DreamMaker2 Sample 灰原雄からみた五条悟は、正しく強者だった。
組手をすれば気がつけば地面に転がされ、呪術高専に入るまでは周囲から頭一つ抜きんでいた体術も、五条悟にかかれば手も足も出ない。常に配慮を怠らない模範生然とした夏油先輩程ではないけれど、五条先輩の圧倒的強さも尊敬していた。
御三家の一つ五条家。六眼に無下限術式。五条悟を表す肩書は一般家庭出身であり、呪術高専に入るまで呪術界とも無縁であった灰原には今一つピンとこない単語ばかりだが、既に合同鍛錬や任務の同行によりその強さの片鱗を見ている為、やっぱすごいんだなーといった程度には理解していた。
そんな先輩がある日、任務へ向かう道中おもむろに問いかけてきたので、灰原は佇まいを正して構える。
「なぁ、灰原」
両腕を後頭部で組んだ五条の表情は、珍しくやや硬い。天に与えられすぎた能力によって常人を超え、故に、常に自信しか持ち得ていない男にとっては随分と殊更な様子だった。灰原は目を瞬かせる。
「なんですか?五条先輩」
五条の身構えた様子に、何か重大なことかも。と佇まいを正して灰原は真剣な表情を浮かべる。五条はやはりいつもらしからぬ様子で、後輩からの視線に溜まらずといったように、つ、と視線を泳がせた。
もごもごと口ごもり、数秒後、ようやく話始めた。
「俺の知人の友達の、そのまた知り合いの従兄弟の話なんだけど。
俺ってほら、最強な上に頼りがいがあるし?色々と頼られて、相談を受けたりすんだわ」
つらつらと長い前置きに、ん?と灰原は思った。思ったが、灰原は根が良い人間の為、突っ込むことすらせずに五条の話しが終わるまで待つ。五条は渋い表情で、言いずらそうに本題を投げかけた。
「…女ってさ、土産に貰ったら何喜ぶ?」
五条は視線を完全に灰原から逸らしており、見ていなかったが、灰原はそれはもう生暖かい眼差しを向けた。
ここでもし、灰原以外の人選であれば即五条をおちょくりに入るなり、高慢尊大な五条のいつも態度と180度異なる様子に、全身に鳥肌を立てて後ずさるだろう。
が、既にも述べたが、灰原は心の根がいい青年であった。今時、珍しい程の爽やかな好青年である。五条を揶揄うことも五条の態度にドン引くこともせず、真摯に答える。
「そうですね…。僕も妹ぐらいしか、参考にならないですけど。
女の子はふわふわしたものとか、お花が好きですよ!」
にっこりと満面の笑みでの回答だ。
「…あ、そう」
五条はちらりと視線をやってから、すぐに視線を戻す。自分からまどろっこしく聞いてきた割に短く返す五条に、やはり他の人間であれば何度その態度は腹を据えただろう。しかし灰原はそんな素っ気ない先輩の態度にも、にこにことした笑みを崩さなかったし、それ以上の追及もしなかった。ただただ、青春だなー、なんて爽やか好青年な感想を抱くのだった。


