DreamMaker2 Sample 伏黒恵にとって、『あの人』は年上なのに年上らしくない、そんな人だった。
彼女は初対面で道端で膝を抱えていて泣いていたような女なので、思わず同情した彼がそう思うのも無理はない。とは言っても、女は決して精神面まで子供である訳ではないのだ。後に知ったが当時、女は諸事情で住む場所を失い絶望にくれていたらしい。
しかし女は絶望の淵から這い上がり、今では住む場所を得た。加えて金銭的余裕もあまりないだろうに、恩人だと少年たちの様子をちょくちょく見に来ている。
少年は一度、再会して以来懲りもせず毎月顔を覗かせる彼女に、ガキばかり気にかけてないで友人や恋人にでも会いに行けばいいだろ、と言い放ったことがある。女は頬をかいて苦笑を零し誤魔化しただけだった。
あとから恵は、自分とは異なり随分と彼女に懐いている義姉から、彼女も『独り』なのだと知る。知人も友人も恋人も、親族すらいない。自分には義姉がいるが、彼女にはそれすらない。女一人で生活の基盤を整えた彼女は、少年からすれば十分に自立した大人であった。
女は毎回飽きもせず小さなアパートに顔をのぞかせてくる、赤の他人だった。けれど、赤の他人の大人が、酒を飲めばうざ絡みをしてくる面倒な大人になる。夕飯時に放送されていた映画を観ては、情けなくなるほど眦を赤くしてボロボロと涙をこぼす。かと思えば、女が作った料理を食べきれば嬉しそうに破顔して喜びを露わにする。名前を呼んだ日には目を丸めて、次の瞬間記念日だと義姉に飛びつき報告し、夜にはケーキすら用意してくるのだ。
よく笑って、よく泣く。少年にとって、女は変な『大人』から、何時の間にか『 』という一人の人間になっていた。

「久しぶり!二人とも元気だった〜??」
扉が僅かに開いた瞬間、煩いくらいの蝉の鳴き声が割って入る。思わずげ、と顔を顰めたのは部屋中に響いた蝉の鳴き声の所為だけではない。扉が閉まるともに蝉の鳴き声はシャットアウトされ、室内には扇風機の稼働する音と女の賑やかな声する。
津美紀に通された女は、軽快な足取りで居間の扇風機の前で涼んでいた恵の元へやって来た。真夏日である外は相当暑かったのだろう。前髪を汗で張り付かせ、額に汗を滲ませてまでわざわざやって来る彼女は、毎回ご苦労な事である。
半年前、哀れに思い缶ジュースを一本驕ってやった女。たったそれだけであるのに、女は恩を感じたらしい。数か月前に再会すると、毎月飽きもせず顔を出してくる。津美紀も彼女に懐いているらしく、いつも口うるさい津美紀と女が揃うと余計、狭いアパート内は煩くなる。少年は静かな空間を好んでいたので、揃うと話が止まらなくなる彼女らは苦手だった。それだけならば、自分が家から出かけてしまえばいい。
ーーーしかし、それだけではない。
「恵ちゃん!」
少年は秀麗な柳眉を潜める。ーー構うなと顔を歪める少年に対して、津美紀もこの女も、揃いも揃って関わって来るのだ。
あからさまに顔を顰めた恵の前にしゃがみこむと、女はにまにまと笑う。
「夏休みの宿題はどう?前もってコツコツと進めとくんだよ〜!絶対、最終日に後悔するからね。これ、お姉さんから心のこもったアドバイス!」
「あと少しで終わる」
この年頃の子供は宿題を後に回して夏休みは遊び倒すことが多い。 しかし、目の前の少年は幼い年頃の割に少し変わっていて、朝から夕方まで外で遊びまわることはない。少年は寡黙を好み、家に訪れれば大抵部屋の隅で静かに読書をしている。馬鹿にするな、と軽く鼻を鳴らす少年に、女は内心さすがだなぁと感心する。「恵ちゃん、優秀だねぇ」
「でも、自由研究はまだでしょ??」
「もう終わらせた」
途端、女は衝撃を受けたように目を見開いた。訝しむ恵を他所に、女は至極残念そうにへにゃり、と眉を下げる。
「折角用意して来たのに・・・」
「お前がやってどうすんだよ・・・」
呆れた恵の突っ込みは、もっともであった。
「あれ、さん。それどうしたんですか?」
背後からの津美紀の声に、の肩が僅かに揺れる。麦茶をお盆に載せた彼女は、台所から出てくると恵から隠されている彼女の背を覗いて、首を傾げる。
「それ、最近できたばかりの水族館のですよね」
パステルカラーの文字が躍った、長方形のチケットには比較的近場に出来たばかりの水族館の名前が載っている。背に隠していたものに津美紀の視線が注がれ、は視線を泳がせ言葉を濁らせた。「あー・・・」
「二人とも、今夏休みだし。二人の自由研究も兼ねて、どうかなぁって思って・・・」
「わぁ!!行きたいです!!!」
「本当!?」
頬を綻ばせて喜ぶ津美紀に、も喜びも露わに振り向いた。が、思い出したように明るかった表情を潜めて、伺うようにちらりとこちらを見る。
「恵ちゃんは・・・」
用意していたとは、このことか。女の先ほどの言動について得心した恵に、女は嬉しそうな表情を一変させて、ゆらりと瞳を揺らす。不安そうにした彼女の言葉は続かない。
恵は一人を好む。賑やかな場所は嫌いで、特にこの二人は煩い。片方だけでも十分喧しいのだから。家族だから、という津美紀も。他人の癖にずけずけと関わって来る目の前の女も。
恵には、この『赤の他人の大人』である女が理解出来なかった。津美紀はどうしようもない、お人よしで。たった一人の家族だ。
なら、コイツは?
よく笑って、ちょっとしたことですぐ泣くような弱虫。大人の癖に、呆れる程表情がころころと変わる。家族でもないくせに関わって来る。既にこの女は、『赤の他人の大人』というカテゴリには当てはまらなかった。図々しく関わってくる女は、既に不特定多数ではない、『 』だ。
俺にとってのこの女。・・・よく、わからない。
「・・・しかたねぇーから、付き合ってやる」
そう思っているのに、気が付けば不安そうな表情を浮かべる女に、言葉が飛び出ていた。女は恵からの返答が思いもよらなかったのだろう。目を丸めて驚いた表情を浮かべている。
すぐにそっぽを向いたままの少年の言葉を理解するなり、満面の笑みを浮かべる。頬が緩みまくった、だらしない笑みだ。視界の隅で映った女の表情に、こちらが馬鹿らしくなってくる心地がした。心の底から面倒くさいが、ちらちらとこちらを不安げに見る女が、誘いを断ればキノコを生やしそうな程落ち込むのは想像だに容易い。まだこちらの方が幾ばくかマシである。意思に反して了承していた事に一瞬湧きあがった疑問は、そう思いなおして心の隅に追いやった。
早速、津美紀と日程の相談をしては、普段より二割増しで会話を弾ませる二人にげんなりしたが、恵は慣れたように手元の本へと視線を落とす。
狭いアパートに響く二人の賑やかな声は、恵にとってないつの間にか、何の変哲もないBGMとなっていた。

