DreamMaker2 Sample その日、都会の珍しく東都では雪が降っていた。
しんしんと降り積もる雪の中、買い出しに出たに、危ないからとついてきた少年の手は、彼女の手と握られている。僅かに自分より大きい掌は彼女との年の差を改めて感じさせられた。それが少年には悔しかった。彼女は何時までたっても、彼を子供扱いする。
突然の雪にタンスの奥から引っ張り出したマフラーは一枚しかなく、彼女がそれを零に巻こうとしたため拒否すれば、一緒に巻こうとすら言い始める。名案だとばかりに良い笑顔を浮かべ迫るに必死で抵抗した彼は、その時炬燵で温まりながら笑っていた同年代の少年、景光を決して忘れない。あいつ帰ったら、絶対に覚えてろ。
結局少年である彼は、年上の彼女に敵わず、一つのマフラーを共有することになってしまった。いつもより近い距離に、零の顔に熱が集まる。
マフラーに埋めて頬の赤みを隠す。赤みを帯びた耳は寒さのお陰で誤魔化せた。無言の零とは異なり、上機嫌のを横見見る。
自身の気持ちも知らないで、彼女はいつも通りであった。それが彼を無償に苛立せる。
絶対に、その背中を追い越して見せる。
少年がそう意気込み、前を見た時だ。ふらふらと覚束無い足取りの男がいた。
長袖のワイシャツは袖でめくり、デニムのズボンを履いた中年の男だ。俯いた前髪で目は隠されているが、顔色は土色と良くはない。今にも電柱にぶつかりそうなその男性に、零は思わず声をかけていた。
―――大馬鹿者だ。
雪が降るほど寒い日だというのに、上着も来ていない。薄着の男は、明らかに変質者で、隣のは息を飲んでいたと言うのに。彼はこの時の愚かな自分を、それから一生、忘れる事はなかった。
「あんた、具合悪いのか?」
ぴくり、と肩が揺れ、前髪で隠れた目が、露になる。
虚ろな目は焦点が揺れていた。白目は充血し、視線は左右にさ迷わせていたが、それがピタリと、声を掛けた少年に定まる。視界の隅で鈍色の何かが雪に反射した。それが何か、零が気づく前だ。
びりびりと、凍えた空気が震える。男が咆哮のような、奇声を上げた。
男の叫び声は突如として静観な住宅街に響く。男は奇声をあげたまま、先ほどまでのふらりとした動きとは違い、俊敏な動作で大股に駆け寄ってきた。突然の事に、思わず小さな身体を畏縮させた零は自身に向かってくる男を呆然と見ているだけだった。
暖かい温もりが零を包む。男がぶつかった衝撃と共に、鈍い音がした。
・・・?」
目を丸めて、見上げる。零を覆うように抱き締めたは、見たことのない苦痛の表情を浮かべていた。吐息とともに吐き出したような、か細い声では言う。
「喋ら、ないで。」
ざく、と何かに再び突き刺さる鈍音。喉をひきつらせ、眉を潜めたの額から、脂汗が流れ、見上げる零の米神に落ちた。
さっきの音はなんだ?何故が苦しんでる?
突然の出来事に、聡明ではあるものの、まだ少年である彼の思考は追い付いていなかった。
に抱きこまれる前、豹変した男は鈍色の何かを振りかぶっていた。鋭利な10センチほどのナイフを、男は片手に握っていたのだ。まさか、
―――が、刺された??
突然の事に放心していた零の意識が、そこで一気に覚醒した。力の限り零は手足をばたつかせた。
「離せ!離せよ!!!」
「はな、さない。ぜっ、たい。」
は零を抱き込む力を緩めなかった。肩は忙しなく上下に揺れ、呼吸は荒い。
再びザク、と肉をたつ鈍い音にの喉がひきつき、目が見開かれる。――このままでは、が、死んでしまう。
零は狂ったように彼女の名を呼んだ。振りほどこうと暴れる彼に、回される力がそこでさらに強くなる。
全身で訴える零に、荒い息をするは歯を食い縛る。朦朧し始めた意識は、既に思考が回らなくなり始めていた。
初めは手負いの獣のようだった彼は、今ではとてもになついてくれていた。青の目をキラキラさせて何かと着いてくる彼に、彼女も嬉しく思い、つい他の子供たちより構ってしまっていた自覚はある。
いきなり見知らぬ土地にいたにとって、いつの間にか少年は家族のような心の拠り所になっていた。だからこそ、年下のこの子だけは、守らなければならない。脂汗を流しながら、精一杯の笑みをは浮かべる。
「大丈夫、せいぎは、必ずかつもの。」
前髪は脂汗で纏わりつき、口角は引き攣り、無様な笑みである。それでも細められた目には、確かな慈愛が込められていた。
その灯が、ゆっくりと消えていくのを、腕に抱かれた零は涙で顔をぐしゃぐしゃにして見届けるだけだった。

