おいでませ、異世界

DreamMaker2 Sample カリカリカリ
教室中に、芯のかける音が走る。
も漏れくシャーペンを走らせ、補修を避けるべくテストに挑もうとするが、その手は微動だにしなかった。
カリカリカリ
冷や汗がじんわりと額に浮かぶ。
え、何で皆書けるの?抜き打ちなのに知ってたの?まさか昨日の内に復習でもしてたの?いや、それはないよね。だって昨日は天下のスクアニNNシリーズ最新作の発売日だよ。開発期間3年越し気が付けば花の女子高生も卒業間近でやっとの発売、待望の新作品だよ?え?なんで?普通に徹夜明けだよね?そうだよね??
前日は待ちに待ったゲームの発売日。予約開始から指折り数えて楽しみにしていたはその日、見事に一睡もしていなかった。
彼女が中学の頃、クラスは愚か同年代の間で大ブームとなり、知らぬ者はいないほど人気ゲーム最新作。完徹しない訳がなかった。
しかし彼女は失念していることがあった。
新作は発売までに3年かかり、彼女の世代は既に、高校を卒業する手前だ。要は皆ゲームなどにうつつを抜けない、受験生だったのである。
一体この現状はなんだ。誰の陰謀だ。スクアニか。そんな馬鹿なことはどうあってもあり得ないのだが。
しかし空欄での提出はあまりにも勿体ない。取り合えずはNN新作の、キャラクターの名前でも書くか。もしかしたら教師もNNシリーズのファンでそんな粋な答えかもしれない。こちらも万が一にも有り得ないのだが、徹夜明けのネジが一本どころか十本抜けている彼女はこの時大真面目だった。1問目。まずは主役だろう。ノクティ・・・
そんなアホな答えを書き終える間際だった。
強風が吹き抜け、机の上にあるプリントが巻い散る。あ、と彼女は舞い上がるプリントに視線を追った。
用紙は蛍光灯に届くかと思うほど宙を舞う。舞い上がる用紙は、天井の壁紙と同じく白い。吃驚するほど真っ白な答案に、墨汁を垂らして真っ黒に塗りつぶしたいと思わず彼女が現在逃避したその時ーー視界が蒼に染まる。瞬きをして、は唖然とした。
白い壁紙が剥がれかけた、見慣れた天井が消えていたのだ。
視線を上げて、宙を見上げる。ぱかっと無意識の内に口が開いた。
窓の向こうから見えていた快晴は、窓を突き抜けこちらまで伸びている。いや、正確にはそこにはあるはずであった窓がなくなっていたのだ。それだけではなく、天井すらも最早なく、蒼穹に白い紙が名残のように巻い落ちていた。
呆然と紙が落ちていく様を一人見上げるは、そこで快晴に、異様な景色が広がっていることに気づく。
まるで太陽のように、大きく丸く光を帯びた環が空に浮かんでいたのだ。
いつの間にか、生徒は愚か、教室すら消え失せ草原に佇んでいたは、半開きになった口をしばらく閉じることは出来なかった。

「変わった気配が干渉してきたと思ったら、・・・いや、ねぇ?」
緩やかな風が頬を撫でる。ふわりとした優しいこの薫りは、辺りに咲いている花だろうか?雲ひとつない日を浴びながら、色とりどりの花畑に置かれた白い椅子に座るは、正面で頬杖をつき、こちらを見る青年に視線を向けた。
彼は彼女の視線が、それまでこちらを一瞥もせず、夢中だった手元からこちらに向くのに気がつくと、大袈裟に肩を竦めて見せた。
「取り合えず寝るって、花の女子高生とは思えない図太い神経に、さしもの僕も驚愕を隠せないよ。」
背中を流れる白く長い髪は、色素がないというのに絹糸のように艶やかで、肩を竦めた動作でさらりと肩へと流れる。白磁の肌には束になるほどの睫毛が影を作り、紫苑色の瞳は切れ長だった。儚げな美丈夫はそう告げるわりに、薄い唇は楽しそうに弧を描いている。傾国の美女とは彼のようなものだろうか。女ではなく、男だが。はぼんやりとそんな事を思いながら、しかしそんな美青年を前に、のんびりといまだ口の中に残る甘いクリームの余韻を味わう。シュー皮のさっくりとほのかに香ばしい生地と、カスタードの甘さがまた格別である。しかし、シュークリーム食べたら喉乾いてきた。カップに手を伸ばしながら、は答えた。「いえ、夢かなぁ、と思いまして。」
「あ、この紅茶美味しいです。」
一口口に含むと広がった薫りに、思わず呟く。
そのまま無言で紅茶を嚥下していた彼女だったが、ふと青年に視線を向けた。「お茶請けにマカロンも頂けませんか?」
白い青年はそれににこりと柔和に微笑んだ。
「うん、わかった。君、絶対にマイペースだね。」

