なんか面白そうだから。絶対その腹つもりで生徒達の肩を持ったに違いない。事実、夏油としては折角の休日にこんな面倒事に巻き添えを食らったのだ。単なる嫌がらせであった。
喚き始めた特級同士に、七海がブリッジを抑える。
「まぁ、その分宿代は高いですが、仮にも特級呪術師、五条家当主です。これくらいなんともないでしょう」
「確かに問題はないけどさぁ!そういう意味じゃ・・・!」
「まさかここまで来て、五条先輩だけ楽するつもりじゃないですよね!」
からっと笑みを浮べた灰原に、五条の言葉が詰まる。広がり始めた話題を聞いていた家入が、ふう、と煙草を吐いた。「決まりだな」
「よし、上手い酒が飲める」
まさかの大人組からの裏切りに、五条もとうとう何も言い返せなくなった。
両膝をついて項垂れそうな五条に、は苦笑いを浮かべるのだった。



どっぷりと闇の落ちた夜更け。窓から見える一面の海は、なかなかの景観である。夜の海辺は一見、宵闇に浸かり夜空との境界線が溶けて見えるが、闇夜の浮かんだ月の灯りを受け、時折さざ波と共に水面を煌めかせている。遠くから微かに聞こえる、コオロギと鈴虫の鳴き声が、静かな夜更に響いていた。
風情溢れる旅館で、学生達や大人組と散々騒いだ飲み食いは、つい数分前に終えたばかりだ。追加で宿った学生含む男性陣の大部屋と、釘崎、真希を含んだ女性陣の部屋。それぞれと別れ、五条達が元から予約していた部屋に戻ったころには、夜は大分更けていた。部屋につくなり、疲れたように大きく伸びをして、どかりと窓辺の椅子に腰かけた五条に、は苦笑を零す。
「しっかり先生してましたね」
「でしょ?」
五条はローチェアから伸ばしていた長い足を組むと、肘を立てて顎に手を当てる。
宿で一番大きいサイズの浴衣を羽織っているが、宿側も2メートル近い体格はさすがに考慮に入れていないだろう。五条レベルになると丈が足りず、どうあっても手足がはみ出している。肌蹴やすいにも拘わらず無遠慮に足を組むものだから、膝頭すら出そうである。五条は細身に見えて、呪術師らしくかなり筋肉がある。顔は中世的な美貌で、その癖シックスパットが見事に割れ、しなやかな下腿三頭筋、野生のチーターを思わせる逆三角形の三角筋と所謂良い体というものだから、は何時まで経っても慣れそうにない。視線に困り、目を泳がせて向かいの席にかけようとするを上目遣いで見て、五条はニヤリと笑った。
「やっと信じてくれた?」
「その割には、ふざけたことばかり言いますけど」
・・・これは絶対、気付いた上で故意にやっているな。ほのかに熱を持つ頬を誤魔化すように注いできたお茶を啜るに、五条はケラケラと笑う。
「えー、面白味があるって言ってくれない?没個性で皆同じなんて、つまんないでしょ。個性は大事にしないとね」
浴衣の下に腕を通して腕を組んだ五条は、どうにも改めるつもりは毛ほどもないらしい。どちらの意味でも。しゃあしゃあと言ってのける五条に、は諦めの境地で溜息を吐いた。


「そういえば、五条さんはなんで、教師になろうと思ったんですか?」
一息ついたところで、ふとは尋ねる。の唐突な問いかけは、五条も意外だったらしい。ぱちりと目を瞬かせてから、片眉を跳ね上げる。
「君が言う?」
呆れたように溜息を吐く五条に、今度はが目を瞬かせる番だった。どう意味だろうか。五条の反応に当たり前だが心当たりはない。全く検討もつかないに、五条はから渡された湯飲みを口元から離しローテ―ブルに置くと、説明を始めた。
「呪術の世界は、閉鎖的で不変的でね。負の塊を相手にしてるから、ちょいちょい、『居なくなる』訳よ。
前はさ、僕の周りの何人か。
可愛がっていた後輩、親友、
『今』は一人だけ、いなくなった」
『前』はと出会うまでの自分。そして『今』は、彼女と出会ってから自分。どちらであっても、結局、五条の進む道は変わらなかった。
視線を下げたまま、片手で覆える程の大きさの湯飲みを囲い、両手で戯れに遊ばせながら、五条は続ける。
「たった一人だけどね。
そいつはさ、弱いくせに強くなろうとみっともなくもがいて」
誰よりも弱い弱者の癖して、どんな時も諦めずにいた。今思えば彼女はきっと、終わりのない負の連鎖を絶ちきろうとしていたのだろう。誰も頼んですらいないというのに。もし五条達が気付かなければ、あと一歩駆けつけるのが遅ければ、あのまま永遠に会う事は叶わなかっただろう。今ですら、思い返してみても背筋に震え、臓物が煮沸するように湧き立つのに、指先は冷えていく。
彼女をようやく見つける事は出来たが、当時の五条からすれば、唐突に、胸に空洞が出来た心地だった。
「最後には、全部独りで抱え込んで、僕の前から消えた」
大事な何かが欠けている。何も記憶もなく、覚えもないのに伽藍洞の心。