やがて叫び声に住宅から顔出した住人達が、異様なその光景に気付く。白銀の大地に赤黒い染みが伝い、狂ったように叫びながらをナイフで刺す男を数人がかりで取り押さえた。
その時にはは零に寄りかかり、きつく抱きしめていた彼女の両腕は零の体から離れていた。
「おい、・・・。」
あれだけ暴れても力を緩めなかった彼女の四肢は、今では力が抜けたようにぶら下がっている。零は取り押さえられた男をよそに、自身に寄りかかるを揺らした。
先ほどから、瞳が溶けてしまうかのように涙が流れ、止まらない。の反応が返らなくなると、それまで暴れていた零は、冷めるように粗ぶっていた気持ちが落ち着いた。
だというのに、頬を伝う涙は止まることはなかった。
「なんで、動かないんだよ。正義は、勝つんだろ・・・?」
雪だけではく、徐々に体温が失われていく彼女の身体を零は必死に抱き締めながら、力の抜けた上半身を揺する。
、なあ、起きろよ。こんな所で寝るなよ。 なあ、 」
いくら揺らしても、それから彼女の反応が返ることはなかった。

肌をさす寒さに、意識が浮上していく。
それはあの時の寒さを思い出させ、彼は現実かまだ夢の中なのか、しばらく判別できなった。
数回、瞬きをし、慣れたセーフティハウスの天井を見上げているうちに、零の意識もはっきりしていく。
上半身をベットから起き上がらせると昔よりも筋張り、あちこちに出来た蛸で厚くなった自身の掌を見下ろした。
忘れない。決して忘れてなるものか。
初めて愛して、亡くした女性。青臭い子供ながらも、何からも守りたいと思っていたのに、己の力がないばかりに、自身の所為で亡くしてしまった女性。
それから成人し大人になった彼は、しかし彼女を忘れた事はなかった。今でもふとした時、彼女の面影を追ってしまう程だ。
彼女のような人を、二度と出さないために、彼は警察官になった。
警官になってからも、失ったものはある。彼の仕事は死と隣り合わせだ。覚悟はしていた。―――それでも、止まるわけにはいかなかった。
憧れた先生も、愛した女性も、仲間ももういない。
何も知らない、まだ世間の譎詭、暴慢すら知らない子供の頃だ。今思えば下らないことだが、それまで歪んで見えていた世の中が美しいと思えた。この国を好きになった。輝いて見えたのだ。
だからこそ、守ると、誓った。
その誓いを彼は忘れる事はない。
胸を締める虚しさは、冷気と共に飲み込んだ。

