DreamMaker2 Sample 気が付いたら、見知らぬ土地だった。 
いつも通り押し込まれた、激務の一つである朝の通勤電車を降りて、改札を通る際なぜか突然定期が使えなくなっていた。磁器の不良かと首を傾げ、けれど窓口に問い合わせる時間も惜しいからと一先ず乗り越し清算だけして改札を出る。
そうして急ぎ足で向かった職場は見知らぬチェーン店のレストランになっていた。混乱しながら知らぬ内に引っ越しでもしたのか、と職場に電話をかけるも繋がらない。まさか、倒産した?夜逃げ??それでも、とてもじゃないが目の前の建物は一夜で出来るようなものではない。かといって場所を間違えているわけでもない。呆然としたまま、上司や同僚に電話をかけてみる。結果は電話口から無機質なアナウンスを流すだけだった。
定期は帰りも使えなかった。問い合わせても磁器不良ではないという。データがないんですよ、と困った顔をした駅員に、食い下がることはなかった。職場がなくなっていたという事態に心身が疲れていて、とにかく早く家で休んで冷静になりたかった。

茫然自失したまま、最寄りの駅を降りて家へと向かう。けれど、あったはずのアパートには見知らぬ一戸建てが出来ていた。ここに来て、どこかふわふわとした足取りが急に地に足をつき目の前が真っ暗になった心地がした。
口座もカードも使えない。電話で問い合わせても存在しないの一点。ここまでなら、何かしら不正に使用されてしまったのかもしれないと事件性も考えられた。けれど交番で事情を話し、身分証明書を見せた後。少し席を外した担当のお巡りさんが戻ってきたと思えば一言「お巡りさんも、暇じゃないんだよねぇ」
最初の親切な様子は存在せず、眉をひそめて迷惑そうにこちらを見ている。揶揄っているだけと捉えられただけまだよかったのかもしれない。ここで精神鑑定や薬物使用を疑われる前に、「ですよね、ははは。すみません」そう謝罪して足早に交番を後にした。

手元には、ささやかな現金しかない。数日ならばなんとかなるかもしれない。けれど数週間はどうやっても過ごせなかった。
ラノベでよく見かける、異世界転移とかの主人公はどうするんだっけ。と微かな記憶を漁る。上手いこと誰かに拾われたり、能力で自家栽培したりして暮らし始めるんだっけ。
転生ものは身元があるから楽でいいけど、転移となればまず主人公に能力がなければお話にならないという事に気づいた。そんな事をつらつら考えて、現実逃避していたのだが現状は変わらないままだ。

道路わきでスーツ姿にも拘わらず座り込んだ成人済みの女は、さぞ異様に見えただろう。
何か手立てはないかとアレコレ考えて、藁にも縋る気持ちで記憶にあるフィクションの中でも手掛かりを探したが、特に手立ては見つからなかった。この年で浮浪者かぁと思い始めたころには、全てが投げやりになっていた。
スマホは操作はできても、アドレス帳にある友人、知人、家族の全員がつながらない。メールも電話もSNSも試してみたが全て同じ結果だ。日が傾き始めた頃、道路わきで体育座りした女は、顔面を涙で濡らしていた。
――もう嫌だ。いっそ死んでしまいたい。

きっと、これは夢だ。時間も経つし、お腹も減ったりと生身の感覚もあってどうにも夢のように感じないが、きっと夢に違いない。なら、死んだら目が覚めるんじゃないか。もし夢じゃなくても、こんな現実でどうやって生きていけるの。