人間とは共感して生きる生き物だ。群れて、慣れ合い、協調し合い。だが五条は強者故に、周りがついていかない。そしてそれは五条だけでなく、呪術界全体に言えた。弱者である非術師を救うことの出来る呪術師は、どうやったって強者だ。
ある者は呪術師であるが故に命を落とし、またある者は強者が弱者を救う信念が故に、壊れていった。
弱者を助けるために、強者が欠ける。それがと出会うまでの、前の世界だ。圧倒的強者である五条が一人、改革を目指し続けていた世界。

『今』の世界は、全てが揃っている。誰も欠けず、生きて過ごしている。ところが、掬い上げられた今は、全ては揃っていても、一人だけ欠けていた。
たった一人だ。ただの一人であれば、必要な犠牲として片づけられるだろう。一対多勢であれば、多勢に傾く。五条悟は常にブレることなく、天秤を推し図る。取捨選択し、必要であるものと必要でないものは線引きされている。それは、生まれた瞬間から絶対的な強者故に、迫られずにいられなかったのだろう。だからこそ、五条悟はブレない。ーー彼女に出会うまでの、自分であれば。

死ぬときは一人だ。世の常は変わらず、己もいずれ、そうして果てるのだろうと五条は理解していた。だが、ひょんなことで彼女に出会ってしまった。安らぎを得たのだ。死の間際も、例え死んだ先であっても。どんな姿であろうとも傍にいたいと、心の奥底から渇望してしまったのだ。例えその身が傍になくとも、想い、想いあう。友愛とも、親愛とも異なる、純粋なーー愛。そんな絵空事のような感情で、絶対的強者故の五条の渇きが、癒える時が来るとは。
だからこそ、許せるはずがなかった。五条は鼻で嗤う。
「一人が犠牲になって、他が救えるなら万々歳、ハッピーエンド?
ハッ!そんなハッピーエンドは、クソくらえだね。僕も、傑も」
アイツはどうなのだろうか?いや、考えるまでもなく同じ教師でいるのだ。その胸の内がどうであれ、アイツも選んだのだろう。
一と多勢であれば、多勢に傾く。強者であれば、そう選択すべきだろう。
けれど、五条はこの時始めて、変わらずにいた己の指針が傾いた。
ーーーもう二度と。下げていた視線を上げて、五条は手を伸ばす。触れた愛しい頬の温度に、心の底から安堵した。
「独りにさせない」
きょとんとした表情を浮かべた彼女が、五条を変えた。安堵なんて、陳腐な感情を、最強である自身に植え付けたのだ。
きっと片手で、五条はその命を絶やすことが出来る。間抜けな表情を浮かべた彼女が、まさか自身をここまで変えるとは、なんだか愉快な心地だった。
「君を取り戻すまで、記憶もないし、矢鱈と焦って理由も分からなかったけどさ。
今思えば、そんな後悔があったんだと思うよ」
五条は笑う。「すっごい強制力だよね。愛かな」
失わないために、五条は教師になったのだ。
「強い仲間は、多ければ多い方がいい。誰かさんが、無茶ぶりをしなくて済むからね」
誰かさんが独りにならないよう、記憶がなくとも、無意識にその道を選んでいた。
「前も、今も。
不毛な連鎖を壊すために、「改革」を目指して、育てる道を選んだんだよ」
絶対的強者である五条悟が選ぶ人間であるならば、選ぶことすら出来ない弱者の彼女は、掬う人間なのだろう。五条悟を、人たらしめる人。
そんな目の前の彼女が、迷うように尋ねてきた。眉を下げて、恐る恐るといった様子に五条は首を傾げる。
「私は、五条さんの何かになれますか・・・?」
何を言い出すかと思えば。五条は目を細める。彼女の事である。大方、足枷になっているのではないかと、不安に思ったのだろう。どうしたら、そう捉えるのか。 呆れ半分、感心半分。こういう所が、高専時代の青臭い五条の行いを助長させたのだろう。あの頃の自身は紛れもなくクソガキだったが、暖簾に腕押しの彼女も悪い。なんて五条は内心責任転嫁する。 青臭い学生の頃から成長し、五条は素直に想いを口にするようになった。それでもこればかりは、言葉にするまでもない。
五条は返事の代わりに腰を上げて、間にあるローテーブルから身を乗り出す。そして誰よりも憎く、愛しい唇を覆うように、かぶりついた。

もしも、今度は僕が過去を巡ったり
君が仮にまた、どこかに行ってしまっても
何百、何千年を越えても、君に会いに行くのだろう。

だから、君は責任を持って『お帰り』と出迎えて欲しい。

ーーーそれが五条悟の、帰るべき場所で幸せの在り処だ。





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