DreamMaker2 Sample 君がいなくなる夢を見た。

瞼の裏から突き刺す光に、目が覚めた。カーテンの隙間から差し込む陽光は眩しく、思わず目を眇める。薄ぼんやりと暗さの部屋は、朝の気配を漂わせていた。いつもと変わらない自室だ。瞬きを一つして、すぐに我に返る。五条は持ち前の反射神経を駆使して、ベットから勢いよく起き上がった。
つう、と氷を流し込まれたように背筋が寒い。身震いする程の悪寒に、らしくもなく祈るような気持ちでドアノブに手を掛ける。焦燥感が身を焦がしてやまなかった。玄関の前を横切ると、棚の上に置かれた花瓶に挿した、色鮮やかなニゲラが衝撃で揺らぐ。早くなる鼓動に五条は、自然と駆け足になっていた。
長いようで短い廊下を進みリビングの扉を勢いよく開け放つ。普段、並大抵なことでは息一つ乱さないのに、たった数秒の動作で五条は息が弾んでいた。
「あ、おはようございます」
ひょっこりと、台所から馴染んだ顔が出てくる。五条の用意したエプロンを身に着けて、お玉を片手に持つ彼女はまるで世間で言うお嫁さんのようだ。
もう結婚してるんじゃない?と欲望に従った計算の上、エプロンをプレゼントした五条だったが、その姿に何度も内心うち震えていた。ただ、一般的に異なる点が一つだけ。エプロンを纏う彼女の体は、うっすらと透けていた。彼女は、まごうことなく『幽霊』だった。けれど、五条は彼女の姿を見てどっと安堵に襲われる。肩の力が抜けて、ようやく息を吐き出せた。顔を見るなり長々と息を吐く五条に、花子は首を傾げる。
「そんなに慌てて、どうしたんですか?」
ぽん、と掌に拳を当てるなり「あ、もしかして、寝坊です?」と見当違いの予測を立てる彼女を横に、五条は深々と安堵した。
彼女の声も、姿形も変わらない。すぐに触れる距離に彼女はいる。何処へもいなくならず、傍にいるのだ。

朝から様子の可笑しい五条に首をかしげる花子を他所に、彼女が用意してくれた朝食を二人で囲む。穏やかな朝食を終えると、この日も五条は弁当を受け取った。
この時点で五条の中では今朝方の悪夢も消え去り、元の調子に戻っていた。他でもない花子の手作り弁当は、五条にとってこれ以上なく幸福感を満たらしてくれる。好きな女の手作り弁当をもらって、嫌な男などいない。いくら居候ゆえの形見狭さからとはいえ、五条の為を想ったものだ。家庭的で一般的とはいえど、毎日出勤時に鼻唄を歌い出しそうなほど、五条を浮き足立たせた。

生憎の一年の研修も兼ねた外への任務の為、その日は外で食べる事になった。空いた公園のベンチにどかりと腰かけて、五条はふんふんと弁当をとりだす。
各々思い思いのコンビニ弁当やらサンドウィッチを手に持つ虎杖達1年に対して、五条は今日も今日とてお嫁さん(自称)からの愛妻弁当を自慢げにした。男が弁当を取り出した段階で、げ、と生徒達は腹を空かせているも関わらず、食べる前から胃もたれをしたように顔を歪めた。ここ最近うっかりこの男と昼飯時が合おうものなら、いつも食らわされている出来事だった。男が担任である事から同伴しやすい一年や、補助監督の伊地知がよく被害にあっている事柄である。またかよ・・・と露骨にウンザリとした表情を出す正直な生徒もなんのその、五条は正反対に花を撒き散らさん勢いだ。
とはいえ常に気分屋で女心と秋の空よりも移り変わりやすい男の情緒だが、男は嫁(自称)の弁当さえあれば余程のことがなければその日1日は安泰だった。振り回される伊地知や同じ補助監督にとっては実に有り難く、男の惚気も喜んで聞けるほどである。生徒達も五条の思い付きという名の無茶ぶりが鳴りを潜めるなら、と延々と流される長々とした自慢に対しても苦言を零す事はない。表情には思い切り出ているが。というか、全員見事に五条の話をスルーしているが。初めは真面目に聞いていた虎杖さえも今では所々無視して伏黒達と会話をするのだから相当である。
しかし、この男。止まりもしないし、微塵も気にも留めない。ノンストップで惚気る五条の話は、最早昼食時のBGMと化していた。

