DreamMaker2 Sample 見た事もない男の悲痛な表情に、胸が張り裂けそうだった。なぜそんな表情を浮かべるのか、分からない程花子は鈍い訳ではない。人並みの感性を持っていれば、五条の今までの態度の理由は明らかだ。
本当は何も考えずに、伸ばされた手に縋りついて飛び込みたかった。
けれど、それは決してできない。五条は生きている人間で、花子は死人。交わる事は決してありえない。込み上げる慟哭にも似た感情を抑えて笑って、本当は忘れて欲しくないくせに忘れて欲しいと口先だけで願う。それでも五条に幸せに生きて欲しいと願ったのは、心からの本心だった。
浮かべた笑みが歪なものでなければいい。どうか最後の一瞬のその時まで。喉が震えそうになる程の涙をのみ込んで花子は別れを告げて、意識が反転する。
ーーーそして次に目が覚めたとき、花子は白い天井を見上げていた。
ぼろり、と抑えきれなかった涙が頬を伝う。
「・・・あ」
掠れた呆けた声を上げて、花子は唖然とする。鈍い体で、視線を彷徨わせると白い一室は病院のようだった。傍らのテーブルには可憐な青色の花が活けられている。数分程呆然としていた花子だったが、ようやく状況が整理できてくる。
病院のベッド。見舞われたのだろう花が置かれ、目を覚ましたのは紛れもない自分である。・・・嘘でしょ。
思わず額を覆った手は透けることもなく、漏れた声は衝撃のあまり声になることすらなかった。決死の思いで別れたのはつい先程である。
え?何?格好良く別れようとしていた私の鳥越苦労?え??恥ずかしすぎない??溜まらずベッドの上でもんどり打ちたい花子だったが、自身の体は随分と衰えていたようだった。少し動いただけでも体が痛みを訴える。
ふと、その時花子は額に堅く冷たいものが当たった事に気付く。視線を向ければ左手の薬指に、見慣れない銀色の光を放つ指輪がおさまっていた。全くもって身に覚えはなかった。もしかしたら全て夢だったのかもしれない。現実逃避に似た考えでベットの脇にあるナースコールを押すと、数分もせずに慌てたように看護師と医者がやってきた。
結論から言うと、全てがいっそ残酷なまでに現実であった。羞恥心で死にたいとは正にこの事である。赤く湯気出る程染まった顔に、熱があるのではないかと心配されたほどだ。
数か月前、トラックに轢かれた花子は今まで意識不明の重体に陥っていたらしい。体は既に回復したはずだったが、中々目を覚まさずにいたという。つまり、幽霊でなく生霊だったのだ。
花子は頭を抱える。その理由の大部分は五条との別れ際のやり取りであったが、現状はひとまず脇に置いておいて。それよりも花子に置かれた状況が問題だった。
もともと、異世界人である花子にはこの世界の戸籍がない。数年前放りだされるようにいつの間にか異世界トリップというものをしていたのだから当然である。生活保護も適用されるはずもないのだ。
事故を負って運ばれたが、身元は不明。しかしそんな自分が今まで治療を受けられ続けていたのは、身元不明の花子に対して身内だと名乗り出てくれた者がいたからだ。金銭的に余裕のない花子の代わりに、入院費もその人物が払ってくれたのだという。
その人物は伏黒さんーーーつまり恵ちゃんである。
申し訳なさで花子は地面にのめり込みたい心地であった。確かに可憐な見た目にそぐわず、彼は随分な男前であったがまさか気にかけていた子供に金銭問題だけでなく、入院手続きと各種方面で助けれていたとは。幾ら感謝と謝罪をしても飽き足りない。治療費、入院費を恵が肩代わりしていると聞いて、花子は気が遠くなる心地だった。すぐに我に返った花子が無理やりにでも退院しようとするのも無理はなかった。数か月、入院していた総額を掲示されて眩暈を起こした花子はすぐに心に決める。これ以上彼にお世話になる訳にはいかない。勿論、時間はかかっても恵に全額返すつもりではあるが自身の懐に余裕があまりないのも自覚している。幸いにも事故による怪我は既に完治していて、残るは眠っていた体の機能の衰えだ。点滴により栄養が足りないという訳ではないが筋力は衰えてしまっている。支えがなければまず動くこともできず、本来なら少しずつリハビリをして復帰していく過程である。しかし花子はそれを無理やり押し切った。とにかくも、花子には返せる手元がほとんどないのだから。リハビリであれば自宅でどうとでも出来ると止めようとする看護師を振り切り、花子は無理やり逃げるように病院を後にするのだった。



