DreamMaker2 Sample 温かった彼女の身体は、魔術師の腕の中で刻一刻と冷たくなっていく。
数百年の間、時には終わることのない不死の命に飽きながらも生きていた息の仕方も、忘れてしまった。息がつまって、胸が苦しい。頬を流れていたそれは、涙というものだろう。
夢魔は人のように感情をもたない。人間の感情を糧にする生き物であるから、これは模倣というなのだろう。だが、こんなににも苦しく、悲しく、息も出来ぬ感情を知りたくはなかった。
1人の娘に執着した所で、所詮彼女は人間だ。永遠を生きる魔術師にとって、こうして瞬きの間にいなくなってしまう。
たった一瞬、永遠の時流れの中で小さな命。
脆く、儚い人間を気にかけることはあっても、失われていく命に恐怖を感じることはなかったというのに。ひんやりと、身体の奥底から底冷えし、何も考えられなくなる。だというのに、駆け巡る慟哭を人はなんというのだろう。
そこに彼は実際にはおらず、彼の持つ現在視の千里眼で眺めていただけだというのに、同異体であるが故に感覚が共有されてしまうのか。――彼女が生きていた時、同異体の彼女と同じように一喜一憂していたからだろうか。彼女を眺めているだけであった彼もまた、涙が止まらなかった。
掌からこぼれ落ちる砂のように。最後には何も残らず。
――彼はその日、絶望というものを知った。


***


周りを砂漠に囲まれ、常に外敵に警戒態勢を敷いている都の空気は、酷く乾燥していた。しかし塀を潜れば、広場には草花が生い茂り、物流が行き交う市場では、人々が活気づいている。
人外のものたちに攻め込まれながらも活力を失わない都、第七特異地点、バビロニア。
始まりは流れによったものでも、いくつものの人理を修復した立香に、彼のサーヴァントのマシュ、何故かレイシフト適性を得た魔力のかけらもない、彼女のサーヴァントは、都を統べる賢王、ギルガメッシュの助力も得て、現地のはぐれサーヴァントと共に街のはずれの小さな家屋を拠点としていた。
夜も更ければ、日中は賑やかな市場も静まり返る。夕食も終え、居間で一段落していた立香達は出入り口から聞こえた布の擦れる音に会話を止めて、視線を向けた。
空洞となった入口には土埃を避ける為に簾がかかっている。長い布を避けて入ってきたのは、銀色の髪をした美丈夫であった。
艶やかな長い髪に儚げな風貌の彼は、しかし反してへらりとした笑みを浮かべる。
「いやぁ、ごめんごめん!遅くなったね。」
欠片も反省した様子のない、極薄な笑みである。眉を潜めたのは、藤色の髪で片目を隠した少女だった。「本当です!」
「毎回、帰ってくるのが遅すぎですよ!」
紫暗の目を弓なりに細めた銀色の髪の美丈夫は、本来共に旅をする仲間ではない。しかしこの地、バビロニアが直面する事態に対して目的は同じ、加え面白そうだからと彼は彼女達の仮住居で共に生活していた。
しかし、この男、実に異性にだらしがなかった。
性格は愚図極まりない。だが浮世離れした見目麗しい相貌に女性は後を絶たず、こうして夜がどっぷりと更けてからようやく帰宅してくるのだ。ただ共に生活しているだけならば、それでも特に問題はないだろう。藤色の髪をした少女、マシュは向かい側にある空いた席をみる。脳裏に諦めたように笑った、もう一人の大切な先輩が過った。
「・・・先輩、今日もまだお会いしたことがないからと、マーリンさんをお待ちになっていたんですよ。
マーリンさんがあまりにも遅いので、先ほど以前のお礼に、シドゥリさんのお宅に夕食のお裾分けを届けに行かれましたが・・・。」
マシュが避難がましい目を向けるのも無理はなかった。
バビロニアにたどり着き、数週間が経った。藤丸やマシュは何度もマーリンと話し、行動を共にしているにも関わらず、今はこの場にいない彼女とマーリンは未だ面識がないのだ。旅の仲間でなくても、彼らの目的は同じである。協力関係にある今、コミュニケーションは必要不可欠であった。
この場にいない、立香と同じマスターであるはマーリンに何度もコンタクトをとろうとした。しかし、どうにも間が悪いのか、いつもあと一歩のところで顔を会わせられずにいる。