昼食を終えると、一年の訓練を兼ねた任務を無事に終えた。その後、急遽入った任務もさっさと祓う。 いつもなら面倒だ、まだ働かせるのかと機嫌が下がる五条も、嫁(自称)の弁当効果でここ最近は大人しい。むしろ積極的に従い素早く終わらせる程だ。胸を撫で下ろす伊地知は、この後再び任務が入る事がないよう祈った。日が暮れる前なら比較的言う事を聞く五条だが、これが日が沈んだ後であれば途端拒絶の姿勢を示すのだ。「今日は!花子さんとデートなのっ!!まじ絶対行かねー七海に回して!アイツ仕事大好きだから!!」酷い時は手も付けられず、五条の後輩である七海へ押し付けようとする始末である。
常にスマートに、元商社マン故に計画性を持って仕事こなし、さて帰りますかといった所でかかってくる伊地知からの電話。仕事を押し付けようとする先輩に定時を超えたら呪力の上がる縛りを化しているとはいえ、別に残業好きでもない七海は、米神を引き攣らせるのである。
しかし悲しいことに最強である男をてっぺんにしてヒエラルキーは既に出来上がっている。というかここで断ってしまえば最強は後日根に持ってネチネチとした嫌がらせをしてくるだろうし、付き合わされてしまう伊地知も可哀想だ。内心苛立ちながらも渋々了承する七海に、胸を撫で下ろす伊地知。被害者二名を他所に、定時には絶対帰るマンと化した五条は颯爽と一人帰宅するのであった。
この日は緊急の任務が入ることなく、心穏やかに(主に伊地知と七海が)仕事を終えることが出来た。 五条が所望する場所で車を止め、最強が車から降りた所でようやく伊地知は肩の荷を下ろす。
昨夜、旅番組の放送を見ていた花子さんが釘つけになっていたし、食べたかったのかもしれない。五条は思い立ち、帰り際にスーパーへと立ち寄った。真っ赤な苺を一パック片手に、混み合うレジへと並ぶ。レジに並ぶ自販機よりも高い高身長に目隠しをした黒尽くめの大男。人で混み合う時間帯にも関わらず、男は非常に目立っていた。だが周囲の主婦やレジ店員からの視線にも、男はどこいく風である。
花子さんが毎回袋を買うのはもったいないと眉を潜めるので、携帯するようになったエコバックをポケットから取り出し、購入したばかりの苺を入れる。マイバックを取り出した時点でより周囲の視線を集めたが、やはり男は気にしなかった。花子さん、喜ぶかな。なんて帰宅した時の彼女の様子を思い浮かべて、ゆるりと口の端を綻ばせる。
そうして足取り軽く、五条は帰路につくのだった。


帰宅するなり五条が両手で掲げて取り出した真っ赤な苺に、予想通り花子は喜んでくれた。彼女が用意してくれた夕食の後、さっそくデザートとして二人で食べる。苺を口にして頬を緩ませる花子に、五条の視線も柔らかい。よかった、喜んでくれた。別に寄らない訳ではないが、一人暮らしだとどうにも外食やデリバリーが多くなり、食材すらも配達で済ませることが多かったが、ここ数か月はスーパーに寄る事が多い。そちらの方が早いからだ。
正直なところ、いるか、いらないかで言えば五条にとっては必要ない。けれど五条が選ぶ食材はどうにも高いものばかりであるらしく、花子が喜ぶかと思って取り寄せてみても彼女は萎縮してしまうのだ。一度だけならまだしも、毎回毎回態々手触りの良い木の箱に入れられた食材を前に萎縮するなというのが無理な話であった。あの調味料がないといえば、名店の調味料を取り寄せるのだ。好奇心から調べてみれば少量にも拘らずちょっと笑えないお値段である。庶民を自負する花子にとってまず手に届きかない世界だ。ただでさえ花子は居候の身である。申し訳なささに身を縮める彼女に、五条とて本位ではなかった。
手放しで喜ぶ彼女見たさに、ここ最近五条はスーパーに足を進める事が多かった。周囲から浮きまくる故に集まる視線は、欠片も気にしてない。だって最強だから。けれど最強である己を足に使うのは、どこを探しても彼女しかいないだろう。とはいっても彼女が何も五条をパシリに使っている訳ではなく、全て五条の自主的によるものだ。
残念ながら、手遅れにべた惚れ。どれだけ見つめても、飽きる事なんてあり得なかった。彼女を想えばふつふつと、心が凪ぐような、それでいてじんわりと滲んでいく優しさに包まれる。
故に、彼女がいなくなるなんて事は、欠片も五条には考えられなかった。

