DreamMaker2 Sample 苦悶の味を、口へと運ぶ。
舌の上で溶ける事もなく、柔らかさもなく固くもない。絶妙なまでの食感は、不快なものでしかなかった。上手いものを食せば、人は多幸感を得る。味覚は舌から、脳内へと伝達し時には体へと染み渡っていく錯覚すら抱く。一方でこれは口に含んだ途端、まるで五感の機能を全て遮断してしまう程の、強烈までの不味さだった。それを吐き出すこと名事無く飲み込めるまで、随分と年月を要したものだ。吐瀉物を拭った雑巾。言葉にすらできない程の不味さだが、敢えて言うならばそのようだものだった。表現すら烏滸がましいほどの不味さだ。
黒い丸いフォルムに掌サイズの大きさ。一見泥団子にも似ているが、呪霊であるのだから、それも当然なのだろう。呪霊操術を使用する夏油は、術式として取り込む為に毎回、呪霊を飲み込む必要がある。取り込むことで初めて呪霊を操ることが出来るのだ。
咥内に広がる不味さは、欠片も鈍る事さえないが最早作業の一環だった。脅威である呪霊を取り込んでしまえば、傀儡として意のままに操れる。
強くなるため。強くなり、人々を守るため。呪術師としての責務。頑なに誓った青臭い志は、いつの間にか霞がかり、遠くへといってしまった。助ける価値があるのだろうか。耐える価値があるのだろうか。

呪術師として呪霊と相対する呪術師は万年人が足りず、怪我は日常茶飯事だ。ともすれば片腕片足、体の一部の肉を食いちぎられることもある。拷問ともいえる苦痛は、一歩間違えれば廃人へと真っ逆さまだ。反転術式を持つ術師のお陰で元の健康体に戻せるといっても、一度味わった痛みは記憶から消える事はない。これでまだ、いい方だ。生きて帰ってこられるだけ重畳である。生死だけでない。呪術師は呪霊と相対する事から、否応なしに人の負の感情を向き合う。
人を助ける強さがあるならば、弱き人を助けるべき。・・・例え、弱い人間が、呪いを生み出していようとも。

2006年の夏、受けた星漿体護衛任務。星漿体である天内理子を同化当日まで守るというものだった。最終的に、星漿体となる天内理子は高専側で秘密裏に逃がす事で終えたが、あの日の任務は、未だに強く記憶に残っている。敵対していた伏黒甚爾が、気まぐれからこちら側に寝返ったのは終盤であり、最終局面までこちら側に悟らせることもなかった。金にがめついあの男は、天内理子の死体のフェイクまで用意して、依頼元の料金もせしめたのだ。そうとも知らず、突入した盤星教本部で夏油達を迎えたのは、無数の拍手だった。少女の死に、笑みを浮かべて喜ぶ非呪術師達。鳴りやまない拍手の雨。
夏油はあの日からずっと、疑問が消えずにいる。
呪霊を独自で調べる特級呪術師、九十九由基。先日彼女から聞いた、呪霊を生み出すのは非呪術師だけだという事。ここ最近は頻繁で、夏油は未だに答えを出せずにいた。

ごくり、と口に含んだ呪霊を飲み込む。
「・・・」
飲み込んだ後を引く不味さに、眉を顰めることもない。
何時の日から、夏油はそれを、『苦い』と思うようになっていた。


2007年、春。夏油は呪術界で三人目の特級呪術師へと昇級した。呪霊躁術という、稀有な術式。その術式を扱いきれる頭脳。彼自身の勤勉さから磨いた、術式だけに頼り切らない体術。全てにおいて、当然ともいえる結果だろう。必然的に、特級呪術師である夏油の任務は増えていった。ここしばらく、息をつく暇もないほどの忙しさだ。
ある日は、1級呪霊が祓徐対象だった。並みの術師あれば苦戦を強いるだろう知恵もった狡猾さに、夏油は鋭い観察眼を用い対処することで、怪我を負うことはなく終えた。事前調査で、補助監督が1名亡くなった。呪霊を飲み込む。
ある時の任務は、2級呪霊2体と、3級呪霊4体。相対する呪霊の等級は低くも、数が多い。呪術師が1名亡くなった。夏油は打ち身程度の軽症だった。呪霊を飲み込む。
この日の任務の内容は、当初予定した等級と異なり、特級呪霊であった。さすがの夏油も、腕を一本、あばらの骨を数本犠牲にした。呪術師は5名亡くなった。呪霊を飲み込む。