飄々として掴み所のない青年に、マシュの視線が鋭くなっていく。花が飛ぶような緩い笑みを浮かべた男が、マシュには胡散臭く見え始めていた。一回、二回ならわるが、もう両手で足りない程のすれ違いである。マシュにはどうにも、男の所為に思えてきたのだ。証拠こそどこにもない、所詮女の勘というものだが。少なくてもマシュの他、バビロニアの王の補佐官である女性、シドゥリも同じく非難がましい目でマーリンを見ている。共に仮住まいに住んでいるアナは元からマーリンへの信頼は修正しようのないほどなく、牛若丸は王から与えられた責務でなかなか仮住まいに滞在することがないため論外だが。日々視線の冷え始める女性陣に、マーリンは相変わらず笑みを崩さない。正に暖簾に腕押し状態である。そうとは気づかない純粋でどこか天然の気がある少年、立香がテーブルに頬づえをつき、呆れたように溢した。
「また女の子だろ、マーリンは・・・。」
「いやぁ!ごめんね!」
弾んだ声は、微塵も思ってもない謝罪であった。そろそろ、マシュが噛みつくかもしれない。
なんといっても、少女にとっては大切な仲間というだけでなく、立香と同様に、尊敬に値する人間の括りに入っていた。
始まりは炎に塗れたカルデアで、立香と同じように差し伸ばされた手だ。ただそれだけであっても、旅の中、共に身近で過ごす彼らにマシュはいつだって助けられてきたのだ。
片目を剣呑に光らせたマシュを他所に、マーリンが唐突に人差し指を上げた。首を傾げる立香に、マーリンはにこやかに提案する。
「代わりといってはなんだけど、何か語ってあげようか。」
「じゃあ、王様の話以外で!」
早速、立香が食いついた。ブリテンの時代から長く生きるマーリンは、よく彼が見てきた人々の話を語ることがあった。ブリテンは神話が残る時代だ。突拍子もなければ、下らない話もある。しかし壮大で魔法も残る時代の話は下手なファンタジー小説よりも冒険心を擽られた。現代にはない話に、現代人である立香がマーリンの話を楽しみにするのも無理はない。
今日こそ物申そうとした意気込み始めていたマシュは、目を輝かせた立香に怒らせていた肩を下げる。マーリンの話を聞きたそうにしている立香の様子に、話の腰を折るわけにはいかなかった。立香もまた、マシュにとってとは違う、大切な先輩である。その先輩が子供のように目を輝かしているのだ。マーリンさんへの追及は、また別の機会にしよう。マシュは軽く息を吐いて、胸に残っていた苛立ちを薄めるのだった。
はたして今日も追及をひらりと交わしたマーリンは、立香に勧められた椅子に腰かけながら顎をさする。
「前に話したんだったね。うーん、困ったなぁ・・・。」
マーリンの話といえば、やはり有名なブリテン時代の王、アーサー王の話がほとんどだ。彼が導いた王の話は多く、しかし立香達はもうほとんどの話を旅の合間の小休憩時などに聞いていた。
マーリンは長く生きている。理想郷にこもっていた彼の趣味は千里眼を用いた人間観察だ。もちろん、アーサー王以外の話も知っているだろう。期待を込めた目で見る立香に、マーリンは内心唸る。彼の趣味は人間観察だが、正直なところ、個人個人に興味はない。彼らの紡いだ物語が好きなのだ。なので、よほどでなければ一人の話が記憶に残る事はない。アーサー王は彼自身が関わった人物であったため、語ることが出来たが彼は以降、生涯を理想郷で過ごした。人間と関わることはなくなったのだ。そこで彼は思いついた。
「そうだ。じゃあ、ある魔法使いの話をしよう。」
彼は目を伏せる。今も脳裏に描ける、彼にとって鮮明な物語だった。彼ではない彼女の物語。観ているだけで彼自身経験していない話であるのに、彼女が彼でもあるからだろう。これ以上ないほど、酷く共感できた。まるで自分が体験したような心地は、今でも思い返せる。
耳を澄ませる立香達に、マーリンは魔法使いの話を語り始めた。
「魔法使いは人とは違い、長く生きていました。
寿命のない魔法使いにとって、人の命は短く、あっけないものでしたが、人間は子供を生み、物語は続いていきます。眺めるだけの魔法使いは、だからこそハッピーエンドが大好きで、こっそりと人間の手助けもしていました。

数十年、数百年、幾人もの人々の営みを見つめていた魔法使いは、ある時、一人の娘が目につきました。
なんと魔法使いは、人間の娘に恋をしたのです。
しかし娘は既に、一人の青年に愛されていていました。青年は実直な人間で、娘が青年に想いを返すのは時間の問題です。
幸せな話が好きな魔法使いはいつもであれば、ハッピーエンドの道筋まで、少し手を貸します。
けれど魔法使いは人間の娘を愛してしまいました。

――さて、魔法使いはどうすると思う?