灰原の助言を得て、五条は道中、それとなく周囲に目を目配らせた。この日は最寄りの駅までは電車を使用していた為、十分に探す時間はあった。そのはずだったのだが。
片道2時間弱。任務先は若干の田舎といえども、目的地までは街中も経由する。灰原の助言をもとにしたふわふわしたものや、アクセサリーを販売していそうな店も幾つかあった。だが、ちっとも足が動かなかった。
きらきらした照明に、アンティ―ク調の家具。全体的に暖色系の色合いに細々としたディスプレイ。いかにも女性しか入っていないだろう外装に、足が止まったのだ。高校生男児が入店するには、余りにも勇気が必要だったのである。等級の高い呪霊より手ごわいと五条は思った。
五条悟とて、まだ17歳の青年であった。いかに最強といえども羞恥が残る年頃だ。彼は20歳を超えたあたりで一周回って欠片も羞恥心を抱くことなく、例え目隠しを付けた不審者然の装いだろう堂々と女性向けの店にも入店するし、30歳間際では平気で女子生徒のスカートを履いて、ふざけたりもするのだが、何分彼はまだ青かった。
雑貨屋?女が居すぎて男が入れるか。アクセサリー?無駄にキラキラし過ぎ。花屋?女々しいだろ。と、まぁ、ことごとく目的の店を見つけた所で、足が動けずにいたのである。2時間弱を掛けた任務先に着き、呪霊を祓い終えても、目的のものは手に入れられていないままだった。帰りも同じ道を通る事になる。いや、迂回してもいいが、それでは折角遠まわしに聞いたというのに、灰原に感づかれてしまう可能性がある。もう既に微笑ましく見守られているとは思いもしない五条は、焦った。そもそも、灰原をどうにか言いくるめて迂回した所で、店に入れるのか?と考えれば、同じような結果になるような気がした。あの矢鱈とキラキラした店に、心を無にしては入れるか?
五条悟はこの時、遭遇直後ものの数秒で祓った呪霊よりも頭を悩ませた。
結局、二手に分かれた灰原の元へ向かったのは、呪霊を祓ってから優に数十分後のことだった。
今回の任務は、後学として一学年下の灰原が同行している事から、等級をいつも五条が受け持っているレベルより低かった。にも関わらず、珍しく五条が苦戦したのかと、任務の所要時間に報告を受けた担任の夜蛾は驚く事になる。まさか体調でも悪いのか。夜蛾の心配は見当違いだったが五条の何処か心あらずと言った様子に、報告は簡易でいいから、早く休めと夜蛾は寮に戻るように促すのだった。



呪術界は常に人手が足りず、中でも女性の数は更に少ない。呪術高専でも例にもれず、年度が異なっていてもワンフロワで十分部屋は足りていた。呪術高専2年の女子生徒は家入だけで、必然的に隣の部屋は別学年の者だった。
朝方、顔を洗うかと共有スペースである洗面所に向かった家入は、入り口で隣人と遭遇した。黒髪の女は既に身支度を整えているようで、一輪挿しの花瓶に水を入れ替えていた。実年齢こそ成人しており、自身達より上だが、呪術師としてはド素人の為一年として編入したばかりの花子だ。硝子に気付いた花子が振り返る。
「あ、硝子ちゃん。おはよう」
「おはよ」
欠伸を噛み殺しながら、眠たい眼を擦って硝子は花子の隣に並ぶ。蛇口をあけて、冷たい水を手に浴びてようやく少しずつ意識が覚醒していった。洗顔フォームから洗顔料を片手に出し、水を混ぜて泡立てながら、ふと気付く。
「それ、どうした?」
水を入れ替えたばかりの花瓶に、一輪の黄色の花が挿される。硝子は呪術師であるが、女子高生だ。どちらかというと花より団子。団子より酒に煙草。あと出来れば未知への解剖。と随分と変わった嗜好をしているが、それでも欠片も花に興味がない訳ではない。比率で言えば9:1とほぼ興味がないに近しいが、零ではないのだ。押し花の作成に喜ぶ女子小学生の中、毒草、治療薬として何が役に立つかと知識としてある程度頭に入れていた。やはりどちらかというと医学への究明が強かった。硝子の問いに、花子は一瞬、逡巡したようだった。
「うーんと、最近、朝起きたら、窓辺に置いてあるんだ」
「…へぇ」
笠地蔵かよ。
頬をかく花子に、硝子は思わず日本昔話を連想したが口にはしなかった。それにしたって花一輪とは。女子寮は1階だから、誰でも窓辺に置いていくのは可能だが、それにしても、だ。こんな残念なことをしそうな奴は、1人しか思い浮かばなかった。せめて一升瓶ぐらい置いてけ、と思ったが、それで喜ぶのは家入や大層な酒好きぐらいである。
残念な屑は何処までも残念である。声くらい掛けろよ、女々しいな。改めて、硝子は笠地蔵の犯人である同級生を、脳内で罵倒するのだった。