仲間が死に、呪霊を祓う。飲み込む。祓う、飲み込む。祓う、飲み込む。

気だるさの湧く炎天下の下、手の甲で汚れを拭う。手の甲に付着した赤茶色は、泥の入り交じった、飛び散った誰かの仲間の血痕だろう。目に止めた血の色は慣れ過ぎて、何時の頃か、何の感情も湧かなくなっていた。掌に収まった呪霊を、一口で飲み込む。
強くならなければ。何も守れない。強くなり、誰をも守れるように。呪霊から、弱い人を守らなければ。
・・・本当に?
いつしか疑問は強くなり、体内へと取り込んだ呪霊と共に、薄暗い何かが沈殿していく。

「・・・苦い」




***



差し出されたのは、よく見るフォルムをしていた。
簡易包装紙に包まれた、掌サイズの丸い形。目の前に着き出されたそれは、突き出されたまま、引かれる気配はない。
受け取らなければ引くつもりはないだろう。今日が何日かだなんて疑問に思う程無知ではないし、狭いコミュニティ内では本来の意図とは別に、配られることも多々ある。女もそのつもりなのだろう。・・・致し方ない。あまり気は乗らないが、薄っすらと嫌な予感を抱きながらも、夏油は円状の包みを開く。包みを開けば、普段見慣れたそれとよく似た、焦げ茶色の塊が現れた。嫌な予感は見事までに的中した。挙動を止めた夏油に、目の前の彼女は何処か誇らしげに笑う。
「傑くんはきっとモテるから、いらないかもだけど。せっかくのバレンタインだしね。
 友チョコです!」
夏油は目を疑い、思わず呟いた。
「・・・嫌がらせか?」
「え?駄目だった・・・?」
女は目を瞬かせる。
呪術高専では後輩だが、実年齢で言えば年上である彼女は、感情が表に出やすい。ある種、お人よしである灰原と同種だった。しかしどこまでも善意の塊で、天然である灰原と異なるのは、この女が善意だけではないということだ。悪意も偽善もしれっと行う厚顔の厚さというか、強かさがある。開き直りの早さは、なかなかのものだ。この辺りは、女が年上だと実感する部分だ。とはいえ、夏油からすれば見習いたいものではないが。
女の表情を伺うも、嘘は見受けられない。驚いた表情は、偽りないのだろう。夏油にとっては、苦痛しかない。呪霊の塊と似た形のチョコは、彼の内情を知っていれば嫌がらせでしかないし夏油は一瞬、女へ怒りが湧きそうになった。実質、今もあまり良い気分ではない。
確かに夏油は女に呪霊の味を教えた事なんてないし、彼女は決して故意ではないのだ。込み上げた不愉快さを押し込めるように、思わず寄っていた眉間の皺を揉み解す。いけない。どうにもこの女を前にすると、感情が揺さぶられやすい。理解できない人種だからだろう。理解したいとも思わないが。あまりに短絡的。女を「猿」と称し始めたのも、それが理由だ。
女の視線は逸れない。これが故意であれば、呪霊を操って高専内を引きずり回してやるのも吝かではなかったが、今回のこれは、善意なのだ。いけすかない女相手であっても、元来真面目な夏油は、見て見ぬふりする事はさすがに出来ない。嫌で仕方がないが、女のじっと見つめる視線に、しぶしぶ、口へと運ぶ。大口を開いてかじりつき、咀嚼する。舌の上で溶け咥内に広がる味に、思わず夏油は眉を潜めた。
「甘っ・・・」
「えっ」
チョコというよりも、砂糖の味に近い。ほのかに香るカカオと、じゃりじゃりとした舌触りがないため辛うじてチョコであるとは分かる。顔を歪める夏油に、女は慌てたようだった。
「生チョコトリュフの傑君専用、特大版だったんだけど・・・・」
甘さも控えめのビターチョコで・・・・。女の続けた言葉に、夏油は片眉を上げた。
「誰か用のと、間違えたんじゃないですか?」
夏油はさほど甘いものを好んでいない。高専内で甘い物を好んでいる人間なんて、夏油が知る限り1名だけだ。
ビターとは思えない味に苦言を零せば、女はようやく夏油の様子が事実だと理解したのか、みるみる肩を下げていく。
「傑くん、ごめんね。間違った方を渡しちゃったみたい。食べれなかったら、それ、捨てていいからね・・・あ、食べちゃった」
「不味くても、食べ物に罪はないからね。例え吃驚して目が覚める程、不味くても」
「いや、本当にごめんね・・・」
掌程のチョコが消えるのは一瞬だった。ぺろりと食えらげた夏油は、にっこりと爽やかな笑みを浮かべる。
表情とは裏腹の苦言に、花子は両手を合わせて謝罪する。悪気はなかったんだ、本当。