***


ポアロでの仕事上がり、最後まで残っていた客も見送り、店仕舞いも終えて暖房を切ると、途端を襲った冷気には背筋を震わせた。
慌て上着を着こむと、同じシフトであった安室が横から声をかけてきた。
さん、送りますよ。」
きっちりとベージュのコートを着込んだ彼は、目を瞬かせたを他所に、窓の向こうに視線をやる。
「外は雪が降ってきていますし、転んだりしたら大変です。」
安室目当てにポアロに足繁く通う女子高生に言えば、飛びつくであろう提案だ。しかし、そこで素直に頷けないのがである。
何しろ安室である。一見チャラ男にしか見えず、主人公の敵かと思いきやその実警察官で、味方ではあるが、腹黒イケメンゴリラだ。私情だが最後か重要である。
初めは優男風に微笑んでいた彼だが、今では割と頻繁に、穏やかな笑顔は変わらないものの、力に物言わせてくる。おい、お前、その分厚い面剥がれかけてるぞ。と度々居合わせた小さな名探偵に視線を向けるが、すでに正体を知っているのか、名探偵は乾いた笑いを浮かべ、目が合うと素知らぬ顔といわばかりに白々しい裏声で女子高生の会話に混ざっていく。
そんな調子であれば、力に物言わすだけではなく、最近では穏やかな物言いすら雑になることもしばしばだ。料理が不得意なが失敗をやらかす度、穏やかな笑顔のまま器用にもドスが効いた声などと、視覚的にも非常にダメージを受けるのである。それでいてオーダーが入るなりコナン以外の人目につきそうになれば穏やかな物腰に代わるのだから最早こいつ誰と戦慄し鳥肌が立りまくりである。
この世界が名探偵の世界であると気づく前の出会い当初に思っていた通り、やはりこの腹黒、何を考えてるかわからない。全力で断りたいところだった。
しかし某じっちゃんの名に懸ける漫画と異なり、主要人物に近しければ死なないこの世界であるからこそ、近頃コナン少年にゴマすり、やたらとコナン率いる少年探偵団にお菓子を与え主要人物に近くなろうと全力をつくすとしては、とても断りにくかった。何しろ、安室は主要人物に近い。ならば彼に近づけば、死からも離れる可能性がある。しかし、腹黒だ。ゴリラだ。
理性と感情の板挟みに思わず内心唸るに、安室は片手を掲げて見せた。
「傘、持ってきているんですか?」
持っていなかった。