彼女と過ごす日々が増える度に、恵は思うようになる。
『あの人』は津美紀と同じような善人だ。加えて、津美紀より抜けている。しっかりしていない訳でもないのに、少なくても知り合いである恵達に対しては気の抜けた面をみせていた。だからか、恵は数年前に親のない彼らに金銭的援助の話を持ち掛けてきた、あの変な大人にだけは会わせたくなかった。
呪術師なんて全員、禄でもない連中だ。例え恩人と呼べる存在であっても、絵に描いたようなちゃらんぽらんなあいつだけは関わらせたくない。徹底して、彼女が訪問する日は前もって連絡をもらい、運悪く呪術の訓練と被れば断固として彼女を遠ざけた。
『あの人』は決して、こちらに関わっちゃいけない人間だ。
アイツと関わらないよう四苦八苦し、時には津美紀の手すら借りて遠ざけた恵だったが、理由はそれだけだと思っていた。善人だから。義姉と同じようにその理由だけだと思っていたのに。
ーーー大事にしたい。と、そう思っていたのだと気づくのは、いつも遅い。
隅に押しやっていた感情に少年が気づいたのは、彼女が交通事故に遭い、眠りついた後だった。


***


「紹介するね!今日から一年に混じって一緒に授業を受けてもらう事になった、 ちゃん!
 僕と同じ年だけど、は最近呪霊が視えるようになったばっかのど素人だから、じゃんじゃん教えてやって〜」
東京郊外にある、東京都立呪術高等専門学校。
白髪の高身長の男が、軽やかに手を叩いて一人の女性を紹介した。いつにも増して高いテンションで女を紹介する彼は、突然の出来事に唖然とする一年生を気にかける事なく話を続ける。
「年上のお姉さんと一緒だからって、うっかり惚れちゃわないよーに!既に僕たち、ラブラブだからさぁ〜。いやぁ若人の夢を壊しちゃってゴメンネ!」
「いや、そうじゃなくて・・・」
いち早く声を我に返ったのは、紅一点である釘崎である。若干まだ呆然としたままの彼女が指摘したのは、そこではないのだ。教室に入ってくるなり、開口一番にこの男は言った。彼女が呆気にとられたのはその言葉が原因である。
緩く首を傾げた五条は、ややあって教え子が指摘したい心当たりに気づいたのだろう。表情を明るくすると、登場一番に口にした言葉を改めて言う。始終諦めたように苦笑いを浮かべるの肩を抱き寄せると、目隠した上からも分かるほど満面の笑みを浮かべた。
「彼女、僕のお嫁さん!」
「・・・あ?」
思わず、恵の口から低い声が出た。
幼少の頃から呪術界は愚か、あれだけちゃらんぽらんなこの男から遠ざけようとしていたというのに。目の前で呪術師を育てる高専まで連れてきた挙句、彼女を抱き込んで平然ととんでも発言をかました男に対して、冷静さも掻き消え思わず口汚い言葉が内心飛び出る。
今なんつったこのクソ教師。
伏黒恵の地雷を踏みぬきまくった男は、精神面でも無下限術式が張られているらしい。単に、元来の傍若無人な性格故だからだろうが。
唖然とする釘崎、生身の花子と再会できて喜ぶ虎杖、明らかに怒髪天つく勢いの伏黒に対して微塵も動じた様子もなく、へらへらと笑みを浮かべている。
異様な空気に包まれ、肩を抱かれたままの女は早速後悔する。仮にも教師だからと男に紹介を任せるんじゃなかった。人前で躊躇なく抱き寄せる五条から離れようとも、肩に回された片腕はびくともしない。
頬を緩ませまくった最強と、切れ長の瞳の瞳孔を開かせてキレる恵の様子に、花子基、だけがこの先の不安を膨らませ、若干遠い目をするのだった。




最強の呪術師と元一般人の彼女





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