しかし、間違って夏油に甘いチョコを渡してしまったなら、残っている方はビター味だろう。既に日は傾いている。今から材料を買いに行っては間に合わない。形成されたチョコを再融解して甘さを足すしかないが、よりにもよって作ったのはトリュフである。チョコの再融解は繊細で、花子には分離する未来しか見えなかった。肩を落として、ぶつぶつと独り言を零す花子を、夏油は両腕を組んでなんとなしに眺める。
別に、この女が失敗しようがどうでもいい事だった。
失敗作を渡したぐらいで、あの男がぶれる筈もない。一年前の冬、女が負傷した。その時に見せた普段は飄々としている男の、底知れない黒々とした感情を覗いた夏油からすれば、到底あり得なかった。そんな些細なことで心変わりするぐらいなら、どれだけ良かったことか。女は気付かない。あの男が徹底して表に現さないから、仕方のない事だろうが。
自信がないのか気落ちする女は、実に滑稽ともいえる。井の中の蛙。周囲の取り巻く状況も知らないで、一人ぐるぐると回っている。既に落ちた蟻地獄から抜け出せないように、女はどうやったって逃げ出せないのに。普段から気に食わないこの女が、右往左往する様は見ていて小気味が良かった。そうだ。女が失敗して落ち込む様子を、遠目から観察しよう。夏油は思い立つ。どうせ、女が使用する場所は共有スペースのキッチンだ。
小説片手間にその様子を見るだけでも、さぞ溜飲が下るだろう。人の良い顔をして底意地の悪い思惑を企てるのが、夏油傑という人間だった。

女が去ってから、夏油は早速、自室へと戻る。読みたかった小説を小脇に持ち、食堂に向かえば案の上、あの女はキッチンに立っていた。陰鬱な表情で思い悩んでいる様子を見ながら、夏油は少し距離を置いたテーブルにつく。常備されているポットから温かい茶を湯飲みに入れて、素知らぬ顔をして小説を開いた。

気分爽快とは言わなくても、それなりに楽しめるだろと思った観劇、基観察は、残念なことに、そう上手くはいかなかった。
忘れていたわけではないが、この女は夏油の思惑を斜め上に飛び越えてしまう。
別に壊滅的に料理が下手なわけではないのだろう。それなりに、ある程度。そういったレベルだ。だが優等生であり、頭の回転も早い夏油からすれば、女の動きにはあまりにも無駄が多かった。
初めは小説片手にいい気味だと見れていた。だが、徐々に女の無駄な動きが目に余り始め、なかなか活字へと集中出来ない。片足を揺すりそうになるのは堪えた。しかし気が付けば本を持つ手とは反対の手が、苛ただしげに机を叩いていた。気付いてしまっては、本どころではない。
「・・・」
開いていた本を閉じて、重々しい溜息を吐く。
結局、こうなるのだ。だからこの女は嫌いなのだ。夏油は席から立ち上がり、キッチンでチョコを分離させて途方に暮れる女の元へ不精不精、向かうのだった。

チョコレート作りなど、男である夏油が知る訳はないが、要は化学だ。レシピを知っている訳ではないが、分離しているのであれば、元に戻せばいいだろう。自棄になり水を入れようとした馬鹿を止めて、生クリームか牛乳を加えるように指示してやる。
何故か嫌そうな顔をしながらもキッチンに入ってきた夏油に、花子は異論を唱えることはなかった。藁をもすがる気持ちで、次々に指示を飛ばす夏油の言う通りに動けば、あら不思議。悩んでいた時間が馬鹿らしいほど、完璧なまでに作り直す事が出来た。ちなみに、ここまでの経緯で花子が失敗することも考慮した上で、敢えて分量をこまめに分け指示を飛ばす徹底ぶりだ。当然ながら、信用はない。
手元に完成したトリュフに、思わず花子は夏油を見上げる。「すぐるママ・・・」なんてほざくものだから、夏油はこの女、本気でどうしてやろうかとも思った。夏油はにっこりと笑って、手を出すのはさすがに男としてタブーの為、代わりに小脇に抱えていた小説の角で頭を叩いた。