家入から見た笠地蔵、こと五条悟は、人外の同級生。ちょっと解剖してみたいけど人外ゆえに中々機会もないし、数少ない同級生でもあるから観察で済ましてやろう。といった人物だった。
反転術式といった人を癒す術式もあり、おのずと医師の道を目指していた硝子は、昔から周囲をよく見る傾向があった。気付かなければ、処置のしようがないからだ。そういったことから、我が強く突き進む人間の多い呪術高専生の中でも珍しく察する能力に長けており、同級生の五条と夏油が周囲を巻き込み喧嘩をおっ始めそうな時は巻き込まれる前に即時避難していた。
そんな家入だからこそ、気付くのは一番早かった。だが、気付いたところで、それとこれとは別だった。

つい数か程前の事である。
同級生である七海と灰原の土産に、高専で留守番をしていた花子が、共有スペースの談話室で喜んで受け取っていた。そんな彼女に、「食い意地がはってる」と言って態々嘲笑った馬鹿が1名いた。
しかしそれより前に、彼女に対するイレギュラーな反応に、家入は疾うに気付いていた。だからこそ、嘲笑った男が本当は何が気に食わなかったかなんて一目瞭然で、喜んだ花子に苛々している様子もとてつもなく面倒くさい独占欲からだと気付いていた。この男は同級生だろうが、他の男連中と笑っている彼女を見ると途端不機嫌になるのである。そしてそれを態々彼女に当たるという、今時珍しい小学生かよ、といいたくなるような反応をする男だった。何を思ったかだなんて、まあそんなところだろう。それで花一輪か。お前、今時小学生でもそんな事しないぞ…。頭痛がしそうな勢いで、同級生の不甲斐なさにどん引いた硝子は、せめてもと聞いてみた。
「…他に、何を貰ったんだ?」
いやいや、まだ他にもあるかもしれない。何しろアイツは金だけは持ってる。もっとマシなものがあるはず。花子は硝子の問いに、指を折りながら上げる。
「えっと…トキワハゼ、ナズナ、カキツバタ、朝顔、マーガレット、クロッカスとかかな」
「分かりやす…」
「え?」
「何でもないよ」
なんかもう、色々と突っ込みたい。けれど察する能力の高い家入は口に出して面倒な事に巻き込まれるのは嫌なので、賢明にも全てを飲み込むのだった。



一息ついて、左腕を振るう。一足で間合いを詰めて、術式で切り刻まれた呪霊は、勘ざわりな悲鳴を上げて消えていった。鉈についた呪霊の液体を払うと、背後から間延びた声がかかる。  
「おーい。七海ー」
のんびりとこちらに向かってくるのは、今回任務に同行している先輩である。しかし、任務先に着くなりすぐに姿を晦ませた人物でもあった。呪霊を祓い終えたタイミングで現れた男に、この人何処かで見てたんじゃないか、なんて思いながら疲れた息を吐く。
一体どこで寄り道をしていたのか。「何事も経験!七海なら大丈夫だろ」とか耳障りの良い言葉は、ちょっとサボってくるから、後は宜しく〜!といった思惑が透け過ぎていたし、己の推測は残念ながら当たっているのだろう。
七海から見た五条悟は、最強であるが飄々としていて面倒くさい。信頼はしているが、底が見えない。何時からか、と問われれば、何時からかはあまり覚えていない。少なくとも数年前。高専へ入学したばかりの頃は、まだ分かり易かった気がする。五条の胡散臭さは増していくばかりである。
「いやー無事任務完了だね!さっすが七海〜」
だから背後からやってくる男にそうおだてられても、微塵も七海の情動は動かなかった。むしろ嫌味か。