ふと、花子が一つの話題を口にした。
「悟さんって、昔はどんな感じだったんですか?」
丁度、放送されているテレビには懐かしい映画が流れていた。少年が車で過去に遡る、アレである。
望む未来にするため過去へと戻り、主人公の少年が遭遇した若い頃の両親。それを見て疑問が湧いたらしい。五条は腕を組み唸るように答える。
「それはそれは、天使のごとく、純粋で、かわいらしー子供だったよ」
どう見ても胡散臭かった。外見も中身すらも。花子は胡乱げな眼差しを向ける。
「絶対それ、嘘ですよね・・・」
「マジだって。僕ってこう見えてピュアっピュアだから。まじで好きな子が出来ても、どうすればいいか分からない、毎日感情に振り回されてばっかりでさ。あ、好きな子の話気になる??ねぇ、気になる???」
ま、僕のガチ恋って君なんだけど。と遅い初恋アピールをするつもりが素気無くスルーされてしまう。
嘘は微塵も言っておらず、現状こうも日々悪戦苦闘しているにも関わらず暖簾に腕押し。確かにそれまで女性との付き合いがなかった訳でもない。五条は外見だけならばこれ以上のないイケメンだし、それなりに数がある方だろう。しかし、どれも表面的なものだった。相手が沈み込んでくる前に、五条は身を引いてあっさりと切ってきたからだ。常に軽薄な男は恋愛面でも淡泊的だったというのに。変えたのは、目の前の女である。
いい大人になってからの初恋って結構大変なんだよ。僕が理解ある落ち着いた大人だからこれだけで済んでるけど、やんちゃしてた頃だったらどうなっていたか。不可解な感情に振り回されて、真逆の行動をとっていたに違いない。
しかし幾ら自身の純粋さをアピールしても全く真面目に受け取られず、五条は思わず膨れ面をする。とうに成人を過ぎた男が頬を膨らませた不細工面にも拘わらず、顔が良い。まるでハムスターのごとく愛らしく見えてしまうのだ。ずるいとしか言えない。
花子はうっかりときめきそうになった心境を、無理やり話を逸らすことで誤魔化した。流れっぱなしの映画が、視界の端に映る。
「悟さんは、もし未来が変えられたらどうします?」
「・・・どうもしないなぁ」
五条はぷう、と両頬から空気を抜くと少し考えてから花子からの問いに答える。花子を倣うように過去を変えようと四苦八苦する主人公の少年の様を映す画面を見ると、頬杖をついた。
「振り返ったところで何も生まれない。なら、先を見た方がよっぽど堅実的だよね」
気だるげな視線に、微塵も興味もなさそうな様子である。思わず花子は頬を引き攣らせた。見目はこれ以上ないほど人外染みているのに、中身は夢も糞もない。
「悟さんって、楽天的にみえて現実的ですよね・・・普段はアレなのに・・・」
「何それ。ひっどーい!」
そういう所ですよ、と大げさに両手で抗議を示す五条に、花子は思わず零したくなる。言動はこれ以上ない程子供じみているのに、嫌になる程理知的である。
一通り抗議して収まったのか、再びテーブルに頬杖をつき直した五条が言う。
「ま、呪術師だからね」
映画を見る碧い目は、涼しげだ。
常人には目に視えぬ呪いを祓う。化け物である呪霊を相手に、いつ誰が死ぬかも分からない。それが、呪術師。だからこそどんな時であっても、常に現実を受け入れる覚悟が必要になる。
五条は呪術師であるし、これからも呪術師であり続けるのだろう。彼曰く最強であるからといった事はではなく、多分、男の性分であり、生き様だ。五条悟であるが故に、凡人から見れば修羅の道を。男からすれば花畑をスキップするような様子で。
だから、凡人である花子は思うのだ。「まぁ、でも」
五条の視線が、口を開きかけた花子を見る。
映画のクライマックス。差し迫った緊迫したシーンにも関わらず、テレビを見つめる彼女の横顔は、何故か穏やかなものだった。
「少しでも、いい未来に出来たら良いですよね」