神であれば、高慢のままに拐うだろう。妖精であれば、魂を奪ってしまう。人であれば、当たって砕けるかもね?
―――答えは、何もしなかった。
人でもなく、妖精でもない魔法使いは幸せな話は好きだけれど、感情を持たない。
抱いたことのない初めての恋に戸惑い、苦しみ、全てを見て見ぬふりにすることにしたんだ。
そうして世界の果てに引きこもり、何もせずにいた魔法使いが気付いた時には、全てが遅かった。

幸福に満ちていたはずの物語は悲劇へ。手を貸さなかった国は荒れ、その最中に娘が命を落としてしまった。追うように、青年も戦乱で死んだ。やがて、その国も滅んでしまう。
何もしなかった故に、あとには何も残らなかったのさ。」
はい、おしまい。そう言ってあっさりと、マーリンは話を締めくくった。
「そんな・・・」
マーリンの語りが終えて痛いほど静まり返ったその場に、思わず眉を潜めて零したのはマシュだった。続いて、立香が浮かんだ問いを尋ねる。
「それから、魔法使いはどうしたの?」
「人に関わることはそれから一切なく、今も世界の果てで、暮らしているよ。」
マーリンは立香の問いに答え、今も見ているだけの銀色の魔法使いを笑った。「馬鹿だよねぇ、本当。」
それは何処か自嘲を含んでいた。彼女は彼女で、彼ではない。しかし―――たとえ、自分が彼女と同じ立場であっても、同じことをしてしまうと、彼もわかっていたからだ。
あれ程までに、苛辣な感情を彼は知らない。
静まった沈黙を破ったのは話を聞き終え、聞く前とは違い、沈痛な面持ちをしたマシュだった。
「・・・わかる、気がします。知らないことは、とても怖いです。それまでの自分が壊されてしまいそうで・・・。どうしても、怯えてしまいます。
けれど、そこで一歩踏み出せば。怖くてもそれ以上に、きっと素敵な世界が広がっています。 」
マシュは膝の上に置いた掌を握りしめる。カルデアで生活していた彼女にとって、魔法使いの話は他人事とは思えない節があった。
多くの知らないことを、教えてくれたのは見知らぬ世界であり、ひるみそうになった手を引いてくれたのは、彼女の前に座った少年や、今はいない少女だ。
「・・・うーん、なんというか。」
一方で、立香は腰に背を預けて唸った。彼は両腕を組み、体重を背もたれに預けながら感想を言う。
「魔法使いは・・・腰抜けだなぁ。」
「・・・うん?」
思わずいつも浮かべている柔和な笑みが固まった。何故か、いつも飄々としたマーリンの声すらも固くなった様子に気付き、立香は慌てて続ける。
「いや、可哀想だとは思うよ?