外は鈍色の曇り空に覆われ、雨が降った後だった。アスファルトに点々と出来た小さな水溜まりに、滑りそうになる足元を気を付けながら松葉づえで支え街中を歩く花子は、やはり体力が随分と落ちているようだった。僅かに動くだけで息を切らしてしまう。何度目かの眩暈に、花子は足を止めた。 とにかく、今は家に帰宅しよう。そこで少し休んでから、恵に感謝と謝罪を告げにいく。残念ながら携帯は事故の際にお陀仏してしまったようで入院先には壊れた携帯しかなかったのだから、花子は直で会いに行くしか手段がなかった。今後の動きを考えながら足を止めて休憩していた花子はその時、道行く雑踏の中に見知った人物がいることに気付いた。
雲間の間からは少しずつ晴天が覗き始めていたようで、柔らかな日差しを受け男の白銀の髪が眩く煌めく。どんなに人ごみ溢れていても、頭一つとびぬけて出ているその人物の髪は珍しい色だ。変わった髪色にも拘わらず、いつの間にか見慣れたその色に視線が逸らせなかった。 眩い銀色の髪とは正反対に、全身真っ黒の衣服を纏ったサングラスの男。気を取られた花子は、パシャリ、と足元の水溜まりを踏んでしまった。

丸渕のサングラスがこちらを向く。男と目が合った。サングラスの下にある、神秘的なまでに美しい蒼眼が微かに覗くーーー五条だ。
思いがけず早々に、別れたはずの男との再会だった。互いに涙を堪え、感動にうち震えるまま熱い抱擁を交わす。ドラマであれば、感動的なエンディングソングが背後に流れ始めるーーというのは、一瞬脳裏に描いた花子の妄想にすぎなかった。
男がにっこりと微笑み、花子は背筋に得もしがたい悪寒が走る。
見えもしないのに、サングラスの奥の碧い瞳が人を殺しそうな程の形相を浮かべている、ような予感がした。爽やかに微笑みながらも、遠目から見ても禍々しいオーラを放つ男は見間違いでなければ額にくっきりと青筋が浮かべている。 幽霊であったはずの己だが、段違いな程恐怖を覚えるとはこれ如何に。花子は咄嗟に松葉杖を動かし雑踏に紛れようとした。最早本能だった。 しかし身を翻した花子の逃走は、すぐさま終わりを迎えてしまう。