昔から強い男だったが、たった数年でどんな等級の呪術師も呪霊も、足元すらにも追いつけない程になった。鼻歌交じりに足蹴して終わりだ。この男を前にすれば、どんな有象無象も等しく地へ帰る。とはいえ数年前も、七海からすれば手も足も出ない尋常ではない強さを誇り、ふざけた面も持ち合わせていた。ちゃらんぽらんな気質は、残念ながら生まれ持ったものなのだろう。そんな男の思惑は雲をも掴むようで、到底理解し得なかった。ただーー一点だけ、それだけは驚く程分かり易かったが。
一つの事柄には、唯一男が人間味を出す。それが何が原因だったか、今はもう思い出せない。
慇懃無礼、人に気を使うといった事を母胎に置いてきた男のあまりな態度に、常日頃から迷惑を被っていた七海は、全身鳥肌立てて、皮を被った別人ではとすら疑ったこともあった。一方で、この人も人間なのか、と。安堵もしたのだ。最強の男と言えど、人の子なので思い悩みも事もあるだろう。しかし、常日頃からこの男の思考は雲の上なので常人が及ぶところではないのだ。ちゃらんぽらんに見えて恐ろしく頭の回るこの男は、悩みが出来た所で明快な頭脳で考え、一人であっさりと解決してしまう。そいういう男だ。
剽軽さ故に分かり易いようで、全く分からない。同じく常日頃柔和な笑みを浮かべて辺りの柔らかい癖に、腹の底は読めないもう一人の先輩が、男の親友であるのも頷けた。桁違いの強さといった実力も伴ってしまっている為、プライドもエベレスト級。正反対のように見えて、実に似た者同士だった。人はそれぞれ思考があるが、それにしてもここまで難解複雑な人間もいないだろうと七海は思う。強さも中身も、規格外。人生で会わなくていい人間がいるならば、迷うことなく避けて通りたかった。よりにもよって、そんな厄介すぎる人種の2人が数少ない先輩とは。己の運のなさに嘆いたのは数えきれない。とはいえここ最近、片割れのもう一人は優等生とした面を崩し、気を抜くことを覚えたようだが。
人間じゃない奴らを助ける任務は受けたくない、と受ける任務を選り好みする面倒くささはあるが、全てを受けない訳ではないので、まだいい。受けた癖に身を晦ませていなくなり、人が齷齪働いて、ようやく倒し終えたところでひょこっと現れるようなクソよりはマシである。ああ、呪霊にやられた助骨が痛い。七海は腹を抑えながら、背後を振り返る。

五条との合同任務は、随分と久しぶりのものだった。五条は既に特級呪術師だったため、ここしばらくは、ほぼ単独任務ばかりである。久しぶりの合同任務は単なる演練か、もしかしたら自身の査定かもしれないと想定していたが、同行した特級は即バックレたため、もはやどちらの意図も成していない気がする。やはり、特級の意図は測りかねなかった。
白髪の男は相変わらず、サングラスに軽い笑みを浮かべて、胡散臭さ極まりなかった。邂逅一番、一言ぐらい文句を口にしてやろうと思っていた七海は、しかし口にしようとしていた言葉が引っ込んでしまう。五条が片手に持つモノに、怪訝な視線を向ける。
「それ、どうしたんですか?」
サングラスの向こう側で、蒼眼が瞬く。五条は下げていた右腕をあげて、手に持つ一輪の花をくるりと掌で回転させた。
なんだ、その反応は。何故か持っている本人がしげしげと眺めている様子に、七海は胡乱気な視線を強める。
「…さぁ」
一輪の白色の花弁の花。ハルジオンを片手に、五条悟は独りごちる。
相変わらず、思考回路が全く読めない。だが、いつもの気まぐれだろう。曖昧な五条の反応に、七海はそれ以上追及することはなかった。
けれど結局、五条は最後まで一輪の花を手放さなかった。途中で飽きて離すだろうと思っていたが、意外にも五条は高専まで戻っても、それを手放すことはなかった。