でもさ、逃げたんでしょ?好きな娘から。何も拐えとはいわないけど・・・。諦めなければ、ワンチャンあったかもなのに。長生きしているわりに、尻尾巻いて逃げるなんて、なんか、情けないよなー。」
「そんな、魔法使いさんは未知の感情に吃驚してしまったから・・・。」
そうだそうだ、もっと言いなさいマシュ。反論した彼女を内心擁護する青年を他所に、立香はしかし下がらなかった。
「でもさ、子供ですらおもちゃを巡って取り合いするよね?」
「それは人間の子供以下ってことかい。」
思わず、口に出た。
何故かいつも飄々とした男の気分を害した様子に首を傾げながら、立香は答えた。
「好きな女の子なんだ。俺だったら何がなんでも諦めない。正々堂々、傷だらけになっても勝ち取って見せるよ。」
断言した立香は、引き下がる様子はなかった。言い切った彼を、マシュが少し顔を赤くしてぼんやりと見た。
マーリンは笑顔で頷く。「うん、なるほど。」
「いやぁ、さすがカルデア一、一癖どころか三癖四癖あるような女性に日々眈々狙われるだけあるね!」
その三癖四癖あるような女性を思い出したのか、立香の顔がさっと蒼くなる。引き攣った笑みを浮かべ非難の目を向ける立香にマーリンは笑った。
「うん?誉めてるよ?? 」
しかし立香の顔は硬いままである。余程癖の強い彼女たちのアタックに堪えているようだ。
ショックを受けた立香を、マシュが慌てて励ます傍ら、マーリンは人知れず呟いた。
「――掌に何も残らないより、時には後先考えず、愚かになるのも、良いのかもね。」


***



苛立しげに言葉を放ったのは、眉間に皺を寄せた目映い程に輝く金色の髪をした王だった。
「おい、あの脳内花畑男はどこに行った?」
日に日に増す魔獣との戦いに、王であるギルガメッシュは日々忙殺な毎日を送っている。時間は常に惜しく、無駄にできないにも関わらず、要の迎撃について話し合うその場に、戦力であるはずの魔術師がいないではないか。
鋭い赤い目を更に剣呑にするギルガメッシュ王の言葉に、臆さず素早く返答を返したのは幼い頃から使える神官長、シドゥリだった。
「マーリン様は先程、宮の回廊で女性と話されているのを目撃しましたが、会議の時間になりましたので、その回廊に兵を使わしたところ、既にお姿は見当たらなかったとの事です。」
話の内容を聞けば聞くほど眉間の皺を増やし剣呑さを増す王に、シドゥリは淡々と状況を報告書する。可憐な外見にも関わらず、彼女は常々冷静だ。重くなるその場の空気に慣れないマシュや立香、は身体を縮ませた。
なめとんのかあの男は。
恐る恐る玉座を仰ぎ見ると無言のなか、恐ろしい形相の王にそんな副音すら聞こえる程だ。終わることのない執務に、彼は休む間もない。多くある執務を更にスピードを上げてこなし、ようやく時間を割けた対策会議だというのに。
脳内花畑男といえども、最高位であるグランドの冠位を持つ魔術師だ。重要な戦力の一つがこの場にいなくてどうする。静かに怒りを露にするギルガメッシュを前に、恐る恐る、は手をあげた。
「良い、発言を許す。」
王の了承を得て、は提言する。
「あの、王様。私、席をはずします。」
マーリンがこうして、姿を眩ませることは度々あった。初めはそうした性格だから、と片付けられていたが、どうにもそれだけが理由ではないようだ。ギルガメッシュは勿論の事、シドゥリにマシュや立香、他の兵たちもマーリンを見かけたり、話したこと事もある。しかし、だけは彼の魔術師と会話どころか姿すら見かけたことがないのだ。
ウルクへのレイシフト当時は、何故か立香達とは異なり結界に弾かれることなく、そのままウルクにたどり着いた為、案内役のマーリンに会えずにいたのは仕方がない。しかし、立香達もウルクにたどり着き一月が経った。にも関わらず偶然にもはマーリンと顔を会わせられずにいる。
マーリンは同じ魔獣と戦う仲間だ。何度も挨拶しようとも試みたのだがあと一歩、というところでいつもすれ違ってしまう。偶然のようであるが、それにしても両手で足りないその偶然は、どうにもそうとは思えなくなっていた。会ったこともないが、避けられているのかもしれない。そう推測されるのも無理はなかった。
がいなければ、彼は入れ違うように姿を表す。だからこそは退席を進言した。
「代わりに、私のサーヴァントを置いていくので。私がいても、あまりお力になれないでしょうし・・・。」