全てを突然なくして絶望した女は、完全に感情的になっていた。込み上げる嗚咽を抑えながら、楽になれる死に場所を探そうとと考え始めた女の前に、一本の缶が差し出された。
人通りが疎らな住宅街であっても、たまに人が通ることがある。けれどスーツ姿で泣きじゃくる女に触らぬ神に祟りなしと、たまに通りかかった人間は全て素通りしていた。女としても、そちらの方が助かったからよかったのだけれど。
目の前に差し出された缶ジュースに驚いて、視線をあげる。黒いランドセルを夕日に照らして、小さな少年が目の前に立っていた。
まだ低学年なのだろう。あちこちに跳ねた黒髪は尖った印象を見せたが、顔立ちは随分と可愛らしい。頬に絆創膏を貼った少年は、眉をひそめてぽつりと素っ気なく呟いた。
「・・・やるよ」
つっけんどんに言う割に、目の前に差し出されたままの缶ジュースを見比べる。受け取らない彼女に痺れを切らしたのか、少年は更に缶を押し付けてきた。押し付けられた女は、反射的に受け取ってしまう。
そこで、そっぽを向いたままの少年がちらりとこちらを見た。眉をひそめて、伺うような視線に女は肩の力が抜けていく。
・・・なにやってんだろうな。
天を仰ぎ、思わずぼやく。
「大人なのに情けない・・・」
ぼろり、と驚きに止まった涙が名残のように零れる。夕日が目に染みる。こんな小さな子供に気を使われて情けなくて仕方がなかった。
「・・・落ち込むのに、大人も子供も関係ないだろ」
てっきり、そのまま去るかと思った少年は意外にもまだそこに立っていた。男の子はそう言うと、不遜に鼻を鳴らす。
「落ち込めるときに思いっきり落ち込んどけよ。
 あとは上がるだけだろ」
子供らしくない物言いに、思わず女は少年を見た。
少年はやはりこちらから顔を逸らしている。けれど夕焼け照らされる少年の頬は、絆創膏に隠されているがよく見れば僅かに赤く染まっている。小さな少年の気遣いは、どうしようもなく女に情けなさ込み上がらせた。
正論もど正論。腐りに腐っていた女の考えが晴れていく。落ちるとこまで落ちれば、あとはただ這い上がればいい。探そうと思えば、何かしら手立てはあるはずだ。無駄に少年よりも年をとって人生を過ごしていないのだから、すべてをフル活用して探せばいい。最悪浮浪者生活でも、死ぬよりはマシである。
受け取った缶のプルタブに指をひっかける。込み上げる気持ちのまま、中身を飲み干した。久しぶりの水分は、思ったよりも不足していた体に染み込む。

これが少年、伏黒 恵との出会いだった。


***


『あの人』――少年の記憶を、また一つ思い出せた。
花子は今朝方の思い出した記憶に、気分が高揚していた。例え昨晩、呪霊に追い掛け回され、夢の中でも追われる様をにやにやと傍らで笑う呪術師の男に何度も助けを求めるという禄でもない夢を見ても、今は憂鬱な感情は微塵もない。上機嫌で、部屋の中に掃除機をかける。外に出ても手掛かり一つもなく焦ったが、こうして一つ一歩近づけた。もしかしたら日が経つうちに彼の記憶も思い出していくかもしれない。そうであれば彼にたどり着くのも時間の問題だろう。

鼻歌すら歌う花子を咎める者は誰もいない。家主は既に家を後にしていた。もともと生活感のない綺麗な部屋であるが、より綺麗にしてしまおうと花子は意気込む。埃のない角までしっかり掃除機をかけ、くるりと身を翻したところで花子は固まる。
黒光りするヤツを、見てしまった。


その日の五条は、いつもより早くに帰宅した。というのも、昨日花子さんを弄りすぎたと多少自覚があったからだ。今朝方の彼女は気にした気配もなかったが、本当はまだ気にしているかもしれない。
任務先の呪霊で遊ぶことなく手早く祓い、高専の授業が終わればそそくさと帰宅する彼の姿に彼を知る人間は首を傾げた。男は一日中、どうにも気がそぞろだった。いつもちゃらんぽらんだが、どうにも輪にかけて酷いというか。人の話も上辺に聞いていて、指摘すれば「あ、ごめん。聞いてなかった」と謝罪するのだ。あの五条がである。
もう一度言う、あの五条がだ。
唯我独尊の塊といっても過言ではない男の、常識的な反応ではあるがまずありえない返答に、周りは戦慄いた。なにせ、五条悟は他人の気持ちを顧みない。既に周知の事実であった。一日中そんな調子であった彼に、幾度なく周りの者は肌を粟立てた事か。挙句さっさと帰路についた男が、帰り際に思い悩んだ結果大量のアイスを買いこむ姿を知れば、もれなくキモっとすら思うだろう。生徒が死にかけようが呑気に購入していた土産だって、男は自分の分しか買わないのだから。再三いうが、男に他人を気遣う心はないのである。