冬が過ぎ、春が来て夏を迎え、秋に戻り再び冬へ。季節は一巡し、高専4年である五条達はこの先を考える年代となった。即ち、進路である。
階段に腰かけ、長い足を投げ出しぼんやりと校庭を眺めていた五条の背中に、声がかかる。
「まさか、悟が高専の教師を目指すとはね」
黒髪を後頭部でハーフアップにした青年だ。両腕を組んだ夏油が、階段の入り口、鉄製のアーチスタンドに凭れかかるようにして佇んでいた。五条はちらりと視線を背後へと向ける。
「そー言う傑もな。我らが母校愛?」
「さてね」
五条の言葉に、夏油は肩を竦める。そんな理由ではないと分かっているため、互いに軽く笑いを含んだ物言いだった。

夏油傑と五条悟は親友だ。同じ釜で飯を食い、学校生活を過ごした五条とは気も合い、信頼し肩を並べられる存在だ。しかし夏油は五条と同等だとは思っていなかった。確かに数年前までは二人揃って最強だなんて言っていたが、それも2年前のある任務を境に、明確な差が生まれた。
五条悟は正しく最強であり、規格外。夏油も五条と同じく呪術界で3人しかいない特級呪術師であるが、あの男の才を見てしまえば同等だとは思えなかった。残念なことに、そこまで夏油は楽観的に考えられない。だが冷静に現状を把握した所で、感情ばかりは妬みや僻み、焦りが生まれる。同学年で親友であるが故に、それも致し方ないだろう。
自身の限界を突きつけられ、理想のままではいられない現実も見た。けれど、自らの私情よりも他に、夏油傑には成さねばらない事があった。
だから、夏油はここにいる。
高専で過ごした数年は、僅か4年。一年の頃と比べれば、色々な事が変わった。少なくても、夏油は昔のように、力持つ者は責務として弱い非術師を守るべき、とは思わない。非術師だろうと嫌いな奴には関わりたくないし、守るつもりも毛ほどもない。
たった4年。しかし五条悟は、変わらないままだ。最強の冠は変わらず、思想も夏油のように変わることない。昔よりも身長が伸びたり、教師になるからと表向きの口調を変えたりと外側は変わっているが、それだけだ。
階段に腰かけた五条は、いつの日か、学生の頃見た表情と同じ目をしていた。
変わらず、ずっと渇望した目をしている。飢えに飢えた獣よりも貪欲で、切望という言葉で現すには、余りにも可愛らしい。狂気にも似たそれを長年隠し、温めていたというのであれば、相当なものである。その目が何を求めているか、夏油には分からない。だが親友であり、底が見えないこの男が、心安らぐ場所があればいいとも、思うのだ。

あと数か月で、夏油達は呪術高専を卒業する。柄でもなかったが、これがモラトリアムだろうか。ぼんやりと、物思いに耽っていると、ふと五条が口を開いた。
「花の名前を知ってんだよ」
唐突な五条の口火に、一瞬夏油は返すのが遅れた。
「…君もいいところのお坊ちゃんだからね。教養的な何かかな?随分古風だけれど」
和歌でも読むのかな?夏油の揶揄い交じりの言葉に、五条は鼻を鳴らした。
「ハッ冗談。んなモン、テンで興味ねぇーわ」
表向きの口調を変えるように努力しているようだが、高専仲間に対しては、未だ五条の口調は以前のままだ。五条は両手を後ろ手につくと、こちらを見ることもせず続ける。
「トキワハゼ 変わらぬ思い
ナズナ 全てを捧げる
カキツバタ 思慕
朝顔 愛情
マーガレット 真実の愛
クロッカス 切望
ハルジオン 追想の愛」
「…愛の詩人にでもなる気かい?」
上げられる花の名と、恐らくは花言葉だろう。次々に挙げられるそれに、思わず頬を引き攣らせた夏油に対して五条は笑う。「ハハッウケる」
「特級で愛の詩人か。肩書きやべぇーな」
いや、まあ、率直に気持ち悪いとは思うけど。口にした割に五条も同意見なのか、引いた夏油に頷いて見せる。
肩を落とし、五条はため息交じりに言う。「ほーんと、柄でもないんだよね」
「まあ、君は道端の野草には目も向けないタイプだからね」
「そーなんだよねぇ〜」
五条はカラカラと笑った。