彼女のサーヴァントは幾度となく戦場に立ったことのある有力な戦力の一つだ。だが、は人力焼却の流れで立香同様、その場に加わることになったが、立香と違い魔術適正は全くといっていいほどない。レイシフトが出来たのが不思議だとカルデアスタッフに首を捻られるほどだ。サーヴァント召喚にしても奇跡的なもので、魔力ではなく縁によるものだろう。この場にいても話を聞くだけで、役に立つことはない。
離れるという言葉にすかさず過保護な彼女のサーヴァントが眉を潜め苦言を溢そうとしていたので、は先手を打つ。
「大丈夫、ここなら危険なことはないし。」
事実、ギルガメッシュ王の指導のもと作られた数々の兵器に優秀なウルク兵、マーリンにより貼られた結界とウルクは平和であった。唯一の懸念の魔獣は、今はまだ北方の塀で防戦されている。
安全が確保されていることを彼も理解はしているのだろう。麗眉を潜めながらも、離れすぎないようにと注意を促しながらも了承した。以前よりも過保護になった彼だが、サーヴァントとして離れることは不承なのたろう。は苦笑を浮かべた。
すると、玉座からため息が溢れた。王は眉間の皺を揉みほぐしながら言う。
「東の庭園は今の時期、南風が吹き過ごしやすく、日当たりもよい。
中でも今は鈴蘭が見頃だ。
我も気に入る庭園は、本来王である我の許可なく誰も羽を伸ばすことは出来ない。が、今回特別に貴様にはそこで休む事を許そう。」
「・・・良いのですか?」
思わぬ王からの労いに、は目を瞬かせる。眉間から皺をなくし、剣呑さを薄めたギルガメッシュが口の端をあげた。
「何、日頃の礼だ。」
王は常に息をつく間もないほど忙しい。神と人の半身であるが故に、尊大で横暴な所はあっても、彼の王は常に臣下への心遣いを忘れなかった。そんな彼だからこそ、刻一刻と滅亡の近づいているウルクから民は逃げることなく、今も活気づいているのだろう。
王の心遣いは有難い。ウルクの民ではないは、拠点である小屋以外あまり行く場所がないのだ。
ギルガメッシュの好意に甘え、は一礼して玉座の間を辞すると案内役の兵とともに庭園と向かうのだった。


庭園は玉座の間からさほど離れていない位置にあった。案内役の兵に礼を告げて、繊細な石彫りをされたアーチをくぐる。
宮殿内にも関わらず、天井は大きく空洞化されており、開かれた晴天の頭上から緩やかな光が降り注いでいた。建物の中に差し込む陽光は、雲間の間に差し込む天使の階段のように考え付くされた建築美である。日の光を浴びた草花もまた緑葉は瑞々しく、桃色に黄色、水色と色とりどりの花を咲かせていた。見惚れるほどの美しさに、はいつの間にか息を潜めていた。
感嘆の吐息を吐きながら、は庭園の中を進む。ギルガメッシュ王は鈴蘭が見頃だと言っていたが、色鮮やかなの花花の中には見当たらない。他の草花も見惚れるほどなのだから、見頃だといわれる鈴蘭には否応なしに期待が高まった。
肥沃の大地、バビロニア。古代オリエントの名に相応しく大地は豊かで、庭園の中では更に綺麗に整えられている芝生は柔らかな感触だった。周囲の草花に見とれながら、目当ての鈴蘭を探す。程なくして、雄々しくし立派な幹をした木に目がいった。
しっかりと根を張った、大きな木だ。数百年、いや数千年は経てそうな幹の大きさに、今いるバビロニアの年代を思い出しながら、その木がいつ頃のものか思いは身が震える心地がした。下手をしなくても、神代レベルのものである。思わず感動しながら木を下から上まで眺め、木の側で曲がった、その先だった。
白の色が、視界に映る。
雄々しい木よりも小さく、足元に咲くような花だ。小指の先よりも小さな鈴のような形をした白い花は、一つの枝に数十ほど咲かせている。それが群小となり咲いていた。白の花は差し込む光を浴びて神々しいほどの美しさだ。その脇に、白いローブを纏った背の高い人物が佇んでいた。思わず、は息を止めた。
小さくとも凛とした鈴蘭の手前にすらりと佇む姿が、その白の色合いもあり、あまりにも幻想的であったこともある。けれど、それ以上に。はその色合いをとてもよく知っていた。
背からこぼれる長い銀色の髪が、振り返り際白のローブに流れる。「ここの天井にはギルガメッシュ王の魔術が施されていてね。」
「日差しは差し込むが、雨や強風は遮られるようになっているんだ。まさに花花にとって快適な環境、というわけさ。理想郷、とまではいかないが、中々に立派なものだよ。」
「マー、リン?」
思わず、この地にいないはずの友の名を呼ぶ。名は確かに、同じだと知ってはいたが。
姿形もまた、のよく知る彼女と、とても似通っていた。しかし、目の前の人物も中性的ではあるのものの凹凸のある喉仏に、切れ長の目、スッとした顔立ち、極めつけに声は低く明らかに男性だった。