さて、一日中心底周りに訝しまれた男であったが、彼もまた自身の変動を自覚していた。そのたびに男は否定する。いやいや、ないない。
相手は霊である。そりゃあ、その目がいいなとは思ったし、惹かれたけど。ちょっとこっちに向けて欲しくてアレコレ追い詰めたりもしたけど。
しかしそれは愛玩動物に構うようなものだ。きっと、ペットを飼ったような気持だった。と、男は思っていた。
だって、随分と可愛らしい反応をみせる花子さんがいけないのだ。つい構いたくなるし、追い詰めたくなる。同時に、囲い込んでこれ以上なく愛でたくなる。そこには惚れた腫れただの、愛なんてものはない。・・・・ないはずである。
腹の底でぐるぐると回る、形容できない感情を持て余す。
さんざん悩んで売り場にあるアイスを全部購入した彼の手にはビニールの袋が嵩張っていた。
別に、機嫌を悪くしてないかな?なんて思っていない。嫌われたかな?なんて微塵も心配してはいないが、一緒に生活しているのだから円満に過ごしたいと思うのは当然のはずだ。
もう一度彼女が名前を呼んで、もし喜んでくれたら。
五条は頭を思いきり目の前の扉に打ち付けた。ないない。ないないないないない。
無下限は解いている。むしろ痛みを与えたかったのである。ふわふわとした感情を額の痛みで消し去って、息を吸う。
「花子さーん、ただいまー」
務めて、平静を装い男は玄関を開いた。心臓が早鐘のように脈打っているが、抑え込んで顔を引き締める。靴を脱いで上がり、リビングへと向かう。
しかし待てども反応はなかった。
部屋には灯りすらついていなかった。暗がりに包まれた部屋に、胸中にひやりとした何かが忍び寄った。
彼女は手料理を作ってくれるようになったので、この時間彼女はリビングにいることが多い。しかし昨日の今日だ。もしかしたら機嫌を悪くして自室にいるのかもしれない。そう思い直して彼女の部屋の扉を叩く。
「花子さんー?」
扉の向こうから反応はない。勝手に入るのはプライバシーの問題があるが、それに気づいたのは咄嗟にドアノブをつかんで部屋に入った後である。
客室にも、彼女の姿は見当たらない。
手足の感覚が冷えていく。どんな特級呪霊相手でも動揺しないというのに。喉元が得もしがたい感情に押しつけられ、背筋には氷嚢が流し込まれたような心地がした。じわじわとした抑えきれない不安が体中を覆う。
動揺して立ち尽くした彼が動いたのは、離れた場所から物音がしたからだ。手に抱えていた山のようなビニール袋はいつの間にか落としたのか、手元になかった。
「あ、帰ったんですね。お帰りなさい」
リビングを出ると、女が廊下から顔を出していた。いつもと変わった様子もない、足元が透けたままの女は呑気な様子でこちらを見ている。
彼女は随分と興奮した様子で立ち尽くす五条の元まで来た。