夏油は、五条が意図した所を読めなかった。何か思考を巡らしているようだが、夏油と同じく五条もまた、悩みを打ち明けて互いに悩むといった人間性はなく、自身で答えを出す派だ。多分、口にするだけで満足したのだろう。それは正解のようで、五条は独りでに呟く。
「俺よりも強いやつ。
それこそ、未来の僕、とかね」
五条の独り言は、後方に立つ夏油には聞こえない。

未来の自分。だが恐らく、それだけではないだろう。未来だろうが、今の自身と力量の差異が開いているとは思えないからだ。高専内に残された、無数の違和感。形跡は周到なまでに覆い隠され、まず常人であれば気付くこともないだろう。六眼を持つ己でさえも、気付くことが出来なかった。ここまで綺麗に持ち去ったなら、未来であろうが自身一人とは思えない。
形跡も欠片もなく、『何か』がいたと証明すらできない。けれど姿形は愚か、跡形すらなくとも。腹の底に居座る飢餓感が、『何か』を求めている。
五条は自らに言い聞かせるように続ける。「焦らず時を待つってね」急いては事を仕損じる。機会を待ち、決して逃さない。そっと目を伏せる。瞼を閉じても奥底に感じる眩しさは、消えることはなかった。
例え姿形もなく、記憶すらなくとも。
きっと息絶える、最期の瞬間の更にその先も、手を伸ばし、求め続けるのだろう。