「うう・・・寒い。なんでこんな時期に雪なんか・・・。」
言い訳をすると、今朝は降っていなかったのである。肌をさす寒さであったものの、既に3月だ。
はぶつぶつと文句を呟く。「時季外れにもほどがある・・・。」
ぶすくれ文句をこぼすには、それ以外にも不満があった。傘は当然、安室のものしかなかったのだ。
この年になって一つの傘に二人で入るなど、周囲の視線が気になって仕方がなかった。しかもこの腹黒は外面ばかりは完璧である。
先日、ポアロの同僚の梓から近頃のJKの怖さを聞いたが、彼女らに見られようならば、炎上待ったなしだった。救いは日が落ちている事だろう。
隣の男は太陽が沈もうとも輝かんばかりのイケメンであるが、自身ならば闇夜に紛れて特定はされないはずだ。
安室の無駄に整った顔を眺めながらそう思っただが、そこでふと隣の男について思うことがあることを思い出す。文句を呟いていた口を閉ざし、逡巡する。
それに気づいた安室が、を見る。
「どうしたんですか?急に押し黙ったりして。」
小首を傾げる優男を眺める。悩む。唸る。もう一度悩んだが、やはり曲がりなりにも、彼には世話になっているのだ。
しかたがない。
は鞄の手を突っ込むと、目当てのものを探す。不思議がる安室に、はそれを掴むと眼前に差し出した。
「疲れていそうなので、これあげます。疲れたときに舐めると、元気がでますよ。」
「・・・・・・もしかして、飴ですか?」
聡明な彼にしては珍しく、眼前に差し出されたものに目を瞬かせ、無言で見つめるなり大分間をあけて、彼は訪ねる。
は胸を張った。
「夜中に急に甘いものが食べたくなったので、砂糖を溶かして作ってみました!」
ポアロで働き始めたばかりのは、貯蓄がほぼつきかけていた。コンビニに行く金はない。なら作れば良い!名案とばかりに3分クッキングで溶かしたというより焦げた砂糖を、少し熱を冷ました後にラップにくるみ放置すれば固まり、それを思い切り投げつけて砕いたのだ。
歪ではあるがお手製飴の完成だった。やべ、私天才じゃない?誇らしげなに、差し出された歪な黒っぽい固まりを見ながら、安室は思わず半目で呟く。
「この出来で、なんでそんなに自慢げなのか、僕はほとほと疑問だ・・・。」
「見た目は悪いですけど、食べれるお菓子です。」
ほらほら、と進めるは、安室を警察官だとは前世で知ってはいたが、その所属までは覚えていなかった。
少し考えれば察せられるだろうが、彼女は元来、細かく物事を考えない性質だった。よって、安室が公安であり、自身の目の届かない所で作られた他人の料理や既製品を食せない職であることを知らなかった。
安室は目の前に差し出されたものを眺める。他人の手作りは基本用心し、過程を見ていなければ食べないのが公安の基本だ。しかし、すさまじい形をした飴だが、それ以上に気にかかる所があった。彼女はこれを差し出す時、奇妙な事を言っていた。
疲れたときには甘いものが良い。確かにそうだが、何故彼女は自身を疲れていると思ったのだろうか。彼は今潜入捜査中であり、降谷ではなく、安室としてポアロで働いている。性格も本来のものと変えた。確かに、ここ最近取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなるミスをやらかすに、気がつけば素が出てしまうこともある。だが、人は人間関係に合わせて多面性を持つ。彼女に対して素が出ようとも、物腰柔らかな『安室透』も、呆れてそういった面が出てきても可笑しくはないし、腐っても潜入捜査官だ。見られても平気であろう人間の前以外ではすぐに取り繕っている。彼が表に出すのはそれだけだった、はずだ。
掌にある歪な飴から、をみる。
相変わらず胸を張り、笑みを浮かべている。馬鹿っぽい笑顔だ。目尻は下がり、締まりのない口許。
その一仕草すらも馬鹿っぽいのだ。能天気で、悩むことすらあほらしく思えてくる。ーーーそして、顔立ちは全く似ていなのに、奇しくも同じ名前の彼女に、なぜか重なるのだ。彼女に似ているから、それとも、底抜けな能天気な笑みのせいか、安室は気が付けば差し出された飴を受けとると、ラップを剥がし、口の中に放り込んでいた。
咥内に僅かな苦味とともに、じんわりと甘さが広がる。
「甘い・・・」
「そりゃ、飴ですから。」
満足げなは良いことをしたとばかりな表情だ。
名前は同じだが、外見は違う。洗った経歴も、彼女と接点もない。 彼女は安室より年上だった為、年齢すら合わなかった。
だというのに、今朝から感じていた寂寥が、知らず薄れていく。
彼女は笑う。
「安室さんはポアロの稼ぎ頭筆頭なんですから、頑張ってくださいよ?」
ああ、やはり甘いものは偉大なのかもしれない。
咥内にある飴を噛み締めながら安室は目を細め、答えた。
「はい。」
安室を見上げていたがそこで目を丸め、突然足を止めた。思わず訝がる。
「どうしました?」
首を傾げる安室に、は数秒固まったままであったが、思い出したように激しく首を降った。
「な、なななんでもありません!!」
止めていた足を再開させるなり、足早に安室より先を歩いていく。一方、は内心大きく悪態をついていた。これだから、イケメンは!
飴を舐めた後、安室は笑みを浮かべていた。ポアロでよく見る、安室としての穏やかな笑みではない。それですら女子高生からマダム、果ては小学生にすら騒がれると言うのに。先程の彼が浮かべた笑みは、が見たことのない、柔らかなものだった。優しげな目は細められ、口許は柔らかく弧を描く。形はいつもと変わらないはずであるのに、雰囲気ががらりと変わった、全く違うそれに、さすがの彼女も内心沸騰寸前であった。
顔が良いとはかくも恐ろしいものか。なんなんだ、そんなに飴が美味しかったのか。我ながら天才だとは思うけども!
動揺する内心を落ち着かせようと足早に歩くだったが、そこでマフラーの隙間から雪が入り込み、思い出したように身震いした。
すると、の手を温もりが包んだ。大きく、厚い筋張ばった掌だ。驚いた彼女は、いつの間にか横に並んでいた男を見上げた。
安室は穏やかな笑みを浮かべていた。
「これなら、寒くありませんよ。」
うん、イケメン死すべし。
何故こうも、この男は自身の顔を自覚しないのか。先程と同じ柔らかな笑みに、繋がれた掌を急いで離そうとするがやはりこいつ、力が無駄に強い。離れる気配のないそれに、は苦虫を噛み潰したよう顔をするが、しかしその顔は赤かった。は視線をさ迷わせ挙動不振になる。それに安室は更に笑みを深めるのだった。

雪は変わらず、止む気配はない。
冱寒とした寒さで、コンクリートに僅かに積もった雪には、途切れることなく足跡が続いていた。



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