勢いはほぼなかったが、小説の角で叩かれるのは地味に痛かったのだろう。
今度こそ、テーブルの席に腰かけ、本読みを再開する。当初とは異なって、小説片手間の観察が、女の手際の悪さにそれどころではなくなってしまった。これで、ようやく活字に集中出来る。すっかり冷めてしまった、湯飲みの茶を啜る。
夏油の意識が逸れたのは、湯飲みの中の茶がほとんどなくなった頃だった。人の気配に視線を本から上げれば、てっきり居なくなっただろうと思った女がいた。女はこちらに寄ってくるなり、夏油の前に持っていた皿を置く。
「さっきは有難うございます。助かりました・・・!」
 お礼の今度こそホンモノ!傑君専用チョコです。余り分で作ったんで、ちょっと小さいですけど・・・」
皿の上にはクッキングシートが敷かれている。その上に、ちょこんと丸い形をした焦げ茶色は、数時間前に食べたものと酷似していた。
女はやはり、笑みを浮かべていた。
「味は・・・多分、大丈夫です!」
親指を立てて、どこか得意気な表情だ。灰原と同級生である彼女は、生活する内に感化されたのだろう。灰原の動きとよく似ていた。
満足したのが、それだけ言って女は踵を返す。既に日は暮れているし、そろそろ夕食の支度もある。キッチンの片づけに向かったのだろう。
慌ただしい女の背を見て、夏油は息を吐く。邪魔が入らないからと、少し集中しすぎていたかもしれない。いつの間にか固くなった首の骨を鳴らす。
息抜きがてら、皿の上にあるチョコを口へと放り込んだ。

「・・・苦」



***




日々はまるで、水の中にいるようだった。
息ができない。苦しい。
ぼこぼこ気泡が、口から零れていく。 

溺れそうだ。


2007年 夏の終わり、9月。□□県□□市(旧□□村)
村落内での神隠し、変死。その原因と思われる呪霊の祓徐。到着して早々、呪霊は苦なく祓い、それで終わりのはずだった。
町民に、まだ原因があると連れていかれた民家で、内心怪訝に思いながらついて行った先で、夏油は言葉を失った。
時代錯誤甚だしい木製の牢屋。広さはワンルームもないだろう。南京錠がかけられた牢の中には、互いを庇い合う様に抱きしめ、こちらを警戒する幼子2人。皮と骨しかない体躯の細さは、栄養が十分に取れていない事が伺える。一方の少女は片目の瞼が腫れ上がり、目が潰れている。無事ではない箇所が見当たらない程、打撲の跡に、無数の切り傷。碌に手当もされていないのだろう。膿が悪化して、牢内にはコバエが湧いていた。

「これはなんですか?」

夏油に問いに、町民が喚く。
「なにとは?この2人が一連の事件の原因でしょ?」「この2人は頭がおかしい。不思議な力で、村人度々襲うのです」「私の孫も、この2人に殺されかけた事があります」
町民の言葉に、少女の1人が反応した。目を吊り上げて、声を上げる。「それはあっちが・・・!」
「黙りなさい化け物め!」
「貴方たちの親もそうだった!」
「やはり赤子の内に殺しておくべきだった!」
怒鳴り散らす町民達はさも当然のように、壁に立てかけてある太い棒を掴む。棒の先には、ところどころ赤黒い染みがついていた。こうやって、常習化しているのだろう。今にも牢内にいる幼子2人へと暴力を振るいそうだ。肩を怒らせる町民の肩を、夏油は軽く叩く。
「皆さん、一旦外に出ましょうか」


彼方側、此方側というが、どちらも人間が作った社会間の法則であり、そこに明確な線は存在しない。
「どちらまで行くんですか?」
疑問を問いかけてくる町民に、夏油は答えない。ぞろぞろと続く町民を連れて、丘の上にある民家から坂を下る。残暑の残る熱い炎天下の中、足元に幾つもの影が伸びる。森の奥にあるこの村は、一歩外に出れば蝉が煩いほど鳴いていた。
やがてザリ、と音を立てて夏油は足を止める。振り返った先にある民家は十分に離れていた。ここまで離れれば、あそこまで声は届かないだろう。
これから行う事は、少女達にあまりいい影響を及ばさないだろう。体内に飼っている呪霊を呼び出す。改めて見る町民達は、きょとんとした間抜けな表情を浮かべていた。僅かでも良心の呵責を負う事もなく、あの惨状を当然のことと受け止めている。一人も残す必要はない。