お茶請けに可愛らしいマカロンを数個、加えて紅茶のお代わりまで催促したは、そこでようやく会話の続きをする。
「これも夢でしょうから。私の夢なら贅沢しても良いでしょう。」
教室から目覚めたら草原だった。挙げ句空には不明の光の輪が浮かんでいる。そんなあり得ない上記の連発に、あ、これは夢だ。と即座に判断したは、己の欲求に従うことにした。即ち睡眠である。昨夜はゲームで一睡も出来ないほど忙しかったのだ。草原に寝転んだ彼女はすぐに眠りに落ち、そして何故か見たこともない色とりどりの花畑で白髪にの瞳といったあり得ない色彩の美青年と対面したのである。あ、まだ夢だ。は直ぐ様またそう判断した。
なので奇妙なお茶会が始まろうとも、彼女は目の前の美青年に気にかけることをせず、自分が望むものを要求し続けた。睡眠欲が満たされた今、次に彼女は空腹だったのである。
さてそれが落ち着けば、目の前の美青年は一体誰だ、となるのだが。しかし出会い頭、彼は名乗っていたような気がする。あまりの急展開に彼女の頭には全く入っていなかったのだが。えー、マー、マー・・・なんだっけ?思い出せない。いいや、マー坊で。どうせ夢だし。あっさりと思い出すことを放棄したに、向かいに座る青年ことマー坊は首を捻った。
「うーん、遠からずあたらからず、かな。君のでもあるし、僕のでもあるかな。」
「あ、説明する気ないなら良いです。どうせ夢ですし。」
にこやかに答える気のない青年の答えに乗ることなく、もまたあっさりと返す。「それより、ピスタチオがもう一個欲しいです。」
しかしの反応に、青年は気分を害した様子もなく柔和な笑みを崩すことはない。
むしろその目はの反応を面白がっているようだった。
見知らぬ土地に慌てることなく、清々しいほどに現状を楽しむ彼女は、現実主義なのかはたまた無意識化の現実逃避なのか。
この地は現実でもあり、夢でもあった。己が作り出した夢に、彼女を招き入れたのだ。彼女にとって、確かにこの地は夢ではある。しかし彼にとって、夢であろうともこれは現実だった。何故ならば彼は人ではなく、この地、現実にはあり得ない理想郷アヴァロンで暮らす青年は夢魔であるからだ。
青年はにこやかな笑みを浮かべたまま続ける。
「僕が招いたとしても、人の夢にここまで柔軟に溶け込むとは、面白いね!」
彼の夢に彼女を招いたわけだから、彼の夢であるはずなのだが最早彼女のものであるような謳歌っぷりである。我が物顔で寛ぐ彼女に、青年は頷く。見所のある、面白い子だ。
「うん。しばらく、様子を見させて貰うよ。」
往々にして人は予想に反したことに出くわすとパニックを起こす。しかし、彼女はその欠片も見られない。希にそのような人間もいるにはいるが、しかし何よりも、彼女はこの地の人間ではなく、唐突に、現れたのだ。これ以上に興味がそそられる人間は、中々にいない。
さてさて、彼女の行方はどうなるのやら。
人の営みを傍観者として見つめる彼は、この非常事態の行方に胸を高鳴らせた。
青年がこれからの傍観料として彼女が望むものを出し続けているのを、そうとは知らぬ彼女はピスタチオのマカロンを食べ終えた所であった。
「あ、マー坊、パフェも食べたい。」
「誰だいそれは。僕はマーリンだよ。」



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