それにしても装いといい、あまりにも親友である彼女と似ている。目を白黒させるに、こちらを振り向いた美丈夫は花よりも美しく微笑んだ。
「初めまして、私はマーリン。魔術師だ。」
両手を広げ、往々しく頭を下げる。
彼女と同じ名の彼は、顔をあげると白皙のかんばせに紫紺の目を細め、やはり彼女と似たような相貌を浮かべていた。柔らかな笑みで彼は続ける。
「アルトリアと彼と同じで、こちらの世界ではあちらの彼女と同じ存在だよ。」
アルトリアとアーサー。 二人は同じアーサー王伝説の騎士王だった。だが同一人物に関わらず、二人もまた、背丈や顔立ち、名前、そもそも性別すら違う。二人は異なる世界の人物だからだ。なるほど、とは納得する。苦笑を浮かべて頬をかいた。
「あ、すみません。アーサーと違ってそっくりだったので・・・。」
アーサーとアルトリアは見た目からして別人で、すぐに同じ騎士王なのだと気づく事は出来なかった。親友である彼女は半妖で中性的であったからこそ、ここまで似通っていたのだろう。
彼が、この世界のマーリン。
異世界の彼女とは親友だったからこそ、懐かしさに胸を高鳴らせる。 彼女と彼は別人だ。アルトリアとアーサーのように。それでも、例え今まで避けられていた可能性が色濃くとも。彼女のように仲良くなれれば。明確に拒絶さられてしまうのではないか、そうした不安の中に淡い期待が滲む。
まずは第一印象。笑顔を浮かべて、は片手を差し伸ばす。
「初めまして、私はです・・・?」
しかし 、そこで怪訝そうに言葉が潜められ、伸ばそうとした手が止まる。 握手に答えようと近づいたマーリンは、彼女の様子に首を傾げた。
「どうしたんだい?」
目を瞬かせる目の前の人物を、は見つめる。
多少異なる所はあっても、本当に似た容姿をしている。不思議そうにこちらを見る鮮やかな紫紺の目も、彼女のものそのものだ。だが、それ以外に。はそれを知っていた。途端重かった胸が軽くなる。
彼女と似た彼。見知らぬ人であるはずだが、はそれをよく知っていた。無意識の内に力んでいた肩の力が抜けていく。
「もしかして、いつも助けてくれたの、マーリン、さんですか?」
問いかけの形はしていたが、核心的を抱いていた。
ただ一人の大切な親友。その彼女と似たような香りを彼もまた纏っていた。彼が近づいた時に香った、花のような優しい香りには、気がつけばこの地で何度も助けられていた。
の問いかけに、彼はぴたりと動きを止める。
微笑みを浮かべたまま、瞬きすら忘れ、反応がない。虚をつかれたように動きを止めた彼に、核心は抱いていたがは徐々に不安を感じてきた。
「あの、違ったら申し訳ないんですけど・・・。」
「ち、違、」
咄嗟に返した言葉は酷くどもってしまっていた。急激に顔に熱が集まっていく。
人はそれを、動揺という。それはマーリンも知っていた。しかしマーリンは夢魔だ。笑顔で人を騙すなんて、ロクデナシである彼にとっては息をするような常識だというのに。
今のように狼狽えてしまえば答えているようなものだ。そもそも、動揺、なんてそんなもの。あり得ない。何千という年月を生きた。 だが、今だかつて、こんなこと――。
世話しなく視線をさ迷わせるマーリンに、は頬が緩んでいくのを感じた。
「有り難う。」
避けられていた、そう思いは彼と会う事を怖く感じていた。しかし今ではそんな事は、微塵もない。彼は初めから、ずっと手助けしてくれていたのだ。
姿を表すことはなかったけれど、彼の花のような残り香がする度、は振り替えれば命を救われていたのだ。命の恩人に、不安は感謝に書き替わる。親友である彼女と、彼は別人だ。けれど笑顔を浮かべたに、眉を寄せながらも固まる彼は、素直のようで素直になれない、偏屈な彼女と同じだった。
どう言い分すべきか試行錯誤している内に、の中では決定してしまったらしい。
これではどう切り返しようもない。藤丸達との会話から、彼女と向き合う決意はした。だから千里眼で見ていたマーリンは、同じく未来視の千里眼を持つ王により居場所を告げられたときは焦ったが、逃げ出しそうになる衝動を抑え、身を翻さずこの場に残っていたのだ。だが今までの事は彼女に伝える気は微塵もなかった。だって、影でこそこそと、大の大人が。目を離すことは決して出来ず、逃げ回っていた自身があまりにも情けなかった。
そうは思っても、目の前で笑う彼女に、マーリンは何も言えなかった。
なんで、そんなに嬉しそうに笑うんだ。一ヶ月も念入りに避けていた録でもない男だぞ?