「はーなーこちゃん」

突然、足元の水溜まりに黒い影が生まれた。弾んでいるのに、地を這う低い声に花子は体を竦み上げる。メリーさんだって背後から少しずつ迫って来るというのに、この男にはそんな猶予もありはしなかった。感動的なエンディングは既に遠く、じわりと恐怖が滲み寄ってくるようなホラーでしかない。
数メートル以上離れた先にいたはずであったが、男は瞬きの一瞬で目の前に佇んでいた。息一つ乱した様子もない。街中であるにも関わらず、お得意の瞬間移動だ。 分かってはいたがこの男相手にはどうあっても逃げ切れるはずもなかった。花子は恐る恐る、顔をあげる。
「なに逃げてんの?」
にこにこと柔和に微笑む男はどこをどう見ても優男だろう。しかし、花子はその微笑みに恐怖を感じるしかない。絶対に、怒っている。花子は頬を引き攣らせた。
「は、反射的に・・・?」
「あ?」
「ゴメンナサイ」
男の抑える気もない圧に、たまらず即座に平身低頭しようとして出来ない花子は必死に頭を下げて謝罪する。
いや、ちょっと待てよ?とそこで花子は思い直した。
尋常ではない五条の鬼気迫る様子に、思わず反射的に逃げてしまったし、ちょっとばかり花子も別れの言葉を送った傍ら実は生きてました、なんてオチは羞恥が込み上げて仕方がないが。それでも、花子はこうして再び男と会う事が出来た。思わず、花子は下げていた顔を上げた。「五条さん!」
花子の勢いに、五条は虚を突かれる。構いもせず、花子は口を開いた。
「好きです!私、五条さんの事が好きです・・!!」
溢れるほどの思いを、もう押し込む必要もない。最期だと思って伝えたくても伝えられなかった言葉を、花子は伝えたくて仕方がなかった。もう最後だと諦める必要はない。柵が消えた花子は残したただ一つの後悔を思い切り五条へと叫ぶように伝える。
しいん、二人の間に痛いほどの沈黙が降りる。突然の花子の告白にあれだけ怒気を滲ませていた五条は呆気にとられたようだった。ぽかんとした表情を浮かべたあと、じわりじわりと顔を歪めていく。
「・・・んで、今言うんだよ・・・」
五条は唸るように声を上げると、とうとう諦めたように天を仰いだ。「あー・・・ほんっと信じらんねー・・・」
背の高い五条が上を向いてしまえば、花子は五条の顔色など分からない。しかし男の白銀の髪から覗かせた耳は赤く染まっていた。
開き直ったように、五条は顔を顰めて花子を睨み付ける。
「なんでそういう事すんの?態となの??毎回毎回、殺す気??ホント心臓もたないんだけど」
その表情に、花子はもう恐怖を感じる事はない。ガラ悪く睨み付けていても、五条の形の良い眉は情けなくも下がり頬は微かに上気していたからだ。しかし花子の余裕はそうそう長くは続かない。
五条は花子の余裕そうな表情に落ち着くように一息吐くと、にやりと口の端を上げる。
「で、僕の事だーい好きな花子さん」
「そ、そこまで言ってないです」
咄嗟に訂正するが、今度は五条が何処か自慢げに言い放つ。
「安心してよ。僕の方が大好きだから」
自慢することでもないのに、矢鱈と得意げである。だからこそ、その言葉に嘘偽りはないのだろう。う、と今度は花子が言葉に詰まり、顔が熱くなっていく。頬を染めた押し黙った花子を、五条は目を細めて見下ろした。男の目は柔らかく、慈しむかのようだった。

病院から抜け出したと聞いたときは、心底焦った。まったくどうやっても、彼女はこちらを振り回してくれるらしい。
一方的に別れを告げられた時、こちらがどんな心境だったが彼女は思いもしないだろう。
胸中は今まで感じたことがないほど動揺しながらも、一周回って嫌に冷え切った頭で、すぐさま恵への電話をかけなおした。彼女の名前を聞き出し、そうすることで花子をこの世に縛り付けるつもりだったのだ。彼女が完全に成仏してしてしまう前の一か八かだった。
絶対に、絶対に。逃がしてなんかやるものか。長く男を師と仰いでいたが聞いた事のないほど切羽詰まった五条に、電話口で詰め寄られた恵は当初、随分と驚いた。
しかし、それ以上に彼もまた困惑していた。突然電話がかかってきた彼女は今、病院で眠っているはずである。まさか目を覚ましたのかーーーそこで五条は彼女が生きている事を知ったのだ。
生霊の可能性は、想定の一つとしてなかったわけではない。しかし、それはあまりにも願望の入り混じった低い確率だった。そもそも花子という存在は前例がない。リアリストであるからこそ、五条はその可能性に縋る事はしなかったのだ。
勝手に消えないといったくせに、目の前で彼女は約束を破ってみせた。
ーーー到底、許せる事ではない。
もう離してあげない。五条は指輪を嵌めた彼女の手を、今度こそ握りしめる。
「僕を愛してる花子さん。君のお名前は?」
優しげな物言いとは裏腹に男の眼差しは、そろそろ観念しろよと多弁に訴えている。
獲物を逃がす気もない、獰猛さを滲ませた五条を前に花子は縮こまることもなく、むしろ笑いが込み上げてきた。
この男ときたら、仮にも一度は別れを覚悟した感動の再会だろうに。微塵も相手を思いやるような配慮というものが存在しない。
常に土足で踏み荒らして不法侵入は当然。挙句我が物顔で住み着いてしまう。男にとって遠慮する場所など、どこにもない。
まぁ、だからこそ。女子トイレに平然と入って来るような男だから。それがーーー五条悟なのだろう。
花子は笑って、答えた。
「私の、名前はーー」



トイレの花子さんと最強の呪術師





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