そこで、ぱちりと五条は目が覚めた。
窓から差し込む朝の気配に、ぼんやりと部屋の中が映し出される。いつもの自室だった。そのまま寝落ちしてしまったのだろう。床で寝た事から軋む体を起こせば、開いたまま上半身に落ちていた本が、ばさりと床へと落ちる。周囲には実家や高専から持ち出したありとあらゆる本が乱雑に散らばり、折り重なっている。ここ数週間、寝る時間も飲食すら構わず、同じ日々の繰り返しだった。
目を覚ませば何を忘れたのもわからず、寂寥感と焦燥感が身を包む。
目を瞬かせれば乾燥に涙が滲んだ。


***


呪術を元に様々な本を漁ったが、未だ糸口は見当たらなかった。
忘れてしまった何か。掌に残る数十年来の傷跡だけが、そこにあったものを確かにした。その傷を視界に映す度、呑気にも忘れてしまった自身に決して忘れるなと、掌の小さな傷などではない、身を裂くような痛みが責めて立てくる。
態々掌の傷を見なくとも、忘れるつもりはない。手放す気もない。手がかりを得るべく、五条はこの日、高専に来ていた。

日常に溶け込んだ不自然さを探し、そこから消えた彼女を探しだす。何よりも大切だった何かを忘れたと気付いたあの時。例えあの世の地獄であろうと、連れ戻すと自身に誓ったのだから。
弟子である恵は、知り合いのようだった。それも随分と親密だったようで、彼自身も記憶に違和感を抱いていた。恐らく恵も、同じように彼女を想っていたのだろう。だから完全に忘れる事はなかった。

恵に関わりがあるのだから、もしかしたら高専に何か糸口があるかもしれない。そう思い教室から、高専のいたるところを一室一室見て回ったが、記憶の琴線に触れることはなかった。次に少しでも手がかりを得るべく、高専寮へと向かう。しかしどこを見て回っても違和感は生まれない。
(ーーー外れか)
肩透かしを食らい、思わず舌打ちを零しそうになったが、共有スペースで懐かしい映画を棘とパンダが見ていて、それを留める。生徒たちが見ていたのは、懐かしい映画だった。少年と博士。過去に戻る少年。
一瞬、脳裏に何かがよぎった。

誰かが隣にいて、映画を見ていた。苺を前に、笑っていた。

ひっかかった記憶の端を、咄嗟に五条は掴もうとする。記憶の欠片は、しかしすぐに不明瞭になってしまう。いくら掴もうとしても、霞がかっていく。必死に拮抗していた五条だったが、薄れていく記憶を掴み切ることは出来なかった。
周囲に忘れかけていた音が戻って来る。
結局、思い出すことは出来なかった。隠しようのない苛立ちに、今度こそ舌打ちが漏れたが、談話室から漏れる笑い声に紛れる。


手がかりは得られず、焦燥感ばかりが身を包む。今度こそ、五条は高専を後にしようと止めていた足を動かした。ここにいても、何も糸口は得られない。ここが駄目ならば、次は京都。駄目元だが可能性は零ではない。
苛立ちに内心荒れ狂う五条はそこである人物に気付き、嫌悪に目が眇む。間が悪く、五条と馬の合わない人間が向かいの廊下から歩いてきていた。この男は昔から授業を自主練と銘打っては、空いている高専寮で惰眠を貪ることがある。
非常勤の体術講師が五条に気付く。五条の殺気にも似た苛立ちを気にすることなく、男はニヒルに笑った。
「よぉ、五条の坊主」
見知った男を前に、体中の血がどくりと脈打った。


トライ&エラー



伏黒と似通った黒髪の短髪に、吊り上がりの目に精悍な顔つき。口の端に傷のある男ーーー伏黒甚爾。
違和感が波打ち、さざ波を打つ。徐々に大きくなり、形を露わにする。

いるはずのない人間だった。
高専2年の頃、確かに五条が殺したはずの男。
高専2年の頃から気に食わない、非常勤の体術講師として働く男。

つまり、そういう事だ。

ーーーきっと彼女は、そこにいる。





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