先程まで彼女が感じていた不安や怯えは、今は何処にもない。そういう所だ。あちらで見ていた時から、彼女には酷く同感していたが。
本当に、なんで君は、こうも簡単に―――。
「いや、うん、いいんだ・・・。」
浮かび上がる言葉は、込み上げるものと一緒に丸めた。マーリンは頬を僅かに上気させながら前髪をくしゃりと掴むと、呻いた。
「・・・情けないなぁ・・・僕の気持ちが、痛いほど分かるよ。」
「マーリンさん?」
体を屈めたマーリンに、は心配そうに声をかける。
マーリンはすぐに起き上がると取り直すように咳をすると、改めてに向き直った。
「慣れていないだろう?マーリンで良いさ。」
目を瞬かせるは、理解すると共に、魔術師から改めて差し伸べられた手に喜色を浮かべる。嬉しそうにすぐに手を握り返した彼女に、マーリンも内心小さく笑う。
コロコロと常に分かりやすく変わる表情は、彼女の感情を食べずともわかる。表情と感情が常に一致する単純な人間は幾人も見てきた。
だからこそ、マーリンはこうも分かりやすい彼女を不安に思った。こんなに分かりやすくて、彼女は大丈夫だろうか。そうは思ったマーリンもまた、端から見れば驚くほど甘やかで穏やかな笑みを浮かべていた。
「改めて、これから宜しく。。」


Lily of the valley

鈴蘭の咲く頃に



「王よ。ご質問宜しいでしょうか。」
「ん?なんだ。」
会議の合間の小休憩時。
王は必要ではないが、慣れていないカルデアの者達は別だ。ただえさえ相手は難敵であり、対策も難航していた。王やのサーヴァント、将の経験がある牛若丸などの英霊の話し合いに意見を言う間などなく、そもそも話についていくのに精一杯である。だが、この戦いに彼等は必要不可欠だ。小難しい内容に疲労の色を隠せない彼らに僅かに休憩を与えた傍ら、王は休まずシドゥリと次の案件の話をしていたのだが、数件が片付いたところでシドゥリが王に尋ねた。
「宮殿の鈴蘭が咲くのはまだ少し先ではなかったでしょうか。」
怪訝そうな彼女の言葉も無理はなかった。神官長として宮殿を取り締まるシドゥリは宮殿内を把握している。庭園の鈴蘭はまだ咲いていないはずだ。玉間を離れたに王が進めた内容が食い違っている。千里眼を持つゆえに未来を見通すこの王に限り、間違いなどありはしないだろうが。以前の若かりし頃ならまだしも、今の王に慢心という言葉は存在しない。
案の定、シドゥリの言葉に眉を潜めることなく、ギルガメッシュはにやりと楽しげに笑った。
「シドゥリ、鈴蘭の花言葉は知っておるか?」
「純粋、謙遜、愛らしさ、他にも再び幸せが訪れる、でしたね。」
唐突な問いかけに、シドゥリは戸惑うことなくすぐに答える。
常人ではない王には、凡そ人には理解し得ないところがある。意味はあるのだろうが、シドゥリの返答に何やら楽しげに笑い始めるのだから、シドゥリは唐突に王の幼き頃を思い出した。一人で愉快げに笑う姿は、悪戯のばれた彼の様子そのものだ。
「ククク・・・いや、何。我ながら、粋なことをした。」
「はぁ・・・。」
笑いを抑え満足そうな王に、意味を理解せずとも悪い方向ではないのだろう。昔ならばまだしも、賢王と称されている今の王が満足しているということは良い結果に向かったということだ。結局、意味を理解することは出来ないが。疑問は綺麗に流し、シドゥリは迫る案件の話題へと向かった。
王の意図をシドゥリが理解出来たのは、更に短時間で数件の案件を片付けた後だ。
がマーリンと共に玉座の間に来たのは休憩明けすぐのことだった。

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