花子が出てきたのは、手洗い場だった。いつでも何処でも、どうやってか現れる恐ろしき黒光りのヤツ、通称「G」を追い詰めたのは昼過ぎの掃除中だった。
花子は幽霊である。反射的に透けて部屋から逃亡しようとした花子だったが、五条の家は結界が張られている為、壁は愚か扉でさえ透ける事は出来ない特性があった。家から逃げ出すことはできない。いやしようと思えば玄関から出れるのだが、外へ出ても結局呪霊に襲われるだけである。放置する手もあったが、リビングにいるGを撃退しなければ夕飯も作れない。となればGと二人きりである花子は、自らの手でヤツをどうにかしなくてはならなかった。半乱狂にポルターガイストを起こしなんとかGを追い詰める花子。
手洗い場まで追い詰め仕留めたところ花子はふと気が付いた。なにやら、浮かび上がらせるものが増えていないか?花子は幽霊であるが、全てのものを念じて動かせるわけではなかった。手にすれば別であるが、手から離れたものであれば2つ程度が限界である。ところが、トイレに入ってからというものの、気が付けばその場の物をほぼ全て浮き上がらせることが出来ていた。
その事態に気づいた花子は思った。つい数日前に五条から呪術についての話もされていたのだ。曰く、呪術を極めてしまえば、生得領域という一撃必殺のものが展開できるらしい。自身の能力が底上げされた、必殺必中の空間だと男は言っていなかったっけ。もしかして、と花子はそれからトイレで様々なことを試してみた。
結果、判明する。
領域展開:トイレ
あ、なるほど〜なんて手放しに歓迎して納得はできないが、ないよりはマシである。多分。霊として目を覚ました場所が場所だから、仕方がないのかもしれない。これでは本当にトイレの花子さんである。
ないところからトイレの空間を作り出すことはできないが、トイレに入ってしまえば花子さんの能力が底上げされるらしい。トイレで底上げとか正直情けないが、とはいえ新たな発覚は嬉しい。何かしら、役に立つかもしれない。主にトイレ掃除だとか。
一通りGとの奮闘で荒れた部屋を直してから、トイレで何が出来るかと実験することに夢中になっていた花子は、五条の帰宅にも気づかなかった。物音がして顔を出して、初めて家主の帰宅に気付く。
「聞いてくださいよ!実は」
花子は弾んだ声で声をかけた。しかし、女の言葉は最後まで続かなかった。突然腕を掴まれたからだ。
目の前に黒い衣服が広がる。なにか、硬くて暖かいものに包まれている。状況が分からず顔をあげた花子が見たのは、花子を抱き込んだまま項垂れている五条だった。頭一つ分以上背の高い五条の顔は花子からは見えない。決して離さないように抱き込んだまま、男は深いため息を吐いた。
「はぁー・・・」
体温もない彼女を抱きしめて、ようやく、五条は息をつく心地がした。目を白黒せている彼女には悪いが、もう少しこのままにさせて欲しい。
彼女は幽霊だ。いつ消えても可笑しくない。だから帰宅して姿が見えなかった彼女に、五条はいなくなったのだと思った。同時に、胸が抉られるような途方もない消失感が五条を襲った。
ただ好奇心で保護しているだけなのだから、別に彼女がいつ消えても構わないと思っていた。けれど振り返ってみて、そうではなかったのだ。
女の本名を知りたかった―――彼女が消えてしまわないように縛り付けたかったのだ。
女にあれこれちょっかいかけたのも、こちらを見て欲しかったから。外に連れ出して、改めて呪霊を見せたのも、女がもう1度『あの人』やらを探しに行きたいと思わないように呪霊に怖がればいいと思ったし、彼女が熱心に想う『あの人』やらと同じように、こちらを見つめてほしかった。
蓋をして見て見ぬ振りをしていた本音が漏れ出てくる。どうにも、好奇心ではなかったらしい。
結局、初めからだったのだろう。胸中でざわめく感情に、苦い思いが込み上げる。童貞かよ。 いい年した癖に、込み上げる抑えきれない感情は、五条にとって初めてのもので酷く戸惑った。
情けないやら恥ずかしいやら。好みの女性は出るとこが出て引き締まった蠱惑的な女性であったはずだったが。彼女は理想の女性にかすりもしないし、生身の人間ですらない。
自覚すると無償に悔しさがこみ上げてきて、抱き込んでいた彼女の頬を片手で掴む。
「はっ変な顔!」
凧のように顔をつぶされた彼女に、思いっきり笑ってやった。振り回すのは、五条悟の特権である。
突然顔を潰されて驚いた彼女だったが、すぐに眉を顰めて離れようとする。しかし片手で抑え込まれているというのに五条の手はなかなか離れない。むしろビクともしない。
五条は女を離す前に、口元を釣り上げる。
よくもまあ、こんな情けなく、時にはのたうち回りそうな感情を、28歳も超えたGTGに植え付けてくれたものだ。
ここまで情けない男に落としてくれたのだから、それ相応の代価を貰わなければ気が済まない。
目隠しに隠された目を鷹のように鋭くさせ、好戦的に宣戦布告した。
「覚悟しておけよ」
―――絶対に、落とす



落ちていく




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