苦しいと、息が出来ないと体と心が悲鳴を上げている。矛盾しか生まない世界で、夏油の中の正義は今はもう、見えない。はく、と零れるように吐息を吐く。憎いかと問われれば、憎い。嫌いかと問われれば、嫌いだ。生産性のない、非生産なもの達。彼らが生み出すのは呪霊で、足元には山となった仲間の屍が折り重なっている。彼等は何も生み出さない。生み出さないならば、そこに存在する価値もないのでは?彼等は、人でない。ならば、もうーーーそこまで考えて、夏油の脳裏に、何かの残像が浮かぶ。

雨の中、手を引く後ろ姿

映像はたった一瞬で、何事もなかったように消え去った。まるで泡沫の夢。白夢中よりも短く、記憶にも何も残らない。何かを見たという、感覚だけが残った。
夏油は薄らとした笑みを貼り付ける。
「死んで終わりなんて、手温いだろう?」
煩わしい、蝉の声が掻き消えた。
襲わせた呪霊に、町民の悲鳴が上がる。阿鼻叫喚となる場で、夏油の声は最早彼等に聞こえちゃいないだろう。片腕、片足、どちらかだけで十分だ。両方潰してしまえば、弱い彼らはショック死してしまう恐れがあった。今でさえ、顔中から液体を垂れ流し、無様に泣き叫んでいるのだから。
法で裁いて終わりにするだけでは、夏油の腹が収まらない。ならば思うがままに多少、『幼子を助け出すための正当防衛』として暴力を振るって、これからの人生で苦しんでもらう。幼子の監禁および暴力。どうせ、この事件が公になれば、彼等の社会的地位はなくなる。一瞬の死では物足りない。末永く、苦しめばいい。夏油は歌う様に零す。
「非術師は呪いを生む。なら、利用すればいい。それぐらい、役に立ってもらわないとね」
地に落ちた社会的地位に例え刑務所から出た後も、周囲からの視線は厳しいだろう。だからといって、死に近い痛みを知った彼等は、自死する決意も抱けない。肩を縮めて背を丸めて、周囲の鋭い視線に刺されながら、社会の歯車として廻り続けてもらう。
町民達の悲鳴に、夏油は気分が軽かった。全てを守り切るのではなく、0か10かどちらかではなく。時には短絡的に、利己的に動いてしまえばいい。夏油は顔を片手で抑える。気分はこれ以上なく、晴れ晴れとしている。なのに、夏油は笑みを浮かべられなかった。
腹の底で形容し難い感情が蠢いている。

これは夏油傑の思考ではない。
そこにいるのは、誰だ。

思えば、これだけではなかった。呪霊の味は変わらず、形容出来ない程の不味さだ。昔から、不味さは変わる事はない。いっそのこと味覚がなくなってしまえばいいと、思えてしまう程なのだ。けれどいつの頃から、呪霊である丸い塊を飲み込むと、何故か「苦い」と思ってしまうのも。

空を見上げる。頭上には晴れた空が広がっていた。多分、それは、驕ることも慰めることもなく、ただ何も言わず隣にいた。肩を並べたり、背を預けるだけの強さもない。故に、それ相手に矜持を持つ必要すらない。
何の力もない、非術師と大差ない。自己満とエゴの塊。誰のためでもない、自分のための偽善者で、とるに足らない短絡的で、ちっぽけな存在。

淘汰されるべき人間と、それを成し得る力を持つ自分、ちっぽけな偽善者。
境界線は曖昧で、彼方側も此方側も存在しない。天秤は自分が決めるーーー。息なんて、意識するものではない。青々とした空を見上げたまま、夏油は零す。
「決めるのは、私だ」
夏油は惨状を後に、踵を返す。まずは幼子2人を高専に連れて行こう。転がっている彼らはしばらく放置しても問題ない。後で通報すればいいだろう。
夏油はこれから、進むべき道を考える。非術師は嫌いだが、恐らく手がかりは高専内にある。違和感は、ここ数年のものだからだ。ならば、術師を続けるしかないだろう。とはいえ、非術師は嫌いなので、なるべく任務に就かないような、高専教師になるのもいいかもしれない。

さて、偽善者に転がされただなんてーーーそんなもの、許せるはずもないだろう?


まだ見ぬ君へ







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