ーーー懲りずに持ち帰る花は、いつも渡し人に渡される前に枯れてしまった。


***


昼を過ぎた静かな高専で、軽快な足取りで歩みを進める男がいた。強い日差しが、窓から差し込み廊下を照らす。平均を優に越える男の長身に応じて、足元に長い影が伸びていた。スラリとした長い手足に、珍しい髪色の白髪が揺れる。鋭い顎先に、高い鼻梁。軽快な足音だけでなく、弧を描いた薄い唇は潤い乾燥知らず。一つ一つのパーツが恐ろしく整った、神が丹精どころか、命を込めて作りだしたような男。それら全てを台無しにするかのように、目元は黒い布で被われ、上下共に黒の衣服な不審者然な男だった。うっかり外を歩こうものなら職質待ったなしである。見るからに胡散臭い男は、教師であり呪術師であった。
男が高専を歩いているのは、授業終わりという訳ではない。呪術師としての任務を終えて、帰ってきたばかりなのだ。2日間の出張を終えたばかりの男は、放課後の高専を機嫌よく闊歩する。任務に出る前は、遠出の任務だからと散々機嫌の悪かった男だったが、今は鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌だ。足早に廊下を進む男は、教室の前に来ると足を止める。目的の人物の呪力は、やはり扉の向こうにあった。時間的には丁度、座学を終えたばかりだろう。人の気配が残る1年生の教室の前で足を止めた五条は、教室の戸に手をかけると勢いよく引く。「やっほー!」
「皆大好き、五条先生が帰ったよー!!」
「あ、五条先生お帰り!」
「お土産は?」
勢いよく登場した担任に、明るく返したのはピンクがかった髪色をした少年、虎杖悠仁だった。一方、肩までの長さに茶髪の少女、釘崎野薔薇は開口一番出すものを出せと迫る。今時の女子高生らしいといえるが、現金な様子に五条は声を張り上げて両手を交差する。
「ありません!」
「チッ」
担任に対して、眉を寄せて隠しようともしない舌打ちだ。
「やだもー最近の子ってば柄悪いー。ねー、そう思わない、恵?」
話を唐突に振られた黒髪の少年、伏黒恵に関してはねぎらいの言葉すらなかった。手元の文庫本に視線を降ろしたまま、総スルーだ。五条は大きく溜息を吐き、大げさに悲観してみせる。
「やだやだ、皆して冷たい!ちゃん癒してー」
よろりとよろけて、五条はそのまま一年に混ざって談笑していた女性へと両腕を広げる。すかさず、妨害するように黒い足が伸びた。抱き込む寸前でぴたりと動きが止まり、両手は所在なさげ宙で止まる。五条はとの間を邪魔するかの如く、伸びてきた足の持ち主に尋ねた。
「この足何かな、恵君」
「すみません、足長いんで」
本を捲る手はそのまま、黒髪の少年はしれっと涼しい顔をして告げる。つい数秒前までは行儀よく机の下にあったはずの足を組んで、いけしゃあしゃあと告げる少年に、五条はにっこりと笑みを浮かべた。
「まったくもう、これだからシスコンは…」
「あ?」
少年の涼しい表情が歪み、反射的にドスを帯びた声が上げる。五条はまさしくピンポイントで少年が抱えている壁を抉ってきたのだ。少年はに淡い想いを抱いているが、は恵の幼少期の頃から知っているため、好意をアピールしても親愛だと勘違いしている気配があった。家族でもない癖に。目下壁を壊し、異性として見られることを目標としている恵としては、の勘違いを助長させるような五条の言動は、ある種地雷だった。そして理解した上で、的確に踏み抜いてきた五条は、恵の鋭い眼光にもやれやれと肩を竦めている。かと思えば、ぱっと表情を変えて、長い足が妨害する恵の足を悠遊と乗り越えた。思わず舌打ちが零れるが、相手が悪い事に、この男には微塵も効果がなかった。
「そうそう!にお土産だよ」
「ゴディバ?」
「肉?」
興味津々と野薔薇と悠仁が背後から顔を伸ばす。恵は微塵も興味はなかったが、五条が彼女へ不埒な行動しないよう目を光らせる為、視線を向けた。五条は片手を差し出すと、それをの前へと出す。
差し出されたのは、一輪の花だった。白い花弁は薄っすらと青みがかり、透明な色合いに見えた。しかし花弁のように見えるだけで、咢片が花弁状に変化したものだ。本来の花弁は花の中央にあり、黄色の冠のように見えた。中心に座する葯は淡い紫色。儚げで、それでいて美しい花だった。セツブンソウ。光輝という、花言葉に正に似合う花だ。花を差し出されたは、一瞬きょとりとした表情を浮かべた。

なんとなく、気づいてはいた。過去、窓際に置かれていた、石ころで押さえられた一輪の花。初めは鳥か、単なる偶然かと思っていたが、それも多くなればさすがに誰かしらからだと気づく。しばらくは誰かとは分からなかったが、いつの頃か、向けられる不器用な視線に気づいてからは、もしかして、と思ったのだ。視線をたどっても、黒いサングラスに隠されて、最後まで確信が持てなかった。
今、先の目の前で花を差し出す五条は、いつもしている目隠しを首元へ落としている。露になった双瞼が、を見つめた。空よりも海よりも美しい青い瞳。何よりも多分に想いを湛えた瞳だった。

共に過ごした、たった一瞬のその時が、未来永劫、何よりも輝く。
今、この時の幸福を感受出来ることに、胸が震え、想いが滲んでいく。差し出された一輪の花を受け取り、の表情が綻んだ。
「有り難うございます」
五条は眩しいものを見たかのように、蒼い目を眇る。
「…うん、その顔が見たかった」
そして満足げに、笑った。


君在りて、幸福







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